3.いざ出発
店に戻り、作業をしていると、ロイが現れた。
仕事に集中して時を忘れていた。
「ごめん。ナイルがまだ戻ってなくて」
「わかってるよ。俺が早く来過ぎたみたいだな」
店内の人に気を遣ってか、普段よりやわらかい口調で話すロイに、アランは苦笑した。
ロイは適当な木箱に座り、アランはそのわきで作業を続けた。
しばらくアランの動く音だけがびびく。
「……今度の仕事の時も、アレ持っていった方がいいと思うよ」
ロイが独り言のようにぽつりと言った。
ナイルは一瞬なんのことかわからず、思考をめぐらせた。
「ああ! あれか!」
武術の心得がないアランが、唯一使える道具だ。獣が出るかもしれないので、確かに持っていった方がいい。
「そうだね——…。でもアレ重いんだよなぁ……」
「……まあ、わかるけど」
ロイの口調に、言いたいことを我慢している気配がただよう。他の人がいなければ、盛大に言い返されているところだ。
裏へ行こうかと提案しようとした時、表の方から子供の呼び声が聞こえた。
「だったらもっと小型の武器も扱えるようになれよお人好し!」
裏の広場へ出たとたんにそうわめくロイに、アランは笑い、ナイルは冷たい目を向けた。
「仕事がうまくいって、お金がたまったら考えるよ。それでナイル、ルートはわかった?」
アランはそう言ってロイをあしらうと、ナイルに目を向けた。
ナイルはうなずき、地図を地面に広げた。そのあたりの石で四方をおさえる。
事前の情報通り、往復しても日暮れ前には十分戻ってこられる距離だ。
「少し荒れた道を行くルートは、距離が短くてすみます。でも見通しが良くないので、危険度は増します。もう一方のルートは多少遠回りですが、安全性は高いです」
「荷物の重さは?」
「衣類なので軽いです。ただ量があるので、手分けしないと持ちきれないと思います」
アランは二人の様子を感心して見ていた。
ロイは旅人で、このような事態には慣れている。ナイルも知識がある。だがアランは村で農業をやっているくらいで、あまりそれ以外の経験や知識がない。
「あんたはどう思う?」
ロイから言われ、アランはびくっとした。
話から、ロイが荒れた道ルート、ナイルが安全な道ルートを押しているようだ。
アランは真上を見上げ、ついで町の外の空へと視線を飛ばした。
それから、ロイへ向き直る。
「安全な方のルートでどうかな」
「でも、それだとあんた重くて大変じゃないの」
「確かに距離は短い方がいいけど、オレは装備があまり良くないから、荒れ地はきつい」
アランの服装は、防寒も防水も充分ではない。冬の山林で長く耐えられるものではない。まだ雪は降っていないが、もしそうなってもおかしくないほど冷え込んでいる。
「荒れ地ルートの方が大幅に短いならそちらを選ぶけど、そこまででもない今回は安全なルートがいいかなと、思うんだけど……」
アランは徐々に尻すぼみになっていく。
(旅慣れたロイに何をえらそうに……。しかもオレの都合だし……)
けれど無理をして、後々迷惑をかけても困る。アランがしゅんとしていると、ロイが息を吐いた。
「わかった。じゃあそっちのルートにしよう」
「えっ、いいの?」
「あんたが持ってきた仕事だからな。荷物は俺が多めに持つ」
「え、そんな。それはちゃんと平等に……」
「ああ? あんたさっき道具が重いっつってただろーが。それとも道具なしで、俺が護衛しろってのか。取り分5じゃ足りねーぞ」
「わかった! 道具持ってく! ありがとうっ」
アランはにこにこ笑って答えた。
ナイルはそんな二人を、呆れたようなうらやむような表情で見ていた。
翌朝、二人は山へ向けて出発した。
