女子会で恋バナ Ⅰ
そのフレンチレストランはカジュアルなところで、手ごろな価格でディナーコースが味わえる。
真琴や仲のいい同僚たちは、月に1度くらいの割合でここで食事をし、自分にご褒美をしてあげていた。
この日集まったのは5人ほど。この女子会のメンバーは年々の異動に伴い数人ずつ入れ替わっているが、気の置けない仲間同士で楽しい時間を過ごしている。
季節ならではの食材を生かしたメニューを楽しみながら、女同士の会話は弾んでいたが、真琴は古庄ときちんと話をすることよりも、こちらの方を選んでしまった後ろめたさで、少し気分が重たかった。
きちんと話をするどころか、今日の真琴は古庄に対して変に意識してしまって、日常会話さえままならなかった。一昨日までは普通に話が出来ていたようなことも、身構えてぎこちなくなってしまう。
まるで、一年前に想いが通じ合う前みたいに…。古庄に対してどんな態度で接したらいいのか分からなくなった。
別に避けているわけではないが、教頭の目が光っているかと思うと身がすくんでしまう。隠し事など得意ではない真琴は、古庄と楽しく歓談などすると、秘密がバレてしまうのではないかと気が気ではなくなる。
結婚という現実を思うと、嬉しいというよりも、自分でも説明がつかないような変な気分になる。この変な気分をどうにかして、自分の気持ちを整理しなければ、古庄とまともに話もできないだろう。
もちろん、古庄のことはこの世の何にも増して好きだ。真琴だって、いつかは古庄ときちんと結婚して、一生を共にしたいと思っていた。
愛しい人を、自分の力で幸せにしてあげたかった……。
けれども、今日の自分はあのザマだ。自分のぎこちない態度に接した古庄の、あの哀しそうな目…。
幸せにするどころか、あんな目をさせてしまって、真琴の心は申し訳なさでいっぱいになる。そして、古庄を想う愛しさのあまり、心が切なく痛んだ。
「……賀川先生?気分でも悪い?」
考え事をして食事をする手が止まっている真琴を心配して、メンバーの一人が声をかけてきた。真琴はハッと我に返って、顔を上げる。
「ううん、大丈夫。何でもない」
「本当に?何か心配事でもあるんじゃないの?」
優しい同僚たちは、そうやって気遣ってくれる。
居心地のいいこの女子会が、真琴は本当に大好きだった。
「ううん、ホントに大丈夫。それより、このスズキのポワレ、美味しいね」
本当は味などまともに感じていなかったが、真琴は笑顔を作って話題を振った。皆が今目の前にしている皿の上には、皮目をカリッと焼きあげられたスズキが載っている。
「ポワレって、こういう風に焼くことを言うの?ムニエルとはどう違うんだろ?」
「さあ?どっちもフランス語だけど、違いはわかんない」
「お店の人に訊いてみる?」
女子会のメンバーたちは、早速新しい話題に乗って、話に花を咲かせだした。
「ポワレは、脂をかけながらカリッと焼くことなんだけど、小麦粉とか粉をまぶして焼くとムニエルって言うんだよね」
「へえぇ~」
真琴は気を取り直して、そう説明した。たまたま知っていただけなのに、一同から感心する声が上がる。
「さすがぁ、賀川さん。毎日お弁当を作ってくるだけあって、お料理については詳しいのね~」
「いや、お弁当はあんまり関係ないと思うけど…」
付け合せの焼かれたプチトマトを、フォークに刺して口に運びながら、真琴は肩をすくめた。
しかし、この五人の中で毎日お弁当を自分で作って出勤しているのは、真琴ぐらいのものだ。皆、私生活よりも仕事が大事!というような、バリバリ働いている女性。なかなか料理にまで手が回らないというのが実情らしい。
「でも、ホント、このレストラン。お料理は美味しいし、雰囲気も素敵だし。連れてきてもらえてよかったです。大人の女性になった気分になりました」
と言うのは、新卒2年目で今年の春に赴任してきた、一宮理子という英語の講師だ。
小柄で可憐な少女を思わせるこの理子は、真琴もすごく可愛いと認めるところで、言うまでもなく男子生徒にとても人気があった。性格もいたって素直で、純粋培養の優等生がそのまま教師になった…という感じだ。
ちなみに彼女は、自宅から母親が作ったお弁当を携えて通勤している。
「あら!もう大人の一宮ちゃんにそう言われると、私たちがすごくお局みたい」
真琴よりも三つ年上の谷口という国語教師が、口を開いた。
悲しいことに、女性も三十を過ぎた頃になると、年齢のことにはちょっと過敏になってしまう。仲は良くとも、歳若くて可愛い理子には、一抹の劣等感のようなものがあるのだ。
「えっ?!私、そんなつもりで言ったんじゃ…!!皆さん、女性としてとても素敵だし、私もそんな大人の女性になりたいって思ってるんです」
途端に理子は顔を青ざめさせて、弁解を始めた。
「ホントにぃ?仕事ばっかしてて干物になっちゃった私たちみたいになったら、お嫁に行けなくなるわよぉ~?それでもいいの?」
谷口と同年代の英語教師の石井が、意地悪な質問をして口をはさんだ。
開き直ったアラサ―女性ほど怖いものはない……。
「えっ!それは……」
と、思わず理子も口ごもってしまう。
ちょっと可哀想になってきたので、真琴は助け舟を出した。
「谷口先生も石井先生も、とてもおしゃれだし、全然干物じゃないと思うけど。それに、お嫁に行けないんじゃなくて、自分の意志で結婚しないんでしょ?」
「それも、そうだけど」
真琴の指摘を受けて、谷口も石井も肩をすくめて笑った。
前々から谷口は、端から結婚する気などないと公言しているし、石井は十年以上も付き合っている彼氏がいることを、真琴は知っている。
結婚すると少なからず今の生活を変えなければならない。そうすると少なからず仕事にも影響が出てくる。
谷口も石井も男並みに働いて、自分の力で生活し、充実した毎日を送っている女性だ。今の生活を変えてまで結婚する必要を感じない場合、結婚に踏み切ることはまずないだろう。
――……結婚……。
真琴の意識が、その言葉に過敏に反応した。
仕事のことやこれからの生活のことなど、何も考えることもなく、誰にも相談することもなく、真琴はすでに結婚してしまった。古庄の妻になった実感などまるで湧かないが、それは現実に違いない。
――私はもう、戸籍上は「古庄真琴」なんだ……。
職場ではこの結婚のことは口外しないように言われているので、もちろん「賀川真琴」という通称を使うことになっている。
今、楽しく会話しているこの仲間たちにも言えない秘密を抱えて、真琴は息苦しくなった。