第3話
ありえない⋯⋯再びフリーズを引くとは⋯⋯。
鬼のような豪運の彼女の元へ、続々とギャラリーも集まってくる。
既に頭上には五箱のカチ盛り。
結月は天を仰いだまま、完全に活動を停止した。
長い長い祝福の液晶演出も終わり、ようやっとリールが回転し始める。
力無くストップボタンを押し始めた結月。
その哀れな姿は見るに耐えない。
ようやっとの事で三つ目のボタンを停止させた彼女は、のっそりと立ち上がる。
すると、彼女の左手はぬるりと動き、俺の袖を掴みグイグイと引っ張り始めた。
「ええ!?」
俺は驚いて彼女の顔を見上げるが、下を向いたまま俺の袖を引っ張り続ける結月は目を合わせようともしない。
「あの、結月さ⋯⋯」
異様な彼女の行動に困り果て、声を掛ける。
だが彼女の名を言い掛けた途端、結月は首をブンブンと大きく横に振る。
名前を呼ばないで欲しいのか、それは彼女の無言の抵抗のようであった。
そんなやりとりの間も、俺の袖は彼女の左手によって引っ張られ続けている。
なんなんだコイツ⋯⋯ついて来いってことなのか?
俺は彼女とのコンタクトを諦め、ようやく立ち上がる。
すると、俺を引っ張る力がより強く増した。
「ちょっ⋯⋯おいおい!?」
結月は袖から腕へと掴む場所を変更すると、一目散に店の外へと駆け出す。
そのまま引きずられ、その場を去る俺と結月をギャラリーは不思議そうに見つめていた。
街灯の灯りも僅かにしか入りこまぬ薄暗い路地裏に、俺は連れ込まれた。
まだ呼吸も整っていない俺に、結月は勢いよく頭を下げてきた。
「ごめんなさい! 安里君!」
「え、どういう⋯⋯」
いきなり頭を下げられては、こちらも困惑してしまう。
「えとね、皆には黙ってて欲しいの⋯⋯」
「それって、スロットを打ってたこと?」
彼女は黙って頷く。
職場で見かける彼女は華やかな印象であったが、今の姿はそれとは大きくかけ離れていた。
例えるならば、怯えた子犬のようである。
これ以上は他人のフリを続けられないと判断したのか、今度は俺に口封じを懇願してきたようだ。
「ああ⋯⋯もちろん誰にも言わないよ、大丈夫」
「本当に? ⋯⋯ありがとう」
彼女はもう一度頭を下げる。
その深さから、先程よりもさらに拳一つ分程の思いが乗っていた事が分かった。
俺はなるべく彼女が怯えぬよう、事情を理解している風を装う事を決める。
さすがに言いふらしたりするつもりは毛頭ない。
とはいえ、「皆には言いづらいよねぇ~」なんて軽々しく言うのもどこか嫌みっぽいなと、言葉を慎重に選んでしまう。
――思えば、まともに会話したのはこれが初めてかもしれないな。
提出物や書類を渡すときに声を掛ける程度、それが今までの俺と結月の距離であった。
「こうやってさ⋯⋯」
「え?」
「面と向かって結月さんと話したの、そういえば初めてかもね」
俺は当たり前の事実をそのまま伝え、はにかむ。
根掘り葉掘り、色々と聞いてくると予想していたのだろうか。
その直後の彼女の表情を見るに、先の言葉は彼女にとって予想外だったようだ。
身構える姿勢が、明らかに柔らかく変化してゆくのを感じる。
夕刻、一歩踏み込んだ先の大通りでは、帰路に向かう人々の雑踏が行き交う。
確かにそうね⋯⋯としばらく顎に手を当てながら、彼女はニコリと微笑んだ。
その表情からは、一切の警戒心が消え去ったように俺には見えた。
「――そろそろ戻らないと」
俺は右手に巻かれた腕時計を眺める。
もう時間の余裕はあまりない。
結局ほとんど言葉を交わさなかったが、結月の軽快な走りを見る限り想像以上の効果はあったようだ。
台が撤去されては困る⋯⋯俺も急いで戻る事にした。
◆◇◆
それからは彼女の行動が大きく変わる。
お互いの事を知らぬもの同士として過ごす必要が無くなったからだろう。
何か台にアクションがある度にアイコンタクトを交わす。
それ程の距離にまで、結月との関係は落ち着いていた。
彼女の台は確定画面こそ出ていないが、おそらくあちらも最高設定なのだろう。
