23話 フィラちゃんとかいう可愛い生き物
「リズリズちゃんっていうのはちょっとうーんって感じだしなぁー……むー、悩む。リズリズはなんかいい案ある? こう呼ばれたい、みたいな」
数分後、わたしはリズリズの呼び方について考えていた。
イヴはそのままがいいらしいから特例としても、仲良くなったら基本的に愛称で呼びたいんだよねわたし。
「そうじゃのぉ……特にないのじゃ」
リズリズはどうやらそういうことに執着するタイプではないらしい。
そうすると、わたしが決めなきゃだよね。名前って大切だから、いい感じの呼び方を考えなきゃ!
「腕が鳴るなぁ!」
「楽しそうねあんた」
「くらえフィラちゃん、ふいうちぺろぺろの術!」
「やめなさい」
軽い身のこなしでひらりと躱されたせいで、進行方向にいたイヴに突っ込んでしまう。
あ、イヴってば柔らかくてふにふにだぁ……じゃなくって!
「ごめんイヴ! 大丈夫だった?」
「うん、大丈夫大丈夫。……おっと」
わたしはぱっと立ち上がったものの、イヴはくらりと頭を押さえてしまった。
あわわ、どうしよう……わたしのせいでイヴが……!
「本当に大丈夫なんですの? 無理は駄目ですわよ?」
「いや、本当に大丈夫だよ。ただちょっとリューネの匂い嗅いだら良い匂い過ぎてクラクラしちゃって。こうなるとやっぱりリューネの匂いのキャンドル欲しいなぁと改めて思うね」
「素質がありすぎる……」
なんなんだよイヴってば! ただの素質の塊じゃないか! 心配して損したよ!
それほどの素質を持ちながらなんでご主人様になってくれないのさ!
わたしはこの世の不条理に打ちのめされる。
「くそぅ! この世はおかしいよ……。ねえ、そう思わないリズリズ? 思うんだったらぺろぺろさせて? 思わなくてもぺろぺろさせて? つまりすなわちぺろぺろさせて!」
数瞬で立ち直ったわたしが息を荒くしながらはぁはぁと近づくが、リズリズは避けるようなそぶりも見せない。
それってつまりオッケーってこと? 合意のもとでぺろぺろできるってことだよね?
ありがとう……ありがとうリズリズ。あなたはこの世の女神だったんだね……!
「妾は思念体じゃから触れぬぞ?」
「なんて世の中だ! 腐ってる!」
「腐ってるのはあんたの頭よ」
うるさいうるさい、ぺろぺろするぞ!
そしてそれから数十分。
むぅむぅと唸っていたわたしは、やっと理想の愛称を思いついた。
「……リズっち! リズっちはどうかな!?」
「リズっちか。……ふむ、良い名じゃ。気に入ったぞリューネ」
「わぁい! じゃあ今からリズっちって呼ぶね!」
リズっち、我ながらいい愛称をつけることができたんじゃないだろうか。
リズっちも心なしか満足そうに思える。
というか頬が緩みそうなのを両手で必死で押さえつけてなんとか我慢している。かわいい。
まあご主人様感はゼロな愛称だけどね! 悲しいね!
「それで、これからどうするの?」
フィラちゃんがそう切り出す。
これからというのはつまり、リズっちについてだろう。
「まずはリズリズさんの封印を完全に解く方法を調べないとですわね……」
「リズリズは何か知ってる?」
「封印を解く方法については基本的に魔法での力任せしかないじゃろうな」
力任せかぁ。魔法でどーんってことなら得意だし、なんとかなるかな?
そう思うわたしだが、リズっちの表情は硬い。
「じゃがそれ以前に問題があるのではないか? もし封印を解いたとなれば、大きな問題になってしまうのではないかと妾は思うのじゃが……」
「……ああっ!」
たしかにそうだ。
リズっちの人となりを知らない人にとっては、魔族が解き放たれるってことで大問題になってしまうだろう。
しかもここは王立学園。この国を代表する機関が魔族の封印を解くことを簡単に認めるとは思えない。完全に盲点だった。
「……やはり妾はもう一度封印された方が――」
そう言いかけたリズっちの声を遮ったのは、イヴだった。
「じゃあ先に学園側を説得する方法を考えなきゃ駄目ってことだよね。皆何か思いつく?」
「うーん、あたしの頭じゃ学園側の弱みを握るくらいしか思いつかないわね」
「意外とその線もありなのではないかしら。どんなに立派な学園でも弱みが一つもないってことはないでしょう。叩けばいくらでも埃はでてくるはずですわ」
三人がわたしに先んじて議論を始める。
リズっちはそれを信じられないと言った目で眺めた。
「な、なんで……どう考えても割に合わないじゃろう?」
「こういう人たちだからね。優しいんだよ、皆」
いざというときには他人の気持ちになって一致団結できる、だからわたしは皆のことが大好きなんだ。
「学園の闇を暴く……楽しくなってきましたわね。うふふふふ!」
「……ローレンシア、あんたそんなキャラだっけ?」
「リューネさんにご主人様の才能があると何度も言われたおかげで、自分に自信がついてきましたの。ありがたいことですわ」
「またリューネなのね……。イヴといいあんたといい、ちょっと影響されすぎなんじゃないの?」
わたしの話題もでたことだし、わたしも会話の輪に入ることにしよーっと。
「そんなこと言って、わたしがいないと一番困るのはフィラちゃんなくせにぃー」
「なにそれ、どういうことよ?」
そうだよね、気になるよね。
これ本当に皆に伝えたくってたまらなかったんだぁ!
