#6
真夜中、私は暑苦しさに目が覚めた。
エアコンをつけて寝たはずなのに、部屋の中は涼しいどころかまるでサウナのように暑い。気付けば私は全身汗だくでパジャマも汗を吸って濡れていた。エアコンが壊れたか? と考えながら、私は布団を剥いで起き上がる。
リモコンを操作するが、「ピッ、ピッ」と作動している音は聴こえるものの、冷風が出て来ない。設定温度を下げたりなどしてみたが、効果は無かった。
こんな暑い日に故障かよ、と私は頭を抱える。仕方がなく水を飲もうと自室を出た。
リビングに行くとエアコンがきいていて、妻がロッキングチェアーに座って外の風景を眺めていた。妻は私に気付くと「あら」と微笑みながら振り返る。
「まだ起きてたのか」
「良いじゃない、たまには。こうやって静かに夜景を眺めるのも良いものよ。――あなたこそどうしたの、そんな汗だくで」
「ああ、実は部屋のエアコンが壊れちまったみたいさ、暑くて目が覚めちまった」
「何で早く確認しておかなかったのよ」
「昼間はちゃんとついていたはずなんだけどな」
私はコップに水を汲んで妻の後ろのソファに腰掛ける。妻はまた前に向き直り、カーテンを開け放った窓から夜景を見ていた。
「綺麗ね」
「‥‥‥綺麗だな」
私も景色を眺めて、思わず笑みがこぼれる。
闇の中、ビルの明かりが光の海のように連なり煌々と光り輝いている。時折、赤い光がポツポツと点滅する。マンションの11階というだけあって、遠くまで綺麗な眺めだ。
すっかり夜の眺めに陶酔していると、ふと妻が話し出した。
「私、あなたと結婚して良かったと思うわ」
「いきなり何だよ」
「言ってみただけ」
そう言って妻は何か可笑しそうに笑った。
「本当よ? あなたはとても誠実な人だし、嘘はつかないし」
「‥‥‥ありがとな」
「思えば私たち、結婚してもう50年よ。覚えてる? 結婚式の時の事」
「ああ、覚えてるよ。もうそんな前になるか。あの頃は若かったなぁ、俺もお前も。――そうそう、お前は女にしては結構しっかりした顔立ちだったよな。どっちかっていうと男らしいって言うか」
「それ止めてって言ってるわよね」
「‥‥‥ああ」
妻にピシャリとはねつけられ、私は少し萎縮する。昔から妻は、人から男っぽいなどと言われるのを何故か異常に嫌がるのだ。
「しかしさ、何でそんなに言われるの嫌なんだ。もう話してくれたって良いんじゃないか」
「答えません」
「どうしてもか」
「どうしてもです」
妻が答えたがらないのは分かっているので、私はそれ以上聞かない。今度は妻が聞いてきた。
「何でって言えば、あなたこそ何でエイズになんかかかっちゃったのよ」
「エイズ」と言う言葉に私はドキッとなる。
妻は機嫌の悪そうにため息をついた。
「昔あなたが何日も熱がひかなかった時、私気を揉んじゃったわ。何か難しい病でも抱えてるんじゃないかって。それで病院に行って検査してもらったら、まさかエイズだなんて」
「悪かったよ、心配かけて」
「ホント! 私たち性交だってしてないのにあなただけ何でかかったのかしら」
「‥‥‥‥‥‥」
「何よ、急に黙って」
「いや、何でもないよ」
私は素っ気なく答える。妻が鼻をフンと鳴らして、それからまた二人とも無言になった。
空気が険悪になってしまう。こんなはずじゃなかったんだがな、と私は窓の外の景色を眺める。
妻が急に言い出した。
「ねえ、あなたトイレに行った方が良いんじゃないの」
「え」
「だってあなた、さっきから水を飲んでばっかりよ。あまり飲んでおねしょでもされたら困るわ」
「まさか、この歳でおねしょなんて」
「良いから行ってきて」
「‥‥‥おう」
妻が何だかうるさいので、私は渋々トイレへ向かった。便座に座ってドアを閉め、しばらく用を足す。
カチッ
急に目の前が真っ暗になった。トイレの電気が消えてしまったのだ。「停電か?」とうろたえていると、ドアの向こうから妙な音が聴こえてきた。紙をビリビリ破るような、変な音だ。
「おーい、停電したみたいだぞ」
と、ドアを開けてトイレを出ようとした。でも開かない。何かがドアにつかえているようで、力を入れても上手く開かない。
