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G.S 星降る街の冒険者  作者: 柳雅
3/28

起.1

 夜の帳が地平線の先に生まれた小さな炎によって徐々に火の手を伸ばして失われていく最中、まだ起床の鐘すらも鳴らない早朝にダグラスは熱の籠った息を大きく一つ吐き出した。


 それに乗じるように、意識はゆっくりと覚醒を始める。

 下ろされた瞼が僅かな隙間を開けて白い線状の光を眼球へと取り入れる。

 二度ほどゆっくりと呼吸を行うと、その白い線は徐々にはっきりとした風景を映し出し、同時に身体が纏う違和感―浮遊感や倦怠感など―に対して肩や肘、股関節を大まかに動かすことで小さな骨の音を鳴らしながら取り除く。


 見知った天井だ。

 寝転びながら左右を見渡しても、就寝前に見た最後の景色と何ら変わり映えはしない。


 数十年に渡って使用され続けた床にはところどころに補修の跡があるが、様々な油がしみ込んだ朱色に近い茶褐色には馴染みもある。

 前に寝泊まりしていた客が屋根裏を走るネズミに嫌気がさして長柄の何かを突き刺した跡も、寝る前と同じままそこに存在していた。


 身体を預けている寝具は見るからに安物であり、緩衝材などといった高価な備え付けはない。

 これだけは自前で用意した毛皮と店舗の備え付けである毛布を何重にも重ねた後にさらに一枚の大きな毛布を上から被せることによって、ようやく不快感の無い寝床となっていた。


 寝具のほかに、コッファーや小さなテーブルと椅子が置かれているのだが、それらには手を入れてはいない。

 そのどれらも損傷が激しく、引き出しは歪んでいてすんなりとは開かないし、椅子は足の先が欠けていて不安定なままである。


 客室だけを見るならば、劣悪な環境だといえるだろう。

 まるで低級貴族の木端人に宛がわれるような部屋だ。

 冒険者という職種に就く同期の中で、まだ生き残っている人たちは自分よりも高価な宿を取っている。

 ふかふかとは言えないまでも、下引きのある寝具に座る度に嫌な音を上げない椅子。

 複数人が囲めるテーブルに職人の粋な仕事が見られる飾り窓。


 そんな生活に憧れないかと言われてしまえば、否定はできない。

 長いこと危険と隣り合わせな仕事に関わり続けていられるだけあって、ダグラスの懐には多少どころか、平民からすれば数年は遊んで暮らせる程度の資金の余裕はある。


 だが、ダグラスはこの宿を気に入ってしまったのだ。


 油まみれでテカリすら見える床や壁はもう十年近く帰っていない実家の物とよく似ていたし、備え付けの家具は村の中で使いまわしをされているものを思い出すくらいにボロボロだ。

 だが、そのような物であっても仕事が無くて食べることにも苦労した辛い日々の支えになってくれたのを冒険者として成功したといえる程度にまで成長した今であっても引きずっている。


 要するに、好きになってしまったのだ。このオンボロともいえる客室のことが。

 冒険者という職業に対して過剰なまでの夢を見ていた幼い頃の思い描いていた未来よりも、わずかながらも、このままでいいやと思うくらいには遥かに。


 このようなやり取りを何回行ったことだろう。

 コッファーの上に置かれている銀色のカードを枕に顔を埋めながら手繰り寄せて形が崩れない程度に力を込めながら思い返す。

 十回や二十回なんて回数ではない。思えばこの身分を手に入れてから毎朝のような気もする。


 うつ伏せから仰向けへと体勢を変え、銀色に輝く一枚のカードを注視する。そこには緑色に発光するインクで自分の名前が描かれていた。



 ダグラス



 たった四文字。

 セカンドネームもファミリーネームも、ましてや貴族の身分を表す称号すら描かれていない簡素な綴りではあったが、このカードが自分の物であるという確かな照明である。


 冒険者には合計で七つの階級が存在している。

 無印という小間使いから始まって鉄錆、雑用以外の仕事を一人で受けられるようになる銅に一人前と称される鉄。

 そしてギルドから戦力と見なされる銀から霊銀、最後に冒険者として多大な功績を上げたものに対して渡される金の身分。ダグラスは二つほど前の季節に魔物を相当数屠ったことを称されて銀の階級を授与されていた。


 全体の人数としては、銀以上の階級を持つ者は鉄と同数程度存在するが、そこに至ることによって成功者という周りからの認識を得ることが出来るのだ。

 例え鉄ランクであったとしても、小さな散村に移住すると申し出れば、住民からもろ手を挙げて喜ばれることだろうが、それが銀の階級となれば日用品を揃えた家一軒を譲与されるほどの歓迎となる。

