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約束の一年間

「恋はしょうがない。〜職員室の秘密〜」をご覧になってくださり、本当にありがとうございます。


この作品は、某出版社から電子書籍として発売されています「恋はしょうがない。〜職員室であなたと〜」の続編として書いた作品を、この作品単独でも楽しんでいただけますように、書き直したものです。


主人公の真琴と古庄の詳しい馴れ初めからお読みになりたい場合は、検索エンジンより「恋はしょうがない。 皆実景葉」と検索してみてください。


某サイトでは、電子書籍のたたき上げとなった元の作品を公開しております。




 待ちに待っていた九月がやってきた――。


 夏休みが終わり、この桜野丘高校にも生徒たちの姿が溢れ、賑やかな日常が戻ってきた。この九月は、文化祭と体育大会という二大行事が控えていて、これから学校は一段と活気づく。


 古庄と真琴が所属する二年部は、これから受験体制に入る三年部ほどではないが、授業日が始まると毎日はとても慌ただしかった。


 けれども、そんな慌ただしさの中に生まれる、かけがえのない“陽だまり”のような時間。

 お互い授業の入っていない昼下がりの六時間目、静かな職員室の中で、隣に座る真琴の様子を、古庄はいつものように新聞を読みながらうかがった。


 何事にも真面目に取り組み、手を抜くことをしない真琴は、授業の準備にも余念がない。古庄は、愛しい人の澄んだ眼差し、その真剣な横顔を、新聞に隠れてじっと見つめ続けた。


 どこかで風に吹かれたのだろうか、真琴の髪が一筋乱れてその顔にかかっている。真琴はそれを気にも留めず、黙々と仕事を続けている。

 古庄は腕を伸ばして、真琴のその髪を整えてあげたくなった。古庄は思い切って、その腕を動かしかけた……が、やっぱり思いとどまった。真琴の集中を乱してはいけないし、なによりもここで真琴に触れることは憚られた。



 それでも、こうやって真琴が世界史の教材研究をしているとき、“物知り”な古庄に、ときおり質問を向けてくれることがある。


「古庄先生、すみません。こんなこと聞いたら、笑われるかもしれないんですけど」


 『来た♪』と心の中で小躍りしながら、古庄は新聞から目をあげて、その眼差しを優しく和ませる。


「このロシアの川、なんて言う川でしたっけ?」


 真琴が指を差す先を、古庄は頭を寄せて覗き込む。たったこれだけ、真琴に近づけただけでも、古庄の胸はドキドキと早く鼓動を打ち始める。


「これは、ドニエプル川だね。源流はロシアだけど、流域のほとんどはベラルーシやウクライナだよ」


「え!?ロシアの起源になる場所なのに、今はロシアじゃないんですか?」


 こんなふうに、自分の言ったことに真琴が興味を持ってくれると、古庄はますますうれしくなって鼻息が荒くなる。


「私、いつもドニエプル川とヴォルガ川の区別がつかなくって」


「ヴォルガ川は、こっちだよ。ドニエプルは黒海、ヴォルガはカスピ海に注いでるんだ」


 地理教師の本領発揮とばかりに、古庄は得意になって地図中を指差す。こんなことでもなければ真琴に近づけないので、このどさくさに紛れて、もっと頭を寄せた。


 古庄はいつも、真琴から満開の桜のような匂いを感じ取る。すぐ側にいて触れ合えそうな真琴から、その匂いを胸いっぱいに吸い込んで、古庄はいっそうその鼓動を激しくさせた。



 三十路も半ばにさしかかろうかという大人の男なのに、この男子中学生のような感覚。多少虚しさを感じなくはないが、古庄はまさに中学生の心のままで、真琴に恋をしていた。


「このヴォルガ川はね。ヨーロッパ大陸で一番長い川で……」



「賀川先生。これ、さっきの授業でうちのクラスの生徒から預かったんですけど。文化祭のクラス展示のことらしいです」


 古庄が説明している途中で、真琴に声がかけられた。目を上げなくても、真琴のクラスの副担任をしている高原だということは、すぐに分かる。


「古庄先生、ありがとうございました」


 そう言いながら、真琴が席を立った。高原のもとへ行って、今古庄としていたように、高原と頭を寄せ合ってひとつのプリントを覗き込んでいる。その様子を、古庄は苦々しく自分の席から見遣った。

 高原は普段から、副担任ということ以上に、やたらと真琴に馴れ馴れしい。少なくとも、古庄の目にはそんなふうに映る。



『俺の真琴に手を出すんじゃねー!』



と言ってやりたいところだが、古庄にはそんな権利はない。古庄と真琴は、恋人同士でもなんでもない。“ただの同僚”で、それ以上でもそれ以下でもないからだ。


 いっそのこと、本当に“ただの同僚”だったら、どんなにいいかと思う。そうだったら、ありったけの誠意を注いで、全身全霊で真琴を口説き落として、明日からでも恋人同士になれる。だけど、〝約束の一年間〟に、古庄は想像以上に苦しめられていた。



 校門脇の、絢爛に咲き誇るしだれ桜の下にたたずむ真琴――。

 あの春の日、真琴に出会った瞬間、古庄は雷に打たれたように恋に落ちた。それから、古庄の真ん中にいるのは彼女になり、彼女が古庄のすべてになった。


 理由なんて、ほとんどない。真琴について、なにもかもを知らないのに、真琴のなにもかもを無条件に好きになっていた。


「寸分の隙もなく目が覚めるような超イケメン」

「この世のものとは思えないほど完璧なイイ男」


 そんなふうに言われ続け、行く場所ではことごとく女子の視線をさらい、常に多くの女子から想いをかけられてしまう古庄。付き合った女性は自分でも分からないくらいいたが、本気で愛し合えないことにいつしか虚しさを感じ始め、〝彼女〟を作らなくなったのは、もう六、七年も前のことだ。


