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最後の選択とエピローグ

目が覚めると、知らない天井だった。

あれ、ここは……?

なんでこう最近は目覚めると知らない所にいるんだろう。

「おはよう」

左のベッドから声が掛けられた。

半身だけ起こしてこちらを微笑みながら見ている寝癖少女。

こんなところで朝女の子に起こしてもらうという夢が叶うとは、世の中捨てたもんじゃないな。

「明奈か……おはよう」

「他に誰がいるのよ」

「どうやら夢じゃなかったみたいだな。今、何時?」

「大惨事」

「妖怪のせいでか?」

「妖怪なのは今の君の髪型でしょ。すごいことになってるよ」

「今のお前には言われたくねぇ……」

ピンクの置き時計は、8時20分を指していた。

どうやら熟睡していたようだ。

「明奈は、いつ起きたんだ?」

「10分前かな、ボーッとしてたよ」

「そうかい」

大きく伸びをして、立ち上がる。

とりあえず寝癖をなんとかするか……。

「洗面所、借りるぞ。寝癖を水で直してくるから」

「あぁ、それなら隣の部屋の化粧台の櫛使っていいよ。そっちの方が早いでしょ、多分」

「隣の部屋って、もしかしてそれお前の母親のだろ」

「うん、別にいいよ。誰も使わない訳だし」

「そりゃそうだけどよ……」

何となく、遠慮してしまう。

そりゃ水で直すよりは早いし戻らないだろうけど、他人の母親の櫛を使うのはどうだろう。

しかし、折角の勧めを固辞するほどの葛藤ではなかったようで、我ながらあっさりと部屋に入り、櫛を拝借した。

ついでに霧吹きに入っていた酵素水とやらも使わしてもらった。

他人の家にいるとは思えない傍若無人な

振る舞いだ。

実際傍らには一人しか人はいない訳だが。

「賢人君」

明奈が部屋のドアから顔を覗かせてきた。

「なんだ?」

「私、今から着替えるんだけど、どうする?」

「覗くかどうかってことか?」

「そんなことは聞いてないし、まず覗かないでよ、絶対」

「冗談だよ、半分」

「半分本気だったの!?いや、そうじゃなくて、賢人君は着替えるの?」

「あー、そうすっかな。多分乾いてるだろうし」

俺が昨日風呂に入っている間に、 明奈は俺の脱いだものを洗ってくれていたのだった。

洗濯機を動かしているのは風呂に入りながらも分かっていたが、まさか俺の下着まで洗濯してくれていたとは。

流石に干すのは俺がやったけれども。

部屋に引っ込んだ明奈に念のためもう一度覗いていいか聞き、枕を投げられたところで諦めて着替えた。

何をどう考えても不要な工程が有った気がするが気にしない。

リビングで椅子に座りながら、朝刊を読もうにも届いていないし、朝のニュースを見ようにもテレビはうんともすんとも言わないしで、完全に暇をもて余してしまった。

ここはコーヒーの一つでも淹れといた方が良いのだろうか。

しかし勝手に台所に入るのもどうだろう、流石にやり過ぎじゃないだろうか。

考えれば考えるほどドツボにはまっていっていた所で、着替え終わった明奈がリビングに来た。

寝癖も直っている。

「夢じゃ、なかったみたいだね」

「……そうだな」

相変わらず外は無音に支配されている。

ここに来てほぼ一日が経とうとしているが、まだこの寂寥感には慣れない。

「……食パンでも食べる?コーヒーもインスタントなら淹れられるけど」

「あぁ、じゃあコーヒーは俺が淹れるよ」

「ありがとう、マグカップとコーヒーの粉は食器棚にあるから。砂糖も出しといてくれる?」

言われた通りにテーブルの上に並べていく。

マグカップは二つ、これも明奈とその母親のものだろう。

こういうのも本当に慣れない……、家族との思い出の品を、他人の俺が易々と使うことは。

明奈が良いと言っているのだから気にする必要はない、と頭では分かっているのだが……。

およそ10分後、おそらく明奈家においての日常的な朝の風景が完成した。

マーガリンをふんだんに塗ったトーストにかじりつく……美味い。

「なぁ、これからどうする?」

「二度寝とか?」

「いや、そういうこっちゃないんだ。別にしてもいいけどよ」

二度寝するのに寝癖を直す必要はないだろうし、今のは冗談だろう。

「そうね……。一つ、聞いていい?」

「おう、まかせとけ」

「元の世界に、帰りたい?」

「………………半々だな」

「半々、ね。私もそんな感じかな」

この世界は勿論魅力的だし、ここで一生を過ごすのだって悪くない。

だけど、元の世界に戻ってやり直してもいいという気持ちは、一晩経っても変わらなかった。

ここに来た時は、元の世界に未練なんてなかったのに、人との出会いで人はこうも変わる事が出来るとは。

明奈は、コーヒーを飲んで一息ついてから、肩を竦めながら、

「でも、帰り方は分からないままだよね。エレベーターは使えないし、ゲームみたいに脱出のヒントもないし……」

と、やるせない表情を浮かべた。

今のところは、元の世界でうまくやるなんてことは、とらぬ狸の皮算用に過ぎない。

どうしたって現状、ここから帰る術はないのは動かしようのない事実だ。

「異世界に行った云々の話なら、ネットにいくらでも転がってたんだが、どれも眉唾物だったしな」

「帰り方も色々だけど、多いのは時空のおっさんに助けられたっていうのよね。こうして異世界がある以上、あの中のいくつかは実話だったのかもね」

「時空のおっさん、か……」

いたなぁ、そんな存在。

そういえば俺たちをエレベーターを通じてこの世界に導いた二人の『案内人』もいるんだった。

そのへんにコンタクトを取ることが出来れば、あるいは。

……どうやって?

