心弱き者達の和解と決意
肉の焼ける香ばしい匂いが周囲に広がった。
焼き鳥と寿司で紛らわされたばかりの空腹を再び意識せざるを得ないほど、暴力的な香りだ。
いやぁ、ステーキなんて久々だ。
家族で外出は月一位で行くが、ファミレス嫌いの父親がいることで、なかなかこんな肉厚のステーキを食べる機会が無かった。
肉の厚さは3㎝ほど、かなり分厚い。
中に火が通るまで多少時間はかかるだろう。
少しぐらいレアでもいいが。
彼女も、この肉を物欲しそうな目で見ている。
もちろん分けるつもりではある、また刺されそうになってはたまらない。
あれから彼女に
「その辺の適当に食べていいよ」
と言ったところ、無言でカップラーメンにお湯を注ぎ、カルパッチョをもりもり食べ始めた。
お礼ぐらい言わんかいと思わなくもなかったが、そんな恩着せがましい事を言ったらまた俺の寿命が縮むのは目に見えていたため、黙っていた。
あとは激辛カップラーメンを無表情で、飲み物も無しに食べていたのにはかなり驚いた。
辛い物が得意な俺でさえ冷たいお茶がなければキツいのに……。
何となく、敗北感にうちひしがれてしまう。
……しかし、そろそろこのままという訳にもいかない。
飯を食い、気分も落ち着いた所で、どうにか彼女と会話を試みなければ。
まだ名前も知らない。
今後、彼女とどう接していくのか、そもそも関係を持つのか。
今のところ、このあと彼女と別れ、再び一人になって旅をするのもアリだと考えている。
お互い、その方が好都合かもしれない。
日本は広い、他に彼女のような人間はいても、再会する可能性は0だろう。
だが、彼女と一緒にいたいという下心がないかといえば嘘になる。
クラスに一人いるかいないか位の可愛い顔をしていた。
この出会いを無下にするのは勿体ない。
出会い方は考えられる限り最悪に近いかもしれないが。
二人の他に誰もいない世界で、お互いに恋に落ち、愛し合う。
この手の妄想はよくする、数少ない友人も同じらしいし、思春期の男子は皆一度はするのかもしれない。
しかし、俺に家族以外の人を愛せるのだろうか?
俺に男色の趣味がない以上、愛するとしたら女性だろう。
今まで恋に落ちた事はあっても、それより先の段階に進んだことはない。
女性は、怖い。
男よりもはるかに嘘を吐き、表面だけを取り繕い、腹の中にとんでもないモノを溜め込んでいる。
仕方ない、それが彼女達の処世術なのだろう。
だが、それでも。
彼女達が話すごとに、言葉とは真逆の真意を示す動作に、恐ろしさを感じずにはいられない。
あんな連中を、信じられるものか。
俺に、愛せるものか。
こんな、俺に……。
男すらも、友達にはなれても、親友にはなれない俺に。
果たしてこの先、誰かと深い関係になれるのだろうか。
この世界においては、彼女がラストチャンスかもしれない。
出会い頭に殺されそうになったし、まだ恋に落ちられそうもないけど。
それでも、俺が変わる希望になってくれるかもしれない。
ま、彼女から別行動を申し込まれる可能性が大だけどな。
あれこれ考えている内に、彼女が戻ってきた。
肉もいい具合だ……多分。
塩胡椒を適当につけ、皿に載っける。
包丁で二等分し、もう一枚の皿に片方を載せて、彼女に差し出した。
「ほれ、食うだろ?」
「………………ありがとう」
初めてお礼を言われた。
か細い声だったが、俺は満足したような気持ちになり、いい気分のままステーキを食べ始めた。
おぉ、すげぇ旨い。
ほどよい火加減で、食感はまさにレアそのものだった。
ジューシーだ……、またこのステーキソースの美味しいこと。
我ながらファミレスにも負けない味だ、肉が良いだけだろうけど。
普段全く料理をしないが、これは成功作とみて間違いないだろう。
