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書き終わった。
画面に表示された「投稿が完了しました」の文章に、僕は安堵のため息をつく。スマホを充電し席を立つと、そのまま倒れるように布団の中に飛び込んだ。
たった今、ようやくネットの連載小説が完結したのである。最初に投稿してから今まで全7話分を投稿し終わった。そんなに長くない小説だけど、書き切るまでが長く感じた。
それにしても、眠い。超絶眠い。
こんな夜遅くまで起きているのだから当たり前である。時刻は1時30分。両親は既に床に就いて、家の中はまるで誰もいないかのように静かだ。
疲れと睡魔が頭の中をぐるぐる回る。視界がぼやけるのを感じる。急ピッチで書き上げた疲労が溜まっているのだろう。明日は寝坊しないといいな、と薄れゆく意識の中で考えながら、僕はゆっくり瞼を閉じた。
長かった。長いと言っても、高々一週間ちょっとの事だけど。
ネットに小説を投稿しよう。と思い立ったのがちょうどそれくらい前。ネットには以前にも何作か小説を出していたが、高校生活が多忙を極めてからしばらく活動を休止していた。せっかくだから、この機会に学校の友人にも読んでもらおうと考え、放置していたアカウントを再び開いたのである。
内容はホラーの短編集にした。七不思議にちなんでオリジナルの作品を7作書き、1作出来上がり次第投稿していった。急ごしらえで書いたものだから更新は不定期だったけど、なるべく間を空けないようにペースを保った。
今回初めてやったのが、クラスメイトへの大々的な宣伝である。
ネットで活動する当初から、僕は友人にあまり創作活動の事を喋っていなかった。趣味の合う話し相手がいなかったのもあるけど、当時書いていた内容が‥‥‥まあ、あまり大っぴらにできないようなもので。今の僕にとってはちょっとした黒歴史だ。
友人に公開するにあたって、「さすがにみせらんないっしょ、コレ」みたいなものは事前に封印しておいた。ただ、実をいうと今回のホラーにも少々ヤバイ要素が含まれているので(ことわっておきたいが、僕自身は普通の健全な学生である)、宣伝するときには少なからず不安がよぎった。
でも暴力的な部分とかちょっとグロい部分は極力使わないようにしたし、ストーリーもただの病的なモノの羅列にはせず少しは練ったつもりだったし‥‥‥取り敢えず皆の反応を見てみたい、と思った自分がいた。
とはいえ、投稿している間閲覧数は伸びたものの、友人らから特にレスポンスがあったわけではなかった。作品の事をどう思っているのか気になるところではあったのだが、敢えてこちらから聞く事はせず、そのまま作品を投稿していった。
家の中がやけに暑苦しくて、僕は目を覚ます。
エアコンのタイマー設定するのを忘れてしまったらしい。我ながらよく熱中症にならなかったものだ。僕は欠伸をしながら起き上がり、机の上のスマホで時間を確認する。
‥‥‥7月30日?