どこにいるかも分からない相手に、どうにか接触をはかるよう仕向けるには、なるだけ広範囲に声を届ける必要がある。

それを可能にする方法……。

「なぁ明奈、一回は聞いたことあると思うんだが、夕方あたりに防災なんちゃらってところが迷い人のお知らせとかやってるよな」

「あぁ、はいはい。あったねそんなの」

「あれってよ、どっから放送してんだ?」

「いや、私に聞かれても……。というか、それがどうしたの?」

「あれ使えばよ、時空のおっさんなり『案内人』の女なり呼び出せるかもしれないと思ってな」

多分それが、この世界から帰る現実的な方法な一つだろう。

最も、携帯も繋がらない現状ではその放送を流している場所が特定できないだろうが。

「そうね……。でも、探すあてはあるの?私、全然見当つかないんだけど」

「安心しろ、俺もだ」

「安心する要素がどこにあるのよ……」

とりあえずコンビニかなんかで地図を買って、それらしい場所を虱潰しに回るしかないだろう。

「市役所とかに殴り込みに行くか」

「いや、確かにいい情報はありそうだけどね……。殴り込んでも誰もいないって」

「鉄は熱い内に打てというが、まずは鉄を熱くしなけりゃならんな」

「……ねぇ、それで誰か呼び出せて、私達を元に帰してもらえるとしたら、どうするの?」

今度は、半々とは答えられない。

桃源郷での永遠か、現実での人生か。

停滞か、進行か。

俺は―――。













「選べ。元の世界に帰るのか、この世界で生きるのか」

その選択肢は、呆気ないほど突然に訪れた。

明奈との話し合いの末、市役所に行こうとマンションを出た矢先に、彼はいた。

いつからいたのだろうか。

黒いスーツに身を包んだ、丸刈りの男。

サングラスを着けていて、年齢がよく分からないが、多分30代ぐらい。

おっさんと呼ぶには若く、青年というには老けている。

そんな男が、俺達を出迎えた。

自分達以外の人間との出会いに戸惑っていた俺達に、出し抜けに発した一言目は、選択の強要だった。

無表情で、平坦な、しかしどことなく底冷えのする口調だった。

きっとサングラスの奥の瞳も、声色と同じく冷淡なそれに違いない。

どんな感情も感じさせない、無感情という感情を浮かべるようにしているのだろうか。

風貌とその様子から、サラリーマンというよりSPのような印象がある。

SPなんて見たことないけど。

「…………」

無言の内に、明奈は俺の背後で俺の袖を握っている。

怖いのだろう、俺だって怖い。

この世界で初めて応対する『大人』に、俺はすっかり萎縮してしまった。

男は、俺を見つめたきり動かない。

返答を待っているのだろうか。

「お、俺にいくつか質問をさせて下さい……。それで、答えが決まります」

「分かった、言え。答えられるものなら答えてやる」

言葉こそ親切だったが、口調は相変わらず冷酷だ。

人形ロボットでももう少し愛嬌があるぞ。

「貴方は、私達を元の世界に帰してくれるんですか?」

「無論、その為に私は来た」

その言葉に、思わず拳を握る。

まさか、向こうから接触してきてくれるとは……!

願ってもないチャンスだ。

となると、この人はいわゆる『時空のおっさん』のような存在なのだろう。

実在、したのか……。

この世界に来て何度目かも分からない驚きに呑まれそうになるが、抑える。

「この世界は、何なのですか?」

しまった、これでは質問が抽象的過ぎる。

しかし、どう聞けば分かりやすい答えが帰ってくるのか……。

と焦る俺の内心とは裏腹に、男は顔色一つ変えず返答してきた。

「この世界は、君達が、君達の強い願望を基にして作られた世界だ。あの使いは、それを後押ししたに過ぎん。そして、この世界はじきに消滅する。お前たちの選択肢次第ではあるが」

