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G.S 星降る街の冒険者  作者: 柳雅
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起.2

 井戸と宿屋を往復すること五度ばかり。歩いて数分も掛からない立地であっても、子供を抱えるくらいの重量となる水桶を両手に持ち歩けば自然と汗が額を伝い頬へと流れだす。


 ダグラスが持つ水桶は普通の物よりも遥かに大きい。

 これは親父さんの好意から造られた特注品だからだ。

 一般的に子供が水運びに使う物と比べて三倍ほどの量を一度に運べて尚且つ持ち手には使用人が効率的に運べるような仕組みが見られる。

 職人の腕とは凄いもので、内臓量の割に感じる重さは少なくなっている。


 それでも重いことには変わりはないのだが。



「ダグラスさん。いつもありがとうございます」



 宿屋の看板娘であるミリィが満タンになった水瓶の隣で真っ白な手拭いを手渡しながら感謝の言葉を告げる。

 彼女の正直な労いの言葉は、日差しを受けて火照り始めた身体に水を飲んだかのような清涼感と活力をいつももたらしてくれる。



 「いいって。親父さんにはいつも世話になっているからね」


 「お客さんにこんなことをして貰うのは申し訳が立ちませんが、正直助かっています」


 

 そう話し、ミリィは小さなえくぼを両頬に作りながら微笑みを浮かべる。

 水運びは子供の仕事と言えど、宿屋で使用する分の水を彼女一人が運び入れるのはまだ幼い彼女にとっては難しい。

 時間を掛ければいつかは終わることではあるが、彼女には他の子供と異なり、しなければならない仕事が他にもある。


 もともとは親父さんの奥さんが行っていた客室の清掃に洗濯などの雑事。

 それらは三年前に奥さんを病で無くしてからは彼女の仕事となっていた。


 もちろん、全てではない。

 親父さんも自分の仕事をこなしながらも娘を手伝ってはいる。

 それでも失った分の人手はどうしても足りなくなる。

 新たに人を雇うという話も出たのだが、それは主にミリィの反対によって有耶無耶にされていた。


 その理由は何となくではあるが理解は出来る。

 彼女にはまだ宿屋の中に母の面影が残っているのだろう。

 それを他人に踏みにじられたくはない。そう想ってしまうのはしょうがないことなのだろう。


 ダグラスは受け取った手拭いに顔を埋めながら少しばかり淀んでしまった思考を振り払う。

 自分が悲壮に陥っても、彼女が得をするわけではないのだ。であるのなら、せめて強気に振る舞う彼女の心が折れてしまわないように接してあげるのが自分に出来る最大の、宿に対する恩返しだ。



 「よし、それじゃ俺は冒険者ギルドの方に顔だしてくるわ。昼はここで飯を食うから親父さんに言っておいてね」


 「はい!いつも通り二人分を用意しておけばいいですか?」


 「あー……そうだな。きっとそうなるからあらかじめお願いしとくよ」



 苦笑いを浮かべながら汗を拭いた手拭いを汚れた面を内にいれるように四つ折りにしてからミリィに返す。彼女はそれを受け取ると口元に当てながら微笑みを返してくる。


いつもと変わらないやり取りに、ダグラスは安堵感を覚えて小さく頷くと、ミリィに背を向けて冒険者ギルドのある方角へと歩みを進めた。


 背後で裏木戸の扉が開かれる音を聞きながら大きく伸びをする。

 バキバキと一働きした身体が心地の良い音をあげる中で、また冒険者としての一日が始まるのだと実感し、自然と口から一つの大きな嘆息が流れるように地面へと落ちていき、街を抜ける風に攫われてどこか遠くの空へと姿を消した。