 そんな古庄が、生まれて初めて落ちた“本気の恋”だった。


 普段は女性の方から言い寄られる古庄の、初めての自分からのアプローチはなかなかうまくいかなかった。思慮深い真琴には、完璧な古庄の容貌も通用しなかった。しかし却って、自分を外見だけで判断しないそんな真琴のことを、古庄はもっと好きになった。


「君が、好きだ!」


「すべてを捧げていいと思えるのは、君だけだ」


 抑えることのできない想いを、古庄はなんども言葉にして真琴に伝えた。思い余って、真琴にキスまでした。……けれども、その度に真琴は古庄を拒絶した。


 真琴が彼を受け入れてくれなかったのには、理由があった。


 皮肉なことに、古庄が真琴に出会った時すでに、古庄には婚約者がいた。教員仲間で行われた大学の同窓会で紹介された相手。才色兼備で、結婚するには申し分のない人だったけれども、古庄は一度も特別な感情などを抱いたこともなかった。


 彼女は作ってこなかった古庄だが、ずっと独り身でいようとも思っておらず、家の事情もあってそのうち結婚はするつもりでいた。

 女性に対して、延いては結婚に対してなんの希望も抱けないまま、「人生はこんなもの」とばかりに、流されるまま成り行きで結婚することになっていた。



 しかも、なんの運命のいたずらだろうか。古庄がずっと打ち明けられなかったこの事実は、真琴が新婦から結婚式の招待状を受け取って明らかになった。こともあろうに、古庄の結婚相手は、真琴の前任校での同僚で、真琴が姉のように慕う親友の静香だった。



「静香さんを不幸にしたら、絶対に許しません!」



 律儀で義理堅い真琴は、古庄が静香を裏切ることはもちろん、自分が裏切ることも決して許さなかった。


 それでも、古庄はどうしても真琴のことを、あきらめきれなかった。もう古庄の中で、真琴との未来以外は思い描けなかった。

 真琴との恋を成就する以前に、こんな気持ちで静香と結婚してもうまくいくはずないと、結婚式の直前になって婚約を解消した。


 結婚することをやめても、親友を傷つけてしまった古庄を、真琴は受け入れようとはしなかった。親友の婚約者だった古庄を、真琴自身、受け入れられるはずもなかった。


 そして……、あれは去年の九月のことだった。

 誰もいない電気の消えた職員室で、古庄は真琴を抱きしめた。真琴が迷惑に思うことは分かっていたけれど、自分の気持ちをどうしても抑えられなかった。


 すると、思いがけないことに、真琴は古庄の想いを受け入れてくれた。

 静香の婚約者が古庄だったと知る前から、ずっと真琴も想ってくれていたことを、このとき初めて真琴は告白してくれた。



「もう、逃げませんから」



 花のように微笑んでそう言って、古庄を抱きしめ返してくれた。


 絵に描いたようなハッピーエンド。そしてそれから、二人は晴れて恋人同士となり、新しい二人の物語が始まる……と思いきや、コトはそんなに簡単にはいかなかった。



「付き合うとかそういうのは、当分の間できません」



 真琴は、そう言った。真琴の言うことは、もっともだった。


 もともと愛のない結婚を破談にした古庄より、友情を裏切ってしまう真琴の方が、苦しみは深かった。真琴の性格を考えれば、何事もなかったかのように付き合うのは、とうてい無理な話だった。


 問題なのは、その〝当分の間〟というのは、どのくらいの期間なのかということだ。真琴は、「分からない」と首を横に振った。真琴の罪悪感が消えるまでとするならば、きっと何年も待っていなければならないだろう。

 想いが通い合っているのを知りながら、何年も待つなんて、そんな切ないことはとても耐えられないと、古庄は思った。



「とりあえず、一年待ってみる。それからのことは、また考えよう」



 古庄は、そう言って提案した。真琴も考えた末に、その提案にうなずいてくれた。真琴との未来が拓けて、このときの古庄はひとまずホッとした。


 たったの一年。このときは、そう思った。

 しかし、されど一年間。元婚約者の心を癒やし、真琴が心の整理をするために必要な時間だということは、古庄だってよく分かっている。けれども、待っている時間というものは、恐ろしくゆっくり過ぎていく。ましてや、愛しい真琴は毎日古庄の隣にいるから、いっそうの我慢を強いられる。



 そのとき、頭を寄せ合っていた真琴と高原の間から、楽し気な笑い声が起こった。古庄がチラリとそちらの方へ目を遣ると、高原が真琴の髪に手をやり、その乱れを整えてあげていた。



――あンの野郎、高原のヤツ……!



 まさに、たった今の高原のように、ほかの男が真琴に近づこうものなら、古庄はヤキモキして気が気ではなくなる。



――早く、真琴を俺だけのものにしたい!



 それは、この一年間耐え忍んだ、古庄の切実な願いだった。そして、それを実行すべく、古庄はある計画を立てた。



――よし、一年が経ったら……!



 高原との話が終わって、真琴が席に戻ってくる。古庄の視線に気がつくと、真琴はニコリと微笑みで応えてくれた。

 その微笑みに、自分の胸がキュンと甘く鳴くのを感じながら、古庄は決意を固めた。





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