「え、えぇ……?いや、ちょっと……」

一気に驚きの情報が渡されて、脳の処理能力がパンクした。

いや、一つ一つ数えるように確認しよう。

この世界は、俺達の願望が作り出した……。

なるほど、俺達が誰もいない世界を望んだから、それができた。

簡単な理屈だが、事はそう単純ではない。

それが本当なら、もっと多くの人間が元の世界からいなくなってるはずだ。

俺達よりもっと酷い境遇に身をやつし、絶望して、死ぬことも怖くて、俺達のように孤独への狭い箱に乗り込んだ人もいるはずだ。

なのに、その体験談がほとんど残っていない。

重要なのは、彼の言う『後押し』なのだろうか。

使い、とやらは『案内人』のことだろう。

そして、この世界がもうすぐ消滅する。

俺達が作った世界だから、俺達が帰還すれば所有者がいなくなり、消える。

これも当然、分かりやすい仕組みだ。

おぼろげながら全体像が見えてきた気がする。

「その、元の世界の俺達は、どうなってるんですか?」

「今は意識を失ったまま、実行場所の近くにいるだろう。元の世界では、五秒程度経過している」

「五秒!?」

明奈が大声を上げた。

その声にに驚いて声は出なかったが、もう少し早かったら俺が叫んでいただろう。

五秒……、五秒。

俺達がこの世界で一日近く過ごして、ようやく五秒。

精神と時の部屋より時間の進むのが遅いじゃないか。

「五秒って……。どうしてそんな遅いんですか?」

明奈が質問する。

「この世界はお前達が無意識の中に閉じ籠もって出来たものだ。いわば夢をみている状態に近い。無意識の中で極限に引き延ばされた時間の中を、お前達は生きている」

「無意識の、中……?」

「お前達はかなり近くで、ほとんど同じ願望を基にして無意識の中に世界を作り、そこに閉じ籠もった」

願望。

そこまで聞いてようやくはっきり分かった。

俺達の、本当に望んだのは。

「自分を理解してくれる存在との出会い、ですね」

「お前達の願望のことか。それがどうした」

やっぱり、そうだったんだ。

明確に、明奈個人との出会いを意識していた訳ではないだろうけど。

俺達の苦しみを分かち合えるお互いを求めて、この世界を作った。

期せずも、明奈の予想は当たった訳だ。

この世界のルーツ、元の世界の現状、そして元の世界に戻れることの確約。

聞けることは、これで全て聞いただろう。

と、明奈が再び質問した。

「私達が、この世界にいたいと思ったら、元の世界の私達はどうなるの?」

「元の世界のお前達の肉体に寿命が来るまで、意識を取り戻すことはない。そしてお前達は、寿命の時まで停滞したまま、この世界に存在する」

……なかなかエグい話だ。

いわゆる、植物人間に突然なるのか。

そうなると、母さんは益々不安定になるだろう。

親父も悲しむに違いない。

俺の数少ない友人は、お見舞いに来てくれるだろうか。

それと同時に、一つの疑問も解けた。

そうか、俺達と同じような願望、もしくは孤独を本当に望んだ人達が『異世界行きエレベーター』を実行していたとして、その体験談がネットに残っていないということは。

そのまま、自分の世界に閉じ籠もって、引きこもったままでいることを選択したからなのか。

いるかどうかも分からない先人達は、俺達のように互いに励まし合い、立ち直れなかったのだろう。