結月の神がかった運の良さにより、彼女の大当たりはまさかの閉店まで続いてしまう。
結果、彼女は大台の一万枚を、俺は四千枚を流し終え、その日の実戦は無事に幕を閉じた。
最後の客として彼女が出てくるのを店外で待つ。
半分閉じかけたシャッターの隙間から結月が出てきた。
その表情は、恥ずかしそうにはにかんでいた。
俺は眉を持ち上げ、羨ましそうに声をかける。
「すごいじゃん」
「ふふ、今年の初万枚出ちゃっ⋯⋯あ」
そこまで言って、彼女は慌てて口を塞ぐ。
はぁ⋯⋯俺は呆れた顔で言ってやった。
「――いやね、結月さん。打ち方をちょっと見ればガチ勢ってことくらいすぐ分かるから⋯⋯」
それを聞いた結月はがっくりと肩を落とし、力無く両手を挙げた。
それはおそらく降参を意味しているのだろう。
「あはは⋯⋯もう隠すのやめる事にする⋯⋯」
「それでよしっ」
時間もそろそろ二十三時を回るところである。
俺達は、店からの最寄り駅まで並んで歩き始めた。
なんかもう聞きたいことがいっぱいありすぎて、頭が追い付かない。
そんな俺でも一つハッキリと感じている事がある。
それは、このニッチな趣味を持つ人物が身近にいた、という事実からくる嬉しさであった。
「ところで結月さん。君がスロットを打つこと、会社の人は本当に誰も知らないの?」
「⋯⋯うん、誰も知らないよ。多分、安里君で一人目」
あれだけ多くの男共に囲まれているのに⋯⋯俺はにわかには信じられないでいた。
「なるほど⋯⋯それは光栄なことだな」
「おめでとうございまーす、パチパチ」
「――はい?」
「安里君は、結月莉乃の秘密を知りし者 の実績を解除しました!」
突然のテンションの変わり具合に拍子抜けしてしまう。
「ごめん⋯⋯なにそれ?」
「えぇ~!? プレプレだよ、プ・レ・プ・レ! 安里君はプレイプレーション持ってないの?」
「あぁ⋯⋯俺ゲームはパソコン派だから」
「うわ、コアだねぇ~」
え、なんだこれ。
予想以上に会話が軽快に飛びかう。
俺の持っているイメージと、実際の結月莉乃は大きく異なっていた。
もっと高飛車な奴かと思っていたが、それはどうやら大きな勘違いだったらしい。
くだらなくも意外にも楽しい結月との会話は、駅の構内に着くと同時に終わりを迎えた。
「あ、俺こっちだから⋯⋯」
「あら残念。私はあっち~」
ちょうど、それぞれの電車がホームに入ってくるところであった。
「じゃ、今日はお疲れ。万枚ちゃん」
俺は右手を振りながら、クソみたいなあだ名で呼んでやった。
「――もし社内でその名を呼んだら冤罪でハメ殺すわ」
「はは、それは笑えないな⋯⋯」
彼女は先に電車に乗ると、見えなくなるまで手を振ってくれていた。
――ふぅ、なんか忙しない一日だった。
俺は見事に最高設定の台を打ちきり、結月とまでは行かないがまずまずの勝利を納める事ができた。
普段だったら『これがスロッター安里の力だ!』とか言って浮かれてるんだが、今日の俺はそういった気分ではなかった。
『⋯⋯うん、誰も知らないよ。多分、安里君で一人目』
結月⋯⋯莉乃か。
白状するけど、俺は彼女の事で頭がいっぱいになっていた。
◆◇◆
週末を終え、月曜日という悪魔にも打ち勝ち、なんなく過ごした一週間も終わりを迎えようとしていた。
金曜日⋯⋯今日を乗り越えれば念願の週末である。
実はこの五日間、結月には一度も出くわしていない。
よく考えてみれば、先週末には彼女に出会っていない設定なのだから、会ったところで以前と同じで会釈を交わすくらいなのだが。
それでも彼女の顔を一目見たい。
――そんな俺の思いなど露知らず、孝弘は相も変わらず俺の隣でニコニコとスマホを見ている。
「なぁ孝弘、結月莉乃のSNSってどんな感じなの?」
「おいおい、ついにまーひーも結月のかわいさに気付いちゃった系男子か!?」
自分のことのように喜ぶ孝弘からスマホを見せてもらう。
日に一度は必ず更新しているのだろうか、かなり多くの写真が公開されていた。
――のだが、何かがおかしい。
「あれ、結月のプライベート写真がなくね?」
