承.3
毎日四時に投稿できたら、読んでくれる人が増えるかなって……
ゴウダが斧を振り下ろし、ヒューラが残ったウォルグへと攻撃を仕掛けたのと時を同じくして、ダグラスは左手に触れている断裂した地層から僅かな振動を感じ取っていた。
初めはゴウダが起こした衝撃の余波が続けて伝わってきているのかと見做していたのだが、継続的に同じ周期を伴いつつ、徐々に大きく変わっていく振動に、予感していた事が実際に生じていることを察知して大きく舌を打つ。
「予想通り来たぞ」
声を出して警戒を促すが、それに気付いたのは近くに控えていたティルトスとゴウダ、そして姿を現してこちらの様子を伺っている最後のウォルグを警戒していたモッカの三人だけであった。
いつもより一人多いパーティーが思う通りに動かないことにダグラスは胸に憤りを覚えながらも、モッカへと突出した一人を援護するように目線で指示を出すと断層に僅かに突き刺していた盾を引き抜いて胸元まで寄せる。
最悪でもティルトスは守らなければならない。
彼はゴウダのように鉄の鎧を身に纏っている訳ではない。
全身を布製の服で統一し、頭を守る帽子に防御力はない。
鋼鉄製の鎧の中に自前の剛毛を纏うゴウダとは異なり、ダグラスは盾こそ装備をしているが、鉱石を用いた防具は胸と肘、そして靴の足先に仕込んだ鉄板しか持たず、あくまで自身の膂力に沿った革布による軽装を主としている。
相手がウォルグのような中型の獣であっても、噛まれてしまえば黄土色の牙が肉を抉り刺さるのは予想するのは容易い。
きっと痛いでは済まないのだろうな、と過去の経験から痛みを想像して顔を強張らせていると、軽快な足音と重厚な振動を奏でながら来なくてもいいソレは木々の間から姿を現して空へと大きく跳躍をした。
断裂して盛り上がった地形から纏った勢いをそのままに飛び立ったウォルグは計二匹。
モッカの報告にあったのと同数で、それより多くの数ではないことにダグラスは人知れず安堵の息を零し、前にいるティルトスの肩へと軽く触れる。
予め二人で決めて置いた合図である。
人と人の間に挟まれた小柄な彼は的確に周囲の状況を把握する事ができない為に、最後尾にいるダグラスが合図をおくるのと同時に準備していた魔法を解き放つことになっている。
合図に基づいてティルトスは閉じていた瞼を上げて目を見開き、ぶつぶつと呟いていた言霊の最後の一節を詠い切ると、辺りの景色は一変する。
ダグラスら三人を包み込むかのように、足元に張っていた僅かな水が一斉に動き出す。
その様子は高所から水を打ち付けた科のように大小さまざまな水の滴が浮き上がり、円や弧ではなく完全な球体を生み出して周囲を巻き込み、そして呑み込むように形成が成されていく。
見かけ上は薄い水の膜が張られている感覚だ。
滝の裏側に入り込んだという表現の方が適切か。
だがティルトスが生み出した水の膜は通常の水の流れとは異なり、噴水のように下方から上方へと湧き上がっているのは、魔力を流し込むことでそうあるべきと命令を下しているからだ。
ティルトスの魔力が込められた水の膜は僅か数センチという薄さであっても、卓越した魔法の腕を持つ者に命令されて生み出された水流は与えられた魔力が尽きるか霧散するまで同じ形状を維持する。
一度発動して顕現した魔法の効果は、同じ魔法をぶつけて消耗させるか、時間の経過による消滅、または魔力を通わせた剣や拳を接触させることにより摩耗させて効力を失わせるしか無効化する術はない。
ウォルグも魔物に属しているため、体内にある魔石に幾分かの魔力を有してはいるのだが、その量はティルトスの放つ魔法が所有する物と比べれば微々たるもの。
いくら身体能力に優れていたとしても、一度発動した魔法を純粋な肉体の力だけで弾き返すことは不可能に近い。