俺達だって、昨日までは、立ち直れず、迷っていた。

けれど、あの夜を過ごして。

俺達の心は、もう実は決まっていたのかもしれない。

半々どころか、満場一致だった。

この世界で日本横断計画も、多少はしたかったけれど。

ま、生きてればその内出来るだろう。

「……帰ります、元の世界に」

俺は、さっき明奈の質問に応えた時の台詞と同じ言葉を言った。

「了承した。……そっちの女は、どうするのだ?」

呼ばれた明奈は、少し間を置いてから。

「私も、帰ります。帰って、やりなおします」

「了承した。それでは、早速転送するとしよう。少し待っておけ」

そう言うと男は、スーツのポケットからスマホを取り出した。

何やら話している。

「あんな人でも、連絡手段はスマホなんだね……」

明奈が意外そうに呟いた。

「というか繋がるんだな、あれ」

「ねぇ、なんでこの世界に電波が通ってないかとか、聞かないの?」

「あー……。聞きそびれた」

「そんな肝心な事ではないからいいけどね、今から帰れるんだから」

あっけらかんとしている明奈。

しかし、彼女は俺の袖を握ったままだし、どことなく寂しい目をしている。

そもそも彼女は、本当に帰りたいのか?

俺が最後の彼女からの質問に答えた時、ただ頷いただけで、自分はどうなのか答えなかった。

もしかしたら、彼女はここに残りたかったのか?

あの夜に行った事は嘘じゃなくとも、やはり自分と作りだした世界に閉じ籠り残りの人生を過ごすことだってそう悪くはない、と思っていても全く不思議じゃない。

とすると、なんだか流れで明奈も一緒に帰ることにしてしまったことがとても申し訳なく思えてきた。

もう少し、考える時間が彼女には必要だったか。

だけど俺は、彼女が二度と目覚めない人になってほしくない。

「どうする、明奈?やっぱりもう少し待ってもらうか?」

「へ?何で?」

「いや、なんだか迷ってそうだったから」

「……そう見えた?」

「あぁ、何となくな。思い過ごしだったか?」

「…………。ううん、帰りたいのは本当なんだけど、その、賢人君と会えなくなるのが寂しいかなって」

思わぬ豪速球が飛んできた。

心臓が一度高く跳ね、じっとりと汗が浮かんでくる。

いや、その言い方はなかなか男心にキュンと来た。

「家、の距離は近いし。いつでも会えるよ。俺も結構暇だしな」

「そう、だけど……。昨晩みたいに、二人だけで話したりはなかなか出来ないかもしれないし」

「いや、きっと出来る、してみせるさ。お前が元の世界で最初の時みたいに心に何か溜まってて、吐き出したい時はいつでも話を聞いてやるし、力になってやる」

「え……?何で、そんな」

何故、俺は彼女にも元の世界に戻ってきてほしいのか。

それは、きっと昨日言った事よりも、直接的な理由だ。

明奈のことを信頼できる、明奈の力になりたい。

明奈に、いつでも会いに行きたい。

この気持ちは、きっと。

「俺は、明奈が――」

「よし、待たせたな。それでは転送するぞ、準備は出来たな」

絶妙なタイミングで、いつのまにか通話を終えた男が割り込んできた。

融通の効かない……!いや、こんなアニメの告白あるあるみたいになってはならない。

どうにか最後まで、最後まで!

