表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/5

束の間の孤独と最悪な序章

心を読むことはテストでカンニングすることと変わらない。

相手が言っている事の真偽を確かめる為に、人は相手との距離を縮めて信頼関係を築き、心を許してもらうようにしたり、または拷問しながら尋問したり、取引をしようとしたり、様々な手法で真実を、答えを知ろうとする。

しかし、読心術を使えると、それらの手順は必要ない。

ただ相手の細かい挙動、声のトーンに注意しているだけで、何の前情報もなく最短かつ正確に見分けることが出来る。

出来てしまう。

もちろん、その相手が嘘をついていないのに事実と食い違っている事があれば、自分も相手と一緒に間違える可能性もある、この点もカンニングと同じだ。

普通の人間は自分で自分を騙せたり出来ない、その必要がないからだろう。

一体どんな人生を送れば、生涯裏切らない自分を騙すことが出来るのだろうか。

だから、普通に生きていれば、一般的な高校生となんら変わらない人生を歩んでいれば、そして紛い物でも読心術らしきものが使えれば、関わるほとんどの人間の本心が多少なりとも分かる。

分かりたくないのに。

知りたくもないのに。

見ないようにしても、どうしても目についてしまう、聞こえてしまう。

言っている事と矛盾する感情を表す動作が、嫌でも見える。

嘘をつかないといけない事情があるかもしれないのに、相手は俺を騙そうとしている、信じてはいけないと、どこかの俺がささやく。

自分だって嘘を吐くくせに。

もしかしたら俺は、目を潰し耳を引きちぎらない限り人を信じることは出来ないのかもしれない。

勝手に信じようとして、勝手に裏切られた気分になり、人から離れていく。

随分自分勝手な人間不信野郎だ。

そんな俺が、偶然ネットで知った異世界へ行く方法とやらを限りなく疑いながらそれでも迷いなく実行した理由もまだ、我ながら自己嫌悪に陥りそうな理由だ。

まさか、自分ではなく、自分が信じる事ができない人間の方から消えてもらおうなんて。

そんな自分勝手の極みのような願望を抱いて俺は、狭い箱の中に乗った。











九月八日、朝十時。

去年では考えられない程残暑が襲って来ず、むしろ涼しい気温の日。

文化祭の振休で学校もなく、部活もオフで暇をもて余した俺は、ネットで見つけた都市伝説を試すことにした。

エレベーターで異世界へ行く方法。

聞くからに嘘くさい、初回無料とかと同じぐらいに嘘の香りがプンプンする。

しかも途中で人が乗ってきたら駄目とか、『閉』 とか『開』のボタンは押してはいけないとか、無駄にめんどくさい。

その細かさが都市伝説に真実味をもたせようとしているのだろうが、俺からしてみれば失敗しているように見える。

信じる人はいるのだろうか。

人間もろくに信じられない俺が都市伝説なんて信じられる訳がない。

でも幽霊とかは信じてなくても怖い。

いっそ科学的根拠のあるものしか信じない科学者みたいな思考回路が欲しい。

科学者でも信じられる人間はいるだろうけども。

でも、それでも仮に、本当に異世界に行けたら……。

成功した場合、自分しかいない異世界に行けるという。

何て寂しくて、楽な世界だろうか。

家族も友人も他人もいない世界、見たくもない本心を持つ人間がそもそもいなくて、信じようにもやはり人間がいなくて。

どんなに静かで、生きやすい世界が待っているのか。

出鱈目だと思っても、その誘惑は俺にとって実行するのに充分過ぎる理由だ。

失敗したところで死ぬわけでもあるまいし。

家を出て、エレベーターを呼ぶ。

マンションに住んでいるおかげで、わざわざ10階以上ある建物を探す必要がないのは助かった。

