第2話
何度も何度も思い返す。
俺は壊れた映写機のごとく、脳内に同じ場面を繰り返しリピートした。
だが、何度思い返すも映像の中に映っているそれは結月莉乃であった。
「――なんで!? どうしてアイツがスロットなんて打ってるの!?」
俺の脳ミソはこの状況を処理することができなかった。
俺の中の結月莉乃のイメージは、選り取り見取りのイケメン達と波乗りに汗を流し、バーベキューを楽しみ、ナイトプールでSNS画像をアップしたり、お洒落なラウンジでお酒を嗜んだり⋯⋯。
なんかよくわからんが、そんな感じの人間だろ!?
――そもそも、向こうは俺に気付いているのか?
そうだ⋯⋯これが最も重要な事じゃないか!
気付いているのに無視されてるのも泣けるが⋯⋯。
まぁ、なんとなくそれなら理解できない訳でもなかった。
スロッターって事を隠したいかもしれないからな、俺だって会社では公言していない。
あの阿呆の孝弘にすら言っていないのだ。
それにほら! 他人の空似ってこともあるじゃないか!
世の中に三人は、同じ顔の人間がいるとも聞いたことがある。
なぁに、怯えることはない。
戻り際にもう一度確認だ⋯⋯この薄暗い店内だ、見間違えもあるだろう。
脳内会議を半ば強引に終わらせた俺は、席へ戻る事にした。
「⋯⋯」
だめだ、どう見ても本人だ。
しかもまたさらに一箱増えてる⋯⋯。
思考が追い付かない俺は、そーっと自席へと座る。
そして淡々と自身のARTを消化し始めた。
もう時刻は夕刻に差し掛かっている。
特に彼女からのアクションは無く、本当に俺の存在に気付いていないようであった。
今までとはうって代わり、俺の台の挙動は芳しくはない。
一度は積み上げた二箱のメダルの山は、気付けば残り一箱を割っていた。
結月の台も俺ほどではないものの、出玉のピークからは少し下降したところで揉んでいる状態が続いているようだ。
――よし、今機械に入れているメダルを使いきったらやめよう!
俺は決断をする。
幸いなことに俺はまだ勝っている状態である。
結月の台が最高設定で、そして俺は中間設定を掴まされた。
きっとこれが真実であろう。
このまま俺の存在に気付かれる前に帰宅、そして今日見たことは全て忘れる!
というかこの女、すごいぞ⋯⋯一度も周りをキョロキョロしないとはたいした集中力である。
と、幸いなことに残りわずかのメダルで大当たりを引けたではないか。
これで多少出玉を増やしたところでヤメだ。
いい幕切れじゃないか!
最後の大当たりを噛み締めながら、俺は晩飯を何にするか考え始めていた。
――え、え?
大当たりの最終画面⋯⋯そこには獲得した枚数と見慣れない一枚の画像が表示されていた。
俺は知っている、この絵が意味するものを⋯⋯。
「は⋯⋯まじかよ⋯⋯」
スロッターの夢⋯⋯そう、最高設定の確定画面である。
最高設定でのみ、極めて稀に出現することがある至福の告知。
俺は呆然とそのずっと憧れていたはずの画面を眺めていた。
ハッ! と我に帰る。
あれ⋯⋯結月、チラッとこの画面を覗いてなかったか?
これはマズイ、マズイぞ⋯⋯。
ここでやめたら阿呆丸出しじゃないか。
最高設定を捨てるスロッターなんぞ、聞いたことがない。
ただひとつ悲しい事は、苦渋を飲む展開が続いていたのは全て俺のヒキ弱のせいだということであった。
嬉しいやら悲しいやら、よく分からない感情で頭がバグる。
――とりあえず無心で回そう。
俺は最高設定の台を手にすることができたんだ、そのためにここへ来たんじゃないのか!?
覚悟を決め、最後までこいつを打ち切ることにした。
◆◇◆
それからは穏やかな時間が続く。
台も機嫌を取り戻したのか、順調にメダルは増えつつあった。
そういえば、結月がふらりどこかへ消えて随分経つ。
十分以上の無申告の離席が続くと、店員のチェックが入るシステムだ。
二回呼び出すまでに席へ戻らなければ、空台として処理されてしまう。
一回目の呼び出しの放送が流れた直後、無事に彼女は帰って来た。
⋯⋯先程までは着けていなかった黒マスクをして。
別に他人がマスクをしようがしまいが気に留めることはない。
だが、急に着けるのは可笑しいだろ!
導きだされる答えはただひとつだ。
――結月に俺の存在がバレた!?
