歓迎会 Ⅱ
周りに誰もいない元の自分の席に戻って、飲み残していたサワーを口に含む。左腕の時計に目をやると、8時半になろうとしていた。
9時ごろにこの会もお開きになるだろうから、もう古庄は来ないかもしれない。そう思うと、真琴は今すぐにでも帰りたくなってきた。
「ああ、遅くなった。まだ食べる物残ってるかな?」
真琴の背後の襖が開いて、古庄が顔を出した。
その顔を見た瞬間、真琴はホッとして安心する。そして、モヤモヤした気持ちがスッと和いでいくのが分かった。
「大丈夫です。なくならない内に、取っておきました。もう冷えてると思いますけど」
真琴が先ほど小皿に取り置きしていた料理を指し示すと、
「ありがとう」
と、古庄は嬉しそうにニッコリと笑って、それに応えてくれた。
優しげであまりに完璧なその笑顔に、胸がキュウンと切なく締め上げられて、真琴は思わず息をするのさえ忘れた。
当の古庄は、自分がそんな完璧な容貌を備えていることなどに頓着することもなく、注文した飲み物が来るのも待たずに、真琴の隣で料理をがっつき始めた。よほどお腹が空いていたらしい。
こんな古庄をとても微笑ましく感じて、真琴は自然と柔らかな笑みをたたえられた。
「ずいぶん遅くなりましたね。文化祭の準備で、何か問題でもありましたか?」
無心に食べている古庄に、脇から真琴が話しかける。
古庄は今食べている物を噛み下しながら、首を上下させた。それから、真琴のサワーに手を伸ばし、それを一口飲んでから口を開く。
「うん。執行部と実行委員が中心でやってるモザイク画なんだけど、紙で作ってても大きいから思ったより重くてね。それで、吊り下げ方をいろいろと試行錯誤してて……」
「どのくらい大きいんですか?」
「校舎の屋上から吊り下げて、1階の窓くらいまでくるかな。それが縦で、横はその2倍はある長方形だから」
古庄の説明を聞きながら、真琴は大体の大きさを想像してうなずいた。
「それで、いい方法は見つかったんですか?」
真琴のその問いかけに、古庄は揚げ出し豆腐を頬張りながら、肩をすくめた。
「まだ時間はあるから。自分たちで何とか解決させたいんだ」
それを聞いた真琴が、とても嬉しそうな顔をして微笑んだ。
確かに、教師が生徒にあれこれ入れ知恵をして、問題を解決させるのはたやすい。けれども、そうしたいのをじっと我慢して見守ってあげなければ、生徒は成長しない。せっかくの成長の機会を、奪ってしまうことにもなりかねない。
生徒と一緒になって頑張るあまり、いつの間にか自分が主導権を握っている教師がたくさんいる中で、古庄はそうならないように、生徒自身の力で解決できるように導いてあげている……。
そんな古庄の教師としての能力と懐の深さを、真琴はとても頼もしく感じて、自然と優しい笑顔になった。
その真琴の笑顔に、古庄は思わず見とれてしまう。
愛しさが募ってきて、今すぐ抱きしめてキスをして、もう満水状態の自分の愛情を表現したくてたまらなくなる。手のひらに湧き上がってくるその欲求を、古庄はグッと拳を握って堪えた。
真琴はあまり作り笑いなどをして、愛想を振りまいたりするタイプではない。どちらかと言うと、感情がすぐ顔に出る不器用なタイプだ。
だからこそ、真琴の笑顔は貴重だった。古庄は瑞々しく可憐な真琴の笑顔が、たまらないほど大好きだ。
ましてや、自分を深く理解し認めてくれている真琴の表情を見ると、真琴なしでは生きていけないとさえ思えてしまう。
――…もう、我慢の限界だ……!!
注文したビールを飲み干してから、決意した。この歓迎会が終わったら、真琴のアパートに一緒に帰ろうと。
古庄が一通り食べ終わったとき、幹事をしている戸部から一同に声がかけられて、歓迎会はお開きになった。
しかし、週末ということもあって、夜はまだまだ終わりそうになく、ほとんどの者は店の前にたむろして、帰る気配は感じられない。けれども、古庄は何としても、真琴を伴って帰らねばならなかった。
古庄が真琴に寄り添って、これから二人で帰ってしまおうということを耳打ちしようとしたその矢先、平沢が古庄の姿を見つけて近づいてきた。
「古庄先生、来てたんですね。お話しできなかったから、二次会で是非お話しさせてください!」
そう言われて古庄は、平沢に挨拶に行く前に歓迎会が終わってしまったことに気が付いた…というより、平沢の歓迎会に来ていたにもかかわらず、その存在をすっかり忘れてしまっていた。
自分の思い描いていたものとは違う展開になってきたので、古庄は苦い笑いを浮かべて、どう答えるべきか迷った。
「賀川さん。次も行くよね?二次会が終わって3次会は、また女子だけでカクテルでも飲みに行こっか?」
すると、向こうから真琴と仲の良い石井がやって来て、真琴の腕を取って二次会へと誘う。
――……あぁ……。
そんな風に言われたら、真琴は断るはずがない。現に真琴は、石井と共に学年主任が行きつけのスナックの方へと歩き始めている。
古庄は落胆を抱えながら、にぎやかな夜のネオンの森の中へと重い足を向けた。




