一話…人が消えたわけ
都市から――いや、世界から、人の気配が消えたことには、当然ながら理由がある。
増長した人類への、ハルマケドンを思わせる未曾有の大災害?
SFじみたBC兵器の暴発? あるいは、最も現実的に核戦争だろうか?
答えはどれもNOである。正解は、集団自殺だ。
あるいは、同時多発自殺や、継続的自殺現象とでもいうべきかもしれない。
過程はどうあれ、人類はその数を大きく減らした。かつての十分の一とも万分の一とも言われているが、シンラの直観的な数えでは、精々数百分の一だろう。
ただ、土地により自殺率が大きく変わることをずっと昔のニュースでも報道していたので、もしかしたら本当に万分の一なのかもしれない。
ともかく、人類は自殺によってその数を減らした。
何故自殺したのか? 理由は割と簡単だ。「死後の世界」が証明されたのだ。
そこは、あるいはユートピア。あるいはアヴァロンとでもいうべきか。
――人の思いは魂と共に巡る。
転生する際に、それらは初期化されるが、初期化されるまでの安寧は約束されている。そういう理論が実証された。
その安寧は、あるいは睡眠の豊かな浮遊感であったり、あるいは性交の同一化により満たされる甘い泥のような多幸感であったりするらしい。要は、常に満たされる状態が、思いの続く限り続くのだそうだ。
超難解なその理論を、さらに大衆向け(大衆向けといっても、天才と呼ばれる学者がようやく理解できて、太鼓判を捺せるようになった程度だったが!)に手直しして、世界にばらまいた人間が居た。
「eve・male」を呼称するその人物が示した、死という安寧。
それは果たして救いだったのだろうか?
シンラには判断がつかないが、ともあれその理論をなぞるように多くの人が死に向かったことは事実だ。
初めは半信半疑だった人も、聡明な学者の一部や、免罪符を得た多くの自殺志願者予備軍と言う名の一般人が自殺を果たしたことで、大衆心理が働いたのか、理論を受け入れ始めた。
あるいはそれは当然の心理なのかもしれない。歳を重ねると、自然と人の死を見る。
その中には身近な人間も居るかもしれない――そうでなくとも、人間はいつか必ず死ぬのだ。
自分や親しいものたちの行く末が楽園である証明を、心から拒む人間は余程のひねくれものか頑固者だろう。あるいはただの馬鹿かもしれない。
初めはポツポツと、次第に加速して。人は死に臨んでいった。
大抵、肉親や友人と共に。土地ごと――あるいは、風土や文化と言うべきかもしれない――に、自殺者の比率はずいぶんと違っていたようだが。多いところではたった一月で政令指定都市から目に見えて人影が失せたこともあったそうだ。
こうして人類はその数を大きく減らした。
面白半分に自殺者の職業別統計を取っていた企業も、今はもう殆ど趣味人しか残っていないらしい。因みに、意外にも最後まで組織として残っていた職業は、政治家だった。
あれやこれやと人が減っても何とかするために政策を打ち出していたが、効果があったのかはわからない。今のシンラたちの生活でも、その政策の恩恵があるのかもしれないが、実感はない。
ただ、最後まで組織として残って頭を悩ませた精神性は、評価している。
だが全ては詮のないこと。人類の多くは、ひとつの証明に沿って安寧の死を選ぶくらいには、生きることを見限っていた。
一重に人が自殺しなかったのは、制御できない人の縁に起こった情と、漠然とした死への恐怖とが主な理由だったのだろう。