第4話
翌朝、結月は本当にその店へとやってきた。
よっ、と軽く手を挙げると、彼女も笑顔を添えた同じ仕草で返してくる。
冷静を装うが、この時点で俺の心臓は破裂寸前だ。
結月が本当に来てくれたという事実だけで、俺の心は天へと昇ってゆくようであった。
俺達は抽選待ちの行列を目指して進む。
さすがにこの店の生誕記念日だけあり、開店一時間前にも関わらず、既に七百名を越える猛者達が集合していた。
「さすがに今日は混みすぎだな ⋯⋯ごめん、座れなかったら」
「ううん、お店のバースデーよバースデー。私も今日はこの店しかないと思ってたから、安里君に文句は無いわ」
ほらほらっと結月に背中を押され、最後尾へと向かった。
チラリと横を歩く彼女に目を配る。
今日の結月は、清楚で落ち着いた服装であり以前とはまた違った雰囲気だ。
実際に背を並べてみると、俺よりも顔半分程の背丈しか無いことに気付く。
一般的には女性としては高長身の類であろうが、スタイルの良さとイメージが先行したせいだろう、俺と同じくらいだと思い込んでいた。
何か喋らないと⋯⋯と思索にふけっていると、彼女は思い出したかのように自らの手のひらを叩いた。
「そういえば安里君さ、昨日は私に会うためにあの場所を歩いたんでしょ?」
「――は?」
図星をつかれ腰が抜ける。
な、な、なにをいきなり言い出すんだ!?
狼狽する俺を見てニヤニヤする結月には、全てを見透かされているようであった。
「ふふーん、何でわかったか教えてあげようか?」
「⋯⋯」
――悔しいが、素直に回答を聞く事にする。
「えっとねぇ⋯⋯私も同じだからよ。安里君を探してたから」
そう言うと、彼女はチロッと舌を出した。
クソッ⋯⋯彼女の発言と仕草の一つ一つが俺の理性に対して挑発をしてくる。
ドキドキとニヤニヤが正直止まらない。
『それってどういう意味⋯⋯?』と問いただした俺の表情はさぞキモかった事だろう。
「スロットって今までずっと一人で打つものだって思い込んでた。でもね、誰かと一緒もいいなぁって安里君の隣で打ったときに気付いちゃったの」
「あー、それは俺も同じ事を思ったな。喜びとか興奮を分かち合いたいって思う時はあるよな」
俺もずっと一人で打ってきた、故におおいに賛同できる。
勝ち負けも大事だが、一喜一憂を誰かと共有したいものだ。
スロッターとは孤独に運命に抗い続ける存在だ――なんて学生の時は言い張ってたけど、ありゃもうやめだ。
「うんうん。スロットの事を語りたくても、誰にも話せないしねぇ⋯⋯ようやっとソウルメイトに出会ったって感じ!」
「はは、それはいくらなんでも大袈裟だな⋯⋯」
嘘です、超嬉しいんだが。
キラキラした目で俺を見つめてくる結月に対して、俺は気恥ずかしく目を反らしてしまう。
「そうだ! 私の事は莉乃、でいいよっ」
「――ん、俺の事はなんて呼ぶつもり?」
「安里君は、そーねぇ⋯⋯」
まーひー、じゃなければ何でもいいや。
「まひろいど」
予想の斜めはす向かいを行く名を呼ばれた気がした。
「はぁ? まひ⋯⋯なんだって?」
「まひろ・い・ど!」
「莉乃⋯⋯呼びづらくないかそれ」
「んもぉ~じゃあ、ろいど」
「⋯⋯」
もはや俺の本名は、影も形もどこかへ行ってしまった。
俺の新しき名を連呼している彼女は、満足そうだ。
「普通に真広、って呼んで欲しいかな⋯⋯まるでどこかのOSとか粘土細工だったり音声合成技術みたいじゃない?」
「気に入らないのね、残念⋯⋯じゃあ、真広にしたげるわ」
なんとか真広と呼ばせることで合意を得る。
まっひろっ、まっひろっ、とまたもや連呼するところ、呼び方なんぞ何でも良かったようである。
