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還ってきた……体  作者: 橋留健志郎
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2/2

加筆修正ver(リメイク)

 加筆バージョンです。

 企画の条件であった一万文字以内という条件から完全に外して作り直しました。


ではでは、本編をお楽しみください(^-^)/

 目が眩みそうな日差しの中、あたしはベッドの中に居た。徐々に寝苦しくなっていくこの季節の中にあってもハードワークぎみな部活のせいか、今日の眠気はすこぶる瞬間的に訪れる。


 意識を取り戻した場所は、あの殺人的な蒸し暑さと目が潰れそうな日差しに包まれたベッドの上ではなく、全く見覚えの無い無間の暗闇の中だった。突如放り出された視界零メートルの世界に無意識に両手が前に持ち上がる。




   おねえちゃん いたいよ




 それは、女の子なのか、それとも声変わりもしていない男の子なのか。年上の女性に対して助けを求める声が響き渡る。声が言う【おねえちゃん】とは誰のことなのだろう。間違いなくあたしもカテゴライズされるのだろうが、残念ながら黒い壁が救出に向かうことを許してくれない。周りの景色は相変わらず無感触な漆黒の壁に阻まれていた。




    からだじゅう いたいよ




 声の主はよほどの重態なのだろうか、身体全体の痛みを訴えてくる。声の出しかたにも心なしか力が無くなっているような気がしてきた。声の主には一刻の猶予も無い状況であろうにも拘わらず、黒い悪魔が行く手を阻み続けていた。




    あいこおねえちゃん

    あしが とれそうなの


 《!》


 初めて声の主が限定してきた人物名は、葛城愛子という名を冠するあたしのファーストネームと一致していた。こうなってくると全く事情が逆になる。全然見通しが利かない盲目の世界に一方的にあたしを知る者と二人きり。この瞬間、初めて声の主に対して恐怖を覚えた。

 この幼子はいったいどうして欲しいというのだろう。というより、まず誰なのだろう。こんなに幼少な知り合いは存在しない。身を置いたこともない暗闇と会ったこともない幼子。未知のダブルパンチにノックアウト寸前まで追い込まれてしまう。それでもなお、暗闇の壁が逃げ道を遮断していた。

「たっ、たっ……、助けてぇぇぇ!!」

 あたしにはもう、泣き叫ぶことしかできなかった。

「助けて、助けて、誰か助けて!」

 一旦意識がを認めると際限無く膨れ上がり大爆発を引き起こすのが恐怖という感情だ。

「お願い出てきて! せめて出てきて!」

 一刻も早くこの空気爆弾から逃れたいあたしは、ほんの一握りの安心だけでも得たいと必死にアンノウンの姿の確認を望む。





    たすけておねえちゃん

    あしがとれちゃうぅ




 暗闇にに放り込まれてから、初めて射した光は稲光だった。この瞬間殺人鬼を前にして攻撃を妨害しようとしているかのように両手を前に突き出して振り回したあたしの願いは、最悪な形で叶うこととなる。


 稲光がほんの一瞬だけ照らし出したモノ。それは、乃絵流だった。ズタズタに裂けた身体。ぶら下がる右目。間違いない。皮一枚で辛うじて繋がっているような右脚が、幼児の言葉と完全にシンクロしている。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! フラれた腹いせにあなたを切り刻んだことは謝ります! でもちゃんと治したじゃないですかぁ! それで許してくださいぃ……」

 あたしに腰を抜かさせ、涙と涎を同時に出させ、無様に命乞いをさせている物。それは、乃絵流の右手に光ったナイフだった。


 乃絵流の怒りを体現するような激しい雷鳴が轟き、また乃絵流がその姿を現す。右手のナイフはもう既に限界まで振り上げられていた。




    あいこおねえちゃん

    あし とれるぅ!!