そうだ、スマホで録画でもしよう。

何か写ったら時谷のやつにでも見せてやれば、きっと驚くはずだ。

夏休み中に時谷は随分恐ろしい体験をしたらしい、詳しくは話してくれないが。

「俺は絶対に遊びで心霊スポットとか行かねぇ」と宣言していた。

夏休み前は、夏休み中に帰省先で廃墟とかあるから行ってみたいとか言っていたのに、どういう心境の変化なのか。

帰省先か、あるいは一度誘われた滝村さんとかいう人の家に泊まりに行った時にでも幽霊とかを見たのか。

嘘をついている感じはなかったし、何があったのか、気になるところだ。

録画しながら八階に来たエレベーターに乗り込む。

まずは四階だ。

扉がしまり、ゆっくりと降下していく。

まもなく到着、扉が開く。

目の前にはいたって普通の風景がある。

八階以外に立ち寄る機会はないため少々新鮮だが、それまでだ。

ドアが閉まる。

二階のボタンを押す。

移動する間にエレベーターの中をスマホで映すのも忘れないようにする。

二階、何もなし。

次の六階、異常なし。

再び二階へ、変化なし。

十階のボタンを押して、一息つく。

さて、ここからが正念場だ。

十階についてから、五階のボタンを押す。

そこで若い女が乗ってくると、成功に近いらしい。

その女はこの世の人間ではないので、絶対に話しかけてはいけないという事だ。

その女に話しかけないまま一階を押すと、何故かエレベーターは十階へと向かう。

ここがやめる最後のチャンス、逆に言えばこの時点でほぼ成功は確定。

十階へ到着したとき、外は異世界になっているという……。

嘘だと思っていても、どうしても心臓の鼓動が早まるのを押さえられない。

十階に到着、誰もいない。

ゆっくりと五階を押す。

たった五階分、時間にして十秒程度なのに、とても長く感じた。

扉が、空いた。

「…………っ」

思わず声が出そうになった、なんとか飲み込めたが、息は漏れた。

若い茶髪の女性がエレベーターに乗り込んできた。

20代後半だろうか。

普通だ、とても普通。

特別不気味な雰囲気もない、どこかに子供でも連れて歩いてそうな女性。

その女性はボタンも押さず、至って普通に俺の後ろで立ち止まった。

俺がボタンの側にいるから、後ろに乗るのはなんら不思議じゃない。

ただ、ボタンを押さないのはどうだろう?

このマンションのエレベーターは、外にも止まった後エレベーターが上がるのか下がるのかが表示される。

つまり今のままだと、このエレベーターは五階に止まったままだし、その事はこの人も分かっているはずだ。

なのに、乗るときにボタンを押さない、だって?

いやまて、ただ一階に行くと思い込んでいるのかもしれない。

俺だって毎回表示を確認するかと言われれば、その限りではない。

五階についても俺が降りないのを見て、ボタンを押し間違えたとでも思われただけかという可能性は充分ある。

エレベーターを利用して下に行く人は大体一階が目的地だろうしな。

じゃあ、今回は失敗か?

タイミングがドンピシャだっただけだろう、多分。

とりあえず、一階のボタンを押した。

混乱していた頭を落ち着かせる。

まず、スマホの録画を止める。

五階についたあたりから反射的にスマホを下ろしてしまっていたので、ほとんどまともな映像が撮れていないだろう。

家でチェックすることにしよう。

スマホをやめて、顔を上げたその時。

思わず目を疑った。

エレベーターは確かに下に降りている。

しかし、電子画面の階表示は、既に八階を通り過ぎていた。

途端に、鳥肌が立つ。

どうなってるんだ……?故障か?

後ろの女は、この異常に気付いていないのか?

落ち着きかけた頭が再び混乱に陥ってまもなく、エレベーターは止まった。

一階?十階?