「おい、何かおかしいぞ。トイレのドアが開かないんだ」
妻を呼んでみたが、何故か返事が聴こえて来ない。ドアのすぐ向こうからは、まだ何か紙を破るような音が聴こえる。
「おい、そこにいるのか?」
私がもう一度呼びかけると、ドアの向こうから声が聴こえた。
「あなたを監禁しました。もう出られません」
「‥‥‥は?」
「私の質問に答えてくれるまで出しません」
「はっ? ちょ、お前、どう言うことだよ」
仰天してドアをまた開けようとすると、不意にドアの板が「バンッ‼︎」と力尽くの勢いで叩かれた。
「第1問。あなたは何故エイズにかかったのでしょう?」
「だ、だから分かんないっつってんだろ」
「医師の方は、エイズは性行為による発症事例が多いと仰られておりました。私とあなたは性行為をしていません」
「‥‥‥何だ、その言い方。まるで俺が」
バン‼︎ バン‼︎
私の言葉を遮るようにドアが叩かれる。私は怯んで黙り込む。妻の声が続いた。
「第2問。あなたは他の女性と交わったりしましたか」
「は? 俺は何も」
「アンタが他の女とセックスしたかって聞いてんだよっ‼︎」
「やめろ、やめてくれ‼︎ もう夜も遅」
「しらばっくれんじゃねえよお前‼︎ あ⁉︎ 今までずっと嘘ついてたの知ってんだぞ、オラっ‼︎‼︎」
ドアの板がバンバンと叩かれる。私は足が竦んで床の上に座り込む。
「オラ、答えろよっ‼︎ アンタが隠れてペ●●入れてたあの女は何だ‼︎ 何て名前だ‼︎‼︎」
「知らない、知らない」
「知らないじゃねえよ、知ってんだアタシゃ‼︎‼︎ ずっと前知り合ってた人がアンタの名前知っててね‼︎ アンタ割合人付き合いない方だったから何で知ってんのか気になって聞いてみたら、アイツボロ吐いてくれたよ‼︎ ホテルで会ったって‼︎」
「! アイツが」
「ほら知ってんじゃねーかよ何で嘘こいた‼︎ あ⁉︎⁉︎ あんなブスとホテルで何やらかしてたお前っ‼︎‼︎‼︎」
「分かった、分かった、分かった‼︎ 話すよ、全部」
私が決死の思いで叫びかけると、ようやくドアを叩くのが収まった。私は震えながら話す。
「最初は、そう言うことしようって知り合ってたんじゃないんだよ。ただアイツは、会社での同僚で、話す事も多かったし‥‥‥でも、俺とお前、全然‥‥‥そう言うことしなかったから、お前が嫌がるから」
「だからあんな女に入れあげてたのか‼︎ そうなのか‼︎‼︎ アタシなんかよりあの女の方に惚れてたか⁉︎ あ⁉︎⁉︎」
「だから違うんだって‼︎‼︎」
「どう違うんだあああああっ‼︎‼︎‼︎」
「ちょっとは聞いてくれよ‼︎‼︎」
私は勢い余って叫ぶ。
「ごめんって、もうそんな気は無いんだ‥‥‥アイツとはもう縁切ったんだ‥‥‥これ以上、浮気はしないって決めたし、だから」
バンッ‼︎‼︎
ドアがまた凄い勢いで叩かれる。私は黙り込む。ドアの向こうが嗚咽が聴こえてきた。
「アタシが、何でセックス嫌がったか分かる? アタシが何で男っぽいって言われるの嫌だったか分かる?」
「‥‥‥分からない」
「じゃあ教えてやるよっ‼︎」
叫び声と同時に部屋の電気がついた。同時に、ドアノブが何かに打ち付けられる音と共に激しく暴走した。
「や、やめろ、そんなことしたら‥‥‥ドアが‥‥‥」
私の弱々しい声も届かず、遂にドアノブが壊れ、ギーッと不気味な音を立てて開いた。
「‼︎‼︎」
私は絶句した。
目の前で妻が悪鬼の形相をして立っていた。ズボンが下げられ、下半身が露わになってしまっている。
「お前‥‥‥それ」
「アンタどうせ何も知らないでしょ? LGBTとか性転換って言葉も、アタシが今までどんな屈辱を受けてきたのかも」
「‥‥‥‥‥‥」
「アタシ本当は、こんな事しないで早々にアンタ殺そうと思ってたの。せっかくエアコン壊したりとか細工してたのに、タイミング見落としたわ」
「‥‥‥え?」
「アタシ‥‥‥信じてたのに、あなたならアタシの事を分かってくれるって、信じてたのに」
見ると、妻の右手にはナイフが握られていた。青ざめる私に妻はジリジリ近寄っていく。瞼には涙が浮かんでいた。
「もう許せない」




