愛を願ってしまった日
結婚式の翌朝、カイロスは変わりなく王城へ出勤したが、セレーネは違った。
「奥様‥‥身体は起こせますか?」
「お医者様をお呼びしますか?」
「いえ‥‥‥大丈夫よ‥‥しばらく、このままにしておいてもらえるかしら‥‥」
ベッドから起き上がれなかったのである。リリーとエリカによって身なりを整えてもらうと、上半身を起こした状態のまま、ベッドで昼食を摂ることになった。
全身が殴られたように痛い。特に腰が。とはセレーネの心の声である。
夕方にはようやくベッドから出て、お風呂に入れてもらい、髪や肌を整えて着替えたところで、カイロスが帰って来た。セレーネはエリカとリリーに支えられながら、エントランスへの階段を下りる。が、下りきる前にカイロスが玄関を跨いだ。
「‥‥お、お帰りなさいませ、カイロス様‥」
「セレーネ、何があった‥!?」
明からに満身創痍なセレーネに、カイロスは階段を駆け上がった。カイロスが家を出るまでにセレーネは起きてこれなかったので、彼女の状態を知らないカイロスである。結婚一日目にして何があったのだと、焦って駆け寄り、セレーネの手を取る。
「いえ、あの‥‥」
昨夜のせいです。とは言えないセレーネが困ったように言い淀むと、執事のエリックがわざとらしく咳き込んた。
「旦那様」
「はやく言えエリック!」
「旦那様と奥様では体格も、体力も異なるのです。」
「それがなん‥‥‥!」
思い当たったのかカイロスはセレーネを凝視すると、ひょいと自分の片腕に座らせるようにセレーネを抱き上げた。
「カ、カイロス様?」
「‥‥‥‥」
こんなに軽々と片手に乗せられるようなセレーネに、大分無理をさせてしまったのではないかとカイロスは自戒する。ただしその表情がかなり凶悪であったため、セレーネは何か拙いことをしたかと謝罪を口にした。
「あ、の、カイロス様?私何かお気に障るようなことを‥申し訳ございません‥‥」
「なぜ君が謝る。悪いのは俺の方だ。」
「カイロス様が?」
「ああ。君に無理をさせたようだ。夕飯は寝室でとろう。」
カイロスはエリックに目配せすると、セレーネを抱き上げたまま歩き出した。セレーネが焦って「歩けます」というが「落とさないから乗っていろ」とカイロスは有無を言わさない。掴めるところのない、セレーネはどうしようもなく、ぴとっとカイロスにくっつくしかなかった。
「すまなかった。こんなに身体に障ったとは。」
「いえ、私の体力が無いのがいけないのです‥‥」
「では許してくれると?」
「許すだなんてそんな‥‥私は婚約した時からカイロス様のものです。」
「‥さすがに今日はしないが、また君に触れてもいいのだな?」
「もちろん、です‥」
とうとうセレーネが真っ赤になって俯いた。カイロスはほっと息をつくと、セレーネの額にキスをして、その日は並んで寝るだけに留めた。
それから、カイロスは帰宅するとセレーネを抱き上げるようになった。最初は少しばかりの抗議をしていたセレーネだが、カイロスが全く動じないのですぐに折れた。
会話が増え、セレーネは良く笑うようになっていった。公爵夫人として、騎士団関係者のご婦人方を招いたお茶会を皮切りに、セレーネは徐々に社交界へ顔を出すようになっていった。
カイロスは寝る前には必ず、欲しいものはないか、不足しているものはないかと聞くが、セレーネが何かをねだる事は無かった。最初こそ、カイロスは理由を付けてセレーネにドレスや宝石を贈っていたが、結婚して一年も経つと、夫が妻へ贈り物をするのに理由などいらない!と開き直った。
その頃には、カイロスは自分の気持ちに気付いていた。セレーネを見ると抱きしめたくなり、セレーネに触れると胸が苦しくなる。穏やかに細められる星空の瞳を見ると、溢れ出て止まらないこの感情は、愛であると気付いていたが、自分から言い出した「愛は抱かぬように」という言葉が枷になる。
「承知いたしました」と返した彼女の声も良く覚えていた。
彼女がどんなに自分に笑いかけても、きっと彼女は自分を愛しはしない。その現実が、苦しくて苦しくて、仕方が無かった。