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想定外…… Ⅰ


「いやぁ!古庄には驚いたなぁ!!いきなり保証人になってくれって言ってきたもんだから」


 豪快に笑いながらそう言ったのは、校長である。


「自分の中では周到に準備しているくせに、行動に移す時には突然で周りを驚かせるのは、昔と変わらないなぁ~!!」


 さすがの古庄も、これには恐れ入って首をひっこめた亀みたいになった。


「昔……?」


 真琴が校長の言葉に気を留めると、古庄がそれに応える。


「校長先生は、俺の高校三年の時の担任だったんだ」


「そう、そしてラグビー部でも仲良くしたよな」


 校長がそう横やりを入れると、古庄は苦笑いした。


「仲良くって……、校長先生はラグビー部の顧問だったから」


 要するに、校長と古庄は、とても濃密な旧知の仲だったというわけだ。

 そんな楽しそうな雰囲気を、怪訝そうな顔で水を差したのは教頭だ。


「さあ、今後のことを話しておきませんと!」


 それから、校長と教頭と事務長の管理職と、古庄と真琴の5人で頭を付き合わせて話し合った。



 真琴も懸念したように、通例では夫婦は同じ職場に勤務しない。教員同士が年度の途中で結婚する場合は、他校に勤務している場合がほとんどだ。同じ学校に勤めている場合は、年度末に結婚してどちらかが異動することが多い。


「年度末まで待てなかったんですか?」


 事務手続き上、面倒なことになるのが分かっているので、事務長が困った顔をした。

 それに対して古庄は、キッパリと力強く言い放った。



「待てなかったんですっ!!!」



 そんな古庄の態度を見て真琴は、眉を寄せた。一年間というのは古庄にとって、とてつもなく長い時間だったようだ。



 話し合いの結果、真琴も古庄もクラス担任をしているということもあり、今年度末までは今まで通り勤務するということになった。現場の混乱を招くのを防ぐために、二人が結婚したということは管理職だけの秘密事項とした。

 特に、「古庄が結婚した」という事実が、一部の女性職員と女子生徒に与える衝撃は計り知れない。


 今年度末までその秘密を守り通し、通常は六年勤務して異動するところを、それを待たずに五年で古庄が異動することになり、話は落ち着いた。



「くれぐれも。現場で、……その、イチャついたりしないで下さいよ!」


 職員室を監督する立場の教頭は、しかめた表情を見せた。

 すると、古庄が応えるよりも早く、それまで黙り込んでいた真琴が、勢いよく立ち上がった。


「ご心配なく!そんなこと絶対にしません!!」


 その迫力に押され、管理職一同も古庄も、ただ真琴の顔を呆気に取られて見上げるばかりで、次の言葉が出て来なかった。


 職員室へ戻る階段を上がりながら、前を行く真琴の手を、古庄が捕まえた。


「……怒ってるのか……?」


「なんで怒るんですか?」


 真琴はぶっきらぼうに、問いに対して問いで答えた。笑顔でも作りたいところだったけれど、とてもそんな気持ちの余裕はなかった。


「じゃ、嫌だったのか…?」


「何が嫌なんですか?」



「俺と……結婚したことだ……っ!」



 古庄はそう言ってみて、改めて結婚してしまった事実を噛みしめた。思わず顔が赤らんでくる。


「……嫌だったら、初めからあの届けに名前を書いたりしません」


 階段の途中で、真琴は古庄に手を捕られたまま、古庄の方へと向き直った。

 その時、咳払いの声が響いて、二人がそちらに目をやると、遅れて職員室へ戻ろうとした教頭が立っていた。


 古庄もとっさに真琴の手を離して、神妙な顔をして教頭が通り過ぎるのをやり過ごす。教頭にしてみれば、これも『イチャついてる』ことになるかもしれない。



「……だったら、何でそんな顔をしてるんだ……?」


 教頭の姿が見えなくなると、気を取り直した古庄から、真琴はそう質問された。指摘されて、自分がどんな顔をしているのか意識する。

 先ほど古庄が見せてくれたみたいに、幸せいっぱいの顔はしていないはずだ。


 喜びで輝き、晴れやかだった古庄の顔も、真琴の態度を受けて曇ってきている。それでも、そんなふうに憂いていても、またそれが様になる完璧な容貌……。

 そんな顔に見つめられて真琴は、申し訳なさと古庄を想う切なさで、胸がいっぱいになった。


 古庄は真琴にとって、何にも増して…自分よりも大切だと思える愛しい人だ。そして、自分には不相応と思えるほど、素晴らしい男性だ。その古庄と結婚できるなんて、夢のような出来事だ。その愛しい人と、一生一緒にいられる契約を結んだのだから、心の底から嬉しく感じて当然なのに……。


 真琴の心は、朝からの動揺が尾を引いて、まだ硬直したままだった。そんな心の中を古庄に問いただされて、どう答えていいのか分からなくなった。


 窮して唇を噛むのと同時に、真琴の頬に涙が伝う。


 真琴が自分のこの反応に驚いた時、古庄はもっと衝撃を受けていた。息を呑んで、真琴を見つめる表情に動揺が浮かぶ。

 古庄にそんな顔をさせてしまったことに、真琴はもっと申し訳ない気持ちになった。けれども、その気持ちさえも、うまく伝えられない。


 もどかしさに、真琴の目にはもっと涙が溢れてくる。古庄もどうすればいいのか分からないのだろう。ただ黙って真琴を見つめている。


 そうしている内に、三時間目が終わるチャイムが鳴った。ここにも生徒たちがやってくる。

 真琴は手の甲で涙をぬぐいながら踵を返し、職員室への階段を駆け上った。古庄は、そんな真琴を追いかけることはせず、憂い顔のままゆっくりと階段を踏みしめた。



 古庄は、戸惑っていた。こんなことになるなんて、想像さえしていなかった。


 この一年間、ずっとこの日になるのを心待ちにしていた古庄は、かねてよりこの日を「結婚記念日」にしようと計画していた。

 大したことは出来ないが、今晩はレストランで食事をして、甘い新婚初夜を過ごし、一緒に朝を迎えようと思っていた。そうすることを、真琴もきっと喜んでくれると、古庄は信じて疑わなかった。


 それなのに、先ほどの真琴の様子では、どうもそれは無理らしい。予約していたレストランも、キャンセルしなければならない。

 嫌ではないのに、どうして泣くのだろう……?


 ――……想いは通じ合っているはずだ……。


 この一年間を思い返してみて、古庄はそう確信する。


 一年前のあの夜、真琴は古庄の背中に腕を回し、ギュッと抱き締め返してくれた。それから、『もう逃げたりしない』と、古庄を見上げて笑ってくれた。

 あの時の真琴を思い出す度に、古庄の心はキュンと切なく痺れる。その痺れに捕らわれると、一時心身の動きが取れなくなる。胸を押さえ、階段の踊り場の壁に手をついて、甘い痛みに耐えた。



「おうっ!!古庄ちゃん、大丈夫か?熱中症か?!」


 階段を一段ぬかしで上がってきたラグビー部の堀江という生徒が、そう言って古庄の背中を叩いた。


「ああ…、何でもない。大丈夫だ」


 古庄は薄い笑顔を作ると、ため息を吐いた。

 まずはきちんと、真琴と話をしなければならない――。そう思い直して、階段を一段ずつ踏みしめた。




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