それは魔物であるウォルグも本能から理解しているのだが、一度纏ってしまった速力を急に殺すことも、また同様に困難な行為である。
断裂した地層の上からゴウダへと向かって飛び掛かろうとしていたウォルグの身体まるで鉄板で弾き返したように打ち付けて後方へと吹き飛ばした。
この場においてティルトスが作り出した水の膜は要塞の壁に近い堅牢さを保持している。現に水の膜は二頭のウォルグの突進を受けた後でも崩れる素振りは一切見せてはいない。
「いけるか?」
「視認出来ているから問題はないよ」
打てば響く返答にダグラスが口を閉じるよりも早くティルトスは水の膜へと追加で魔力を流し込む。
すると半円状に展開されていた水の膜はちょうど中心部から空へと伸びた先に収縮すると、人の頭ほどの球体を三つ生み出して消えた。
間髪を入れずに、その球体は倒されて身体を横へ倒しているウォルグへと降り注ぐ。三発のうち、二発を連続して当てられた方は、ギャンッ、と悲鳴を上げて吹き飛ばされる。
もう片方は与えられた衝撃に耐えきったようだが、頭をふらつかせて視線は宙を泳いでいた。
最寄りの相手をゴウダが悠然とした態度で近寄り、大斧を振り上げるとともに肩回りの筋肉が異様な膨らみを見せる。
力を込めたのは掲げた大斧が最も高い位置で固定された一瞬、そこからは肘を落としながら肩を身体のうちへと入れ込む勢いを利用して、鈍重な動きとなったウォルグの頭部へと振り下ろされる。
パキャッ、と頭を覆う骨格が粉砕音を立て、果実を潰したときのように裂け目から血が噴き出した。
既に顔面は面影すら残してはいない。即死である。余りの勢いに、大斧は頭蓋骨へと入り込んだまま大地に刃を埋めていた。
危険が無くなったのを見納めて、視点をもう一方へと移すと倒れ伏したウォルグの首へと左腕を差し入れながら肘で顎を上向きにしているモッカの姿がった。
彼女は残した利き腕に短剣を持っており、意識を失って抵抗のないウォルグの首へとそれを差し込んだ。
ウォルグの毛皮は分厚く、体毛は剛毛なために並みの刃を突き入れるのは難しいはずなのだが、ある一定の場所だけは皮と肉の間が狭くなっている箇所がある。
一つは首。本来は灰色をしているはずの毛皮の色素が薄くなって白く見える箇所が身体を反転させると露わになる。
一つは足の付け根。首より広がる色の薄い部分は、両前足の内側を伝い、腹を通り、両後ろ足へと繋がっている。
一つは肛門。首に立てられた刃は、すぐに筋へと突き当たる。太く固い筋は研がれた刃であっても容易に切り裂くことは出来ない。
モッカは刃を引かず、柄を持つ腕を離すと柄頭に掌を当てると、自身の体重を掛けて一気に突き入れる。
ブチブチッ、と不快感の募る音を立てながら、筋は入り込んだ刃の長さまで断ち切れられ、彼女の膂力を支えていた肩と肘が延ばされると同時に、抱えられたウォルグは血を滴らせながら口を大きく開き、重みを増して堕ちていった。
「終わったな」
あたりに魔物の気配が失われた事を、モッカと共に確認し合うとダグラスは装着していた武装をあるべき場所へとしまい込み、ふぅっと息を吐いて胸をなでおろす。
ウォルグは群れの半分を失うことでこちらを諦めたようだ。
大した相手ではないとはいえ、集団で襲い掛かる魔物を相手にするときは集中を線ではなく面で張らなければならないために消耗の度合いが激しい。
下手を打てば警戒を薄めた箇所からの不意打ちを受ければ、人という鱗や毛皮といった自分の身体を護る特性を持たない種族の命など雨風の中でしっとりと揺れる蝋燭の灯のように脆弱な物でしかない。
此度は怪我人すら出なかったが、同様の襲撃がもう一度あった際には結果がどう転ぶかは分からないのだ。
だからこそダグラスは人一倍臆病に行動する。