扉が空いた先の光景は、一階のそれだった。

見間違いようもない、いつもと変わらない見慣れた光景。

少し呆けてしまったが、我に帰り慌ててエレベーターから降りる。

続いて女性も降りた。

そのままカツカツと足音をたてながらエントランスに続く通路を歩いていった。

ハイヒールを履いていたようだ。

いやいや、そんな事はどうだっていい。

エレベーターの扉が閉まる。

扉の横にある小さい階表示の画面を見ると、一階のところが光っている。

おかしいのは中の階表示だけのようだ。

となると、あれは故障なのだろうか。

何か引っかかるが、まぁいい、失敗したことだし、大人しく家に帰ろう。

アニメも溜まっていることだし。

さっき閉まったばかりのエレベーターの扉を開けようとボタンを押した、が。

…………反応がない。

おかしいな、さっきまで動いてたって言うのに。

今日は点検の日だったのだろうか。

スマホで時間を見ると10時28分だった。

点検とかをするには些か中途半端な時間だ、いつもは大体キリのいい時間から始まるのに。

そもそも点検を知らせる張り紙も無い。

参ったな、こりゃ完全に故障だ。

原因が俺とかじゃなければいいけど。

いや良くない、 故障となると当分は階段を使って生活しなければならない。

八階分を毎日…………。

中に閉じ込められなかっただけ助かったが、今後の事を考えると気が重い。

とにかく管理人に伝えなければ。

管理人室を訪ねるも、不在。

「はぁ……マジかよ」

多分掃除とかに行ってんだろうな、その

割には清掃中の札がないけど。

その時、自分の失態に気付いた。

「あ…………。鍵…………」

時既に遅し、背後でエントランスの自動ドアが閉まる音が聞こえた。

鍵を閉じ込めてしまった。

家は無人なのにも関わらず。

「はぁ……。ついてないな」

一人なのに愚痴をこぼしている哀れな男子高校生がここにいる。

マンションに住んでいる人なら誰しも一度は経験するであろう他の住人の出待ち兼入待ち作戦を決行ほかないようだ。

管理人が戻ってくるのが一番色々といっぺんに済ませられて楽なんだけど。

時間を潰すべくスマホを取り出す。

暗証番号を打ち込んだ所で、画面に違和感を感じた。

すぐその正体に辿り着く。

「電波が悪い……?いや、そもそも……」

そもそも通っていない。

馬鹿な、ここは山中でもトンネルでもエレベーターの中でもないのに。

外に出てみてもLTEも3G回線も反応がない。

おいおい、スマホも故障か?

「停電……?いや、それにしたって携帯も使えなくなるって事はないだろうし」

ヤシマ作戦でも開始されたんですかね。

この辺に使徒とか来るとか、そんな妄想は良くしたものだけども。

今待ってるのは使徒じゃなくて人だ。

…………また、違和感。

何かが、本能に何かが訴えている。

味わい慣れた感覚だが、今回は桁外れの衝撃。

心地よい衝撃、望んでいた衝撃。

圧倒的なまでの孤独感……それだ!

涼しいとはいえ、終わりに近いとはいえ季節は夏。

蝉の声が聞こえるが、ただそれだけ。

それ、だけ?

都会の大きい道路から一本外れただけなのに?

同時に、頭のどこかに引っかかっていた疑問にも答えが出た。

五階から一階には四階分。

五階から十階には五階分だ。

画面の階表示がおかしくったって、移動する長さは変わらない。

そして確かに、エレベーターは五階分下に移動していた。

生まれてからずっと乗って来たんだ、一階分の感覚を間違えるはずがない。

仮に五階から五階分降りたら、ありもしない地下に着くはずだ。

なのに、辿り着いたのは一階。

これが意味するところは。

やめるなら九階を通り過ぎる前が最後のチャンスという注意書きの意味は。

「異世界に……到着した……?」

身体中から力が抜け、尻餅をついてしまう。

取り返しのつかないことをしてしまったというのに、不思議と頭は冷静だった。

いや、ただ呆然としているだけかもしれない。

蝉が鳴き止むと、街は異様な静けさに包まれる。

これが、無人の世界。

そうだ、それなら。

腰を上げ、大通りに向かう。

案の定、車は見えないけれど。

最後の、ほんの僅かに残る可能性を、偶然を潰しに行こう。

大通りに出た。

目の前に広がる、予想通りの光景に。

思わず、笑みがこぼれた。

久々に、心から笑えた気がする。

見える限り、人も車も通っていない。

ゲームのような景色の中で、俺はただ立ち尽くし、余韻に浸っていた。





ふと、意識を取り戻した。

まず目に飛び込んできたのは、夕方の空だった。

もうすぐ夜になろうとしている。

目をぐるりと動かし周りを見る。

ここは………芝生?