 木製の衝立にも似た両開きの扉を開くと、そこは外とは異なった異質な空気が流れていた。


 宿屋以上に大きく取られた天井までの空間には大きな四枚の羽がゆっくりと回っている。

 換気口からの風を受けて羽が回ることにより室内の空気を循環しているようだ。

 日差しを取り込むように設けられた縦滑り出しの木窓は大きく開かれて幾本もの光の筋を多くの人が集まる広間へと差し込んでいる。


 建物の造りは三階建てとなっている。

 出入り口を含み、大きく取られた一階の空間には大人の歩幅で十数歩先に長机が置かれ、部屋の仕切りとなっている。

 そこには三つの区切りが設けられ、それぞれに一人、共通の緑色に染色されたコートを羽織っている人がこちらに身体を向けて座っていた。


 そこから右方へと身体を向けると、中央に円卓の置かれた部屋が視界に映る。

 外観は丸太を用いた景観であったのだが、その部屋だけは三方を色の異なった木の板で内装が造られている。


 合計して八人の姿がその部屋には見受けられたが、彼らは談笑しているわけではなく、その全てが同じように壁に身体を向けているという不思議な光景が広がっていた。


 彼らが視線を向ける先には乱雑に張りつけられた羊皮紙があった。

 彼らはそれらをじっくりと眺めて吟味し、気に入る物が無ければまた次の物へと視線だけを動かしていた。


 代わって左方へと身体を向ければ、上階へと続く階段と机に合わせて椅子が置かれている。

 そこには既に三名の先着がいたが、特に有益な話をしているわけではなく、机に附している者の姿もあった。


 まるで時が止まっているかのように、外界と扉二枚で隔たれたその場所の名前は冒険者ギルド。命知らずの大馬鹿者が夢を見て集う、居心地の良い空間だ。


 ダグラスは入口の付近で一度辺りを伺うと、大きく息を吸って呼吸を整える。

 別に初めて足を踏み入れた場所ではないのだが、何故かそうしなければならない気がするのだ。


 ある程度の緊張を孕みながら、止めていた足を踏み出すと、それを待っていたかのように長机の奥にいるギルド職員のうち一人が立ち上がり、不快感を与えない素晴らしくも張り付いた笑顔を浮かべて出迎える準備を整えていた。



 「おはようございます。ダグラスさん」


 「あぁ、おはよう。今日は何か変わった事はあったかい?」



 声を張らなくともしっかりと伝わる絶妙な位置までダグラスが達すると同時に挨拶が投げかけられる。

 しっかりと腰から適切な角度にまで曲げられた上半身は、挨拶を返すことにより、緩慢でも急激でもない速度で持ちあげられて背筋がしっかりと伸びた状態に戻ると着席を促すように長机の前にある椅子へと左の掌が翻される。


 乱れの一切ない動きに対して、心の内に湧き出る微かな不快感を苦笑することで誤魔化しながら促されるまま椅子へと腰を掛けると、それを見届けたギルド職員も音を立てずに自身の椅子へと着座する。


 同時にクフッと小さく空気が抜ける音がしたのは彼の椅子にはクッションが敷かれているからだろう。

 対して自分の座っている椅子は背凭れすらない木製の板が組み合わさっているだけの物。

 これは職員と冒険者の地位の差を表しているわけではなく、ただ単純に仕事を円滑にこなす為の備品として良い椅子が備えられているだけである。

 まぁ、他には冒険者が良く椅子を壊す為に安価な物を用意されているという点や、気に入らない客に対するいやがらせという点もあるが。


 座り心地の悪い椅子の上で落ち着ける場所を探していると、コホンッと咳払いが一つされた。

 職員側の準備が整った合図であり、ダグラスは立て付け自体が悪い椅子をそのまま扱うことを諦めて前のめりに身体を乗り出して二本の前足だけで体重の平衡を取りながら相手の言葉を待つ。



 「……ギルドに所属している身として、早急にこなして欲しいという依頼はございません。ただティルトラ様から【話したい事があるから会いたい】との伝言を預かっております」


 「へぇ、ティルトラが?」


 「はい、本日の昼に何時もの場所でという事です。欠かせない用事があるのでしたら、私を通して頂ければ、そうお伝えしておきますが?」


 「いや、大丈夫だ。ギルドからの依頼がないのなら、今日も一日ゆっくりと休もうかと思っていたからな。……それで、ファルサスはどうして今日はそんなに丁寧に仕事してるの?」



 出会ってすぐに感じた違和感をファルサス―目の前にいるギルドの職員―に腕組みをしながら問いかけると、彼からの返答の代わりに隣に座っていた女性の職員から笑いが込み上げるのを我慢しているような掠れた空気の漏れる音を耳が拾う。


 不思議に思い、音を出した当人へと顔を向けると、彼女は俯いたまま椅子から立ち上がり、一言【失礼します】と震える声で言い残すと、後方にある職員の詰め所へそそくさと立ち退いてしまった。



 「もしかして、もうお忘れになられてしまわれたのですか?」



 数拍遅れてファルサスから帰ってきた言葉は感情が読み取れない平坦な口調をしていた。

 驚いて目を見開きつつ、彼へと視線を戻すと、まるで薬物の中毒者のようにプルプルと身体を小刻みに震わせながらお面のように貼り付けた笑顔をヒクヒクと痙攣させながらジッとこちらを睨みつけていた。