それしか考えられない。
彼女は一日中組み続けていた美しい足もキチンと床へと下ろし、姿勢よく座り直している。
顔は常に正面より右側に僅かに傾けながら、淡々と遊戯を行う。
それは、彼女が俺には気付かれずにこの場を乗り切る作戦の遂行中であることを物語っていた。
――ついにお前も気付いちまったか。
わかった⋯⋯俺もその作戦に付き合ってやるよ。
俺達は今日ここで出会っていない。
明日からもまた、無言で会釈を交わすあの日々が戻ってくる⋯⋯それだけの事だ。
俺も彼女の気持ちを察し、知らない振りを通す覚悟を決めた。
決めたはずだった⋯⋯。
『ぷちゅんっ』
聞き慣れない音が流れる。
一瞬の間の後、結月の台の液晶画面が真っ黒に消灯する。
スロット台を彩る鮮やかなランプも、全て消灯しているようだった。
俺はそろりと右隣を振り向く。
目を丸くし、同じくこちらを向く結月と目が合ってしまった。
――バッチリと合ってしまった。
「あ⋯⋯」
「え⋯⋯」
『デュリュティリリリリリリー! デュリュティリリリリリリー!』
突如、辺り一帯に脳を焼き切らんとする程の歓喜の電子音が、けたたましく鳴り響く。
スロッターのもうひとつの夢、フリーズ演出であった。
およそ十万分の一回転に一度引けるかどうかという超プレミアを、彼女は引いてしまったのだ!
うっかりと目を合わせた以上、もう言い逃れできない。
今さら目を逸らすことも失礼であろう。
何か言わなければ⋯⋯という焦りが俺を襲う。
「や、やあ結月さん⋯⋯おめでとう」
とりあえず挨拶してみる。
彼女の台からは、未だ祝福のファンファーレが鳴り止まない。
彼女の丸くかわいらしい目が、細く変化していく。
マスクで口元を隠されているせいか、その表情の変化の意図は掴むことができない。
ワンテンポ開けて彼女から出てきた言葉は、この喧騒としたパチ屋の中でもハッキリと聞き取ることができた。
「わたし結月⋯⋯じゃないよ?」
――はっ!?
テヘペロッ、みたいなノリで言い切りやがった⋯⋯。
え、なにこれ、この期に及んで誤魔化そうとしてるのか?
明らかに身バレしているにも関わらず往生際の悪い彼女に、俺は驚きを隠せない。
もう一度確認する。
「い、いや、結月莉乃さんだよね? 俺、同じ会社の安里⋯⋯」
「⋯⋯」
彼女は無表情のまま、人形のように目をパチクリとさせるだけである。
それからは無言を貫く。
てっきり『やだー気付かなかった安里君じゃーん! ビックリした~(笑)』くらいのノリで返してくると思っていた⋯⋯。
そう、結月はスロッターという事実を本気で隠滅するつもりなのだ。
――。
俺は口パクで『ゴメン』とだけ伝え、遊戯に戻る。
もう何も言うまい。
先程も言ったはずだ、『俺達は今日ここで出会っていない』と。
彼女も何事もなかったかのように前を向き直し、遊戯を再開した。
◆◇◆
最高に気まずい時間が過ぎてゆく。
俺もやっと最高設定のポテンシャルが出てきたのか、出玉は増えつつあった。
が、当然ながら釈然としない。
対する結月も、明らかに午前中とは違うスピーディーな手さばきでARTを消化している。
一早く大当たりを消化し終え、この惨劇から逃げ出したいのであろう。
お互いにチラチラと様子を伺いながら、この息苦しい時間を過ごしていた。
余談だが、この台のフリーズ演出はとても恩恵が大きい。
消化できるゲーム数がモリモリと増える仕様で、運が良ければ閉店まで止まらない、なんて夢の展開も良く見かける程だ。
そしてなんと不幸なことだろうか、帰りたい気持ちとは裏腹に、今宵の結月は完全にヒキのお化けであった。
時間の経過と共に積み上がっていく彼女の出玉の山。
結月はメダルを箱に移す度に、ため息を吐き続けていた。
フリーズ発生から二時間。
永遠とも思われる地獄のような時間も、やっと終わりを迎えそうである。
結月のロングARTも、残り三十回転を切ったのだ。
あぁ、やっと終われる⋯⋯。
そんな気持ちがあったのだろう、彼女は手元の全てのメダルを意気揚々と箱に移し始めていた。
その姿を横目で確認した俺も、胸をホッと撫で下ろす。
――奇跡って信じるかい?
その日の彼女には、スロットの神様が舞い降りていた事を忘れていた。
残り十回転⋯⋯疲れ果てた結月の優しいこぶしがレバーを叩いたその時であった。
『ぷちゅん⋯⋯』
俺達は白目を剥いていた。
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