そうだ、家の近くの大型のショッピングモール、オリアの前にある芝生だ。

何故か、人っ子一人いない。

頭がボーッとする、頭の芯が重い。

面倒だが、身体を半分起こす。

寝汗を多少かいたようだ。

手元には、チューハイの空き缶、そして煙草の箱が転がっていた。

銘柄はハイライトだ。

確か親父が禁煙する前に最後まで吸っていたと聞いたことがある。

コンビニで入手するとき、ケントという煙草も気になったが、気になった理由がしょうもないのでやめたのだった。

ようやくまともな思考能力を取り戻した所で、記憶が蘇ってきた。

そうだ、俺はエレベーターで奇跡的に異世界に飛んだのだ。

その後、この芝生に来たのだった。

人のいないこの世界では法律もマナーもない。どうせなら派手にやろうと思い、煙草を吸ってチューハイをあおった所で記憶が途絶えている。

というか普通に考えて寝ちゃったんだな。

ほぼ気絶に近い眠りだったかもしれない。

無理もない、急性アルコール中毒とかにならなかったのが幸いだった。

人目がないからといってこんな芝生で大の字になって眠りこけていたとは……。

恥ずかしさはないが、なんとなく情けなくなる。

これじゃあその辺の不良と変わらない。

といっても、無人の異世界に来たからといって特段やりたい事があった訳でもない。

人がいない、それだけで十分だ。

もう持ちたくもなかった能力に悩まされることも、母親に気を使うこともない。

これこそ真の自由だ。

時間は午後6時4分だった。

さて、これからどうしようか。

煙草を取りだし、火をつけて、煙を吸い込む。

しかし、すぐにむせてしまった。

ありゃ、流石に寝起きの一発目に煙草はキツかったか?

いや、それもあるが、異様に喉が乾いた喉に煙がすんなり入る訳がない。

そもそも酔い潰れたおかげで少なくとも六時間以上は飲まず食わずの状態だ。

昼飯もとっておらず、喉の乾きと空腹はかなり限界に近い、あと尿意も。

とりあえずオリアで済ませよう。

オリアに向かいながら、これからこの世界でどうしようかと考える、

日本中を旅するのもいいな。

いくらでも時間も資源もある、自転車でゆっくりと移動しながら観光しようかな。

スマホの地図も、電波がないからナビゲートは出来なくとも、道順を表示する位なら出来るだろう。

都合よく、この世界では無人でも電気が通っていて、充電切れの心配もない。

何となく、電波が通っていないなら電気も、と考えていたが、そんなことはないらしい。

人が作ったはずの街は、人がいなくても生きていけるようになっているようだ。

日本横断作戦は明日から決行するとして、今日の寝床を決めねば。

恐らく一番快眠出来るであろう家には帰れない……。いや、全く不可能という事はない。

しかし、自動ドアがしっかり機能している今、思い付くのは二階まで無理矢理よじ登るとか、かなり強引なやり方だ。

SECOMとかを気にせずとも、肉体的に危険が伴う。

とはいえ、また芝生で寝るのも嫌だ。

寝心地は悪くないが、蚊に刺されて身体の所々が痒い。

……いやいや、考えるまでもない。

オリアのどこか適当な所で寝ればよかろう。

そこそこ規模の大きいショッピングモールだ、家具屋もあるし、ベッドでも使おう。

オリアの中に入る。

怖いくらいの、閉じられた沈黙。

遠くでエンドレスで流れているエスカレーターに関する注意の館内放送がいやに大きく聞こえた。

手すりにつかまり、黄色い線の内側にお乗り下さい……。

普段は聞き慣れている、そして聞き流しているフレーズも、今はどこか懐かしいような、安心させられる言葉になっていた。

心から人のいない世界を望んでいても、やはりその心のどこかでは寂しさもあったんだろうな。

自分の事は、自分がよく知っている。

どんな嫌な自分でも。

いや、もういいだろう?