僕は時刻よりもその下の日付の方に目がいった。思わず目をこする。もう一度確認したが、見間違いではない。たしかに昨日の日付だった。
「嘘だろっ?」
僕は声を上げる。
すぐにパジャマを着替えて僕はリビングへ走った。台所に母さんがいて「あら、おはよう」と声をかけてくる。僕は慌てて尋ねた。
「母さん! あのさ‥‥‥今日って何日だっけ?」
「えっ? えっと、7月の30日、だよ?」
「‥‥‥そう」
嘘を言っている風には見えない。念のため机の上のiPadでも確認したが、やはり7月30日だった。
「‥‥‥‥」
「どうしたの? そんなに慌てて」
「え、いや、何でもない」
「ふーん? まあいいや、朝ご飯もうすぐできるから、食べな」
「うん」
僕は返事をしながら自分の部屋に戻る。椅子に座って遠くを眺め、高ぶった心を落ち着かせる。そして再びスマホの画面を開いた。
‥‥‥昨日だ。
何だか頭が働かなくなって、スマホを閉じたまましばらく呆然としていた。意識を取り戻したのは、母さんのいつもの「ご飯できたわよー?」という声だった。
何が何だか分からない。
タイムスリップなんてSFの中だけの事だと思っていた。まさか自分が体験するなんて。
小説の中だと大抵、こういう非現実的な出来事にもちゃんと起きる理由があったりするのだが。いかんせん今の僕にはさっぱりわからない。
戸惑いを抱えながら、僕は電車の窓から街の風景を見つめる。右から左へ流れていく住宅街、ビル、遠くに見える建物。少し曇りがかった空。思えばこの風景もつい昨日見たばかりである。
風景をただ見ていても、この不可解な状況の真相は何も明らかにならない。何だか携帯を開くのも怖くて、僕は心が落ち着かないまま電車に揺られた。
学校に着き、うち履きに履き替え階段を上がる。教室のある階に着いた時、それは起きた。
何かに身体を掴まれる。反応する間もなく足が浮き、全身が強く揺さぶられる。僕は宙に浮いていた。悲鳴を上げようとした瞬間、僕の身体が猛スピードで移動した。
向かった先はトイレだった。転がり込むかのようにトイレの個室に突っ込み、次の瞬間身体の浮遊がぴたりと止まり、僕は盛大に床に尻餅をついた。痛い。腰を押さえる僕の前でドアが勢いよく閉まった。
「相変わらずしけた顔してんな」
聞き慣れた声に僕はハッと顔を上げる。同級生のいじめっ子だ。あいつは僕を見下ろしていつものように悪そうな笑みを浮かべている。でも、何かおかしい。
下に向けて、僕はそいつの足がない事に気付いた。いや、無いというより、足の生えているところから別の何かが生えていた。くすんだ灰色をした太い筒のようなもの。見るとそれは、いつの間にか僕の身体にぐるぐるに絡みついていた。まるで蛇のようだった。
「お、おはよう」
「よう。お前さ、今日の放課後また買い出しに行ってくんね? 5Lのコーラ1本とサイダー1本とカルピス1本と、あと適当にジュース1本。それと紙皿や紙コップのセットと、何かパーティーに合いそうなスナックとか料理とかあったらいくつか買って来い。いつも通り俺の家によろしくな」
「‥‥‥う、うん」
「今日何か俺のダチが彼女連れて来るらしくてさ、せっかくだから家に呼んでパァーッってやりたいわけね。だから絶対手ぇ抜くなよ。5時からパーティー始めるからその前までには持って来い。分かったな」
「‥‥‥うん」
「よぉし、いい子だ」
いじめっ子が気色悪く笑って、それから個室を出て行く。アイツが去って行くのと同時に身体に巻き付いていた太い何かがスルスルッと解け、そしていつの間にかキレイサッパリ消えていた。
僕はアイツが去って行くのを見つめたまま、しばらく身体が硬直していた。吐息が荒い。思考を整理しながら、僕は今起きた事を何とか受け止めようとする。
結局身体が動いたのは、朝のホームルームの鐘が鳴り響いてからの事だった。
「おい、お前今日大丈夫か? 何だか顔青いぞ」
休み時間、同級生の親友が僕を見かねて声を掛けて来てくれた。
「あ、ああ、実はね」
僕はたどたどしい口調で話しながら後ろを振り返る。
馬が立っていた。いや、正確には馬ではなく、馬の首がそこにあった。僕は言葉を失い、そしてそれを凝視する。
違う。目の前にいるのは親友だ。親友、のはずなのだ。普段と違ったのは、首から上が馬だったと言う事。
「お、お‥‥‥っ‼︎‼︎」
「ん、どうした? 何かあったか?」
「あ、いや、あの‥‥‥何でもない! 悪いけどちょっと早退する‼︎」
僕はソイツを力一杯突き飛ばし、それから荷物をまとめ全速力で逃げ出した。
何でだ、何でだ、何でだ、何でだ、何でだ‼︎‼︎‼︎ 何で皆の身体が可笑しな事になってるんだ‼︎ この世界で一体何が起きてるんだ‼︎‼︎
廊下を走る僕は辺りを見回してギョッとする。談笑する者、ふざけ合う者、そいつらの首から上が、全部羊の頭だった。
「うわあああああああっ‼︎‼︎」
僕が悲鳴を上げると、その場にいた大勢が一斉に僕に注目する。やめてくれと念じながら出来る限り顔を合わせないようにしてその場から逃げた。
職員室に行き担任の先生を呼ぶ。
「せ、先生‼︎‼︎ 今日ちょっと具合悪いので早退して良いですか⁉︎」
「早退? ああ、良いけど、大丈夫か? 一回保健室に行かなくて良いのか?」
奥の方で先生が顔を出す。その姿を見て僕はまた悲鳴を上げた。身体が異常に小柄だった。腕と足がけむくじゃらで背中から尻尾のようなものが出ている。猿の身体だ。
僕は適当に何か言って、それからまた走って逃げ出した。昇降口で靴に履き替え、全速力で学校を出て行く。
気付けば、街ですれ違う人々の殆どが動物の身体をしていた。ある者は鳥、ある者は犬、ある者は猪、ある者は猫――身体の全てか一部分が動物の身体に変貌していて、それでいて皆普通の人間と変わらない動作をしている。
僕は訳が分からなくなってきた。どうして皆あんな風貌で普通にしていられるんだ? 世界全体が狂ってしまったのか? それとも自分が幻覚を見ているのか?