 あたしを断罪するかのように落雷が連続し、乃絵流の動きを稲光がストップモーションで映し出す。

「嫌だ嫌だ……」

 腰が抜けているためその場を動けないあたしは、尻から根が張ったかのように釘付けになるしかなかった。そして、視線も釘付けとなる。そう、乃絵流同様右足を切断しようとするナイフへと。ゆっくりストップモーションで打ち下ろされた光りモノは、遂に右腿を捉え、そこに食い込んでいった。










 空腹だ……。眠りから覚めてまず思ったのはそれだった。麗らかな朝日が降り注ぎ、雀の囀ずりに心を和ませる。平和な朝だ。恐ろしく腹が空いていること以外は全ていつも通りの日常だった。

「あ、そっか。家に帰ったらすぐ寝ちゃったんだっけ」

 空腹の謎に妥当な結論を出すと、新たな謎が沸き起こる。息が荒れていて、身体中がビショビショに濡れていた。

「悪い夢でも見てたのかな?」

 結局結論から疑問符を外すことはできなかったが、もしそうだったなら悪夢の内容など忘れているに越したことはないのだから、深くは追求しないことなした。

「おはよう。今日もいい天気だね」

 無理矢理日常の流れに乗せようと、いつも通り枕元に置いてある自作人形に声をかける。この時、今日最大の違和感に気付いてしまった。今あたしはベッドの上で両脚のふくらはぎの間に尻を挟む、いわゆる女の子座りをしている。確かに脛はベッドに、ふくらはぎは尻に触れているのだ。実際に左脚にはその感触がある。だが……、


 右脚にその感触が全く無いのだ。


 右足の腿の中央辺りから下に全く感触が無いのである。


 右脚の神経が死んでしまったのだろうか。そこはかとなく恐怖を感じ、身震いが止まらない。突然の身体の神経の死。この得体の知れない状況に、全身が徐々に麻痺していく奇病の気配を察し、戦慄した。右脚の次は左脚。下腹部から腹部へ。そして、その次は……、胸。胸部には、生命活動の維持には欠かせない循環器系と呼吸器系が詰まっている。そこが麻痺してしまうとひとたまりもなく死んでしまう。


《ヤバい、死ぬ病気だ》


 そんな病気は見たことも聞いたことも無いが、あながち無いとも言い切れない。今あたしの右脚がどうなっているのかを正確に把握する方法は、実際に立って歩いてみることだろう。狂ったように震えながらベッドの脇に脚を下ろす。


 動いた。


 右脚は問題なく機能してくれた。動かすことができるのだから、おそらくは痺れているだけなのだろう。そう結論付けて登校の準備を始めることにした。










 無事に部活を終え、今は帰宅してポテトチップスをかじりながらテレビを見ている。【ただの痺れだ】今朝そう結論付けた右脚の違和感はまだ続いていた。勿論まだ油断をできない状況ではあるのだが、病院はもう閉まっているためどうすることもできない。

 テレビでは、霊能者河山寿春と霊能アイドル門倉麻里愛の二人による霊現象相談番組が放映されていた。元々歯に衣着せぬ物言いがウリの二人が組んでいるため、発光体がひしめく写真を紹介する、

『これは果たして心霊写真なのかぁ……?』

 というおどろおどろしいナレーションの振りに対して、

『マーちゃん、これどう思う?』

『えっ? 埃じゃない? なんも感じないし』

『だよね? 埃だよね?』

『はい、埃ですんで、気にしないでも結構です』

 などと身も蓋もない、しかも軽い言葉を返してくる。この真剣に軽い絶妙なノリが幸を然して放映10年目のロングランとなっている。

 心霊写真の次に出た話題は、30代男性の霊体験らしい。【らしい】というのは、投稿者が30代女性だったからだ。つまり、本人の体験談ではないのである。体験者の男性はどうしたのだろうか。気になる。


 再現VTRが始まった。VTRが終わる。それまでの間、気が気ではなかった。あまりにも状況が似すぎていたのだ。男性の体験を纏めると概ね以下のようになる。


 会社の帰りにとある画廊で気になる絵を見つけて購入してきた。その次の日の朝に左足が麻痺。そして、その翌日、右脚が麻痺。日を追うごとに右腕、左腕、下腹部、腹部、胸部、頭部と麻痺していき、今は普通に過ごしてはいるものの、明らかな人格変化をおこし、その出来事以前の記憶が一切合切飛んでいるというのだ。