ソースのおかげだろうけど。
「…………美味しい」
彼女から嬉しい声が聞こえた。
思わず飛び上がって快哉を叫びそうになったが、何とか堪える。
なんか堪えてばっかりだな、最近。
平静を保とうとしながら、彼女の方に目をやる。
彼女は、こちらをみて僅かに微笑んでいた。
とても平静なんて保っていられない。
「そ、そうだろ?やっぱり肉が良いと違うよなぁ」
俺は食通か。
なんとか彼女の言葉に応じ、ステーキを食べる事に集中する。
顔が熱くなっているのが自分でも分かる。
いつもは、この笑顔にも裏があるんじゃないかと勘繰るのだが、それも出来そうにない。
心臓が機関銃のようなリズムを刻んでいる。
この調子で、このあと会話が出来るのだろうか。
自分が信じられなくなってきた。
中身もろくに知らない内に恋に落ちそうになるとは、俺も懲りない奴だ。
「私の名前は、南村明奈。南村って呼びにくいし、明奈でいいよ」
食事も終わり、さてどこから話そうかというときに、唐突に彼女が自己紹介をした。
いや、何故急に。
しかも最初から名前呼びを許可するとか、俺はギャルゲーでしか知らないのだが。
確かに滑舌があまり良くない俺にしてみれば、南村という名字は噛みやすいことこの上ないが。
「お、おう。そうか、明奈って言うのか。なるほど」
「何よ、その歯切れの悪い反応は。さっき君が私に誰?って聞いたから自己紹介したって言うのに」
「あー、そう。そうだったな、確か」
そういえばそうだ。あの時は返事の代わりに包丁を突きつけてきたからな。
自己紹介の代わりに刃物とは、仲直りの代わりに顔面にエルボー食らわせるのに負けず劣らず理不尽だ。
「……そうだね。まずは自己紹介の前に謝るのが普通かも」
「いや、あの時ちゃんと謝られたけど」
「いや、そうじゃなくて……。いや、確かに謝ったけど。あれとは真逆の意味合いがある謝罪をしなきゃ」
「……あー、分かった」
明奈は一息つくと、
「さっきはごめんなさい、君を殺そうとして。……ううん、ごめんで済んだら警察はいらないよね。しかも、凄く重い理由があるわけじゃなく、自分勝手なわがままで人を殺そうとしたんだから……。本来なら、正当な裁きを受けなきゃいけない位の事を、君にしてしまった」
明奈の表情がひどく暗くなる。
もしかしたら、俺に震えながら刃物を向けた時も、こんな顔をしていたかもしれない。
しかし、その謝罪をするべきなのは、明奈だけじゃない。
「それは、俺もお互い様だ」
「え?それって……」
明奈から向けられた視線に、頷いてこたえる。
「俺も、最初に君を見たときに、消そうって思った。折角誰もいない世界に来たのに、これじゃ意味がないってな。流石に人として最悪だって考えなおしたけどな」
実際思ったことはそれだけじゃないのだが、とても言えるような事じゃないので黙っておく。
「人として最悪……。そう、そうだよね、やっぱり」
「なぁ、もしかしてさ。明奈もエレベーターとかで、この世界に来たのか?」
また雰囲気が暗くなりそうなので即座に話題を変える。
なに、もう過ぎた事だ。
良心の持ち主でも、こんな状況では魔が差す事ぐらいありうる。
未遂で終わった上、彼女を裁く人はおそらくいない。
それがよりいっそう彼女を苦しめるかもしれないが、それは俺にはどうしようもない。
出来るのは彼女にそれをあまり意識させないことだ。
「そう、だけど……。そういう風に聞くってことは、君も?」
「あぁ、もちろん。今日の10時頃にな」
「あ、私も!確か10時位にエレベーターでネットにあった通りに色々やって、女の人が乗ってきて、それで……」
「ここにやって来た、と」