「あのね、フィラちゃんって寝る時よくわたしの布団に入って来るんだよ」
「っ! そ、それは……!」
「そうなんですの?」
「そう、フィラちゃん一人じゃ寝られないんだって。かわいいよね!」
「か、かわいくないわよ!」
フィラちゃんは慌てて取り繕う。
そういう仕草の一つ一つにいたるまで可愛いとか……ありがとう親御さん、あなたたちがフィラちゃんをこんなに素晴らしい子に育ててくれたおかげでわたしは今とても幸せです。
まったく、それなのに自分のことを可愛くないだなんて……これはきっちりと現実を教える必要がありそうですね!
わたしはウキウキ気分でフィラちゃんの可愛さを語りだす。
「え~かわいいよぉ。しかもベッドに入って来るときにね、『ごめん……いい?』って恥ずかしそうに聞いてくるんだよ? かわいくない?」
「それはかわいい……っ!」
さすがイヴ、わかってくれると思ってたよ。
「しかもしかも! わたし、フィラちゃんが眠った後たまに頭撫でてあげるんだけどね? そうすると気持ち良さそうに『んぅー……』って言いながらわたしの手に寄って来るんだよ? もー、かわいすぎる!」
「か、かわいいですわね……っ!」
シアちゃんもわかってくれた。
今この場はフィラちゃんの可愛さに満場一致になっていた。やっぱりフィラちゃんはすごい!
「……っ!」
そんなわたしたちとは裏腹に、フィラちゃんは恥ずかしさの限界を超えてしまったようで、顔から火を吹いてぷしゅうと動きを止めてしまう。
「あれ、フィラちゃん? おーい?」
呼びかけてみても返事はない。
ちょっと言い過ぎたかな? わたしとフィラちゃんだけの秘密にしておくのもありだとは思ったんだけど、いかんせんフィラちゃんが可愛すぎて我慢できなかったんだよぉ。ごめんねフィラちゃん。
自省の念に駆られたわたしの前で、フィラちゃんは石像のように動きを停止したまま。
そんなフィラちゃんを見てわたしは思った。
……ハッ! これはチャンスなのでは!?
そのぷにぷになほっぺ、わたしが頂いた!
つんつんつんつんつんつんつんつんー!
わたしは無心でフィラちゃんのほっぺをつんつんする。
わたしの理性を崩壊させるなんて、フィラちゃんってば罪な人!
しかし、それも数分しか続かなかった。
マシュマロみたいなフィラちゃんのほっぺはたしかにすごい気持ち良くって、ずっと触っていたい。でも、物足りない。
何が物足りないって、フィラちゃんに表情がないことだ。
こういうのは恥ずかしがられたり嫌がられたり、もしくは渋々受け入れてくれたり……そういう表情がないとイマイチ萌えきれないのだ、わたしは。
行為そのものに興奮するよりもその行為によって引き出される表情に興奮するタイプだからね。我ながら重い業を背負ったものですよ。
「うーん、ただ頬をつんつんするのも悪くはないけど、やっぱり反応が欲しいよね。……よし。フィラちゃん、しっかり!」
肩をゆすってあげると、フィラちゃんは無事に意識を取り戻す。
フィラちゃんはきょろきょろと辺りを見回して、そして一言。
「……あれ、今これどういう状況?」
どうやらまだ混乱してるみたいだ。
ちゃんと教えてあげなきゃね。
「フィラちゃんが恥ずかしさで機能停止したのをいいことに、フィラちゃんの身体を好き勝手弄り回してたの。でもやっぱり反応が欲しいから、今意識を呼び戻したところだよ!」
「……なるほどね。友達を殴りたいと思ったのは初めての経験だわ……」
わきわきと手を動かすわたしに、フィラちゃんは頬を痙攣させながら言う。
照れてるのかな? やっぱりフィラちゃんはかわいいね!
学園の秘密を探すことにしたわたしたち。
そんなわたしたちに、リズっちは申し訳なさそうな顔をする。
「じゃが、本当にいいのか? 妾のせいで、お主たちに迷惑がかかってしまうのではないか?」
こんな時でさえわたしたちのことを一番に考えるなんて……もう少し自分のことを優先するくらいでちょうどいいのに。
わたしは俯くリズっちの視線に手を出して、顔をあげさせる。
「リズっち。リズっちはわたしの忠臣なんだよね?」
上がった顔と目線を合わせたわたしは、子供に言い聞かせるような優しい口調を意識していった。
リズっちはコクンと頷く。
「うむ、そうじゃ。妾はお主にこの命を預けた。死ねと言われれば死ぬくらいの覚悟はできておる」
それはさすがに覚悟決めるの速すぎない!? わたしたちまだ会って一日だよ?