「――前から思ってたんだけどさ、いつも周りにたくさんの男がいるじゃん? 彼らと遊んだりしないわけ?」
至極、当然の質問をしてみた。
もちろん回答次第では、俺はショック死するだろう。
「あー、遊ばないよ全く。私のプライベートには絶対干渉させないように徹底もしてるし」
人差し指を立て、さぞ当たり前でしょっと言わんばかりの顔をする。
徹底って言葉の威力はすごいな、人気者にのみ許された特権のように思える。
高水準の男どもの方から寄ってきてるんだ、仲良く遊んで良い男を選りすぐった方が賢い気もするが⋯⋯。
「――私って、自分でいうのもアレだけど容姿は悪くないでしょ? その外面の私を見て近寄ってくる人って、なんか信用できないのよねぇ」
普通に聞けばなんと傲慢な奴なんだろうが、莉乃に至っては自他共に認める⋯⋯ってところだろうな。
かわいい、に関してはたしかに異論はない。
「でも、中には素晴らしい男性もいるかもしれないよ」
なんでいつも俺のレシーブってのは、常に心にも無い内容ばかりなんだろうか。
こんな自分が心底嫌になる。
何故か中立的な立場で物事を話そうとしてしまう癖は、物心ついたときから直らない。
チッチッチ、彼女は人差し指を左右に振った。
「分かってないわねぇ。私にとって素晴らしいかどうかが重要なの⋯⋯聞いてよ、軒並み揃ってレバーすら叩いた事がないような連中ばかりなのよ。私には無理だわ!」
俺は絶句した。
結月莉乃とは、まさかここまでにぶち壊れている人間だったのか。
――あああ最高じゃないか。
全く違う世界で生きていると思っていた彼女は、どうやら俺と同じ世界の空気に害されている人間だったのだ。
言いたいことを言いきった彼女は、言葉を発しない俺の顔を覗きこむ。
「ねえ、幻滅した?」
ふふ、と小悪魔のごとく妖艶な表情を浮かべる彼女に、俺は真顔で答えた。
「――幻滅? むしろ親近感が沸いて感動してるが」
「真広も良い感じに頭壊れてるよねぇ~」
キャッキャと無邪気に喜ぶ彼女を前に、俺は既に彼女の虜になってしまっていた。
「もうね、生き辛いったらありゃしないわ。はぁ⋯⋯もっと外見と中身がマッチした生物として生まれ直したい」
腕組みをしながら空を見上げる彼女の顔は、早朝の陽射しのせいなのか、より一層キラキラと輝いて見える。
不思議と今の彼女になら、なんでも話せると思った。
「実を言うとさ、今まで莉乃の事を八方美人で気に食わないなぁなんて思ってたんだ」
俺の声は聞こえたはずだった。
彼女は空を仰いだまま深く深呼吸を始める。
全ての息を吐き終えた莉乃は、改めて俺の目をジッと見つめてる。
その彼女の口から発せられた言葉は、意外なものであった。
「うん、わっかるわー」
うんうん、とオーバーアクションで頷く結月に唖然とする。
俺の筋書きでは、怒らせた後に『でもね、今は~』と落としてから上げる心理効果を狙っていたのだが⋯⋯。
この莉乃って子には、これっぽっちもこちらが主導権を握ることが許されない。
「あれ? てっきり怒るかと思ったのに⋯⋯」
「え? いやだって実際に八方美人だしね~私。少なくとも今の会社に勤めだしてからは、社内の人と本音で喋ったことなんて一度も無いわね」
たしかに身近な存在ではなかったものの、端から見ても会社での彼女に今の面影は微塵も感じないでいた。
ここまで本当の自分を隠す事って可能なのだろうか。
八方美人とかそういう問題ではなく、その凄まじい演技力と自制心に感服してしまう。
「で、真広。今は私の事、どう見えているの?」
「今は⋯⋯かなり楽しい奴だなって」
「ふーん⋯⋯私もいっしょ。真広といると楽しいわ」
ようやく列がゆっくりと進みだした。
話に夢中⋯⋯嘘です、彼女に夢中になっていたが、気付けば抽選時間を迎えていたようだ。