 他所で例えるのならば、国仕えの役人の中でも騎士団の小隊長を務めた実績のある者が移住してくるのと同じである。


 村の防衛力の強化はもちろん、閉鎖された村社会の中に新しい知識が入ることを喜ばない者は余程の僻地でない限りは存在しない。

 それを証明するかのように、教会を伝手として移住を持ちかける開拓村からの勧誘は後を絶たなくなっていた。


 それは何度も削られた痕のある羊皮紙による書簡ではあったが、自分の実力が評価されて必要とされていることに対して不満があるはずがない。

 むしろ農民の家庭に生まれて、本来ならば死ぬまで開墾を続けるはずであった人生に幾本もの新しい道が用意されていることにある種の優越感にも似た充足感に満たされていく。


 くぅっと身体の内から活力が沸いてくるのを実感しながら、何度か寝転ぶのを繰り返していると、コンコンッと遠慮がちに小さく扉がノックされる。


 慌てて寝具から飛び退きながら、両手で頭を隠すように髪を数度撫でながら窓へと視線を移すと、差し込む陽気には朱色の混ざり気がない白く透き通った物へと変わっていた。



 「おはようございます、ダグラスさん。すいませんが、今朝もお願いできますか?」


 「あ、はい。分かりました。準備が整ったらすぐ向かうので待っていてください」

 


 扉越しにかけられた声は若い女性の物。

 部屋を借りている宿屋の一人娘であるミリィちゃんだ。

 歳は確か十三になったばかりで、てっぺん禿(本人は敢えて剃っているのだと言い訳をしているが)でいかつい顔で怒鳴り声と共に唾を飛ばし散らす父親には似ず、赤髪の可愛らしい容姿をした大人しい子だ。


 あまり繁盛していない宿ではあるが、この子と愛嬌の良さとその父親である通称オヤジさんの作る飯が安いわりに旨いので、食堂だけは賑わいを見せている。彼女が毎朝ドアをノックするのは、朝食作りを手伝ってもらうためであり、きっと、おそらく他意はないのだろう。


 少しだけ沈んだ気持ちを盛り返すために、中腰になりながら膝に手を当てて息を吐きだすのと共に肩に力を込める。

 身体の節節からぽきぽきっと心地の良い音が響き、夜の内に張り付いた霜を振り落とす春風のように間接に粘り付くように滞る眠気と不快感を取り払い、未だに肺の中に残っていた腐った空気を一息ですべて吐き出す。



「そんじゃ、今日もやりますか」







 一日で一番太陽の日差しが眩しく感じるのは何時頃か。


 ダグラスは間違いなく、朝日が白い光を放ち始める時であると断言する。

 それも目が覚めてから初めて日光を直接浴びるとき。そう、宿屋の手伝いである水汲みをしている今がまさにそうだ。


 寝起き後の行動が少し遅かったせいか、いつもならあまり人がいないはずの井戸周りなのだが、今日はミリィのようなまだ自分の仕事を宛がわれていない年頃の子供が集まっている。


 まだ夜が明けて間もないのに、子供たちが一か所に集まっているのは遊ぶためではない。

 自主的か、それとも親による強制か、はたまた奉公に出ている先からの仕事として与えられている物なのかの差はあるが、集まるものは皆、井戸から水を汲みに来ているのだ。


 そんな子供たちの中に青年のダグラスが混ざっていると、一人だけ取り残された感じになってしまう。

 特段背が高いというわけではないが、列を成して順に並んでいると、自然に前後で雑談を始めるものなのだが、ダグラスに敢えて声をかける子供なんているはずがない。

 いつもならばミリィが話し相手になってくれるのだが、今日は彼女の前に顔見知りの女の子がいたお蔭で、一人でぽつんと順番を待つ羽目となっていた。


 居心地の悪さと退屈さに耐えかねてきょろきょろと辺りを見回していると、井戸の横に腰を掛けている顔見知りと目が合ってしまう。

 布で髪を纏め、藍染めのローブを袖に手を通さずに肩にかけているその男は立ち上がると列に並んでいる子供に声を掛けて銅貨を一枚ずつ回収して満足そうに頷くとポケットにそれを突っ込んで立ち上がる。


 

 「よりによって嫌な奴と目が合っちまったなぁ……」


 「つれねえな。水汲みをするなら必ず会話する中じゃないか」


 「避けては通れないからこそ、いまから話したくはなかったんだよ」



 嫌味を含めて大仰ため息を吐くが、男は気に病む様子など一切見せずに釣り目を細めながらカラカラと陽気に笑い声をあげる。


 男の名前はガカ。水売りの一派に属する厄介者だ。奴らは水の番をする代わりに駄賃を貰うと主張しているが、公に認められた職業ではなく、ただの悪党の類である。


 もともと街の水は豊富な水源から供給されているために途切れることはなく、井戸や給水泉も多く存在し、その全てが無料で開放されていた。

 だが何時頃からか、自らの水売りと名乗る集団が表れて、先ほどのように水を汲むものから貨幣としては最小ではあるが、使用する度に銅貨一枚を奪うようになっていた。

 銅貨一枚といえ、今までは無料であったはずの水に値段がつくことに対して反発した市民は集団で抗議をしたが受け入れられず、見かねた役人が衛兵を用いて追い払おう事態にまで発展したのだが、その翌日に街のすべての水回りで馬糞や人糞が撒かれたり、浮浪者がその周りを取り囲んだりする事態となった為に、都市長であるラ・ファストルは水売りという存在を駆逐することを諦めて黙認せざるを得なくなる。