あれからどうしたのか自分もよく覚えていないのだけど、自宅には何とか戻れたらしい。見ると西の空がほんのり茜色に染まっていた。僕は急いでドアを開けて入り、真っ直ぐに自分の部屋に入って鍵を閉めた。
心臓がバクバクと動いている。首筋を嫌な汗が流れる。外からドンドンとドアを叩く音と「どうしたのおっ⁉︎」と呼ぶ母さんの声。僕は電気を消してカーテンを閉め、布団を頭の上から被った。何も見ず、何も聞かないようにする。暗闇の中ただただ必死に耐え続ける。
どれくらい経ったのだろう。気付けば母の声も聞こえなくなった。僕は顔を上げる。
辺りはまるで夜のように真っ暗だった。音も聞こえず誰の姿も見えず、自分の吐く吐息の震えだけが感じられた。まるで、世界に一人だけ取り残されてしまったかのようだ。
僕は立ち上がろうとする。
ブーーッ
唐突に聞こえるバイブレーションに、僕は電撃を受けたように震え上がる。辺りを探すと、少し前方に学校のカバンがあるのを見つけた。ソイツから携帯を取り出す。
lineの通知だった。誰かから新しいメッセージが来たらしい。まだパニック状態だった僕は通知をちゃんと確認せずアプリを開く。
「‼︎」
僕は今度こそ絶句した。自分のアカウントからメッセージが来ているのだ。
『苦しんだかい?』
それだけしか来ていない。よく確認したけど、アイコンも名前も僕のと瓜二つだ。
僕はそのアカウントを見てしばし固まっていたが、やがてハッと我に返り、自分でも驚くくらいのスピードで文章を打った。
『苦しんだかい? じゃねーーーよっ‼︎ 何なんだ、この変てこりんな世界は‼︎ 皆身体が動物に変わってるし、それで普通に動いているし‼︎ まさかお前が全部仕組んだのか⁉︎』
僕が文章を送信すると、間髪入れず相手から返信が来た。
『別に僕が望んでやったわけじゃない。むしろ、こうなってほしいと願ったのは君の周りの人々――ご家族とか友人とか学校の先生とか――そして何よりも、自分自身だ』
何だって? 僕も周りの皆もこれを望んでいた?
『嘘っぱちこくなよ‼︎ こんな、こんな可笑しな世界になってほしいなんて僕はちっとも思ってない‼︎ 皆もこれを望んでるはずはない‼︎』
『そうか。僕はてっきり、君にこういうモノ
を好む嗜好があるのかと思ってたよ。何せ、君の書く小説がなかなか気持ち悪いものだったからね』
え?