俺は彼女にある提案を持ちかけた。
「せっかくだからノリ打ちする?」
ノリ打ちってのは、勝ちも負けも二人で折半する事だ。
抽選で良い番号を引く、当たり台に座れる、この二つの確率を高める事ができるのがメリットだ。
今日みたいに混雑する日には、もってこいの戦略であった。
だが予想外な事に、莉乃はキッパリとそれを拒否してきた。
彼女の勝ちに徹する姿勢を考えれば、むしろ喜んで選択をしてくれると思っていたが⋯⋯。
相変わらず予想を外し困惑する俺に、彼女はそっと耳元で囁く。
「ノリ打ちは⋯⋯もっとお互いの事を知ってからにシ・ヨ?」
ああ、俺の脳みそは完全に壊れされてしまった。
◆◇◆
初めて莉乃と一緒にパチ屋に並んだあの日から、今日でちょうど一ヶ月が経つ。
俺と莉乃の関係は今も変化し続けている。
彼女と連絡先を交換した俺の最初の使命は、彼女のゲームに夜な夜な付き合わされることであった。
彼女は自分の事を『陰の者』と称する程、サブカルチャーやインドアな物に対する執着が凄い。
しかも現在莉乃がハマっているゲームは、俺が苦手とするFPSであった。
同時プレイには彼女と一緒のゲーム機が必要であった為、プレイプレーションを購入させられる。
慣れないコントローラーと一人称視点に苦戦する俺に、ゲームもストイックに取り組む彼女はとにかく厳しかった。
「ほらっ! 相変わらず反応が遅い! はぁ~もう、真広また孤独死してるじゃん⋯⋯いい加減に退くことを覚えろスロッカス!」
仕事中は怒られる事など滅多にない俺にとっては、ある意味刺激的だった。
また、俺自身のM気質に気付いたきっかけでもあった。
週末は相変わらず二人で色々なパチ屋を転々としている。
基本的に俺たちのルーティンは、これを全ての基準としていた。
目ぼしいお店がなければ、普通にショッピングをしたり飯食って遊んだり。
抽選で負けたとしてもそれはそれ、なし崩し的に彼女と過ごせる時間に切り替わるわけなのだ。
どう転んでも、俺にとっては常に最高の週末を過ごせるってわけだ。
そしてつい先日、ようやっと俺の念願が叶う。
「俺と⋯⋯ノリ打ちしてくださいっ!」
「――ふ、不束者ではごじゃりますが⋯⋯」
告白の言葉がパチンコ用語の俺もどうかと思うが、テンパった彼女の殿様言葉も中々に笑えた。
そうして俺と結月莉乃は、晴れて正式に付き合うこととなる。
といっても、社内では完全に他人同士。
今までと変わらず、すれ違い様の会釈が精一杯の関係を演じ続けている。
「ふふ、社内の人にバレでもしたら真広⋯⋯貴方の死は免れないわね」
彼女の忠告を守ってはいるが、秘密の関係を続ける事はやはりストレスも感じる上、どこかでボロが出るんじゃないかと怯えながら日々を過ごしている。
就業後に会う時も二~三駅離れてからでないと知人に出くわしそうでこれがまた難易度が高い。
そして何よりも、俺の最大の悩みの種はもっと身近なところにいた。
「まーひー! これ見てくれよ!」
恒例である休憩後の余韻タイムを満喫していると、孝弘はすっとんきょうな声を上げた。
「これこれ! 旨そうだよなぁ~。結月は食事も洒落てるぜぇ~」
相も変わらず、孝弘は莉乃のSNSを漁っていたようだ。
彼のスマホに写し出されているのは、美味しそうな料理の画像である。
それは紛れもなく、彼女と付き合いだしてから初めてのデートで行ったイタリアンの名物料理であった。
「ん? あー、これって隣町に新しくできたイタリアンだっけ」
「は? まーひー⋯⋯お前詳しいな」
孝弘の一言にハッと気付く。
何も考えなしで発言してしまったが、よくよく考えたら思いっきりボロが出てしまっていたようだ。