この世界には俺しかいない、それはほとんど確実だ。

なら、もう自己嫌悪に陥る原因も、必要もない。

自分と戦って何になる、もうそんな事はしなくていいんだ。

誰も信じられなくても、自分だけは信じよう。

もう愛せる人は自分しかいないんだ。

慈愛の心を持て、自愛の心を持て。

しかし、それにしても。

「腹減ったな……」

余計な事を考えている場合ではない。

いや、ひょっとすると俺の中では重要な葛藤かもしれないけど。

時間はあるんだ、後にしよう。

飲料コーナーでペットボトルのジャスミン茶があったので、浴びるように飲み干す。

いかん、こんな冷たいのをイッキ飲みしたら腹を壊してしまう。

と気付いた時には既にペットボトルは空になっていた。

口の中に爽やかなジャスミンの風味が残る。

もう少し味わって飲むのが普通だろうが、そんな事も言ってられない。

そういや白崎なんかは、この味を雑草とか評してたっけな。

雑草を食べた事があるのかと、その時はなんとなく憤りを感じたものだ。 なかなかこの美味しさを分かってくれる人がいない。

冷たい物を飲んだ所で、頭も本当に冷水を浴びたかのようにクールになってきた。

次は何を食べようかと、惣菜売り場を見て回る。

たしかレジを抜けた所にポットも電子レンジがあったはずだ。調理には事欠かないだろう。

まだ肉や野菜という生物からは腐ったような異臭はしない。

何日かしたらこの辺は食えなくなるだろうし、今の内に食べてしまおう。

食べたい物が多くなってきたので、カゴとショッピングカートを取ってきて、その中にどんどん入れていく。

一通り揃った後、ついでに調理器具売り場で包丁と箸、包丁とカセットコンロを拝借した。

それらを、買ったものを袋に詰めるためにあるテーブルの上に広げた。

…………こんなに食えねぇよ。

ステーキ用の牛肉、出来合いのハンバーグ、グリルチキンに焼き鳥、ネギトロ寿司に豚丼。

野菜はサーモンのカルパッチョ位しかない。

魚も同様だ。

いや、正確には開催されていた北海道物産展の商品としてうにの塩漬けかなんかがあるけども、魚介類であって魚ではあるまい。

激辛カップラーメンにキムチを筆頭とする漬物まである。

いや、あるっていうか自分で買ったんだけど。

フルーツも季節外れのものから旬なものまで様々だ。

途中から収まり切らなくなってカートをもうひとつ追加したところで気付いてもよかろうに。

生である牛肉と焼き鳥は今日食べてしまおう。

残りは明日でもいい。

カセットコンロにガス缶をセットして火が点くのを確認した。

よし、問題ない。

火を止めたところで、はたと気付いた。

そうだ、ステーキ焼くならバターと調味料がないといかん。

これだけ広い食料品売り場なら、ステーキ用ソースなるものもあるかもしれん。

さてさて、調味料はどの辺だろうか。

探すこと20分。

ようやく探し当てた塩胡椒とステーキ用ソースを手に来た道を戻る。

しかしステーキ用のソースにあんな種類があるとは予想外だった。

探索に使った時間のほとんどはソースの選別に充てた。

蓋を開けては味見し、さながらトーナメントのようにソース同士を比べ、遂に選ばれた極上の一品。

去年行った池袋のバイキングの一番人気としてあるローストビーフの上にかかってたソースと同じ味がしたのが決勝点になった。

MVPは刻み玉ねぎですね、間違いない。

よし、早く焼いて食べてしまおう。

腹と背中がくっつきそうだ、何と言っても午後の活動源となる昼飯を抜いたわけだから。

昼飯兼晩飯、これも新しい試みだ。

もう二度とやらないけど。

食事場所がレジの向こうに見えた、その瞬間だった。

「ふぉぉッ!……おーぅい……」

余りの驚きに優勝者のソースを取り落としそうになったがこらえる。

咄嗟にティッシュが積まれている商品棚に身を隠し、慎重に向こうを伺う。

俺にとっての食事場所。

さながらバイキングのように食べ物が広げられているそこに、人がいる。

どうやらこっちには気付いていないらしい。

いくら無人とはいえ、この距離では足音や多少の声なら聞こえないか。

しかし悲しいかな、俺にしてみればこの距離、10メートルより少し長い位この遠さは、同時に相手の顔がよく見えないという不利な状況を作りだしていた。

こちらに向かって来ないというだけで、気付かれていないと考えたが、気付いた上で無視された可能性もある。

生憎、眼鏡は家だ……。ここは目を細めて根性でどうにかするしかない。

何やら挙動不審で、隙を見て覗くしかないから少しずつしか相手を観察出来ないが、どうやら女子のようだ。

身長からすると、中学生か高校生。

いや、大学生かもしれない。

二十代って事はないだろうが、なんとなく同級生の女子達と雰囲気が似ている。

眼鏡はかけていない。

黒髪のショートヘアー、いや、若干茶色のようにも見える、 光の加減でそう見えるだけか?