「なんだ姉貴、お化けなんざヤラセに決まってんだろ。なにド真剣な目ぇして見てんだよ。ポテチ食わねーならもらっちゃうぞ?」

 せっかく右脚の違和感の謎が解けそうなのに弟がチャチャを入れてくる。

「なにようっさいなこのバカ!」

 呪詛の言葉を喰らわせてテレビに視線を戻す。

『ジュジュさん、これ多分……、【魂写し】だよね』

『間違いないわね。これは魂を持った

 寿春の言葉が終わらないうちに画面が爆音と共にブラックアウトした。コンセントから火花があがっている。ショートだ。家電はテレビしか稼働していないし、埃を被っていたわけでもない。ショートする要因はどこにも見当たら……、

「うっ……、うえっ……、うえぇぇぇ……」

 考えも纏まらないうちにいきなり始まった胃壁の痙攣。せっかく謎が解けるのに超常的な何かによってそれを妨害されたのだ。それは即ち、あたしがその何かの呪いを受けているということに他ならなかった。

「ううぅぅぅ」

 極度のストレスを受けたことによる胃壁の痙攣はまだ収まらない。

「なんだ姉貴、つわりか!?」

 弟がこんなときにまで茶化してくる。バカ! と怒鳴ってやりたかったが、既に口腔内は汚物で満杯のため口を開くことができない。

「ううぅぶっ……、ぶぶヴぇぇ!!」

 胃から繰り出され続けた汚物が遂に口腔のキャパシティーを超え、鼻腔から噴き出してしまった。こうなるともう、口を開くしかない。口から絶え間なく出てくる汚物は、黄土色ではなく、黒かった。

「おいおい、マジどうしたんだよ、なんか変なもんでも食ったんじゃねえのか!? とりあえず救急車呼んでやっから病院行っとけ!!」

 間違いなく入院だ。家から離れることができる。良かった。しばらくの間超常的な何かから逃れることができる。








 あたしは今、総合病院の整形外科病棟にいる。黒い吐瀉物よりも、右脚の違和感のほうが気になったのだ。レントゲンでは異常が見当たらなかった。だが、触診では相変わらず感触が無い。とりあえず歩行検査だけ行ってまずは原因がはっきりしている黒い吐瀉物のほうを片付けようということになった。

「はい、では、まっすぐ歩いてください」

 促された通り歩行を始める。まっすぐ歩けていることは自分でもはっきり判った。

「うん、とくに破行とかは無いですね」

 医者からのお墨付きが出る。感覚麻痺以外の異常はとくに無いらしい。

「じゃあ、内科病棟に行ってきますね」


 内科病棟に移ると、もう既に診察の準備が整っていた。それはそうだ。初めから内科にかかる予定でこの病院に搬送されてきたのだから。局部麻酔の後、内視鏡が挿入されていく。いわゆる胃カメラが映し出す胃壁には、想像通りでありながら、想像を遥かに超える物が映し出されていた。胃潰瘍であることは予想していた。だが、そのスケールが予想の遥か上を行っていたのだ。

「緊急手術ですね」

 おならをしないと帰れないことが確定してしまった。


 身体がストレッチャーごと手術室へと移動していく。その傍ら、弟が荷物の中から一体の人形を取り出した。

「姉貴、持ってきてやったぞ。ったく、忘れてくんじゃねえよ、ダチなんだろ、【乃絵流】」


 《!》


 乃絵流とは、枕元の自作人形だ。【魂写し】に関して思い当たる節があった。たしか【魂を持った】何かが引き起こす現象ではなかったか?