……まあ、一万年の孤独はそれだけ重かったってことか。
会ったばかりのわたしをこれほど慕ってくれるほど。
「じゃあそんなリズっちに命令! 『ぐだぐだ言わずにわたしに従え!』」
「……!」
驚くリズっちに向かってにっこりとほほ笑むわたし。
その顔を見て、リズっちはようやく肩の荷を下ろしたように笑った。
「あいわかった。不肖リズリズ・ぺトラリュリュシカ・マトリョーシカ、この身、この命を主人リューネに捧げるのじゃ」
「そこまでは望んでないから! わたしはただリズっちの封印を解きたいだけだから!」
おっかしいなぁ、信頼が予想以上に重いぞぉ?
本当にわたしのためなら命さえ簡単に捨てちゃいそうで怖いんだけど……どうしてこうなった。
「それにしてもあんた、随分大言を吐いたわね。本当に大丈夫なの?」
ああ、「ぐだぐだ言わずにわたしに従え!」って言ったことね。
あれはたしかに言い過ぎた気もしないでもないけど……でもリズっちにはああいうのが一番いいかなと思ったから、言ったこと自体に後悔はない。あとはわたしがリズっちの信頼に応えるだけだからね。
「あ、フィラリスがリューネのこと心配してる」
「相変わらず周りくどい言い方ですわねー」
「ふ、二人とも余計なこと言わないの!」
「フィラちゃんがわたしのこと心配してくれてるのは知ってるよぉ。だって友達だもん! ね、フィラちゃん?」
「は、恥ずかしいこと言わないでよ、もう……!」
フィラちゃん照れてる~。よし、ならここはもう少し……。
わたしは落胆した表情を作り上げる。ここは一世一代の芝居どころ!
「わたしと友達だと、恥ずかしいのかぁ。そりゃそうか。当然だよね……」
そう言うと、フィラちゃんは慌ててわたしの手を握ってくれた。
柔らかい……!
「い、いや、そういうことじゃないの! あたしはリューネと友達になれてとっても嬉しくて、あととっても楽しくて、それと、それと……と、とにかくあたしはリューネのこと好きよ!」
かわいいぃ……! なにさこのかわいさ! 国宝指定はまだですか!?
「ありがとうフィラちゃん……本当にありがとう……!」
「いや、まあ、そんなに嬉しがられると照れるっていうか……ね?」
なにその「ね?」ってやつ! 好き!
「ぺろぺろしていい?」
「怒るわよ?」
ぺろぺろは駄目らしい。手ごわいヤツめ……。
「のうのう! のうのう!」
「なによ、どうしたのリズリ――」
「べろべろばぁ~!」
返事をし終わる前にリズっちはフィラちゃんの前でとびっきりの変顔をし始める。
意味が全く分からない上に唐突なことこの上ないけど、リズっちが楽しそうだからいいや!
だけど、目の前で突然変顔されたフィラちゃんは当然そうは思わない。
「あんた、触れるようになったら覚えときなさいよ……!」
腕を震わせ青筋をぴくぴくさせるフィラちゃんに、リズっちはたまらず逃げ出す。
「怖いのじゃ~! リューネ、赤髪びびりが怒ったのじゃ! 助けてなのじゃ~!」
「だから、誰が赤髪びびりよ! あたしにはフィラリスって立派な名前があんのよ!」
リズっちが屈託なく笑ってて楽しそうだからこのままでもいいんだけど……仕方ないからここはわたしが宥めることにしよう。
「まあまあフィラちゃん。リズっちにはこれから毎日わたしのお風呂での羞恥プレイを手伝ってもらうから、それで許してあげようよ」
「!? あれを毎日!? い、嫌じゃ!」
「あっれー? リズっちってわたしの忠臣なんじゃないのー?」
んー? 違うのかなー?
「ひ、卑怯じゃ! リューネは卑怯なのじゃ!」
「あんた風呂場でどんなことしてんのよ……」
いや、特に何もしてないよ?
ただ裸のわたしを服を着たリズっちに見て貰うことによって、羞恥心を感じることに快感を覚えてただけだし。
「まあそれはともかく、リズリズに一発ゲンコツするためにも封印を解かなきゃよね」
フィラちゃんは凛々しい眼光でニヤリと口の端を持ち上げる。
なるほど……今のフィラちゃん語を翻訳すると、つまり封印を解くために頑張ろうってことね。
まったくフィラちゃんったら……。
「素直じゃないなぁ」
「素直じゃないねぇ」
「素直じゃありませんわねぇ」
「素直じゃないのぉ」
「……あんたたち本っ当に……!」
あ、そろそろ怒りそうだからやめとこ!
フィラちゃんは怒らせると怖い、これ必須知識だから!




