2話 ちいさな村落
ミラージュが洞窟の入り口に向かって歩いていく。
「ほら、さっさと出るわよ」
歩くのが遅い俺に対し、少し怒っているようだ。
「待ってくれ。体が思うように動かないんだ」
長い間封印されていた弊害だろうか。歩くことすらままならない。頭で歩けと命令していても、体が動かない感じだ。
「はぁ。まあ想定内ね。封印中に意識だけ残されていたせいで、体と意識のズレが生じているんでしょ」
「体を元に戻すのが最優先だな」
魔王がどれ程強いのかは分からないが、今の体では話にならない。低級の魔物ですら勝てるか不安なレベルだ。
「肩は貸さないわよ。自分で歩いて早く感覚戻しなさい」
洞窟の入り口までは100mといったところだが、たどり着くのに5分もかかってしまった。
「先が思いやられるわね」
「すまないとしか言えん」
入り口を抜けるにつれて、200年ぶりの日光が体を照らしてきた。
「まぶしっっ!」
視界がいっきに真っ白になり、ひどい眼痛がする。200年も暗闇に慣れていた体だ。久方ぶりに光を見ると痛みもするのだろう。
徐々に白飛びした視界が、光に慣れて戻っていく。
「...あんまり変わってないな」
周りには木々が生い茂っていたが、元々ここは森だったし特に大きな変化は見られなかった。
「この辺は昔から人々が寄りつかない場所だからね。人の手が加えられてなければ、そうそう変わらないんでしょ」
「そういうものなのか」
歩くことに関しては、ある程度慣れてきていた。しかし、ある不安が頭をよぎる。
「俺ってまだ魔法使えるのかな?」
歩くことすら時間のかかった体だ。歩くことよりも難易度の高いもの。すなわち魔法を使う事は全く出来ない可能性があるのではないか。
「貴方の体から多くの魔力は感じるけど...。それを使えるかどうかは分からないわね。適当な魔法を使ってたら?」
攻撃魔法は音や魔力で魔物を引き寄せてしまう可能性がある。使うなら別の種類の方が良いだろう。
「ヒメル!」
これは空を飛ぶ魔法だ。魔力の続く限り飛び続けることが出来るが、制御や出力が難しい、最上級魔法の一つだ。
全身を魔力のオーラが覆い、魔力の動きによって空中へと上昇...
「...全く浮いてないわね。」
俺の足は地べたにくっついて離れなかった。
「もっと簡単な魔法にしたら?」
それもそうだ。試すなら難しい魔法じゃなくて、簡単な物の方がいい。
「簡単なものだったら、攻撃魔法くらいしかないな。でも攻撃魔法は魔物を引き寄せてしまう」
「それは心配ないわ。ここに来る時に近辺の魔物はあらかた倒してきたから。多少魔法を使ったくらいじゃ来ないわよ」
「倒したって、この辺の魔物はかなりの強さだぞ?」
当時の俺たち、勇者のパーティでも、そう易々と来るような場所ではなかった。しかも1人でなんてもってのほかだ。
「他の場所でもそうだけど、強い魔物はほとんど魔王の住む場所に集められてるの。貴方が言うような強い魔物は居ないわ。それでも他の場所と比べたら強い方ではあるけどね」
景色は変わらなくても、住む魔物は変わるものなのか。
魔物の心配がないなら、攻撃魔法を試してみよう。
右の手のひらを上に向けて、掌から火の球を放出する。
「ファイア!」
「...これもだめね」
この魔法は超初歩的なものだ。これすら使えないとなると、魔法自体が使えないと思っても良い。
「もう剣術で戦うしかないな。だが身体能力もだいぶ下がっているし、魔法も使えないとなると魔王討伐どころじゃないんじゃないか?」
俺は剣術と魔法を組み合わせて戦うタイプだ。魔王討伐の時でさえ、当時の身体能力と魔法を使った上で、ある程度闘えるレベルだった。今の状態では魔物にすら負けるかもしれない。
「そうね。どのみち訓練はしてもらうつもりだったから、その期間が長くなるだけね」
「そんな悠長にしてる時間あるのか?」
「それは魔王の気と、人類の底力によるわね。勝ち目のない戦いをするよりはマシだと思わない?」
確かにそうだが、俺が魔王を討伐するまでの時間が長くなるほど、犠牲者の数が多くなってしまうかもしれない。
