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ねんがんの 童貞 をてにいれたぞ!(下② 完結)

「ようし! 夏合宿は現地集合だからな! どんな交通手段を使おうが、各自自由! 時間にだけは遅れんなよ!」


 テニス愛好会の部室で、ヤクザ先輩がそう、会員たちに声を掛ける。

 夏休みの半ば、テニス愛好会の夏合宿が始まった。


 この間の合コンから、俺とナベさんたちの間では気まずい空気が流れている。

 二人は自宅からそのまま合宿場へと向かったようで、部室には姿を見せていない。


 今、部室に来ているのは、ヤクザ先輩と、現地から荷物の運搬を命じられた1年生だけである。


「清澄……」

「陽介か、日向ちゃんはどうした?」

「いや、日向は合宿に参加しない、俺だけだ」


 陽介は俺にそう声を掛けると、そそくさと荷物を持って出ていく。

 あの日から、陽介との間にも気まずい空気が流れている、当然と言えば当然であるが…。

 

 思えば、ここ数日で俺は何人もの友人を失ってしまった。

 しかも原因は全て俺だ。

 

 日向は合宿に参加しないようだ、別に合宿は強制参加という訳ではない。

 何せ、テニス合宿と言っても、やることはキャンプもどきと……後はセックスくらいだ。

 参加者もヤクザ先輩のような幹部と、後は外で青姦でも洒落こもうとしているようなスキモノばかり。

 むしろ、何故陽介が合宿に参加しているのかわからないくらいである。

 

 いくら周囲に鈍感な陽介であっても、この合宿がテニスの為のものではないことくらい、わかっていると思うのだが……。


 そして、俺自身、何故この合宿に参加しようとしているのだろう?

 俺は、ここ最近の強引なやり口のせいで、サークルの女からひどく嫌われている。

 このまま合宿に参加したところで、俺の相手をしてくれる女なんていないだろう。


「おいキヨ、お前はこっちだ」

 自嘲気味にそんなことを考えていたところ、ヤクザ先輩が荷物を片手に俺へ声を掛ける。


「お前は、俺と一緒にメイン運搬係。

 ほれ、早く荷物持て」


 そう言ってヤクザ先輩は俺に、鍋やら食材やらを持たせる。

 大学の駐車場には、ヤクザ先輩の実家で使っているらしい軽トラが停められており、荷物の大半はそれで運ぶらしい。

 そして、俺はヤクザ先輩と一緒に荷物を運ぶ係、というわけだ。


「お、重い……」

「すぐそこまでだ、ほら、シャキシャキ働け」


 ヤクザ先輩は豪快に笑うと、俺の尻を叩く。


「あ、そう言えば……」

「あ?」

「椿先輩は……参加するんスかね?」

「ああ、あいつは自宅から直接参加組だ。あいつも幹部だってのに、全然手伝いやしねぇ」


 そう言ってヤクザ先輩が困ったような笑みを浮かべる。


「何だキヨ? やっぱあいつのことが気になるのか?」

「いや……別に……」

 ヤクザ先輩の言葉を俺は慌てて否定する。

 本当、俺は何であんなビッチのことを聞いたりしたんだ?

 くそ………。




 俺は、ヤクザ先輩が運転する軽トラの助手席に乗り、合宿場であるコテージに向かっている。

 移動中、ふとヤクザ先輩が口を開いた。


「キヨ、サークルには慣れたか?」

「ええ、まあ」


 当たり障りなく、俺が答えると、ヤクザ先輩は少し言葉を選ぶように、また口を開く。


「この間の合コンのこと、ナベから聞いたよ」

「そう……っスか……」

「何か悩みがあるなら聞くぜ? こんなんでも、一応先輩だからな」

「悩みなんて、何もないっスよ」


 俺はヤクザ先輩から目を逸らしつつも、断固とした口調で言う。


「………」


 ヤクザ先輩はしばらく黙った後、ポツリと


「お前をテニス愛好会に入れるべきではなかったのかも、しれないな」


と呟く。


「はっ!?」


 予想外の言葉に、俺がヤクザ先輩へ目を向けるが、先輩は前に目を向けたままだ。

 

