絶対絶命 Ⅱ
ただ、古庄と一緒に歩いているだけなのに、真琴の胸は少しずつ苦しくなってくる。すぐ横を歩く古庄から醸されるオーラのような、空気を伝ってくるエネルギーのようなものを感じて。
出会ったばかりの頃はこの息苦しさが嫌で、古庄を避けてばかりいた。でも、彼に恋するがゆえの苦しさだと気づいてから、この苦しさも自分の一部になった。
触れ合っているわけでもなく、視線を合わせて微笑みを交わしているわけでもないのに、こうやって傍にいて彼の息吹きを感じられるだけで、何をしていても真琴の心は彼でいっぱいになる。
そんな想いを込めて、真琴が古庄を見上げると、古庄は自分がそんな特別な存在だとは自覚することなく、眉を動かして見つめ返してくれる。そして、彼自身が満たされたように、微笑んでくれた。
しかし、モザイク画の惨状を目の当たりにすると、古庄の優しい微笑みの余韻も真琴の中の甘い感覚も、全て吹き飛んでしまった。
モザイク画は、縦八m横十五mほどのもので、短冊状の紙を数千枚つなぎ合わされて出来上がっている。
その短冊には1cm四方のマス目があり、そのマス目は赤青黄黒白の5色で塗り分けられている。この色の塗り分け作業は、全校生徒千人以上を総動員して行われた。
文化祭実行委員と生徒会執行部員たちが、その数千枚を回収し、一枚一枚正確な位置に貼り合わせていって、モザイク画はようやく出来上がったばかりだった。
約3mの竹竿を5本ほどを使って、モザイク画は吊り下げることになっていたらしいが、古庄が言っていたように、吊り下げる際、竹竿の端の1本を、手を滑らせて落としてしまったらしい。
モザイク画をビリビリと引き裂きながら竹竿は落ち、破れ落ちた部分は墨で真っ黒になったり、墨が飛び散って細かなモザイク模様を消してしまっている。
特別教室棟の1階の空き教室に引き入れられたモザイク画の状態を、息を殺すようにして真琴が確認する。絵の周りにいる生徒たちは、一様にして消沈した面持ちだ。
「下にいた生徒に怪我がなかったのは、不幸中の幸いでしたね……」
と、とりあえず言ってみたものの、真琴自身も古庄と同じで、どうしたらいいのか分からない。
古庄の様子をうかがうと、腰に手を当て、モザイク画の裂けたところを見下ろしている。その表情は、やるせなく悲痛なものだった。
夏休み前から、このモザイク画のために、どれだけ古庄が尽力してきたか知っている真琴は、胸が痛くなり目の奥が熱くなってくる。
けれども、今古庄のためにしなければならないことは、一緒に悲しむことではない――。
それに気がつくと、真琴は心を決して顔を上げた。
「……あなたたちは、どうしたいの?もうモザイク画は展示しない?それとも、無事な部分だけ展示する?それとも……」
真琴はそう言いながら、モザイク画を囲む実行委員と執行部員の顔を、一人一人見渡した。
「……どっちも嫌です」
「全校生徒に手伝ってもらってるのに、展示しないわけにいきません」
「無事な部分だけだと、絵として完成しないし……」
「破れてない、汚れてない絵を展示したいです!」
「そうです!完成していた完璧な絵を、皆に見てもらいたいです!!」
生徒たちは、口々に自分の思いを語った。
「……そう。だったら、どうしなければいけないの?こんなふうに途方に暮れてる暇はないと思うけど」
にっこり笑って真琴がそう言うと、にわかに生徒たちの顔色が変わり始めた。
「今からやり直しても、間に合うでしょうか?」
と言ったのは、教室の隅でうずくまっていた文化祭の実行委員長だ。皆の視線が、彼に集まる。彼が、手を滑らせて竹竿を落としてしまった張本人だった。
「間に合うかどうかは、やってみなくちゃ分からない。だけど、問題なのは、このまま諦めて自分に納得が出来るか…ってことじゃないかな?誰か一人でも、この絵を完成させたいと思っているなら、私は全力で協力する」
真琴の目が、まっすぐ実行委員長を捉え、それからそこにいる全員を、最後に真琴を見つめていた古庄を捉えた。
愕然として硬直していた古庄の思考が、真琴の言葉に揺り動かされ、大事なことに気づかされていく。
「俺は、やるよ。何日徹夜してでも。たとえ、文化祭に間に合わなくても、この絵を完成させたいからな」
真琴の言葉に力をもらった古庄が、真っ先に口を開いた。
真琴が傍にいて助けてくれる……。
それは、古庄にとって何ものにも代え難い強い力となって、後押ししてくれる。冷静で思慮深い真琴に肯定されていれば、自分が正しいことをしていると確信することが出来る。
だからこそ、この事件が起こってしまった時、真っ先に真琴のことが頭に浮かんだのだ。