「ひとまず、近くの村まで向かいましょう。私も昨日までお世話になっていたの」
「村?この辺には大きな街があったはずだが」
「それ昔の話でしょう?もう200年経ってるんだから、昔の常識は捨てなさいよ。お爺さん」
「おじ...」
俺は年齢はまだ22歳だ。封印中は肉体的な老化も止まっていた。だが精神年齢的に言えば、200歳を超えているとも言えるのか。俺はお爺さんという枠に入ってしまうのか。考えだしてしまうと止まらない。
「ぷっ。バカみたい」
会った時からツンケンしていた彼女だが、俺の狼狽える様子を見て、笑った。嘲笑であったかもしれないが、彼女の笑顔が見られて少し嬉しかった。
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歩くのもだいぶ慣れてきて、2時間も歩くと村が見えてきた。日は落ちかけ、辺りは薄暗くなっていた。
「ごめんな、俺に付き合わせて」
「なんのこと?」
「だって、飛べばすぐ着くだろ?俺が飛べないばかりにお前も一緒に歩くことになってしまったから」
「私、飛べないわよ」
「え?」
言動、そして魔物を蹴散らして封印を解きに来たという実績から、ミラージュは「優秀な魔法使い」なのだと思っていたし、実際そうなのだろう。だからこそ空も飛べると勝手に考えていた。
「なによ。馬鹿にしてるのかしら。スカイは私の唯一と言っていい苦手魔法なの」
「そ、そうだったのか。すまん」
超上級魔法なだけあって、昔もヒメルを使える人は少なかった。200年経ってもそれは変わらないのだろう。とは言っても、ミラを含め俺の周りはほぼ使えていたが。
見えてきた村は、3メートルくらいの高さの壁に囲まれていて、入り口には門番が立っていた。
「おかえりですか。ミラージュ殿。そちらの方は?」
「私の仲間よ。さっき合流したの」
「左様でしたか。どうぞ、お入りください」
門番は俺たちを中に入れ、再び見張りに戻った。
立派な外壁とは裏腹に、中は小さな集落程度の村だった。
「思ってたより小さいな」
「小さくても、このくらいの防壁は必要なの。昔より魔物が弱いとはいえ、凶暴化しているから頻繁に襲ってくるのよ」
昔も魔物は人を襲っていたが、頻繁ではなかった。魔物も基本的には生息域で生活していて、人を襲うときは敵対した時か、腹を空かせた時だ。たまに好き好んで人を殺すような魔物もいたが、今はそういう魔物が大半ってことなのだろう。
「さっきの門番も、俺が封印刑の罪人だって知ってんのか?」
「知らないわよ。アンタの封印解くこと、殆ど誰にも言ってないもの」
「それって、いいのか?」
「良くはないわね。ま、非常事態だし、魔王さえ倒せば文句は言われないわよ」
「意外と適当だよな。お前」
そんなことを話していると、宿屋の前に来た。
「私も疲れたし、今日はひとまず休むわよ」
それには賛成だ。俺も歩いただけだが、200年ぶりともなると疲労がかなり溜まる。
木材でできた扉を開けると、簡易な受付場が見えた。
「いらっしゃい。今日は2人かい?」
大人しそうな老人が、カウンターを挟んで話しかける。
「ええ。2人ね。部屋別々で」
ミラージュは支払いを済ませる。
「お金、手に入ったら返すよ」
「気にしないで。お金の価値なんて、あってないようなものだから」
「どういうことだ?」
「世界の混乱で国や村同士の商売が機能してないの。各村が自給自足の生活をしている状態よ。一応私はお金払ってるけど、小さな村ではお金があったところで使い道ないから、支払不要な店が殆んどね」
「商売が無いなら、お金あっても意味ないもんな」
「ワシが宿屋をやっているのは、こうして稀に来る冒険者を止めてあげるためなんじゃ」
そう言うと受付の老人は、部屋の鍵を渡した。
「そうか。お爺さんは優しいな」
「アンタもお爺さんだけどね」
「俺はお爺さんじゃない!」
「あら、さっきは自分がお爺さんに値するのか、迷ってたじゃない」
「もう結論が出た。俺はまだ若い」
受付の老人は頭にハテナが浮かべながらも、微笑ましく笑っていた。