 もし、乃絵流が何かの拍子で魂を宿していたとしたら……。

「そんな……、まさか……、嫌……、嫌ぁぁぁぁ!!」

 自分の悲鳴を最後まで聞くことも出来ないままに、意識が途絶えた。











 暗闇だ。まただ。また乃絵流が襲ってきたのだ。相変わらず闇は、あたしの目から一切合切の光を奪っている。今回は、前とは違い、脚に耐え難い痛みが走っていた。どうやら、右脚が切断されたままらしい。痛い。意識が飛びそうな程痛い。




    いたいよぉ

    からだじゅういたいよぉ




 来た。乃絵流だ。今回は前回と違い、痛みと恐怖のダブルパンチだ。逃げなければ左脚を乗っ取られてしまう。それが判っているのに、痛みが行動を制限し、黒い壁が行動を許さない。




    あいこおねえちゃん

    くびがとれそうなの




 《!? 首っ!?》


 殺される。間違いなく殺される。脚が取れると訴えて右脚を切断してきた乃絵流が、今度は首が取れると訴えてきている。首が取れて生きていられる生命体など居る筈もない。

 自分の死を理解した瞬間、右脚の痛みが消し飛んでしまう程の恐怖が襲いかかってきた。





    サカサカサカサカサカサカサカサッ




 布が床に擦れる音が暗黒世界に響き渡る。




    いたいよぉ




 涙が溢れた。痛みは飛んだが、恐怖が心を縛り付け、身体をも、縛り付けている。





    カサカカサカサカサカサカサカサッ




 じわじわと大きくなっていく乃絵流の足音が、あたしの抱えた爆弾を膨らませていく。




    あいこおねえちゃん




 その声はすぐ傍に迫っていた。

「やめ……、やめて……、お願い……、やめてぇぇぇぇ!!!」

 感情の鎖にがんじがらめになったあたしに出来ることは、命を乞うことしかなかった。

 稲妻が迸る。一瞬だけ弾け飛んだ光が死神の姿を映し出す。その右手には、案の定ナイフが握られていた。




    くびが




 連続して迸りだした稲妻が、ナイフを振りかぶる死神の動きをコマ送りで伝えてくる。乃絵流の頭部は、失われていた。

 嫌だ。誰にも看取って貰えずこんな所でひっそりと死んでいくなんて、絶対に、嫌だ。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……………………」

 必死に謝り倒す。許してもらえるとは思えないが、謝ることぐらいしか出来ることがない。





    とれちゃったよぉ




 乃絵流の持つナイフが遂に、何の容赦も躊躇いも戸惑いもなく降り下ろされた。












 目を覚ました場所の景色は理解しがたいものだった。四方を白い壁で囲まれた殺風景な部屋。病室だ。それは理解できる。だが、それ以外の全てが理解の範疇を超えていた。

 巨大化しているのだ。見えるもの全てが巨大化しているのである。例外無く全て。目に見える物全てしかも、距離感が全く掴めなくなっていた。明らかに右目の視力が失われている。

 目の前にはとてつもなく大きな赤い髪の頭。この頭を見ていると、天然赤毛の自分の頭を思い出す。その赤頭は、整髪料でガチガチに固めてあるのか白い粉を吹き、テカテカに輝いていた。何日も風呂に入っていない脂頭を見ているようで気持ちが悪い。そう思って見てしまうと、白い粉までフケに見えてくるから感情とは恐ろしいものである。

 それにしてもデカい。目の前の赤頭の大きさは有り得ない程のものだ。仰向けに寝ている状態でさえ見上げないと前頭部が見えないぐらいなのだから、立ち上がると200メートルは固いだろう。

 天を仰ごうとしたとき、あたしの身体の最大の変化に気が付いた。首を全く動かせないのだ。仰天して辺りを見回そうとしたが横にも首が回せない。頭を抱えたいぐらいにショックだったが、両腕を挙げることも出来ない。

 もはや、完全に身動きがとれなくなっているといっていい状態だった。

「うっ……、んっ……、ん……」

 今まで微動だにしなかった赤頭が初めて出した声は、物まねでもされているかのような気分の悪い声だった。時間が経てば経つほど深まりつつもはっきりしてくる謎。あたしと乃絵流が入れ替わってしまったのではないのかという謎が、不安という大海原から津波となって押し寄せてくる。

