5話 覚醒
庭園での一件から数十分後。
わたしとイヴは寮の廊下を歩いていた。
「イヴ、わたしの部屋に来るより魔法の練習したいんじゃないの? 何年も使えてなかったんでしょ?」
「ううん、いいんだ。それより今は、キミと一緒にいたいから」
何これ、告白?
どうしよう、告白されちゃった……!
って、そんな訳ないか。
でもイヴがわたしに心を開いてくれているのがわかって、わたしは嬉しいよ。
贅沢を言えばご主人様になってほしいんだけど……でも今はそれは言わない。
なんでかって?
だって今言ったら私がそのためにイヴを治したみたいになっちゃうじゃん。
わたしは善意で治したのであって、それを脅しに使ってご主人様になってもらうような卑劣な真似はしないもん!
「あ、もうフィラちゃん帰ってきてるかもしれないけど、良い子だから大丈夫だからね」
「フィラちゃん?」
「わたしの同室の子。……そうだ、イヴももう仲良しだからイヴちゃんって呼んでもいーい?」
わたしの中ではなんとなく、「親密になったらちゃん付け」というのがルールになっている。
あ、でもさすがにお父ちゃんとかお母ちゃんとは言わないけどね?
イヴはうーんと唸り始めた。
もしかして嫌だったのだろうか。
もしくは靴を舐めさせてくれるのだろうか。
どっちだろう……。わたしはドキドキとイヴの答えを待つ。
「うーん。イヴちゃんって女の子っぽいから、イヴのままがいいかも」
「……女の子っぽい? あれ、イヴって女の子だよね?」
わたしの変態センサーに間違いはないはず……。
わたしは改めてイヴの身体を凝視する。
線の細い華奢な身体、膨らみかけた胸、透き通るような肌。
うん、絶対女の子だ。
わたしの予想は的中していたようで、イヴも首を縦に振る。
「うん、ボクは女だよ。でもボクは『ちゃん』って柄じゃないし、身体がムズムズしてきちゃうから。ごめんね?」
「ううん、気にしないで」
正直超可愛いと思うけど、本人が嫌がってることはしない。
誰でも知ってる常識だよね。
わたしも呼び方にそこまでこだわってるわけじゃないし、イヴがこのままがいいって言うならこのままが一番だ。
「じゃあ……イヴ?」
わたしがそう呼ぶと、イヴは端正な顔に笑みを浮かべた。
「なぁに、リューネ様?」
「様はやめてよー! むしろ私が様付けしたいのにぃー!」
「あはは、ごめんごめん。冗談だよ」
わたしはご主人様が欲しいの! ご主人様になりたいんじゃないのー!
そしてわたしは部屋へとたどり着き、扉を開ける。
するとそこにはすでにフィラちゃんがいた。
ちょうど髪を櫛で梳いているところだったようだ。
ポニーテールもいいけど、ふぁっさーなってるのもいいね、ふぁっさー。
さすがフィラちゃん。
「おー、遅かったわねリューネ。あれ、その子は誰?」
「ああ、この子は――」
「ボクはイヴ。リューネの召使いだよ」
「友達、友達だよイヴ!」
なんで! あなたが! 召使いなのっ!
むしろわたしを召使いにしてくださいお願いします!
「変わった子ね……。あたしはフィラリス。よろしくね?」
「こちらこそ」
イヴとリューネは握手を交わした。
わたしはそれをにんまりと眺める。
いいよね、こういうの。
友達同士が仲良くなるのって、なんだかこっちまで嬉しくなってくる。
「イヴはなんであたしたちの部屋に?」
「ボク長年魔法が使えなかったんだけど、リューネがそれを治してくれてさ。だから感謝の気持ちを示すために付いてきたんだ。僕にとっては恩人だからね」
「ありがとう」と言ってまだ頭を下げるイヴに、わたしは慌てて手をぶんぶん振る。
「恩人ってそんな大層なものじゃないよ。わたしはただイヴの笑顔がみたいなーって、それだけだったから」
「リューネがまともなことを言ってる……?」
「ちょっ、酷いよフィラちゃん!」
わたしは基本まともだよ!
ただ痛みが快感に置き換わっちゃうだけ!