「はぁ? あんだろ、たくさん。ほら、これだって飯食ってんじゃん」
「いや、そりゃあそうだけどさ⋯⋯」
彼女のアップロードしている写真には、食事・購入品・家での自撮り・そして稀に旅行や季節イベントの写真があるばかり。
普段の週末に何をしているとか、趣味がどうたらといったものは皆無であった。
なるほど、普通の人は気付かないかもな。
彼女の真実の姿を知る俺にとっては、このSNSから休日のほとんどをパチ屋で過ごしている彼女が容易に想像できてしまう。
結月の精一杯の偽装SNSに、俺は思わず吹き出してしまった。
「――俺と変わんないじゃん、これじゃ」
「ああん?」
「あ、いや、何でもない。ほいっ」
礼を添えて、孝弘にスマホを返す。
ってことは、結月は明日もパチ屋だろうな。
運が良ければどこかで会えるだろうか⋯⋯。
こんなことなら、この間の帰り道にでも番号を聞いとけば良かった、と今更になり後悔する。
かといって社内で直接会って聞くのも至難の業なんだよなぁ。
ただでさえアイドルみたいな扱いの彼女の周りには、常に取り巻きが入れ替わり立ち替わりにウヨウヨしている。
変な噂が立つと、そのガーディアン達に消されかねない。
困ったな、打つ手はなしか⋯⋯。
俺が項垂れていると、孝弘が突然立ち上がる。
「あれ、休憩時間まだあるけど?」
「トイレ!」
「あぁ、そう⋯⋯」
いってらっしゃいと、俺は気だるそうに手を振った。
――そういや、先週のこの時間に彼女とすれ違ったんだっけ?
またうっかり会えるかもしれない⋯⋯。
俺は休憩所から出て彼女を探しながらウロウロしてみることにした。
馬鹿らしい事をしていると我ながら思う。
うちのビルの大きさを考えれば、特定の誰かとすれ違うってのはなかなかに難しいのだ。
――でもね知ってるかい、スロッター同士はひかれあっちまうって。
先週と同じように、時間は少し早いが、同じ方向から結月は歩いてきたのだ。
俺は一人勝手に運命を感じ、感動に打ち震える。
だが、残念な事に今日の結月は取り巻きの一人と一緒であった。
徐々に距離が縮まってくると、会話に夢中になっている彼女も俺に気付いたようだった。
お互い一瞬、目が合う。
が、彼女の視線は談笑中の連れの男へとすぐに移り変わってしまう。
残念だが、今まで通りの会釈すら叶わなかった。
――やはり社内で話をするのは諦めよう。
まぁ会えただけでもヨシとする、俺はこれに満足することにした。
そのまま互いにすれ違い、さて休憩室に戻ろうと思った矢先の事だった。
背後から女性に呼び止められる。
「すいませーん、落とし物ですよー」
え、あれ⋯⋯俺??
慌ててポケットの中をまさぐる。
俺のスマホと財布はちゃんと存在していた。
なんだなんだと振り向くと、声の主はやはりというか結月であった。
連れの男を待たせたまま、俺へ向かって小走りで駆け寄ってくる。
「え? え?」
「ハァハァ⋯⋯はい、これ落とし物」
――はぁ?
差し出してきた手には、何も握られていない。
困惑している俺に、彼女は小声で囁いた。
『明日はどこ行くの?』
俺は気付く。
なるほど⋯⋯結月のこの不思議な行動は、俺と一対一で話す為の演技か。
彼女の言葉は、俺がどこのパチ屋へ行くのかという意味であることを瞬時に理解した。
俺もその見えぬ落とし物を受けとる演技をしながら、小声で答えた。
『明日は⋯⋯◯◯町の△△店かな』
『⋯⋯やっぱ安里君はガチ勢ね、△△店の生誕三周年イベントの日を良くご存じで』
「おーい、結月ちゃんまだー?」
遠方で待ちくたびれた連れの男が、彼女に催促を始める。
落とし物を拾って渡すだけの演技にしては、もう既に時間の限界だ。
「いーい? 社内とはいえ、お財布を盗む人はいるからね。気を付けて」
わざと周囲に聞こえるよう言い放った彼女は 、男の元へと再び走り出した。
去り際に一度振り返る。
『またあした』
声を発しない彼女の口元は、たしかにそう告げていた。
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