ベージュ色の長袖に、茶色のスカート。

靴は分からないが、黒のストッキングを穿いている。

服装で年齢がわかる程、女子との付き合いはない……。というか女子の私服なんてクラスの打ち上げとか、修学旅行でしか見たことがない。

肝心の顔がさっぱり分からない、デブではないのは確かだ。

おうおう、ちょっと待てや。

そもそもこの世界には俺しかいないはずだろ?

ならなんであんな見知らぬ女の子がここにいるんだ。

さっきから俺が盗ってきた、いや取ってきたご馳走(?)を手に取っては戻し、周りをきょろきょろ見渡し、また手に取るという作業を繰り返している。

あれは多分、あそこに食べ物を置いた誰か、つまり俺なのだが、その人が戻って来るのを不安になりながら待っているのだろう。

もし戻って来なかったら、あわよくば頂こうと思っているのかまでは分からないが、しかし周りを注意深く警戒しているようで、視線はあのフルコースに奪われているところをみるとこの推測もあながち間違ってもいないかもしれない。

時間はとうに7時を過ぎている、普通の生活を送っていれば誰だって腹が減るタイミングだ。

いや、別に食料はこの際どうでもいい。

踵を返せば同じものがまだまだ手に入る。

だがしかし、勿論ここで引き下がる訳にもいかない。

何故、彼女がここにいるのか。

どう見ても、あのエレベーターの中にいた女性ではない。目が悪くてもそれくらいは分かる。

彼女に色々話を聞きたいが、何かが邪魔をする。

この世界において、恐らく本当の意味では満たされる事のない、人間の三代欲求の一つが、頭をもたげてきた。

どす黒く渦巻く、最低の欲望が。

例えば、少なくともこの辺りには見たところ彼女と俺しか人間がいない。

なら、俺がここで彼女に何をしても罰する人はいない。

やってしまえと、黒い俺が俺に囁く。

せっかくの夢のような世界に、水を差すような邪魔者はいらない。

それが女の子でもだ。

彼女は武器らしい物も持っていない、強いて挙げれば俺が取ってきた包丁が彼女の近くにあるが、そんなもの先に手にいれてしまえばいい。

問題があるとすれば、彼女が何かスポーツをしていて、身体を鍛えていた場合だ。

その時は身体そのものが武器となる。

俺も部活で多少は鍛えているが、その部活も相当ゆるい。正直、一般的な運動部の男子高校生の平均身体能力と変わらないか、やや下回るかもしれない。

そうなると、例えば彼女が柔道をやっていたとしよう。するとどうだ、俺はあっけなく背負い投げされ硬い地面に打ち付けられて、最悪死ぬかもしれない。

骨折した所で、治す医者もいない。

今後のドリームライフに大いなる支障をきたすだろう。

仮に不意打ち等が成功し、彼女に自分の欲望をぶちまけた後、どうする?

復讐される前に殺すのか?殺せるのか?

