第1話
「――高嶺の花だ、諦めろ」
俺は同僚の孝弘を諭す。
仕事の合間のせっかくの休憩時間だというのに、こいつはスマホにかじりついたまま動かない。
「はぁ⋯⋯まーひー、諦めたらそこで恋愛は終了だぜ?」
俺の言葉は彼には届いていないようであった。
俺は安里真広、今年で社会人三年目だ。
まーひーって呼んでくるのは人生でこいつが初めてである。
どこかで聞いたような台詞を吐く孝弘だったが、依然として彼はスマホを凝視し続けるが、時折体をくねらせながら思いの丈を叫び狂う。
「結月莉乃⋯⋯あぁ! 彼女になってくれるなら俺は死んでもいいっ!」
「死んだら意味ないだろ⋯⋯」
呆れ顔の俺は、残り僅かなコーヒーを飲みきる。
もうそろそろ休憩時間も終わりが近づいていた。
同僚で悪友の谷戸方孝弘が夢中になっているのは、結月莉乃のSNSであった。
昨晩に偶然それを見つけてからというもの、こいつはずっとこんな調子だ。
彼女はアイドルやタレントでもなんでもない。
俺達の会社の総務部所属の超絶美人OLである。
透き通るような白い肌に、小顔とスラッとした長身の奏でる抜群のプロポーション。
自慢のロングヘアーがなびく度に、これまで嗅いだことが無い未知のフェロモンを周囲に撒き散らす。
某有名女子大を卒業しているだけあって、語学を中心に学力も高い。
――の癖に、声もどこか甘えたような印象を持ち、肝心のご尊顔はあの国民的アイドルグループのセンターに似ているという、まさに漫画に出てくるようなチート人物⋯⋯それが結月莉乃なのだ。
あー、ちなみに俺はあんまり好みじゃない。
彼女と俺は直接同じ部署ではないものの、たまに社内ですれ違ったり総務部に出向くこともあるわけだ。
もちろん軽く挨拶はする、会社員だから当然だ。
ただ基本的に、彼女の応対の全てがいわゆる八方美人に見えて仕方がなかった。
本人にそのつもりがないなら、大変失礼な事を言ってるかもしれない。
まぁこれは、完璧過ぎる人間をどこか疑惑の目で見てしまう俺の性格のせいだろう。
そんなわけで、彼女に対して俺は、周囲の熱意とは大きく差違を感じていた。
休憩所から二人で職場へ戻る途中、渦中の彼女と偶然にもすれ違う。
例にならって軽く会釈を交わす。
特に声を出すこともなく、彼女の方も頭を小さく下げる。
しばらくそのまま通りすぎると、孝弘はガッシリと俺の肩に手を回してきた。
「――やっべぇ、まじで可愛くね?」
「気持ち悪い奴だなお前⋯⋯そんなに気になるなら番号でも聞いてこいよ」
ビシビシッ、と奴の脇に肘打ちをかます。
孝弘は自他共に認める真性のヘタレである、どうせ何もできっこない。
だが今回は様子がおかしい⋯⋯。
ブツブツと独り言を呟く孝弘の口からは、はっきりと『決めるか⋯⋯』という覚悟の言葉が聞こえた。
勢いよく俺を突き飛ばした孝弘は、逆方向へと去っていく結月を追いかけ始める。
真っ正面突き当たりに位置するエレベーターの前で、自慢の髪をいじりながら彼女は一人で立っている。
俺は同僚の一世一代の大勝負を見守ることにした。
あと十メートル程⋯⋯こんなクソしょうもない事でドキドキできる自分が大好きだ。
ついに声をかける! ⋯⋯と思われたその時、エレベーターの扉が開く。
その中には、出世街道を爆進中のイケメンエリート君の姿があった。
彼と楽しそうに談笑しながら結月がエレベーターに乗り込むと、無情にも扉は閉まっていく。
エレベーターを目前にして目標に逃げられた孝弘は、直角に方向を変えどこかへ走り去っていった。
虚しい⋯⋯これが現実なのか。
俺は姿を眩ました孝弘にすぐさま電話をし、大事な事をもう一度教えてやった。
「――高嶺の花だ、諦めろ」
◆◇◆
土曜日の朝は早い。
俺はいつもの平日と変わらぬ時間に目覚めると、急ぎ早に駅へと向かう。
目的は、少し離れた都内の有名パチンコ屋に行くことであった。
学生時代からの俺の一番の趣味はパチスロである。