「な、それってどういう――――」

「よし、キヨ! もうそろそろ到着だ。荷物を下ろす準備しとけ!」


 ヤクザ先輩は俺の言葉を遮るように、そう告げると、もう俺の質問に答えることはなかった。 




避暑地の高原にある小さなホテル。

 ホテルの敷地内には数棟のコテージと、何面かのテニスコートがある。

 ここが、テニス愛好会の合宿場だった。


 俺はヤクザ先輩の指示で、軽トラの荷物をコテージに運びこむ。

 酒に食い物、トランプに………コンドーム? ってこんなもん、共用品に入れんなよ。

 俺は荷物をあらかた片したが、ラケットはおろか、ボールすら入っていない。

 清清しいくらい、テニスとは名ばかりのサークルだな、ホント。


 テニス愛好会は3棟、コテージを借りており、男用、女用、その他用の3棟となっている。

 その他用コテージは、名目上男女共用コテージとなっているが………まあヤる用ってことなんだろうな。

 そんなことを考えていると、背後から声を掛けられた。


「やっほー、童貞くん、早いね。

 あ、これは早漏ってことじゃないよ」

「昼間っから飛ばしてますね………椿先輩」


 初っ端から、嫌な奴に声を掛けられた。

 椿先輩はまだ昼だというのに、すでに少し酔っ払っているようで、顔を仄かに紅潮させてへらへらと笑っている。


「もう、飲んでるんスか?」

「行きの電車でちょっとね。ふふふ、童貞くーん、楽しい合宿だよー? ちゃんとゴム持ってきた?」

「いや……そういえば、サークルの共用品に1ダースくらい入ってましたよ」

「マジで!? すげーな! このサークル。痒いところに手が届くってやつ?」

「あの……俺、まだ色々準備しないといけないんで、ちょっと失礼しますね」


 こんな酔っ払いビッチの相手をするのも疲れたので、俺はそそくさと椿先輩に背を向け、この場を離れようとする。

 そんな俺の背中に、椿先輩の声が届いた。


「童貞くん、もし夜になって寂しくなったら、私の所へ来なよ。

 私、待ってるから」

「は? 待ってるって……どういう―――」

「じゃあねえ」


 思わず俺が振り返って、椿先輩に声を掛けようとするも、椿先輩は手を軽く振りながら離れていくところだった。


 私、待ってるから?

 どういうつもりだ、あのビッチ。

 俺は腐っても、お前なんかに相手をしてもらうつもりはないぞ。

 俺は新歓コンパの頃のような童貞じゃない。

 経験人数だって、同世代の奴らと比べたら多い方の部類に入るだろう。

 俺をなめるなよ、佐久間椿。


 はき捨てるように、そんなことを思いながら、俺は椿先輩の去っていった方向を見つめる。



 ――――テニス愛好会の夏合宿がはじまった。



 昼間は何事もなく、合宿は進んだ。

 会員みんなでバーベキューをして、サッカーをやって―――テニスしろよ―――後は川原で釣りをしたり、草原で昼寝をしたり、林で青姦したりと、みんな思い思いに過ごしている。


 日が落ちてくると、今度は、その他用のコテージに入って酒盛りが始まった。

 合宿に参加した会員は18名、ナベさんやマサキさんなど、サークルによく顔を出す、俺にとってもよく見知った顔ばかりだった。

 しかし、今の俺にとって、この状況は些か居心地が悪い。

 前の合コンでナベさんたちに暴言を吐いてから、どうも俺はテニス愛好会に居づらいのだ―――当然と言えば当然であるが……。


「おーさまだーれだ? ……俺だあ!!」

「またマサキぃ? あんた何か仕込んでんじゃないでしょうね!?」

「下々の者が何と言おうと、王様の命令は絶対だ! 