 赤頭がモゾモゾと動きだし、頭の中に不安と疑問符の嵐が吹き荒れているあたしにひとつの答えをもたらそうとしている。

 だが、この疑問符の嵐を吹き飛ばす暴風を放ったのは赤頭ではなかった。

「よう姉貴、やっとお目覚めか!」

 弟が見舞いにやって来たのだ。明らかにあたしを見舞いに来ているだろうにも拘わらず、声をかけた相手はあたしではなかった。

「きったねえなぁ、なんだよその脂頭、フケだらけじゃねえか」

 脂頭、フケ。その印象も赤頭を初めて見たときと一致する。

「ったく、くっせえなぁ、せっかくの美少女が台無しだろ」

 誉めているのかけなしているのかよくわからない言葉を投げ掛けている相手は、やはりあたしではない。弟があたしとして相手にしているのは、明らかに巨大な赤頭の主だ。

「まあ、二週間も寝てたんだからしゃあねえか」

「あ、そんなに意識無かったんだ……、無駄に心配かけてごめんね。でもほら、見ての通り元気に復活したからもう大丈夫だよ」

 臭い、汚いと一方的にけなされるだけだった赤頭がようやく言葉を発する。その声は、普段自分で聞いているより若干低いが、口調は明らかにあたしだ。

 乃絵流との入れ代わりが徐々に現実味を増してくる。

「先生に訊いたら意識さえ戻れば後は屁ぇこくだけですぐ出れるっつってたから、多分風呂は入れるんじゃねえかな? すぐ行ってこい、マジくっせえから」

 よほど臭いらしい。顔をしかめて鼻を摘まんでいる。

「こうして考えてみっとたったの二週間でこんなにくせえんだから、眠り姫ってあれ、相当臭かったんだろうな。王子様もよくこんなひでえ臭いの女とチューする気になれたもんだよ」

 確かにそれはあたしも思っていたことではあるが、言い方があまりにもあからさますぎる。そしてそれは、もう既にあたしの体ではないが、あたしが臭いんだと言っているに他ならなかった。このイライラは乃絵流が晴らしてくれる。

「あんたねえ、女の子に対して臭いだの汚いだの、失礼だと思わないの!?」

「あれ? なに、ことあるごとにポージングして上腕二頭筋の力瘤見せびらかすようなやつに【女の子】って自覚有ったのかよ!?」

「茶化しに来たんならもう帰れこのバカ!」

 掴まれている。【もう帰れこのバカ!】。いかにもあたしが弟に対して言いそうな言葉だ。

「言われなくても帰るよ、去年4タコにされてこれ以上評価下がったらもうプロは厳しくなるんだから」

 野球部に所属する弟は、真剣にプロを目指している。あたし達が通う世田谷昭栄高校は西東京大会の決勝戦まで駒を進めていた。

「あんたが思ってるほど下がってないんじゃない? 何たってそのピッチャー、世田谷昭栄の葛城を4タコにしたって評価でプロ行って今年大活躍してんだから」

 なんということだ、こんな家族ローカルな情報まできっちりと仕入れているとは。去年の夏からもう入れ替わるための準備をしていたというのだろうか。乃絵流、侮れない。

「姉貴も元気みてえだし、マジ帰るわ。姉貴の総体は多分辞退なんだろうけど、そのぶん俺が甲子園で暴れてやっから スタンドで寛いでな」

「あたしだって辞退する気無いわよ。こっちにしたってラストチャンスなんだし、あんたほど評価されてるわけでもないんだし。寧ろあたしの方がどんじりなんだからさ」

 あたしもあたしで高校生活三年目にしてようやっと、高校総合体育大会への出場権を手にしていた。野球と違って競泳にプロ組織はないが、この道でも成功できればオリンピックや世界水泳など収入源には事欠かない。既に両親を失っているあたし達双子にとって、これまでもこれからも、スポーツ特待枠での進学が期待でき更に己の身一つでいくらでも稼ぐことができるアスリートとしてやっていく他に道は残されていないのだ。だから、出場辞退などあり得るわけがなかった。その点も乃絵流は、しっかりと把握している。

「姉貴には身体能力の他にも美少女って武器があんだから、ムキんなって泳ぐことねえと思うぞ。女の子はあんま体力ねえんだからほんっっとに、無茶だけはしてくれんなよ? あと、くどいようだけどか・な・ら・ず、風呂入って帰ってきてくれな。家ん中じゅう臭くてたまんなくなるから」

