歓迎会 Ⅰ
仕事を終えた2年部の教員たちが、取り立てて特徴もない居酒屋にちらほらと集まり始める。
今夜歓迎会を開いてもらう平沢先生は、一旦帰宅してきたのであろうか。例のごとく、胸の大きく開いたピッタリしたカットソーにミニスカートという、到底学校では着られないような勝負服で準備万端だ。
歓送迎会や年末年始の宴会など、こんな飲み会は、職場を離れて職員同士が打ち解けられる貴重な場であり、さらに一歩進んで、意中の人とお近づきになる格好の機会でもある。
平沢は、当然のごとく古庄の姿を探していたらしいが、古庄は文化祭準備の煩雑な業務のためか、歓迎会の開始時には間に合わなかった。
結局平沢は、五十歳手前の学年主任と、今年定年を迎える数学の先生との間に挟まれて、そこに落ち着くことになった。
平沢のがっかりは手に取るようだったが、両側のオジサン先生はまんざらでもないみたいだ。女らしさを強調している平沢の横で、鼻の下を伸ばして嬉しそうな顔をしている。
今日のような飲み会は、最初こそ学年主任や平沢のあいさつがあったりしたが、学校主催の宴会のように堅苦しいものではなく、すでに打ち解けている者同士、和やかな雰囲気だ。
真琴も同じ学年部の石井と隣同士に座って他愛のないおしゃべりをし、楽しい時を過ごした。
本当は平沢の歓迎会なので、平沢にお酌でもしに行かねばならないのだろうと真琴は思ったが、今は両隣のオジサンたちとそれはそれで楽しそうにしているので、邪魔しないで後からにすることにした。
そうしている内に、時計の針は八時を指し、宴会も歓迎会という意味合いは薄くなり、出席者同士が席を移ったりして盛り上がってきた。それでも、古庄はまだ姿を現さない。真琴も、何かあったのかと少し気になってくる。
こんな時普通ならば、携帯電話でちょっと様子を聞いたりすることもできるのだが、古庄は携帯電話を持ち歩かない。二、三日、自動車に置きっぱなしにすることなどしょっちゅうだ。
真琴は後から来る古庄のために、真琴は大皿に残されている料理のいくつかを数枚の小皿に取り、別のところに除けておいた。こうしておけば、冷えてしまった料理とはいえ、古庄の空腹は満たせる。
古庄のことが気になりつつ、真琴が平沢の方へ目をやると、平沢はまだオジサン先生二人に挟まれて話の相手をさせられていた。
一時間以上もその状態というのは、さすがに可哀想に思えて、真琴は料理が並べられたテーブルの上のビールの冷えているものを選んで、平沢のところへと席を立った。
「お邪魔します。平沢先生、何飲んでます?ビールでいいですか?」
真琴に声をかけられて、平沢の作り笑いをしていた顔が、ホッと緩むのが分かった。
真琴が平沢と学年主任の間に割って入ると、学年主任はテーブルの方へと向きを変え、大皿から自分の皿へと料理を取り分けて食べ始めた。
「ビールじゃなかったら、何か他の飲み物を頼んでも…」
「いえ、ビールで大丈夫です」
真琴の気遣いを受けて、平沢は握りしめていたグラスを差し出す。
グラスにビールを注ぎながら、真琴の目が釘付けになったのは、その爪。プロでないとできないような凝ったネイルアートに、思わず真琴は見入ってしまった。
平沢は注がれたビールを、間髪入れずに飲み干した。その飲みっぷりは、けっこうイケる口みたいだ。
グラスを置いた平沢に、早速真琴が話しかける。
「すごく綺麗な爪ね」
「ああ、ネイルアートですか?お店で働いてる友達がいて、やってもらうんです。この9月から学校で働くようになったから、地味目の感じに変えてもらいました」
真琴の目には、到底「地味目」には映らなかったが、平沢が爪の先まで気を抜いていないことは伝わってきた。
今まであまり関わりを持つ機会もなく、平沢とは初めて間近で話をする。
側に寄ると、ムスク系の官能的な香りがする。切れ長の色っぽい目にはくっきりとしたアイラインが引かれ、見事にカールされたまつ毛にはしっかりとマスカラが施されていた。
普段はファンデーションと口紅くらいしかつけない真琴にとって、自分を綺麗に見せるためのこの努力は称賛に値する。出来ればそのやり方を、教えてほしいくらいだ。
少しでも綺麗になったならば、古庄の隣に立つときに気後れせずに済むかもしれない……。
真琴が平沢の作られた容姿に見とれていると、今度は平沢の方から話を持ち出される。
「古庄先生はまだ来ていないみたいですけど、今日は欠席なんですか?」
と、案の定、早速古庄の話題が持ち出された。
平沢にとっては、真琴とお互いを知りあう話をするよりも、そちらの方が大事らしい。
「さあ?欠席するとは聞いていないけど、文化祭の準備が大変なのかな?」
「古庄先生のクラスの準備ですか?でも、生徒は7時には下校しなきゃいけないんですよね?」
「うん、普通の生徒はそうなんだけど。多分古庄先生は、生徒会や実行委員の方の面倒を見てるんだと思う。今年は生徒会の担当だから大変なのよね」
「ああ、そうなんですか……」
平沢は納得したようにうなずいた。ちゃんとした理由があって、古庄が遅れていることを知って、ホッとしたようだった。
空いている平沢のグラスに、真琴が再びビールを差し出すと、平沢はグラスの下に手を添えてお酌をしてもらい、クイっと飲み干す。口元を軽くハンカチで押さえてから、平沢は身を乗り出して、真琴に近づいてきた。
「あの、ちょっと訊いてみるんですが、古庄先生って彼女いるんですか?」
――……来た……!!