わざわざ遠方まで足を運び、下調べをし、少しでも高い確率で勝ちやすい台に座る。
あまり人様に話せる趣味ではないが、俺はこの何もない平凡な人生において、スロットで得られる少しの高揚感と勝利の美酒の虜になってしまっていた。
五百人以上の抽選の中、二桁の入場券を手にした俺は、なんとか目的の台に座ることができた。
過去の傾向とネットでの情報合戦から目星をつけていた台である。
存在するかもわからない幸運の女神に祈りながら、俺は最初の一万円札を投入した。
スロットってのは、勝ちやすい負けやすいを左右する設定という概念がある。
これを店が事前に仕込めるわけだ。
そのためユーザーは、錯綜する情報と台の挙動からそれらを見極めていかねばならない。
開店から一時間が経った時点で、俺の台の挙動はまずまずであった。
ところで、先程からずっと気になっていることがある。
それは俺の右側の台の事だ。
開店直後からその台は絶好調、既に頭上には一箱を積んでいた。
ジロジロと他人の台を覗くことは、マナーの問題でもあるので俺自身は好きではない。
たまに横目で確認する限りでは、どうやらその打ち手はスロットをかなり理解している人物であることは間違いなさそうだ。
丁寧な目押しもさることながら、要所要所の設定差があるポイントはこまめにスマホへメモをしている。
――しまった、隣の台が正解だったのか!?
こういうときは、少しずつ疑心暗鬼になる。
だがまだ勝負は始まったばかり。
運が良ければ、この同じ機種がまるごと高設定の可能性だってまだある。
俺は諦めずにひたすら台と向き合っていた。
ところでもうひとつ気になっている事がある。
それは、先程の右側の台に座っている打ち手が女性ということだった。
いやいや待て待て、最近では女性ユーザーも増えてきている。
別に女性のスロッターだからって驚きはしない。
じゃあ何かというと、非常に言いづらいが⋯⋯その女性がセクシーってことなんだ。
足を組んでいる彼女の黒ブーツと、それから伸びる白く細い足がチラチラと視界に入ってくる。
――エロい。
別に匂いフェチではないが、ずっと嗅いでいたくなるような甘い香水の香りが微かに漂う。
――正直ムラッとする。
ちなみに内緒だけど胸もそこそこある、さっきチラ見した。
残念だが横顔は見ていない⋯⋯目があったら犯罪者扱いされそうだからな。
あと、万が一にも好みの顔じゃなかったら、このドキドキが勿体無いだろ?
そんなわけで右の台の挙動もさることながら、非常に魅力的な隣の女性スロッターの存在に俺は集中力を失いつつあった。
◆◇◆
そろそろ昼が過ぎてしばらく経つ。
小腹が空いてくる頃なのだが、俺には食事休憩を取る余裕がなかった。
理由は二つある。
一つ目は、俺の台が徐々に高設定の動きをし始めた事だ。
当たり前だが、一人の人間が二台以上のスロットを回すことはできない。
なるべく短時間で己の台の押し引きを見極めなければ、後から行動することが困難になるというスロッターなら誰しもが納得の理由だ。
二つ目の理由は⋯⋯右側の女性の彼氏を観たいというクソみたいな欲求が沸いたからだ。
大体こういうギャルっぽい子は、厳つい彼氏がいるに違いない。
偏見かもしれないがそれが世の理というものである。
別に欲求不満でも、こういう子がタイプって訳でもないが、こんな上玉の女を自由にできる男がどんな奴かに興味があった。
というわけで、昼食を返上して淡々と目の前のレバーを叩き続けているのである。
そして、世間一般で言うところのおやつの時間を迎えた。
「おかしい⋯⋯こんなはずでは⋯⋯」
予想と反する結果に、俺は頭が混乱していた。
それは俺の台の挙動について⋯⋯ではない。
この女の彼氏が一向に現れないという事実に驚きを隠せないでいた。
たしかにチラ見する限りは、誰かと連絡を取り合っている仕草もなく、また連れが様子を覗きに来ている場面も無い。
――こいつ、まじで孤高の女性スロッターなのか!?