「うん……。びっくりしちゃった、本当に誰もいなくて。エレベーターは動かないし、携帯も電波が全然来てないし。テレビもどこもやってなくて」
「あーっと、ちょっと待て。テレビがどこもやってないって、どういう事だ?」
「どういう事もなにも、デジタルもBSも『受信出来ません』て表示されるばっかりで、何にも見れないの。あ、でももしかしたら録画したのは見れるかも。電気は通ってるみたいだし」
「そうか、そりゃそうだな」
どうやら彼女は俺と違い家の鍵を持って出たようだ。
その後も家でパソコン、ラジオと試したらしいが、軒並み反応なし。
パソコンはネットに繋げないだけのようだが、あまり意味はない。
ソリティア位しかやれる事はなかったそうだ。
それよりも驚いたのは、明奈のエレベーターに乗ってきた『案内役』の人は、どうやら俺が見た人とは別人のようだ。
別『人』ではないのだろうけど。
「よく覚えてないけど。年齢は20代ぽかったのと、長い黒髪だったはず、それは間違いない」
そうなると、この世界には俺達の他にあと二体、人らしきモノがいるということか。
「そうだ!それで思い出したけど、エレベーターの中にいるときにもう変な感じはしたのよ」
「変な感じ……。その女の人から?」
「ううん。えっとね、私の家のマンションのエレベーターって、中から外が見えるようになってるんだ。ガラス?みたいなのがあって」
「あ、はいはいなるほど。あるよな、そういう造りのエレベーター」
中学の時に遊びに行った友達のマンションのエレベーターがそんな感じだった。
「それでね、エレベーターの中の階表示では上に向かってるのに、エレベーター自体は下に降りていくの。最後は一階を通り過ぎたのに、外の風景は変わらないままだった」
「それが変な感じ、か」
想像しただけで不気味極まりない。
その後『案内役』の女の人は俺の場合と同じく外に去っていったそうだ。
今となっては、それを追わなかったのが悔やまれる。
「しかし分からないのは、何で俺と明奈がここにいるのかって事だよな」
「え?それは、私達が人のいない世界に行きたいって望んだから、でしょ?」
「いや、それは多分そうなんだろうけど。だけど事実、人がいるだろ?自分以外に」
「それは、そうだけど……。それは、たまたまじゃないの?ほとんど同じ時間に実行したからとか」
「まぁ、思い当たる原因はそれぐらいしかないけどな………」
何というか、ひっかかる。
この世界は誰が作ったのだろうか。
仮に俺達の『人間なんていない方が良い』という強い想いがこの世界を生み出したとするなら、目の前の明奈の存在がそれを否定している。
ここまで徹底的な元の世界の情報、及び連絡手段が絶たれていながら、肝心の人の存在を消しきれていない。
この世界は、本当に俺達の為にあるのか?
それは今後この世界で過ごしていく中で、重大な問題かもしれない。
いや、その答えはやっぱり得られないだろうし、知ったところでどうしようもない。
元の世界に帰る気はないし、帰る手段もない。
けれど、それでも。
この解答に対するヒントがあるとすれば、それはこの世界の方にはないかもしれない。
むしろ……。
「明奈」
「ん?何?」
考えるよりも早く、言葉は出ていた。
それは、明奈だけでなく俺に対する問いかけでもあった。
「君はどうして、この世界を望んだ?」
言ってから、しまったと思った。
俺がそうであるように、彼女にだって人に話せない、話したくない理由がある可能性はかなり高いのに。
初対面で、彼女の心の不可侵の領域に踏み込むような真似をしでかしてしまった
かもしれない。
自問自答で済ませれば良かったものを。
「い、いやすまん。忘れてく」
「いいよ」
「…………は?」
今、いいよと言ったのか?