「ちょっ、いや、俺は明奈の事が」

「安心しろ。一瞬気を失うだけだ。怖かったら目を瞑っても構わない」

「気を失う!?なんだ、どうやって」

「さらばだ」

そう言うと、男は俺達に向かって右手の掌を突きだして来た。

すると、急に立ちくらみが来たように、身体の感覚がなくなっていく。

上下左右も分からなくなって、視界が緑色の砂嵐に染まっていく。

目を瞑るまでもなく、周りは混沌とした闇に包まれた。

いや、違う……俺が、俺達がそこに放り込まれたのか……。

あの男、掌から、何を出したんだ……?

さっぱり……見えなかった。

意識が、五感が、徐々に薄れていく。

確かに、帰りたいとは言ったが、最後は有無を言わせず送り出すとは。

なんて強引な……、やり方……。

というか、一瞬が随分長いな……。

もう随分長い間、暗闇の海に漂っている気がするが……。

もっとこう、気付いたら元の世界に、とかだと、思ったのに。

あの、丸刈り男……。

言いたいことも言わせないまま飛ばしやがって……。

結局……言えなかった……な。

明奈に……好きだって……伝えられなかった……。

「ごめ……んな。明奈……」

声が出ていたのかそれすらも分からないまま。

次の瞬間、意識は完全に暗闇に落ちた。











九月二十四日。

あの一泊二日の異世界閉じ籠りツアーからもう半月が経っていた。

俺はあの日、いつの間にか俺のマンションの一階のエレベーター前に立ち呆けていた。

たくさんの人間がいる、元の世界に戻っていた。

明奈に会いに行きたかったが、何故かインフルエンザにでもかかったように頭が重く感じ、ふらつきながらやっとの思いで家に帰ると、そのまま失神するように眠りこけてしまった。

結局その頭痛も寝たら治っていた。

原因は分からないが、間違いなくあの世界が絡んでいるのだろう。

確かに聞いてはないけどさ、 あの男も一言言ってくれてもいいじゃないか。

かなり辛かったんだぞ。

……結局、あの男が世に言う『異世界のおっさん』なのだろうか。

俺達の作りだした無意識の中の世界とやらに入り込み、俺達に決断をさせる為に現れた。

電話で誰かに連絡をとっていた所から、仲間がいる事は確かだ。

あれから色々考えたが、多分あの元の世界に中途半端に意識が残っていたままなのが彼等にとって良くないのだろう。

俺達に選択を委ねる為に、一日だけ放っておいたとか……そう妄想しておこう。

謎を謎のまま残しておくのも、嫌いじゃない。



翌日から学校において、明奈に言われた通り、まずは人間そのものに対する不信感をクラスメイトの人達から払拭しようとした。

関わりを避けるのを辞めて、勇気を出して友達の友達あたりから声をかけてみた。

すると、俺が勝手に思い込んでいたより、クラスの人達は黒くなくて、面白くて、優しかった。

最初は、あまり普段から話さない人が急に態度を変えたことの戸惑いも向こうから感じられたが、それもすぐになくなった。

元々の少ない友人の助けもあって、ようやく人に、クラスに慣れてきた。

一緒に昼飯を食べるグループにも入ることが出来た。

嬉しく思うと同時に、今まで無駄にしてきた青春がとても勿体なく感じた。

実に、つまらない生き方だった、つまらない人間だった。

だから、その分これからやり直そう。

明奈に出会わなければ、俺はずっとあのままだったかもしれないと思うと、益々明奈に対する感謝の気持ちが深まった。


あれから明奈には、会えていない。

約束通り、この半月で5回ほど彼女の家を訪問したが、全て留守だった。

彼女の母親が出てきた時の台詞も考えていて、毎回ガチガチに緊張しながらインターホンを押しているが、その度に肩透かしをくらっている。

引っ越した訳ではなさそうだが、果たしてどうしたものか。

今日の帰りも、彼女の家に行ってみよう。

休日だし、どちらかが在宅している可能性も高いだろう。

……彼女への想いは、会えない分募るばかりだ。

明奈に会いたくてしょうがない。

住んでいる場所はとても近いのに、遠距離恋愛をしているかのようなもどかしさがある。

しかも片思いだ、なおさらじれったい。

会って、明奈のお陰で今は頑張れていることを報告したい。

彼女は、やり直せているだろうか?