 そうだな……じゃあ、王様が5番の胸を揉む!」

「はあ!? いくらなんでも露骨すぎんでしょ!?」

「5番、5番ってだれ?」

「………俺だ」

「ナベかよ!」

「マサキ……俺、人に胸を揉まれるなんて初めてだから……優しく…してくれよ……」

「やめろ! 何でお前、ちょっと恥ずかしがってんだよ、恐いわ!!」

「ぎゃははは!」


 親しい人間が集まっていることもあって、酒盛りはとても盛り上がっている。

 しかし、俺は何だか所在なく、そっとその他用のコテージから外へ出ることにした。

 みんなにトイレへ行くと伝えると、マサキさんがナベさんの胸を揉みながら

「おう、いってらー」

と、軽い調子で返事をする。

 俺が、後ろ向きにコテージのドアを閉める。

 すると、ドアの向こうから、少し声音を下げた声が耳に入った。


「ねえ、キヨの奴、最近何なの? おかしくない? あいつ」

「………!」

 思わず、俺はドアに耳を当て、コテージ内の会話を盗み聞きしてしまう。


「確かに! 最近おかしいよね、あいつ」

「なんか、妙に自身あり気っていうかさ、私たちのこと見下すような目で見てきて、むかつくんだよ、あいつ」

「ああ、入部したときは調子乗りの、まあかわいい後輩って感じだったけど、最近はうざいよな、キヨ」

「あれだろ? 童貞くんが女を知って、変に自身をつけちゃったんだろ? あるある」

「どう見ても、高校まで童貞まっしぐらで、コンプレックスの塊みたいな奴だったからな」

「そのくせ、どっかで俺はお前らとは違う、的に考えてるところあるよな。キヨさんマジ、ぱねぇっす」


 コテージ内では、みんなが俺のことを好き勝手に話している。

 

「ま、まあ、そう言うなよ、あいつ最近、情緒不安定気味でさ……ちょっと疲れてんだよ、きっと」

 

 マサキさんの、そんな声を背に、居たたまれなくなった俺は逃げるようにその場を去った。


 

 人気のない、真っ暗な森の中を俺は走る。

 コテージの中で好き勝手に話されていた、俺のこと。

 好き勝手……いや、違うな、みんなが言っていることは確かに事実だ。


 他の会員を見下した目で見ていたのも

 コンプレックスの塊なことも


 確かに事実だ。

 案外わかるもんなんだな、こういうのって………。


 闇雲に森の中を走りながら、俺は考える。


 俺は一体、何をしているんだろう?

 俺は一体、何をしたかったんだろう?


 高校生の時、俺はあまりにも惨めな自分がつくづく嫌になり、変わってみせると誓った。

 キモくて、無様で、弱い自分を変えてみせると誓った。

 氷室のような、イカした男になりたいと願った。


 その結果が………このザマだ。

 俺は………一人に、なってしまった。


 プルルルル、と突然俺の携帯が鳴る。

 着信の相手は………椿先輩だ。


 俺は少しの間、逡巡するも、電話に出る。


「やっほー、童貞くん、今どこにいるの? 一人?」

「いや………」

「一人なんでしょ? コテージにいなかったもんね。

 一人で何してるの? 何もしてないの?」

「はは……まあ」


 椿先輩が矢継ぎ早に言葉を並べる。

 俺は、それに対し散漫な返事をすると、椿先輩が言う。


「童貞くん、今寂しい?」

「…………」

「ねえ? 一人で寂しくないの? 寂しいよね?」

「寂しくなんて……」

「私は、寂しいよ?」

「え?」


 思いがけない椿先輩の言葉に、思わず俺は聞き返す。


「私はね…いつも寂しいの。

 みんなと一緒にいても、誰かと一緒にいても。

 いつも、いつも、寂しいんだ。」

「…………」

「だからさ、童貞くん。

 これから会おうよ。

 会ってセックスしよ? そうすれば、私も童貞くんもきっと寂しくないよ?」

「…………」

「童貞くん?」


「行きます、俺、今から行きます。

 椿先輩、今どこですか?」

「はは、ありがとう。童貞くん」


 そうです、椿先輩。

 俺は寂しいんです。

 どうしようもなく、耐えられないほど。

 

 あなたと一緒にいたら、俺は救われますか?

 あなたは俺を救ってくれますか?




 椿先輩から言われた場所は、コテージから離れた場所、むしろホテルの側にある小さな物置小屋だった。

 俺が音を立てないように、物置小屋の引き戸を引く、鍵はかかっていないようだ。

 物置小屋の中は2畳ほどの大きさで、普段使われていないと思われるマットが何枚か置かれている。

 そして、そのマットの上に椿先輩がちょこんと一人、膝を抱え、俯いて座っていた。


「椿先輩………」

「あ……童貞くん、来てくれたんだ」

 俺が、声を掛けると、椿先輩はそこでようやく俺に気付いたように顔を上げる。


「椿先輩、この小屋、どうしたんですか?」

「ふふふ、昼間の内に見つけて、確保しておいたのだよ。

 どう? ちょっとほこりっぽいけど、結構居心地よくない?」

「はい……まあ」

「まあ、童貞くん、一度座りたまえ、楽にしていいぞよ」

「ここは、アンタの家ですか?」

 普段とあまり変わらない様子の椿先輩に、少し安心し、俺は椿先輩の隣に腰を下ろす。



 俺は物置小屋の中、マットの上に、椿先輩と二人座っている。

 物置小屋には電灯は無いが、椿先輩は空の缶にロウソクを立て、それを明かりにしていた。

 