俺の謝罪に被せるようなタイミングだったから、どちらに対しての「いいよ」なのか分からん。
「いいよって、それは、どういう……?」
「でも、約束してくれる?私が『理由』を話したら、次は君が、私に同じ事をしてほしいの。それなら……うん。話せる気がする」
「………………」
しばし、考える。
彼女の提案から考察するに、やはり彼女の『理由』は、軽々と人に話せるものではないようだ。
そして、彼女もまた、俺の『理由』が並々ならぬものだと考えている。
そしてそれは確かに、当たっているのだ。
こうして俺が、彼女からの取引……いや、懇願に近いかもしれないが、考えこむ位には、人に話したくない。
俺の『理由』を理解してもらうには、どうやっても俺の人生、そして俺を束縛する技術についても話さなくてはならない。
普通なら、考えるまでもなく拒否するだろう。それを話すことは、俺にとっては拷問されろと言われるようなものだ。
しかし、今は普通じゃない。
もう、隠しても、煙に巻いても、嘘をついても意味はない。
それに俺も、自分をさらけ出せば、俺も知らない何かが掴めるような予感がある。
彼女だって、自分との葛藤があっただろう、彼女なりに自分を納得させ、話そうと決心してくれたのだ。
彼女が俺を見る目に、挙動に、一片の偽りも見られない。
自分は適当に嘘をついて、相手だけ本当の事を言わせようなんて醜い心は、全く感じられない。
それなら、俺も誠意でもって、彼女の提案に応じよう。
「分かった、必ず話す。いや、むしろ俺から話そうか?」
「いえ、それは……。結局同じかもしれないけど、私から話させて。自分でも良く分からないけど、なんだか、こういう所から積極的になれば、より前に進めるかもしれない」
「前に進む、か……」
何だか今、そのフレーズが頭の中にある何かを掠めたような……?
微かに、でもはっきりと。
「じゃあさ、ここじゃなんだし、私の家に来ない?お風呂も入りたいし」
「え、ちょっと何、風呂?家?」
「そうだけど、嫌?」
「嫌って訳では全然ないけど、いかんせん無念なことに、俺は女子の自宅に行くなんてこととは無縁の学生生活を送ってたもんで」
「そ、そうなの……」
軽く引かれたようだ。
何だ?俺の知らない間に『女子の家行ったことがないのが許されるのは小学生までだよねー』みたいな時代になってたのか?
全く最近の若者は……、お父さんそういうの良くないと思うぞ!
「それじゃ、ついてきて。ここから結構近くだから歩いてすぐ着くよ」
明奈は言いながらテーブルから降り、出口に歩いていく。
その後ろについたところで、明奈は振り返りながら、再び口を開いた。
「あ、あとそれとね」
「うん?何だ?」
「すごく今更かもしれないんだけど……」
「君の名前、教えてくれる?」
……………………。
そういや、忘れてたな。
「ここが私の住んでるマンションだよ」
オリアを出てから五分足らず、俺は見覚えのある建物の前にいた。
途中の道のりでもしやと思ったが、その予感は当たった。
俺が住んでいるマンションの真ん前と言って差し支えない、ほとんど毎日見ている建物だった。
彼女が乗ってきたエレベーターの説明を聞いて、最初に思い付いたのが中学の友達が住んでいたマンションのエレベーターなのだが……。まさか、ドンピシャでその場所に住んでいるとは。
「……ちなみに、俺の住んでるマンションそこだから」
振り向きながら自分の巣を指差して言うと、明奈は目を見開きながら
「えぇー!?嘘!?知らなかった、ここに住んでたの?」
「あぁ、そうだが。そりゃ知らなくて当たり前だろうよ」
「何階に住んでるの?私は五階だけど」
「八階」
「…………負けた」
「勝負してたのか……?」
三階分差があってもこの辺じゃあ見える景色も大したことないのに。
あぁでも、快晴で空気が澄んでいる日はベランダから富士山がはっきり見えたりするんだよな。
五階からでは見えないのだろうか。