アランはいつものコートと手編みの毛糸帽子。皮の手袋。ズボンに布の靴。せめてもと、毛皮の切れ端を靴に巻いている。背にはあずかった荷物。麻袋に入れたものをかごに入れて背負い、更に大きな布で覆っている。
ロイは、皮の帽子、厚手の手袋、厚手の皮のコート、ズボン。帽子には毛皮の耳当て、コートのえりにも毛皮と、防寒がしっかりしている。靴は底のしっかりしたブーツ。皮の大きな袋を背負い、ベルトには小さな布袋がひっかけてあった。そばには、ナイフがカバーに覆われて携帯されている。
予想はしていたが、ロイとの装備の差に、笑いがひきつった。
対面した際、ロイは何かを言いかけたが口を閉じ、自分の袋からスカーフを出して、ナイルに貸してくれた。
右肩のかついだ道具を、よいしょ、と背負い直す。
アランの身長半分くらいのそれは、猟銃だ。
弾丸も多くはないが持参している。弾をこめておくわけにはいかないので、残念ながら突然の攻撃には対処できない。
とはいえ、今歩いているのはほぼ畑道だ。人も家屋もほとんどなく、寒い時季の今は、緑もない。
ナイルの言う通り、見通しが良く、獣がいればすぐにわかりそうだ。
気温も予想よりは冷えておらず、雪の心配はなさそうである。
(お守りもあるしなぁ)
アランは服の上から胸元に手を置いた。
そこにはナイルからお守りがある。小さな布袋の中に、石らしきものが入っている。口がしっかり縫い付けてあるので、中身は見えない。どうやらナイルの手作りのようだった。
その気持ちがうれしく、アランは笑顔で受け取った。ロイはしばらくお守りをじっとながめてから、「どうも」と無表情で受け取っていた。
二人はロイを先頭に、黙々と歩く。
だからといって気詰まりな感じはなく、ロイはいいタイミングで休憩を入れてくれたり、道の分岐を教えてくれたりした。
「君は、誰かと旅をしていたことがあるの?」
ふと思いついて声をかけた。
沈黙が帰ってくる。特に答えを期待していたわけではないので、アランはそれ以上言わない。
「……昔、少し、そういう時期もあったな」
「そっか」
なつかしむようなやわらかい声に、アランは小さく笑みを浮かべた。
畑道を抜け、山道へ入っていく。
樹木が生い茂り、日差しが少なくなっていく。かなりの傾斜だ。
足下は落ち葉や木の根がはびこり、足場が徐々に悪くなってきた。長い猟銃が時折木に当たりそうになる。
「気をつけろよ。暴発して俺に当たったら困る」
「うん。気をつけるよ。弾入ってないけど」
昇るにつれ、体感温度が低くなってきた。
先程までは鳥の声がしていたが、今はほとんど聞こえない。獣の足跡も見えず、静かだ。
(こんな所に、人が住んでるのか?)
アランは周囲の様子を確認しながら思う。
樹木が多く、今歩いた限りでは開けた場所がない。時季には木の実や獣もいそうだが、冬の今は生命の気配がなかった。
ロイは迷いなく進んでいく。その背中が心強い。
ロイは何者だろう、とアランは時々思う。
旅人ということは聞いている。多分北側の国の出身者であることは、特徴的な銀髪から推測できる。武術に秀でており、手先が器用。教養もあり、猫をかぶっている時は、ナイルのように育ちの良さを感じさせる。
ふいにロイが立ち止まり、アランを振り返った。
「おい。あんた、何か変なことごちゃごちゃ考えてんじゃねーか」
「えっ?」
「視線がうるせぇんだよ。人のこと気にする余裕あんのか? 緊張感足りねぇんじゃねーの」
アランはハッとする。同時に、周囲の様子が感じられるようになった。少し風が吹いており、木の隙間から見える空は灰色。
「ごめん。ありがとう」
アランは猟銃と袋を背負い直し、弾を再度確認する。
再び歩き出したロイの後を追った。