敵の気配が無くなってからも注意深く緊張の糸を切らさずに後方に備えていたのも、自身が不慮の事故で手傷を負わないようにするための保険であった。
そんな彼が剣を納めたのを合図に、ゴウダは大斧を構えから戻して柄を肩に落とす。
ティルトスもそれに倣い、片手で掲げていた短杖を腰のベルトに挿して背荷物を担ぎなおす。
モッカは既に臨戦態勢を解いて、ダグラスの近くへと侍っている。
誰もがこの襲撃は終わりであり、張り詰めた緊張を解している最中、一人の少女だけは未だに眉を吊り上げた嶮しい表情のままダグラスへと詰め寄っていた。
「結局貴方は一匹も相手にしませんでしたね」
「ん?あぁ、そうだな。結果的にはそうなった」
「わたくしは一匹屠りましたわ。鉄級のわたくしが倒せて銀級の貴方が倒せていないのっておかしくはありません?」
「そうか?ヒューラの剣技は見事だったぞ。それこそ銀級でもあそこまで動ける奴は少ないんじゃないかな?場数を踏んで頼れる仲間を見つければすぐにでも昇格できるさ」
「お褒めに預かり嬉しく思いますわ!……ではなくて、二つ名を持つ皆様が戦っているのに、貴方は一体何をしていましたの!?」
「別に二つ名を持っているのが偉いってわけではないだがな」
太い指でこめかみをぽりぽりと搔きながらゴウダが話に割って入る。
だがヒューラはその擁護の声が気に入らないようで、小さく歯を噛む音をダグラスの耳は拾っていた。
大っぴらに口に出さないのは、ゴウダが自分と同じ二つ名でありながらも、上位に当たる銀級という階級を所持しているからだろう。
「まぁ、そうだな。俺が動く必要があるようだったら、ちゃんと働くからな?いまはそれで満足してくれよ」
「それを他の方が納得しているのなら、仕方がありません。ですが、同じ依頼を受けた一回切のパーティーに所属することになった以上、最低でも銀級の名に恥じない行動はしてくれることを望んでいます」
「うわっ、めんどくさい子だねぇ」
モッカがぽつりと零した言葉は、自身が想像した以上に大きな声となって出ていたようだ。
口を開いた後で強張りつつもはにかんだ彼女は聞こえてしまったのなら仕方がないと言わんばかりに頬を掻きながら鋭い視線を浴びせてくる少女から顔を背けることはせずに、敢えて見返している。
「……そういうことは心の内で思っていても声に出すことではないよ」
「えー?でもさ、危険と隣り合わせの冒険者の中でもヒューラみたいな子が【死にたがり】っていうんだよ?私たちは生き残ってなんぼの商売で自らの身に危険が迫ったなら迷わず撤退を選択するし、戦死で得られる称号や勲章なんて金にも夢にもならない物を欲しくはないでしょ?」
「……栄誉を欲してはいけませんの?」
唇を一文字に固めていたヒューラが叱られた子供が取るような小声ながらもはっきりと自身の意志を込めた返答を睨みつけるような上目使いでモッカをじっと見つめる。
「別に?あなたが欲しいのなら勝手にすればいいけど、それに私たちまで巻き込まないでって言いたいの。ゴウダはともかく、私やティルトス、それにダグラスは自分の生活の為に冒険者をしているのだから、あなたの巻き添えで死にたくはないんだよ」
「いや、俺だって死にたくはないぞ?ただ強者を見ると腕比べしてみたくなるだけで」
「それでウォーベアの特異個体と戦って、死に体で街へと戻ってきたのは誰だっけ?その時のゴウダの言葉をそのまま言ってあげる。【やっぱ生きてることが一番だな!】。全身から血を吹き出しながら笑顔を浮かべて、あの時ゴウダはそう言ったんだよ」
「そうだったな……あの時は本当に死ぬかと思ったが、いい経験だった」
「ゴウダ?過去を後悔しないのは君の良いところでもあるけど、反省はしようね?僕もあの時は本当に焦ったんだから」