 元が事務仕事の出来る優男風な見た目をしているために、彼の笑顔というのは人に安心感を与える物であるはずが、今は地割れの先にある深淵を覗き込んだ時に感じる身体中の血の気が引いていくのに似た恐怖しか感じない。



 「お、俺が何かしたっけ?」


 「はい、ダグラス様は……あーもうお前が覚えていないならする意味ねえよな?自分受けた賭け事くらい覚えておけよ。この前お前にそろそろ迷宮に潜ってみないかって打診しにいっただろう?その時に硬貨を投げて表が出れば挑戦する、代わりに裏が出たら次にギルドに来た際には一日だけでいいから丁寧に対応してくれって賭けをしただろ」


 「あー……言われればそんなこともあったような?」


 「……銀級に昇格してから、お前はやる気を失っているように思えたからな。新しいことに挑戦する切っ掛けとなればいいと思って持ちかけてみただけなんだが、こうも忘れられているとこちらとしてはどう対応していいかもわからなくなる」



 大きなため息を吐きながら体勢を楽な物に変え、頬杖をついた左腕で首の後ろをトントンと叩きながらファルサスは恨みがましい視線を送ってくる。


 ダグラスはそれに対して乾いた笑みを浮かべて煮え切らない様子を返す。


 別に迷宮に籠らないという信念があるわけではない。

 むしろ自然の中を歩き回り、獲物となる魔物を倒したり、植物を採集したりするよりも、迷宮に潜る方が金にはなる。


 地表に生まれた魔力溜まりが誰にも触れられずに長い月日が流れた際に、その土地の一部を飲み込みながら新たな空間を作り出す迷宮には普通では考えられないほどの密度で魔物が発生し、また急速に成長する植物資源の他に掘りつくしても一定の期間が過ぎた後に形状を変化させながらも新たに産み落とされる鉱物資源などが豊富に存在する。


 ある一定以上の腕を持つ冒険者であるならば、魔物を狩って毛皮や牙、魔石などを手に入れるだけではなく、様々な資源を求める職人や人夫を護衛するだけでも生活には決して困らないだけの金銭を得ることが出来る。


 そして此処グラシア地方において最大の交易都市となった【キユリ】という街の近くには、小規模ながらも迷宮が存在している。

 定期便として出ている馬車を用いれば、三日も掛からず、ダグラスがその迷宮で依頼を受けて一月の間みっしりと働けば、その後一年は宿に泊まって飯を食って寝るだけの生活が送れるだけの金銭を得られるのだが……



 「まぁなんだ?俺は迷宮ってなんだか嫌いなんだよね?なんか中に入ったら吞み込まれて出てこれなくなっちゃいそうで。でも実入りはいいらしいから興味自体はあるんだけど」


 「なら一度試しに潜ってみるといい。核を抜かれていない迷宮に取り込まれるという話は聞いたことがないからな。仮に核を抜かれたとしても、数年の月日を経て迷宮はゆっくりと縮小を始めて消滅するという噂だから、いますぐに吞み込まれるっていうことはないはずだぞ?それにお前のツレの獣人の女がいれば、迷宮でも迷うことなく進めるだろうしな」


 「女獣人のツレ?……あぁ、モッカのことか」


 「何にゃ?何にゃ!あたしの話をしているのかにゃ?」



 不意に聞こえた声に反応して振り返ろうとする前に、肩へと掛けられた重みにただでさえ安定性に掛けている椅子の上に座っているダグラスは前に置かれている長机に突っ伏してしまいそうになるのを、咄嗟に突き出した腕を支えにする事で堪える。


 その際に既に机の上へと置かれていたファルサスの掌を覆い隠すように握ってしまい、目の前にいる知り合いは心底嫌そうな表情を浮かべていたのだが、気にしないように咳払いを一つ付きながら、今もなお体重をかけてくる当人へと声を掛けようと口を開く。



 「お前、いつの間に……」


 「あぁ!ダグちんとファルサスが恋人繋ぎしてるにゃ!もしかして二人は出来ているのかにゃ?それならもったいないけどダグちんの事は諦めるにゃ……」


 「いい加減にふざけるのはやめてくれないか?お前が今もなお体重を肩に掛けてくるせいで腕を戻せないんだよ。それになにがニャ!だよ。お前そんないかにも猫っぽい口調なんてしたことほとんどないだろうに」