一人で真剣にスロットを打つ女性ってだけでも、何かオーラを感じるもんだ。
彼氏や友達とワイワイ連れ打ちをする人間こそよく見てきたが、しっかりと数字を把握し、店の癖を読み、勝ちに徹する姿勢は称賛に値する。
――俺は決めた。
こいつの性別なんぞどうでもいい。
一人のスロッターとして認めてやる。
誠に自分勝手な、かつ上から目線だが、こちらも孤独なスロッターの端くれだ。
こいつには負けたくない⋯⋯そんな気持ちが芽生えてしまっていた。
そんな気持ちとは裏腹に、彼女の出玉はグイグイと伸び続ける。
右隣の台から、またもや脳に響く歓喜の音が鳴り響いた。
気が気ではない俺は、薄目で確認する。
どうやら低設定では中々お目にかかれないART直撃を引いているではないか。
これで本日二度目である。
ARTってのは、出玉を増やす大当たり区間みたいなもんだ。
詳しく知りたい人はネットで調べてくれ。
さすがに彼女も高設定を確信したのか、スマホにメモを取り終えると手元にある溢れそうなメダルの塊を箱に移し始めた。
既に三箱目に突入していた。
対して俺は、頭上に一箱と下皿にジジイの小便程のメダルのみ。
しかし、ここで事件が発生する。
期待も出来ない一見ダメそうな液晶演出をポケーっと眺めつつ、心ここにあらずの俺は、その画面に映し出されるはずの結果も待たずにレバーを叩く。
――!?
けたたましい音と共に、俺の台にもついにART直撃が降臨した。
リアルにケツが少し浮く。
俺は驚きのあまり、右手に持っていたメダルを足元へ落としてしまった。
それはコロコロと力無く転がってゆき、あろうことか彼女の足元で止まってしまう。
一枚のメダルに笑うものは一枚のメダルに泣く。
昔じいちゃんに言われたような、そうでもないような格言を唱えながら、俺は慎重に手を伸ばす。
ここでその美しい足に触れようものならば、痴漢者扱いは免れない。
そーっと、そーっと⋯⋯。
その距離わずか数センチの地点にあるメダルを、俺は無事に救出することができた。
ホッとし、俺は不用意に顔を上げる。
――俺は見てしまった、彼女の顔を。
すぐさま俺は遊戯に戻る。
動揺してまたもやメダルを落としてしまう。
だが、これは先程とは違い拾わない。
――いや、拾えない。
俺は落としたメダルに気付かないフリをすることに決めた。
意味もなくスマホを取り出し、興味もないまとめサイトの記事を読み出す。
だめだ心臓がバクバクしている、文字が頭に入ってこない。
俺は仕方なく離席し、急ぎ足でトイレへと向かう。
個室に滑り込み、ようやく落ち着きを取り戻してきた。
深く息を吸い込み、ゆっくりとそれらを吐き出す。
目を閉じた俺は、先程見た映像を頭のなかでもう一度鮮明に思い出そうと試みる。
隣の孤高の女性スロッターは、どう考えても俺のよく知っているあの人物であった。
「⋯⋯なんで結月莉乃がいんの?」
ここまでお読み頂き、誠にありがとうございます。
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