 あたしの体はそこまで臭いのだろうか。毎日入浴し、大病を患うのも今回が初めてであるため、自分の体が臭いという状況がどうにも想像できなかった。それと同時に、弟にこれほどけなされる体臭を全く嗅げていない自分の嗅覚も認識しないわけにはいかない。明らかに、失われている。

「言われなくても入りますよ。あたし自身臭くて吐き気がしてるぐらいなんだから」

 臭いらしい。あたしの感覚神経が吐き気という緊急警報を発令するほど、臭いらしい。宣言通りに弟が病室を去る。騒がしい嵐が過ぎ去った後には、あたしであったはずの乃絵流だけが残っている。

「あいこおねえちゃん、からだを、ありがとう」

 突然乃絵流がたどたどしい、拙い口調で話しかけてきた。どうやら前からあたしの体を狙っていたことは間違いないようだ。

「あれだけのえるをいたぶったのにころさなかったおねえちゃんとはちがって、のえるはちゃんと、ころすわよぉ」

 なおも拙い口調であたしの殺害を予告してきた。

「まあ、これからあんたとは違う完璧な詰めってやつを見せてあげるわよ」

 嫌だ。そんなものは絶対に見たくない。見たら死んでしまう様な物なんて、何があっても見たくない。

「まーずーはっ」

 楽しげに節を付けながら、ナースコールを押した。看護師を呼んでいったいどうしようというのだろう。

「おはようございます。弟さんから話は伺いましたか?」

「ええ、で、早速なんですけどぉ、………………おならが………………したいんですぅ………………」

 なるほどそうきたか。確かに帰れなければ、どうすることもできない。もじもじしながら顔を赤らめ、歯切れを悪くしてしゃべる。明らかに恥ずかしがっている人間様の態度だ。


【ぷうううううぅぅぅ…………】


 やたら可愛らしい音のおならだ。あたしが体の主のままだったとしても、やっぱり必死にこの音を発てる努力をしたことだろう。汚い音なんて絶対に聞かれたくないし、かといって、スカして臭さで判断されるなんてもっと嫌だ。必然、選択肢は肛門を絶妙に調整して可愛い音を発て続けることの一拓に絞られるのだ。乃絵流はそこまで葛城愛子という女を把握していた。

「もう、帰っていいんですよね? あの、帰る前にお風呂入りたいんですけど、いいですか?」

「どうぞ。あがったらそのまま帰って構いませんから」

 こうして儀式と御祓を終えた乃絵流は、乃絵流となったあたしを連れて病院を後にする。





 文明の利器によって快適な温度に保たれていた空間から抜け出すと、乃絵流から瞬く間に汗が吹き出してきた。あまりの蒸し暑さに、流れ落ちる汗が、溶けてしまった表皮の汁にしか見えなくなってくる。

 蒸し暑さに溶けながらタクシー乗り場に向かった乃絵流は拾い際運転手にこう告げる。

「高谷神宮までお願いします」

 高谷神宮。それは、病院と自宅のちょうど中間の辺りにある中規模ぐらいの神社だ。祭神はたしか毘沙門天だったと記憶している。乃絵流が言う完璧な詰め。そのための2手目は神社訪問だった。あたしを焚き上げるつもりだというのか。人間の魂を焚き上げることなどできるのか。疑問は尽きないが今は成り行きに身を任せるしかない。










 家からさほど離れていないこともあり、小さい頃はよく友達連中と駆け回っていたことだが、そのあたしたちにとっての遊び場でしかなかったはずの杜がおぞましいほどの威圧感を放っている。その一例を採ってもあたしが今、不浄な魂としてこの場に存在しているのだということを痛感させられた。

「ごめんください! お焚き上げお願いしたいんですけど!」

 無人だった神殿に向かい、乃絵流が大声を張り上げる。すると奥のドアが開き、これでもかと言わんばかりに宮司ですと自己主張している中年男性が現れた。

「お焚き上げですね。事情をお聞かせください」

 言われて乃絵流があたしを宮司に手渡し、いよいよ天へと召されるためのカウントダウンが始まる。

 このまま焚き上げられるのを手ぐすね引いて待っているわけにもいかず、あたしなりに反撃を試みてみた。

『お願い神主さん、あたしの話を聞いて! 人形は乃絵流の方だったの! あたしは体を乗っ取られたの!』

 さて、この博打はどう転ぶだろうか。宮司が本物であれば、この声が通じて話し合いの余地が出てくるが、紛い物であれば、焚き上げられて死んでもいないのに成仏させられるだけ。