「高いからって良いことあるか?最上階でもない限りお前のマンションがあるから景色も普通だし、何より地震の時の被害は甚大だぞ」
大きな地震が起こると毎回水槽の水が溢れないか心配してしまう。
床がフローリングじゃなくてカーペットだから染み込んだ水の処理が凄まじく面倒になる。
「確かにそうかもしれないけどね……」
ふとため息を吐き、すたすたと明奈が自宅へと歩を進めていく。
慌ててついていくが、やがてエレベーターの前に着くと、明奈は止まって当たり前のようにボタンを押した。
「おい、動かないんじゃ」
「あぁー……。そうだったぁー」
落胆を隠そうともせず、明奈はがくっと肩を落とす。
気持ちは分からなくもない、多分俺も同じ事をやるかもしれないし。
五階分階段を登るのは面倒だが、特段疲れるような運動ではない。
エレベーターの近くにある階段に足をかけ、登っていく。
明奈の後ろから登っているため、スカートとストッキングの間から覗く白い太ももがよく見えて非常に心臓によくない。
さりげなく距離を置いて下からパンツとか覗いてみようかな……。
いやいや、落ち着け。そんなことをしてバレたらただじゃすまない。
せっかく築き上げたように見える信頼が崩れてはたまったものじゃない。
代わりに別の事を考えねば。
そうだ、明奈がこんな近くに住んでいるという事は学区が同じである可能性が高いはずだ。
しかし、高校はもちろん小学校でも中学校でも明奈の事を見たことがない。
この辺は小学校も中学校も歩いていける距離に数多くあるにはあるが……。
都内の私立小学校でも受験してそのままエスカレータ式で高校まで進学したのかもしれない。
いや、勝手に推測しないで聞けばいいじゃないか。
「なぁ、あき――」
「到……着……。はぁ、はぁ」
いつの間にか五階に着いていたようだ。
「何で息切れしてんだよ……」
「運動……不足、だから……」
さいですか。
明奈の茶色がかった髪の毛から水泳でもやっていて脱色したのかと思ったが、そんな体育会系でもないようだ。
そもそもこんな体力じゃ高校の体育すら出来ているのか怪しい。
持病でもあるのだろうか?
その辺が彼女の『理由』に関係しているのかもしれない。
……あれ、何聞こうとしたんだっけ?
「はい、ここが私の部屋。上がって」
「お邪魔します、と」
玄関で靴を脱ぎ、リビングに向かう。
当然誰もいない、真っ暗だ。
後ろから来た明奈が電気をつけてくれた。
一般的な家庭のリビングだが、テーブルの上にあるボトルが気になった。
「これは……ワインか?」
「あぁぁ~!しまうの忘れてた~!」
明奈が慌ててワインを掴んで、キッチンの棚にしまった。
これはもしかしなくても……。
「明奈……それ、飲んだんだろ」
「う」
キッチンから出てきた明奈の動きが止まる。
考える事はみんな一緒なんだろうな。
「い、いやいや。飲んでない飲んでない。ただ、その……。そう!熟成具合を確かめたかったの!スライディングってやつ!」
「そうか、判定はアウトだ」
嘘吐いてんだか吐いてないんだか分からん言い訳だな。
滑り込んでどうするというのだ。
「大丈夫だって、誤魔化さなくて。俺だってこっち来てからチューハイ飲んだし」
「チューハイ?なにそれ、薬物?」
「んな訳あるか、酒だ酒。レモンとか使った飲みやすいやつ」
「そんなのあるんだ。お母さんがワインとビールしか飲まない人だから知らなかった」
「で、試しにワインに口を付けた、と」
「……うん」
「しかもついつい調子に乗って飲み過ぎて酔って寝ちゃった、と」
「何で知ってるの!?」
おお、まさかここまで俺と行動が一致しているとは。
明奈とは上手くやれそうな気がする。
「あの、ね?なんか意外と飲みやすくて、でも段々意識が薄れてきて、そのままベッドで……」
「目が覚めたら昼飯食ってないから腹が減って、オリアに来たって訳か」