『だってそうじゃないか。君は最近ネットにホラーを出して、それをlineで友達に宣伝してたよね? 正直、よくあんなモノを人に見せられる神経があるな、って思ったよ。君は書く時直接的に気持ち悪いモノは極力書いてないと思っているし、確かに少しは読みやすい。でも、あの話を読んだ人のほぼ100%が君の事を変人と認識したのは間違いないね』
ズバズバと並び立てられる言葉を、僕は黙って見ていた。反論はしない。何故なら、自分もあの話はインパクトが強いと思っていたからだ。でも自分は、冗談の話だと認識出来るくらいのモノにしていたつもりだった。
そう思った時。
『今君、そこまで気持ち悪いモノにしたつもりじゃなかったと思ったね?』
『君は馬鹿か?』
思考が止まった。
『ちゃんと分かってなくて今まで書いていたか? それとも分かっていて敢えてわざわざ出していたのか? どちらにしても、君の行為は愚かだと言わざるを得ない。結局君は、自分の書く作品がどうしようもなく汚れていて、腐っていて、蝿のたかるような気持ち悪い代物だって事を分からなかった。そう言う事何も言われなかったって? 誰も言わないから公序良俗に反していないと思ったら大間違いさ。言わないだけで、心の中ではアイツキモチワルイって密かに思っている。まだ分からないか? あの可笑しな世界は皆が望んだ事でもある。一人だけ楽しそうにしているのが一番嫌だからね。
君は何も分かっていない。君は狂っている』
僕は思わず携帯を投げ出して、そのまま頭を抱えた。気のせいか背筋が寒い。
奴の言葉を受け入れられなかったんじゃない。奴の言う事がその通り過ぎて、自分が自分に恐怖を覚えたのだ。
今まで書き上げた小説の文章が頭の中で散乱する。そうだ、あの小説は十分に気持ち悪い、書いた時自分もそう思った。でも、グロを書かなければ、ただ残酷にしか感じない話じゃなければ、きっと普通に読めるくらいにはなるだろうと思っていた。でも違う。あの小説は気持ち悪い。読んでいて反吐が出る。あんな小説を僕は今まで友人に宣伝していたのか。本当に今まで何も気付かなかったのか。
今唇を噛んでいる自分は何だ? 今更「しまった」と思っているのか?
頭の中が活字だらけでパンクしそうだった。僕はしばらく頭を抱えたまま動かなかった。
僕はふと顔を上げた。さっきより大分心が落ち着いた。
落ちているスマホを拾い上げ、そしてlineを起動する。あのもう一人の自分のアカウントはいつの間にか消えていた。
僕は続いてネットの方のアカウントを出す。あの短編集のページを開く。右下の「削除」というボタンを、僕はタップした。7回タップして、短編集は完全に消えた。
僕はまたlineに戻る。タイムラインを開くと、僕はゆっくり文章を書いて、投稿した。
――――――――――――
突然の事ですが、皆様に謝らなければならない事があります。
先週頃から僕はネットに公序良俗に大きく反する気持ち悪い小説を発表し、それを皆様にも読んでもらうように宣伝を続けていました。自分の小説のお陰で非常にたくさんの方が心に傷を負い、不快な気持ちにさせてしまっていました。この場を借りて皆様にお詫び申し上げます。申し訳ありませんでした。
当該の小説は皆様のお気持ちを鑑みて完全に削除しました。ここでの宣伝も全部消しておきました。当分はネットでの創作活動は自粛致します。そして勿論、明日にでももう一度皆様の目の前でちゃんと謝罪したいと思っています。
ご迷惑をおかけしました。
――――――――――――
これが正しい対処なのかは分からない。でも、やらずにはいられなかった。せめて謝罪だけでも。小説を消して、言葉の誠意だけでも。
そう思った瞬間。投稿にコメントがついた。
同級生のアカウントだった。
『消して謝罪すれば解決すると思っていますか? 私は不快感がどうしても拭えません。貴方と同じ教室で授業を受けているかと思うと耐えられません。貴方が消えて下さい』
僕は全身に脱力感を覚え、力なく膝をつき、そしてゆっくり横になった。何だか息が苦しい。
僕は同級生達の顔を順々に思い出した。続いて先生の顔。そして親の顔。全員笑っているように見えた。
‥‥‥違う。違うんだよ。
何の為か分からない言い訳を口にしようとする。でも上手く口が開かない。アイツの言葉が脳裏に蘇る。
『君は何も分かっていない。君は狂っている』
待ってくれ。まだ終わらないで。何とかさせてくれ。
考えているうちに、次第に意識も霞んでいく。
僕はゆっくりと瞼を閉じた。
fin.