「お嬢さんお名前は?」

 宮司は名乗りを求めた。本物だ。あたしの声が通じたのだ。とりあえずこの世で生きていけることに望みは繋がった。



 だが……。



 乃絵流はとんでもないことをいけしゃあしゃあと言ってのけた。

「あたしは葛城乃絵流っていいます。そしてこの人形が愛子です」

 正直言って乃絵流を甘く見ていた。まさかここまで悪知恵が働くとは思っていなかったのだ。自分から乃絵流であると名乗ることで、【自分は元々人間であり、愛子が魂を持って自分が人間だと勘違いしている】という状況を作り出してしまった。自画自賛しただけあって、恐ろしいほど完璧な詰めである。

「愛子は家庭科の裁縫実習で作った人形だったんですけど、思った以上に上手く作れちゃったんで名前までつけて妹みたいに大事にしてたんです」

「ええ」

「でも一回だけ粗末にしちゃって……」

「ほう」

「付き合ってたカレシにふられてズタズタに切り刻んじゃったんです……」

 言うなり乃絵流はグシャグシャに表情を歪め、あたしから顔を逸らした。宮司のほうもなにか得心がいったように大きく頷いている。

「なるほど」

 宮司の相槌が鬱陶しいが、乃絵流の言い分は概ね言っている通りだ。

「でも、ある日突然愛子が夢でナイフを持って襲ってくるようになったんです」





            ! 





 そうだ。あたしは夢でいつも襲われていたんだ。どうしてこんなことを今まで忘れていたのだろう。いや、本来は忘れているものなのかもしれない。だからこそあの三十代男性も易々と乗っ取られてしまったのだろう。だが、今は乃絵流があたしに奪い返されるのを封じるためにお焚き上げに来ているからこそ魂写しの呪縛が解けているのかもしれない。

 乃絵流のインチキな説明は、まだ続く。

「それで、色々あったし愛子が魂を持ってあたしに殺意を持っちゃったんじゃないかって心配になって……」

「なるほど、それで焚き上げる決意をなさったんですね?」

 確かにあたしの言葉は宮司に通じていた。だが、乃絵流の悪知恵によって、その効果を打ち消されてしまった。そして今、宮司はあたしを焚き上げようとしている。

「よく決心してくださいましたね。もう少し行動が遅ければ魂写しで体を乗っ取られるところでした」

「魂写し?」

 そうだった。乃絵流はそれを実行したのだから当然知らないふりをしているだけなのだろうが、あたしはどんなものなのか全く知らない。せめて死ぬ前に自分に何が起こったのか聞いておきたい。

「魂写しというのは、自分と相手の魂を入れ換える術式です。自分が展開した夢の中の世界で入れ換えたい相手の部位を破壊することで破壊した部分を入れ換えることができます。相手に致命傷を負わせれば、初日から入れ換えることもできます」

 首が取れて生きていられる生命体などいるはずがない。だからあたしはたったの二日で入れ換わってしまったのか。乃絵流はどうやら、せっかちさんのようだ。

「やだ怖い。すぐにでも焚き上げていただけますか」

 ついにあたしの火葬へのカウントダウンが始まった。

「畏まりました。乃絵流は責任を持って当宮がお焚き上げいたします」





            !