 「なーんだ、つまらない。少しは慌ててくれたら楽しかったのに、ニャ!」



 あからさまに取ってつけた語尾に合わせるように体重を掛けていた腕を離して、彼女は自立すると猫のようなしな垂れた体位を作り、口元をニヤつかせながら瞳を細くして丸めた両手の拳を可愛らしく内側へと抱えるように曲げる。


 媚びるという行為は好きな者からすれば権力や財を行使してでも求める物ではあるのだが、ダグラスからすれば眉をしかめて思わず表情を引きつらせてしまうような光景であった。


 熟れた果実を思わせる赤髪に、小麦色に焼けた肌。

 背丈は低く、ダグラスの肩程までしかないが、女性らしい膨らみが身に着ける軽装の上からでもわかる程度にまでは育っている。

 引き締まった足腰はすらりと伸びていて、小柄な体格でありながらも、整ったという表現が当てはまるほどにバランスが良い。

 顔付きは綺麗とは言えないが、瞳の形は丸形で愛嬌がある。

 シュッと伸びた眉に肩に掛からないくらいで切りそろえられた髪は活発さを表し、中性的な魅力にも富んでいる。


 そんな冒険者仲間であるモッカというクーラー族の女性は、自分の持ち味を理解して行動している節がある。少しでも彼女の中身を知っているのならば、先ほどの媚びを売った姿に魅力は感じてしまっても、惹かれる事はないだろう。


 

 「それで何の話をしていたの?またダグラスが依頼の選り好みでもしてゴネているの?」


 「俺は選り好みはしたことはないぞ。ただ割りに合わない仕事を省きながら、その中で報酬が高い仕事を待っているだけだ」


 「……冒険者ギルドで掲示される依頼は全て適正な報酬をこちらで決めさせて貰っているから差はあまりないはずなんだがな。詳しい話はあとでダグラスから聞いてくれ。ティルトラがこいつに声を掛けるってことはお前にも関係があるのだろうからな」


 「迷宮の事はもういいのか?」


 「その事も合わせて話して貰えるとこちらとしては二度手間にならないからいいんだがな。急を要する話でもないから優先度はそちらにまかせるさ」



 気だるげにファルサスは話し終えると、目を瞑り、肘を立てた態勢のまま瞳の辺りを左腕で擦るように揉み始めた。


 どうやらこれ以上話すことはないようだ。

 彼がこのような態度を取るのはいつもの事であり、それを咎めるような短い付き合いではないため、ダグラスは苦笑いを浮かべながら座っていた椅子から腰を上げる。



 「ダグちん、もういいの?」


 「あぁ、ティルトスが話したい事があるってことは依頼の同伴者を務めて欲しいんだろうからな。冒険者ギルドから依頼を受けないのであれば、留まる意味はないし、職員にも迷惑がかかる」


 「どこで集まるかは……ま、いつも通りか」


 

 コツコツと靴裏で音を立てながら歩くダグラスの後ろに付いて歩きながら、モッカは後頭部に両手を当ててニカリッと歯を見せて笑顔を見せる。


 宿は別のところに取ってはいるが、彼女も用事が無ければ頻繁に飯を食べる来るお気に入りの場所。

 それは今から会うティルトスも同じで、何かあればそこを集合場所として使うことになっている。


 冒険者ギルドの方にも伝言を残していたのは、入れ違いになってギルドから先に依頼を受けてしまわないようにするための根回しだろう。

 確か彼が身を置いている宿は表通りに面した場所だったはずだ。

 道中で会う確率も低く、下手をすれば一日丸々使っても会えないといった可能性もある。

 そうなれば一日が徒労に終わってしまうこともあるために、面倒であっても相手の行動範囲にいる人へと先に伝言を残して置くのは正しい行動だ。

 呼び出したくせに指定した場所におらず、散々歩き回らせた挙句に自分の宿の部屋の寝具に寝ころびながら待っていた隣を歩く獣人の女とは大違いである。


 そんな不満を小さなため息に込めながら、両開きの扉に手を掛けて軽く押す。


 入った時よりも街の騒めきは大きくなっている。ふと顔を上げて空を見上げてみれば、もう間もなく陽は真上へと昇りつめそうな位置にあった。


 時間帯もちょうどいい。


 ダグラスは日差しを浴びながら背伸びをして奥歯を強く噛みしめる。

 すると、それを真似するかのように後ろからくぐもった声が耳に入り、軽く開いた口からが自然と空気が小さく漏れ出てしまう。



 「それじゃ、いくか。【星を運ぶ山鳥】へ」







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