俺を責める人も、断罪する人も、憎む人がいないとしても。

彼女が死んで悲しむ遺族も、友人もいないとしても。

「何を考えてんだ、俺は……」

呆れたように自分に言い聞かす。

そうして自分の醜い本能と欲望を振り切る。

それをやったらおしまいだ。

俺は、二度と自分を信じられなくなる。

そして、自分で自分を殺すだろう。

滑稽極まりない終わりかただ。

せっかく桃源郷のような所に来たのに、わざわざ地獄に自分から出向く事はない。

耐えろ、堪えろ、抑えろ。

「よし……」

感情がニュートラルに近付いた所で、ようやく腰を上げる。

さて、どう話しかけたものか。

多分この状況だと、どんな爽やかに接しても怯えられる。

俺がイケメンだったら上手くいくかもしれないが、生憎そんな顔は持ち合わせていない。

仕方ない、普通に真っ正面から切り込んでいくしかないな。

第一声は「どうも。君、誰?」でいいだろう。

変な前置きも、自己紹介もめんどくさい。

まず意志疎通が図れる相手なのかどうかを確かめてからでも遅くないだろう。

物陰から出て、レジを抜けて彼女に歩み寄る。

置いてあった果物を物色していた彼女だったが、足音に気付いたのだろう、慌ただしく振り返った。

目が合う。

おや?これはなかなかどうして可愛い女の子じゃないか。

思わず口元が緩みそうになり、すんでのところで真顔を保つ。

予想通り、怯え、警戒している様子だ。

いかんともし難い沈黙が続く。

これまた予想通りに重い自分の口をこじ開け、用意していた台詞を言う。

「ど、どうも……。えっと、君、誰?」

情けない位詰まった言葉だが、どうやら伝わったようだ。

固まっていた彼女は、やっと動き出し。

近くにあった、包丁を掴んだ。

「あ」

なるほど、どうやら俺と同じ考えを持っている人間もいるようだ。

せっかくの夢の世界に、他の人間なんていらない。

悲しいかな、その先の考えまでは一致しなかったようだが。

何かの本で、殺人のほとんどは計画的でなく突発的であるケースが多いと読んだ事がある。

あれは本当だということを、身をもって知ることになるとは。

いや、身をもって知る訳にはいかない。

「ごめんなさい」

彼女は迷うことなく、手に持った包丁を俺に向けてきた。

一歩、後ずさる。

謝る位ならやるなよと文句を言いたくなるが、ぐっと堪える。

それどころではないのは明らかだ。

冷静になろうとしても、どうしても向けられた刃物に、全身の血液が凍るような戦慄が走る。

彼女が、一歩距離を詰めてくる。

そのまま踏み込んでくれば、あっけなく俺の身体を刺せる距離だ。

もう一歩、崩れ落ちないように後ろに下がる。

何とか腰は抜けていない。

かといって、このまま振り返って全力ダッシュが出来るかといえば、微妙なところだ。

足がもつれて転べば、命はない。

いや、転んでからも全力で抵抗し、揉み合いになればどうにかなるかもしれない。

しかし、一つしかない命を賭けるには些か頼りない確率だ。

どうにか切り抜ける案はないかと頭を回転させる。

幸運な事に、目の前の彼女はそれきり俯いたまま動かない。

包丁の刃先はこちらに向けたままだが。

なるべく悟られないように大きく息をつく。

相手から目をそらさず、次の動きに対応出来るようにする。

そこで、一筋の光明を見出だした。

彼女の手が、震えている。

いや、それどころじゃない。肩も、脚も小刻みに震えている。

これは……怯え、そして迷い。

表情こそ窺えないが、そんな感情が少なからずあることが、挙動に表れている。

迷いなく、なんてとんでもない。

彼女は、俺を殺すことに迷っている。

遅ればせながら、すんでのところで思考が殺人のその先に進んだのだろうか。

その先に、果てしない絶望が手をこまねいて待っていることに気付いたのだろうか。

なら、話し合いでどうにかなる。

まだ理性が残っているなら、殺人を思い止まるだけの冷静さがあるのなら、言葉は届く。

彼女の良心に、訴えかけさせてもらおう。

言葉を紡ごうと、再び口を開こうとした、その時。

緊張が、僅かに解けたその瞬間。

ぎゅるるる、と。

飢えた腹の虫が、この場にはあまりにも相応しくない不協和音を奏でた。

しかもその不協和音は、俺の前からも聞こえた。

これまたどうにもならない沈黙がその場を支配する。

まずい、すごく気まずい。

髪で見えづらいが、それでも彼女の耳が真っ赤になっているのが分かる。

……これ以上恥をかかせてはいけない。

さっきまで自分を殺そうとしていた相手に気を遣うのもおかしな話だが、そこはお互い様だ。

「とりあえず……飯、食べない?」

そんな、数十秒前なら考えられない俺の言葉に対して。

彼女は、包丁を取り落とし、小さく頷いた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