 宮司が今、確かに言った。【乃絵流を焚き上げる】と、間違いなく、言った。話の流れ的には、【愛子を焚き上げる】でなければおかしいはずなのに。

 これは期待しても良いのだろうか。完全に真実を把握していることを、期待しても良いのだろうか。

「ごめんなさい。お名前を間違ってしまいました。これから準備に入りますが、乃絵流さん、立ち会われますか?」

 ダメだ。完全に単なる言い違いらしい。乃絵流を立ち会わせることによって、魂写しとやらで体を奪い返す機会を完全に断たれてしまった。こうなるともう、黙って焚き上げられるしかできることはない。愛子という名の人形は今泣いているのだろうか。そうであれば良いのだが。そうすれば少しは悔しさが宮司や乃絵流に伝わってくれる。










「では乃絵流さん、祭壇が組上がりましたのでお越しください」

 宮司に呼び出された乃絵流は、世にもおぞましい笑顔を浮かべ、完全に勝ち誇りモードへと突入している。そして、身動きがとれなくなったあたしを死刑台へとセットした。

「それでは乃絵流さん、貴女は術式中ただひたすら【ヒトガタに宿りし不浄なる魂よあるべき場所へ還りたまえ】と念じ続けてください」

 処刑への秒読みがいよいよ1を数えた。あとは火を着けるだけ。そして、不浄なる魂でもなんでもないあたしを強制的にあの世へと送りつけるだけ。

「では術式、開始します」

 祭壇に日が点される。意外なことにこの炎は全く熱くも痛くもなかった。ただただパチパチとゴウゴウとあたしを酸化させていくだけ。そして炭化させていくだけ。

「ヒトガタに宿りし不浄なる魂よ」

 宮司の祝詞が始まった。違うのに。ヒトガタに宿りし不浄なる魂はあたしではなく乃絵流のほうなのに。

「この神送りの炎にて」

 あたしを包み込む痛くも熱くもない炎はもう既に体を半分近く炭に変えている。こんな理不尽な暴力はあまりにも怖い。あまりにも怖くて震えが止まらないはずなのに、全く震えてはくれなかった。

「神の元へ還りたまえ」

 宮司の祝詞が終わった。意識が遠退いていく。次に目覚める場所はもう……、神の元とやらなのだろう。











 意外なことに、目を覚ました場所は神社の神殿だった。

「ご気分はいかがですか? ご依頼通り、乃絵流は焚き上げておきましたよ」

 これは驚いた。心底驚いた。彼は騙されてはいなかったのだ。どう考えても騙されていたようにしか見えなかったのに。

 だから訊いてみた。訊かずにはいられなかったのだ。

「いつから気付いてたんですか!?」

 と。

「疑いを持ったのは最初からでした。魂を持ったヒトガタというのは【自分も人間である】と認識しますから、乃絵流が言っていたように単純に愛子が魂を持っただけなら【人形】という言葉は 愛子の口からは絶対に出てこないんです」

 宮司は断言した。それはそうだ。乃絵流は元々人間だし、愛子も自分は人間だと思っているのだから、愛子にとっては人間が二人いるだけでしかなく、この状況において【人形】という名詞が出てくる余地は全く無い。この宮司、なかなかの凄腕だ。

「疑念が確信に変わったのは、ふられて刻んだという件です」

 ? それが何だというのだろう。別に怪しいとも思えないし、嘘を言っているわけでもないのだが。

「乃絵流は顔をしかめて愛子から目を背けたんです。この行動は被害人形しか絶対にとりません。実際、加害者である貴女は人形なんだし直したんだからそれで良いだろぐらいにしか思ってないはずです」

 そして宮司は続けた。物を粗末に扱ったバチが総出で当たりまくったんだと思って懲りろと。仰る通りで反す言葉もない。

「最後の祝詞はどうして乃絵流だったんですか? あたしの体なのに」

 これも気になったので訊いてみた。どう考えてもあたしが念じるのが筋なはずなのだか。

「これも一種の魂写しでしたからねぇ。貴女だと間違いなく余計な恨み辛みが食い込んできますから。魂写しには純粋な気持ちが必要なんですよ」

 なるほど、あたしを成仏させたくてたまらない乃絵流なら必死にそれだけを祈ってくれるわけだ。不浄な魂とは自分のことで、自分を焚き上げようとしていることも知らずに。そう考えるとだんだん彼女が不憫になってきた。本当に真剣に念じ倒してしまったのだろう。そしてその結果としてあたしが今ここに舞い戻っているのだ。









 あれから、もう二度とヒトガタの何かは飾れなくなってしまった。あたしの部屋に入ったことのある女子は口を揃える。なにここ、ほんとに女の子の部屋なのと……。










〔終〕

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