「冷蔵庫の食料も切らしてたし、調理しなくても出来合いので済まそうかな~と思ったんだけど……」
そこで俺と遭遇した訳か。
タイミング的には異世界到着直後にも遭遇の機会があったのだろうが、俺がもたもたしてたからそれも叶わず。
もしもう少し早かったら俺に包丁を向けることもなかったかもしれん。
ま、今更どうしようもないか。
「じゃあ私、お風呂入るけど……、先に入る?」
「いや、いいよ。それよりも着替えが無くてな、家にも取りにいけないし」
「あ、そうか……。生憎我が家は女しかいなくて、貸せるような男物の服は無いんだよね」
「お、おぉ……。いや、大丈夫だ。コンビニとかにあるだろ」
今、随分な衝撃発言が飛び出したはずだが、当の明奈は気にする素振りすら見せていない。
そうか、明奈の家は母子家庭なのか。
とはいっても、それで変に同情とかされるとむしろ傷つくというのはよく聞く話だ。
本人が大したことではないと思っているのなら、それでいい。
障らぬ神に祟りなし、深く聞くのはやめよう。
「明奈が風呂入ってる間にパパッと取ってくるから。お先にどうぞ」
「うん、分かった。気を付けてね、もう夜中だし」
明奈が脱衣所のドアを閉めたのを尻目に、玄関の鍵を開けて再び外へ出る。
ここのエントランスは俺の住んでるマンションと違って自動ドアがない、鍵を持っていかなくとも入れなくなることはないのが羨ましい。
街灯はついているが、民家の電気は軒並み消えていて、夜道はいつもより少し暗い。
怖いほどに静寂に包まれた夜だ。
夜風が身体に吹き付ける、長袖とはいえ肌寒い。
チューハイと煙草を取ったコンビニに向かいつつ、自然と俺は明奈について考えていた。
母子家庭、同年代にしては持病を疑うほどの運動不足。
未遂とはいえ、初対面の人間を殺害しようとするまでに、この世界を渇望していたこと。
話してみれば明るい、あっけらかんとした性格に思える彼女が内包している心の闇。
どうもそれが気になってしょうがない。
この後話してくれるらしいが、その事ばかりが頭をよぎる。
待て、ぐらい犬でもできるというのに。
何故、俺は彼女の事をこんなに知りたいと思うのだろう?
コンビニで、適当に黒い服と下着を調達しながら自問自答する。
単なる好奇心、それもある。
しかし、それ以上に、俺は彼女に親近感を覚えているようだ。
俺と同じ世界を望んで、大体同じような行動をして、嘘を吐かず、本心のままに思ったことを喋る明奈を見て。
その上、少なくとも俺は誰にも話した事がないような、秘密を互いに打ち明けようとしている。
出会って間もないのに、そこまで俺は明奈に対して心を許した。
そしておそらく、明奈も同様に俺が彼女の心の深い領域に足を踏み入れることを許してくれた。
その事実に、俺は気分が高揚するのを抑えられない。
やっと、誰かと信じ合えるかもしれない。
人がいない世界を望んだのに、その世界で初めて信頼できる人間に出会えたなんて、何て皮肉だろう。
案外誰でも、こんな世界に来れば、嘘をつかなくなり、自分以外に人間がいれば、そしてそれが一人だけであれば、相手が誰であれ腹を割って自分の事を話そうとするものだろうか。
明奈は現実世界において、十把一絡げに俺が不信感を抱く他の人となんら変わらない、特別な人間ではないのかもしれないけれど。
俺にとっては、初めての信頼できる人間であることには変わりない。
ふと気づけば、マンションの前だった。
体感では5分も経っていないが、つらつらと考え事をしている内に時間は過ぎていたらしい。
さて、腹を据え、覚悟を決めよう。
どんな内容でも、彼女の話を最後まで聞いてあげよう。
誰にも話せなかった、こぼせなかった愚痴を聞いてもらおう。
それは、現実世界から逃げ出した弱虫の傷の舐め合いにも見えるだろう。
この世界には、そんな風に俺達を揶揄する人間もいない、手を差し伸べてくる偽善者もいない。
弱者は弱者だけで、仲良くやるさ。