#1
ガタッ‥‥‥と物音がして、僕は目が覚めた。
起き上がって辺りを見回してみるが、特に何か変わった様子はない。夏真っ只中の暑さと、夜特有の密度を持った闇が漂うだけである。気のせいだったのだろうか。
ヤケにはっきり聴こえた気がしたんだけどな、と首を傾げながら、僕は布団の中で目を閉じた。
‥‥‥眠れない。
何だかすっかり眠気が醒めてしまっている。いくら待っても上手く寝付けないものだから余計に変な気持ちがして、僕は再び目を開けた。
手元の携帯の電源を入れてみると、時刻は午前二時過ぎ。丑三つ時か、とふと言葉が思い浮かんで、その後急に背筋が震えた。
‥‥‥まさか、怖じ気づいているのか。
気付けば僕の二の腕にはビシッと鳥肌が立っている。いい年して夜が怖いか、と僕は苦笑した。
僕はオカルトを信じているわけじゃない。自慢ではないが、子供の頃からお化け屋敷に入ってもあまり怖がらないタイプだったし、肝っ玉は太い方だと思う。少なくとも、二十歳を過ぎて夜中のトイレに一人で行けないような輩ではない。
でも今夜は――どうしたのだろう、妙に心が落ち着かない。心なしか心臓の鼓動はいつもより早く、こめかみの奥で神経がピリピリしているのを感じる。
もしかして、さっき物音が聴こえた事をビビっているのか。何だよ、らしくないな、普段そんな事でビクビクするような奴じゃないだろう。
僕は布団の中から顔を出して再び辺りを見回す。
ざっと見直してみたが、やはり普段と変わったところはない。机の上の目覚まし時計も、最近趣味で買った野球のバットも、ゴミ箱に入れ忘れた紙屑も、全部そのままだ。最近変わった事と言えば、昨日窓ガラスを割ってしまって適当に応急処置した事くらい、かな。でもそれ以外は特に不審なところはないはずだ。
それにしてもさっきから寒気が凄い。少し冷房を弱めようか、と手近にあったリモコンに手を伸ばそうとした、その時。
ガタガタガタガタガタッ‼︎‼︎
心臓が止まるかと思った。
僕は思わず悲鳴を上げ、その場に飛び上がった。震える身体に布団を巻き付け、手探りでスイッチを探し部屋の電気をつけた。パッ、と部屋の中が明るくなる。眩しさに思わず額に手を当てながら、僕は目玉を慌ただしく動かして辺りを警戒した。
‥‥‥誰もいないようである。
で、でも、さっきの音はどこから聴こえたんだ。考えようとしたのも束の間、またあの大きな音が聴こえた。
ドンドンドンドン‼︎ ドンドンドンドン‼︎
僕は恐ろしさに震え上がる。キョロキョロと辺りを見回して、やがて音が聴こえるのが部屋の奥の押入れの方からなのに気付いた。
押入れの襖はかなり凄い勢いで叩かれていて、鈍器を打ち付けるような鈍い衝撃音を部屋中に轟かせている。その勢いはまるで収まる気配がない。
僕は壁に立て掛けられたバットを手に取ると、恐る恐る襖の方へ近づいた。何とか襖のすぐ近くまで近寄ると、バットを握る手に力がこもる。僕は決死の覚悟で襖を勢いよく開け放った。
「‼︎」
信じられないものを見た。
何と押入れの中に見知らぬ女性が入り込んでいるじゃないか! しかも何だこの容体は、胴体と両腕、両足をガムテープでぐるぐる巻きにされていて、口元もガムテープで塞がれている。女性は必死な目つきでこちらに向かって身体を激しくよじらせている。
僕は盛大に足が竦んでしまった。「あぁ、あああっ‥‥‥」と悲鳴にもならないような弱々しい声を上げ、その場に尻餅をつく。女性は未だ凄まじい勢いで身体を動かし、こちらに何か訴えかけているようだった。
この人が、まさかこの人が“幽霊”って奴なのか? と取り留めもない事を考える。それにしても何故こんなところに居るのか? 何か怨念があってここに呪縛されているとか? というか、どうしたら良い? バットだけで身を守れるのか?
ぐちゃぐちゃになった頭で考えた末、取り敢えず助けてあげた方が良いだろう、という結論を出した。理由はともかく見知らぬ人が自宅で身体を拘束されているなんてただ事じゃないし――恐らくこの人は無害だ。
僕は震える足で女性に近寄り、口元のガムテープをそっと剥がしてあげる。
「ふざけんじゃねえよっ‼︎‼︎」
開口一番物凄い大声で怒鳴られ、僕はたじろいだ。
「ふ、ふざけるなって‥‥‥?」
「忘れたの⁉︎ あんた‼︎ これ、全部あんたがやったクセに‼︎」
‥‥‥へ? 僕が?
「な、何言ってんの?」
「しらばっくれんな‼︎‼︎‼︎」
彼女の声は一層凄みを増し、殆ど金切り声に近い声になっていた。
「昨日の夜、あんたが! この家に勝手に侵入してきたんじゃない! ここアタシの家なのよ⁉︎ それなのにあんた、いきなり窓ガラス割って入ってきて、バット突き付けて! アタシに何て言って脅したか何も覚えてないの⁉︎ 脱げって言ってきたんだあんたは‼︎ 脱げって‼︎‼︎」
「ちょ、ちょっと、落ち着い――」
「それでアタシが抵抗しようとしたら襲い掛かってきて、無理矢理服脱がせて‼︎ 好き放題やった後のあんたの顔ったらなかった‼︎ まるで壊れた電化製品でも見るような顔で‼︎ それであんたはアタシをガムテープで縛り付けて、この押入れに‼︎ 動けないように固定しやがった‼︎‼︎ ふざけんなあっ‼︎ ふざけ、あ、あ゛ああああああっ‼︎‼︎」
僕は半狂乱になって彼女をバットで殴っていた。
もう理性なんか吹き飛んでしまったに等しい。突然目の前の女性が喚きだした事が何よりも怖くて、怖くて、怖くて、怖くて、怖くて、意識まで吹っ飛んでしまいそうな気持ちで僕はバット振るい続けた。
頭の中で悲鳴と悲鳴が綯い交ぜになる。いつしか自分が何をやっているのかも分からなくなってくる。
ようやくバットを振るう手が止まったのは、それから数分くらい後の事だった。
目の前の女性は、既に声も上げずピクリとも動かなくなっていた。僕は全身に脱力感を覚えその場に座り込む。バットを振る手から力が抜け、しばらく僕は虚を見つめたまま、魂が抜けたようにボーッとしていた。
‥‥‥やはりこの人は幽霊なんだ。と自分に言い聞かせる。きっと何かのマヤカシだ、自分の中の何か得体の知れないモノが僕にこんなおぞましい幽霊を見せたんだ。でも、これで良かったのか? 祟りが下ったりとかは?
と思った時、ふと僕は自分の身体を見て、寝巻きが真っ赤なシミでまみれているのを発見した。まだ乾いていない部分に手を当て、そしてその手を見つめる。
気味が悪い程生温かった。