それから数時間もすれば、わたしたちはまるで昔からの友人のように気兼ねなく話せるようになっていた。
フィラちゃんとイヴも仲良くなれたようで何よりだ。
よーし。ここは一つ、もう少し踏み込めるようなイベントを開催してみよおっと。
「ねえねえ二人とも」
「なぁに?」
「せっかく三人仲良くなれたことだし、唾液の交換会する?」
「そんな会聞いたことないわよ!」
さすがにこれは無理かぁー。
まあ仕方ない。我慢しよ――
「ボク、リューネの唾液だったらちょっと欲しいかも……」
「うぇ!?」
イヴ、それ本気で言ってるの!?
これは完全に予想外だよ!
ちょっと前まで氷みたいな雰囲気だったのに、実はそんなアグレッシブな子だったの!?
慌てるわたしをフィラちゃんが手でブンブンと呼ぶ。
そして小声で耳打ちしてきた。
「……ちょっとリューネ、あの子大丈夫なの?」
「わ、わかんない。わたしのせいかな……」
「絶対そうでしょ。だって見なさいよあれ」
フィラちゃんが首でイヴを指し示す。
イヴは床から何かをつまみあげていた。
なんだろうあれ……髪?
「あ、桜色の髪……。リューネのかなぁ。えへへ……」
ひぇぇー!
「怖い怖い怖い怖い! イヴが怖くなっちゃった! どうしたのイヴ!」
「え? なんで? よく知りたい子の髪の毛集めるのって普通じゃないの?」
「普通じゃないよ!?」
その首をこてんとかしげるのはたしかに可愛いけども!
でもやってることは完全にストーカーと同じだよ!?
……んん?
ってことは、わたしはこんな可愛い子にストーカーされてるってこと……?
「……ありかも」
「あたしにできた友達に碌な子がいない……」
ちょっと待って、それってわたしも入ってないかな? フィラちゃん?
そんな私たちを余所に、イヴは晴れやかな顔で言う。
「リューネが魔力管を治してくれて、その上感極まって抱き着いちゃったボクを優しく迎え入れてくれた時に思ったんだ。『ボクのご主人様はリューネだ』って」
「むしろわたしのご主人様がイヴなんだけど! そこのとこ間違えられると困るんですけど!」
わたしはぷんすか怒る。
わたしはご主人様になるためにこの学園に入ったわけじゃないんだ。
ただただご主人様を探すためだけに来たんだから。
そんなわたしの意思を感じ取ってくれたのか、イヴは顎に手を置いて考え込むそぶりを見せた。
そう、考えて。わたしはご主人様じゃないの。あなたがご主人様になるんだよ!
「うーん、じゃあこうしよう。ボクがリューネのご主人様になるよ」
「本当に? ありがとう!」
願いは通じるんだね……!
「じゃあ命令ね」
「うん、まっかせて! どんなにキツイことでも頑張るよわたし!」
「なんで目をキラキラさせてんのあんた……?」
フィラちゃんがわたしを半目で見てくる。
嬉しいからに決まってるじゃん。フィラちゃんは常識を知らないのかな?
一体どんな命令をされてしまうのだろうか。命令されるのなんて初めての経験だ。
ああ、嬉しさで心臓がドキドキしてきたぁ……。
最初だからカッコよく決めたいよね……よし、すぐに返事することにしよう!
わたしはイヴの口を凝視する。
唇綺麗だなぁ……じゃなくて、集中集中。
あっ、開く。
「命令。ボクをリューネの召使いにして」
「わっかりましたぁ! ……え?」
あれ? それって……。
「はい決まり。ボクはこれからリューネの召使いだから。よろしくね、ご主人様?」
「違う……わたしの思ってた命令と全然違う!」
わたしはドンドンと床を叩く。
なんてことだ、はめられちゃった……。
「ど、どうしようフィラちゃん。わたしご主人様になっちゃったよぉ……」
「あたしに聞かれても……」
「じゃあとりあえず、ボクはリューネの髪の毛集めてるね」
「やだやだやだぁ!」
引き留めるわたし。
イヴはくるりとわたしの方を振り返り、わたしの唇に手を当てた。
「だーめ。嫌がったって、やめてあげないよ?」
「あっ……わ、わかりましたぁ……っ」
なにこれ、胸がとぅくんとぅくんするよぉ!
「ご主人様になるっていうのも、案外いいかもぉ……!」
「凡人なあたしにはついて行けない領域だわ……」
恍惚とするわたしに、フィラちゃんはため息交じりにそう言うのだった。