焦る、冷や汗がドッと吹き出る。
とにかく話を繋げなければ⋯⋯。
「――詳しいも何も、先週辺りからそこの駅前でもチラシ配ってたぞ? お前知らないのか?」
まぁ実際のところ、それは真実であった。
それを見て俺から彼女を誘ったのだからな⋯⋯。
呆れ顔を装う俺の心臓は、平常時の倍速で鼓動を打ち続けている。
孝弘は怪訝そうに俺の顔を覗きこんだまま動かない。
「こういう流行りの店とかSNS映えする物には敏感なんだな~、さすがは結月ってところか!」
ツッコむなよ⋯⋯。
ツッコむなよ⋯⋯。
「⋯⋯」
「⋯⋯」
「――なるほど、結月を誘うなら俺もこういう店を探さねば⋯⋯」
孝弘が鈍感で助かった。
「早速リサーチリサーチ! イタリアンは飽きただろうから次はヨーロピアンだなっ! どれどれ⋯⋯」
それだとあんまり変わっていない気がするが⋯⋯。
孝弘は結月の事となると、脳ミソのレベルが著しく低下するようだった。
しかしながら、コイツのポジティブさと行動力は見習わなければならないかもな。
必死にスマホを操作する孝弘を見て、俺は少し感心してしまう。
突然、手を止めた孝弘がギョロっと俺を睨みつけてきた。
「おい、まーひー。今さら結月に興味持ったって言われても譲らねぇぞ⋯⋯」
変な勘が冴えたのか、俺に釘を刺すだけ刺したあと、また鼻唄を唄いながら孝弘はスマホに集中しだした。
はぁ⋯⋯もうしばらく俺のストレスに耐える日々は続きそうである。
夢うつつに窓からぼんやりと昼下がりの青空を眺めていると、ポケットの中のスマホが無言で震える。
莉乃からだ。
やけにタイムリーだなぁと感心しながらもメッセージを開いてみる。
そこには、白目で口をヘの字にひしゃげた彼女のいわゆる『変顔』がドアップで写し出されていた。
「⋯⋯」
たて続けにメッセージも送られてくる。
『草?』
コイツは会社で何やっているんだ⋯⋯。
呆れながらも素早く返信を済ます。
『ああ、草だ』
『真広の変顔見たーい! 莉乃に送って送って!』
えええ⋯⋯めんどくさいと思いつつも、辺りを見渡す。
何人かが休憩室にはいるが、皆それぞれに食事を取ったり昼寝に勤しんでいた。
孝弘も俺の様子など気にも止めていない様子である。
ごほん⋯⋯今しかない。
ややうつ向き気味に、腰の辺りに構えたカメラに向けて俺の精一杯の人生初の変顔をキメる。
――。
小さな機械音が鳴り響いた。
それは普通であれば耳をすませなければ聞こえないほどの小さな音であったはずだ。
だがなぜだろう、カメラのシャッター音が聞こえたその瞬間だけ、世界から一切の雑音が消え去ったように感じた。
嫌な視線をひしひしと前方に感じ、俺は頭を上げる。
「まーひー⋯⋯何やってんだお前?」
孝弘の怪訝そうな顔を拝むのは、本日二度目であった。
◆◇◆
どうでもいい適当な言い訳で、俺は先程の奇行を説明し終える。
俺の掌の中で震え続けるスマホの向こうでは、ケラケラと笑う莉乃の姿を容易に想像できた。
少しだけ変わった俺の日常。
俺だけが知る結月莉乃の本当の顔を、他の人間にさらけ出したい欲求はある。
だが反面、優越感と独占欲も俺の心の内には確実に存在していた。
隠れて付き合う事で生じるストレスの捌け口かもしれない。
それとも、少しでも彼氏らしく振る舞いたいという願望なのかもしれない。
目の前で俺の彼女の名を連呼し続けるこの世界一の不届き者に、俺は忠告をした。
その声は俺自身にしか聴こえないほど小さく、だが熱い決意でもあった。
「なぁ孝弘。――高嶺の花だ、諦めろ」
ここまでお読み頂き、誠にありがとうございます。
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