 当然ながら都市長の決定に対して不満の声を漏らす市民もいたのだが、一人が一日の間で水を汲む際に銅貨一枚という僅かな額であることや、実際に水売りがいることによって市民の汚物による水源の汚染がなくなったことから存在を認める者も少なからず出ていることも事実であった。



 「それで、今日はどうしたんだ?いつもより遅いじゃないか」


 「ちょっと寝坊してな。……少し遅れるだけでかなり混雑するんだな?」


 「まあな。この近辺は水売りから直接買うような富裕層は少ないからな。その分子供が水を汲みに汲むんだが、今日は特に纏まってきているが。……おい、お前はいつももっと遅くに来るのになんで今日は早いんだ?」



 ガカは顔だけをダグラスから背けて、近くにいた少年に声を掛ける。

 急に話しかけられた短髪の活発そうな少年は、最初こそ物怖じしたものの、彼の意図を読み取ると皺が集まる呆けた目をこすりながら、小さく口を開けて答える。



 「来週から星降り祭りだろ?俺たちはその手伝いを商館から頼まれてるから、今日は早く水を汲みに来たんだよ。ここにいる他の奴らも同じ理由だと思うぜ」


 「ミリィもそのことは知っていたのか?」


 「星降り祭りのことは知ってたけど、商館のお手伝いはしたことがないからわかりません。この時期は宿の仕事も忙しくなるので……」


 「知ってたらこの寝坊助を叩き起こしてでも早く連れてくるよな」



 カカカッと陽気な笑い声をあげながら、ガカはダグラスの後ろへと回り込み、背中を掌を広げて背中を数度叩く。

 元が荒繰れ者であった彼の力は肺を軽く押し潰してくるが、相手に悪気がないだけ強く言うことも出来ないのでたちが悪い。

 ただ気道を通して喉へとせりあがってくる咽を耐えながら、ジトっと目を細めて睨みつけていると、ガカは口の一端を吊り上げながら、小声で愚痴ともいえる言葉を吐きだす。



 「本当なら星降り祭りが始まる前に、例の清掃を済ましておきたいんだが、さっきあいつが話したように、開催が早まってしまってな。出来るならお前の予定が付く日に一気に終わらせてしまいたんだが」


 「毎度のことながら、なんで俺に頼むんだ?あの程度の清掃なら他の奴でもできるはずだろ」


 「それはこうやって頼みやすいっていう点もあるが、あれを丁寧にしてくれる冒険者はあまりいないんだ。最近では依頼を受けてくれる人も少なくなったしな」


 「下水の清掃はもともと低級冒険者の仕事だったのを、水売りが横から勝手に奪っていったのだがら、因果応報ってやつだな。諦めて少しは自分で動いてみたらどうなんだ」


 「つれないこというなよ……マジで困っているんだからさ。お前の都合の付く日でいいんだ。金も出すし仲間も付ける。だから頼むよ」



 人目も憚らずに一方的に肩を組まれながら、何度も顔を寄せて頼み込んでくるガカ。

 そのあまりの必死さに精神的な距離を取りたいダグラスであったが、ガッチリと組まれてしまった体勢を崩すことができず、不愉快さがたっぷりと詰まった大きなため息を一つ落とす。



 「わかったわかった。空いてる日が出来たらやってやるから」


 「本当か!?なるべく予定は直近でよろしくな?知っているだろうが、俺は毎朝ここにいるから、いつも通り水汲みのついでに声を掛けてくれよな」



 肩に回していた腕を外して、前のめりになっているダグラスの背中を音を上げて叩きながらガカは盛大に笑い声をあげる。

 実に調子のいいやつだと愚痴のように小さくこぼしていると、ヒリヒリと僅かな痛みを発する背中に今度は優しく触れられた。


 ガカは既に陽気になって井戸の近くへと戻っている。

 いったい誰だと疑惑の念を向けながら振り返ると、そこには心配そうに見つめながら叩かれた箇所を優しく摩り始めたミリィの姿があった。



 「大丈夫ですか?結構いい音がなってましたけど」


 「このくらいなら平気さ。痛いことには変わらないけども、魔物の突進を喰らうよりかは幾分マシさ。これでも身体は鍛えているからね」



 何でもない事を表すために、無駄に力強く見えそうな体勢を作って見せると、彼女は安心したように朗らかなほほ笑みを浮かべて笑った。


 他の冒険者のように屈強な身体に恵まれていないダグラスが筋肉を強調する姿勢を取ったとしても、自信を強く見せようと影を大きく作る子狐程度にしか思えないはずなのだが、ミリィが浮かべる屈託のない笑顔はガカによって傷つけられた心をしっかりと癒してくれる。


 その後調子に乗って別のポーズを取り始めたダグラスに、ミリィの笑顔は引きつった物へと変わっていくのだが、水汲みのために並んでいた少年から侮蔑の含んだ注意を受けるまでそれは続けられ、余計な時間はこくこくと流れていった。




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