俺の言葉は、彼女に届いてくれただろうか?

彼女は、どんな道を選んだのだろうか?

もし、今の俺のように、明奈も俺の言葉を励みにして頑張ってくれているなら。

こんなに嬉しくて、胸を張れることはない。

そんな考え事をしながら、オリアから駅前の本屋への道を俺は歩いていた。

オリアの本屋に、まさか『虚無への供物』が置いてないとは思わなかった。

あんなに有名な本なのに……古すぎるのだろうか?

駅前に着き、本屋の中の検索機が置いてある場所に向かう途中で。

とても見覚えのある、後ろ姿が見えた。

その茶色がかった髪の女の子は、参考書のコーナーで様々な本を手にとっては、戻していた。

気に入ったのが見つからないのだろうか?

こっそり近付くと、彼女がいる本のコーナーは、参考書は参考書でも高卒認定の過去問等を取り揃えているコーナーだった。

やがて彼女は棚の高い所に、似たような過去問を見つけたようだ。

彼女の身長では、ギリギリ届かない上、ギチギチに本が詰められており、かなり苦しそうだ。

見ていられないので、彼女の隣に並んでその本を取ってやる。

「ほらよ」

お目当ての参考書を手渡し、顔を見合わせる。

かなり驚いたらしい、彼女は目を見開いてあんぐりと口を開けている。

やっぱり、な。

「久し振り、だな。明奈」

「け、けん……賢人君。うん……久し振り」

「元気にしてたか?」

「うん……」

まだ状況が飲み込めていないようで、明奈の返事がいまいち上の空だ。

「これ、買いに来たんだろ?」

彼女に手渡したばかりの過去問を指差しながら質問する。

「あ、いや……。その、通信教材を買って、図書館で毎日勉強してたんだけどね。その、高卒認定って、そもそもどんな問題が出るのかなって、ちょっと様子見がしたくて」

なるほど、偵察か。

毎日図書館で勉強していたのか、通りで家にいないわけだ。

彼女の事だ、閉館時間ギリギリまで続けていただろう。

「敵を知り、己を知れば百戦危うい、てか」

「危ういんじゃ知らない方が良いじゃん……」

「知らない方が幸せな事もあるさ」

「勉強じゃあそうはいかないでしょ」

「ちがいない」

うむ、ようやくいつもの調子が戻ってきた。

明奈の堅い表情も、じんわりと氷解してきた。

「その、ごめんね?会いに来てくれるって言ってくれたのに、あんまり家にいなくて。君の言葉を思い出したら、じっとしていられなくて」

「そうか、律儀なやつだな」

内心嬉しくて堪らず、人目も憚らずガッツポーズをしたくなったが、拳を硬く握ることで我慢する。

良かった……、俺の言葉も明奈に響いていたか。

少なくとも、それまでの怠惰な時間を過ごす事が耐えられなくなる位には。

「ま、俺も明奈の言ってくれた通りに色々やってるよ。なかなか成果出てるんだぜ?」

「ねぇ、この後時間ある?」

急な問いに身を固くしつつ、時計で時間を確認する。

まだ午後の二時か……。

「あぁ、たんまりあるぞ。暇でしょうがないんだ」

本当は本を探しに来たんだけど。

「じゃあ、ウチに来ない?お母さんも今日は遅くなるみたいだから、またあの時みたいに二人でのんびり話が出来るし。それに……」

「それに?」

「あの時の台詞の続き、聞きたいなぁって」

明奈はそこで、小悪魔のような妖艶な笑みを浮かべた。

こいつ……大体分かってやがる!

男の純情を弄びおって……どうしてやろうか。

「いいのか?覚悟しとけよ。思わぬ言葉が飛び出てくるぞ」

俺のバレバレの虚勢の言葉に、明奈は

「ふふっ、楽しみにしてるからね。賢人君?」

と、今度は花のような笑顔で応えるのだった。

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