「はいはーい、そんな昔の事をいまさらほじくり返さないの。彼らが何を言いたいかというと、ヒューラだって死にたくはないだろ?このパーティーを預かる以上、俺はみんなの安全を第一に考えるし、やるときはちゃんと働くからな?だからこの話はこれまでにしよう!こんなところで油を売っているわけにはいかないんだ。解るだろ?森の中だぞ?危険がいっぱいであぶないんだ」
場の空気を変えるべく、大仰に身体を動かして自分たちがどのようなところにいるのかを表してみると、見知った顔からは失笑が漏れ、新顔からは酷く長いため息という名の弾丸がウォルグの突進よりも早く、そして力強く投げつけられる。
思わぬところで得てしまった心の痛みに多少の後悔の念を抱きつつも、どうにか混乱を収拾できたことにダグラスは胸をなでおろす。
すると嶮しい顔をしていたヒューラは、硬く皺の寄った顔を壊して眼差しを緩やかな物に変え、小さくだが頭を下げる。
「出過ぎたことを言いましたわ。わたくしとて皆様と仲違いをしたいわけではございませんので、率直に謝罪をさせていただきます」
「いや、気にせんでいいぞ。モッカの奴はダグラスにちょっかい出そうとする奴が気に食わないくらい奴の事が好きでな。初めて組むやつはお前さんとだいたい同じ事を言うから俺たちは慣れたもんだ」
「別に!好きじゃないし!自分の相棒が否定されてるのが気に入らないだけだし!」
「ははは……モッカの事は置いておいて、確かにダグラスは適当そうに見えるけど、やるときはちゃんとやる人だからね。それは君だって先の戦いで理解はしているんじゃないかな?彼の剣が振るわれることも身体を動かすこともなかったけど、口から出した指示に間違いはなかったでしょ?」
「それは……そうですわね」
「ようし、誤解が解けたのならさっさと先に進んでキャンプ地に入ってしまおうか。といっても、ダグラスに付いて走ってきたからな。俺はいま此処がどこなのかもわからんのだが」
ガハハハハッと豪快な声を上げて笑うゴウダに皆が釣られたように口元に小さな笑みを浮かべ始める。
こういう時の彼の豪胆さは本当にありがたいとダグラスは他よりも大きく口を開けて笑いながら心の中で感謝を告げる。
訝し気に視線を流してくるモッカに後ろ髪を引かれるような思いを感じるが、その真意を問いただす事など、自分には過ぎた行為であると自覚している。
仲間が何を言おうが、ヒューラが話す通り、自分には銀級という地位に付くのに足りない物が多く存在する。
人を纏める才能なんて持ってはいない。身を賭して笑わせる事は出来ても、ゴウダみたいに沈んだ雰囲気を一声で変えさせることも出来ない。
剣の腕もまともに戦えばヒューラにすら劣ることだろう。
勿論魔法の技術なども持ち得てはいない。
そもそも銀級の冒険者となれたのも、彼ら三人がそばにいてくれたからだとダグラスは考えていた。
そんな自分が彼らの依頼に同行するのも、少しでも今まで受けた恩を返せればという意味合いが強く、自身が戦力になるなんてことは考えたこともない。
だからこそダグラスは周りに合わせて笑顔を振りまきながらも、人知れず胸のソケットに入れておいた地図と方位磁針を取り出すと、走った向きと速度を考えて自分たちの大凡の位置を割り出していく。
これ以上の返す言葉が彼の中には存在しないからだ。
街で馬車を借り、一夜かけてゆっくりと進んだ後、夜明けを待たずに出立した地点は既に朱色の点が打たれている。
そこから度々地図を開いて位置を確認していたのだが、実際に地図上に引かれた線通りに歩いてこられていたのかを確かめるために、まだ新しい記憶を引っ張り出して、ゆっくりと当時の情景を降ろした瞼の裏に映し出してゆく。
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