心の中で真琴は、思わず天を仰いだ。
古庄と働き始めてから1年半の間に、何度この質問をされたことだろう。生徒からは年中されるし、年度替わりの時期は新しく赴任してき同性の同僚から繰り返される質問だ。
この質問が真琴に集中するのは、古庄と親しげに話をする女性職員は真琴ぐらいで、それでいて付き合っている風ではないことを、女性たちは敏感に感じ取っているからだった。
「うーん…。いろんな人からモテてるみたいだけど、彼女はいないんじゃないかな?」
真琴がこう言うのは、先週の女子会で得た情報が元になっていて、もちろんいろんな人の中には、当の平沢も含まれている。
それに、「彼女」どころか自分と結婚してしまっていることを隠して、こんな風にトボけて嘘をつかねばならないことに、真琴の胸がチクンと痛んだ。
「えっ!?いろんな人からモテてるのに?古庄先生って、けっこう手ごわいんですね」
「……手ごわい?」
平沢の物言いを、真琴は無意識に反復する。恋愛に関して疎い真琴には、平沢の言っていることの意味さえ解らなかった。
「どんな風に誘惑したら、古庄先生は落ちるんでしょうね。研究しなきゃ!」
真琴はこれを聞いて、グッと息を呑みこんだ。この言葉の意味を考えると、真琴の胸はドキドキと鼓動を打ち始め、赤面してしまった。
もしかして、今までの平沢の行為は、「誘惑」のうちに入っていなかったのだろうか。これからどんな風に古庄を誘惑しようというのだろうか。
そしてこの言葉は、平沢が今までそうやって「誘惑」をして、男性を落としてきたということを物語っている。きっとフェロモンたっぷりの彼女の手にかかって、落ちない男性はいなかったのだろう。それは彼女の口ぶりからも窺えた。
古庄は真琴のことを想ってくれているらしい。
それは一瞬だったけれども、昨夜、管理棟の暗い廊下で抱きしめられたことからも、間違いない…。真琴の中にその時の感覚が甦ってきて、胸がキュンと絞られた。
何よりも、好きではない相手との結婚を、あんなに急いだりしないだろう。
真琴は古庄を「落とした」ことになるのだろうか?真琴は、平沢やその他の女性たちのように、古庄に対して誘惑したり恋の駆け引きをした覚えはない。しようと思っても、どうやってそういうことをしたらいいのかさえも分からない。
逆に、古庄からそう意味を含んで誘惑されたこともない。
初めて古庄から想いを打ち明けられた時まで、古庄もそんな素振りは見せなかったし、その時にはすでに、真琴は古庄のことをどうしようもなく好きになっていた。
古庄とのそんな出来事を思い出して、真琴は平沢の物言いに少し違和感を覚えた。想いを通じ合わせることとは、平沢の言うように何かを獲得するゲームのようなものなのだろうか?
そして、大切な古庄のことを、ゲームに勝利して得る賞品みたいに言ってるようで、真琴は哀しいような怒りのようなモヤモヤした感情を抱えてしまった。
その時、離れた席に座っていた戸部が、真琴と平沢のところへやってきた。
古庄と同年代の戸部とは話しやすい間柄で、そのまま3人で話をしてもよかったのだが、これ以上平沢に嫌な気持ちを抱きたくない真琴は、戸部と入れ替わりで席を立った。