 マットに腰を下ろしてから、椿先輩は何も言わない。

 ただ、ぼうっとロウソクの焔を見つめている。

 ロウソクの揺らめく光が、時折椿先輩の顔を照らす。

 長い、しなやかな黒髪が赤い光に照らされて揺らめき、黒い大きな瞳の奥に橙色がゆらゆらと光る。


 やっぱり、綺麗だな―――と思う。


「童貞くんは……」

 不意に椿先輩が口を開く。

「童貞くんは、何で寂しいの?」

 普段の先輩の快活な声とは全く違う、静かで無表情な声音、視線は焔を見つめたまま微動だにしない。


「俺は………」

 俺は少し言いよどむ、しかし今なら自分の心の中を全て吐き出せてしまいそうな気がした。


「俺は、変わりたかったんです」

「変わりたかった?」

「高校生のころの、キモくて、無様で、自身がなくて、卑屈な自分を変えたかった。

 もっと自身があって、余裕のある、格好のいい男になりたかった」

「なんで?」


「高校生のころ、好きな女の子がいましてね。

 だけど、その子はクラスの格好いい奴に取られてしまって……」

「ふうん?」

「俺、悔しかった。

 その格好いい奴に対してなのか、簡単になびいた女の子に対してなのか、何も言えない 弱い自分に対してなのかは、覚えていませんがね」


「だから、大学に入って、俺は昔の自分と決別したかった。

 イケてる男になりたかった。

 格好よくなりたかった」


「……誰かに、好かれるような男になりたかった」


「大学生になって、俺は童貞では無くなりました。

 女も何人か抱きました。

 確かに、俺は変われました。

 でも―――」


「変わったところで、クズはクズでした。

 結局、俺は変わったところで意味などなかったんです。

 駄目な奴は何をやっても駄目なんです。

 弱いんです、救いようがないほど弱いんですよ、俺は」


 俺の口から堰を切ったように言葉が溢れる。

 内容は、我ながら支離滅裂、自虐なのか被害妄想なのかわからないことをつらつらと並び立てる。

 自分の言っている言葉の意味が、自分でもわからない。


 だけど、止められない。

  

「だから…俺は―――」

「童貞くん」


 俺がさらに言葉を続けようとするも、椿先輩がそれを遮る。


「もう、いいよ」

「椿…先輩……」


「大丈夫だよ」


 そう言って、椿先輩が俺の頭を胸に抱きしめる。


「弱くてもいいじゃない、格好悪くてもいいじゃない。

 だって私がいるんだから。

 私は、弱い人、好きだよ?」  


 椿先輩は自分の胸から、俺の頭を離し、見下ろすように俺の目を見つめる。


「ねえ童貞くん、セックスしよ?」

「椿先輩…?」

「私ね、駄目なんだよ。

 誰かと一緒にいても、どうしても駄目なんだ。

 寂しいんだよ、どうしようもなく。

 だからさ……童貞くん―――」




「早く、ヤろうよ」




 俺は泣いていた。

 椿先輩を抱きながら―――いや椿先輩に抱かれながら―――醜く嗚咽を漏らす。

 椿先輩はそんな俺の顔に手を伸ばし、そっと涙をぬぐってくれる。

 それがうれしくて、悲しくて、俺は何が何だかわからなくなる。



「ねえ、童貞くん」



「私は童貞の人が大好きなんだ」



「だって、童貞の人にとって、初めての人は特別なんでしょ?」


  

「童貞くんにとって、私は特別な、かけがえのない人なんだよね?」



「へへへ、それって何だか………すごく、うれしいなぁ」



 そうだ、あなたは特別だ。

 あなたが俺に温もりをくれるのなら………

 俺は、俺の全てをあなたに捧げよう。

 だから、

 だから、

 俺を、俺だけを、

 どうか

 俺だけを見てほしい。


 椿先輩。



「おいおい、もうおっぱじめてんのかよ」

「!!!」


 突然小屋に響いた野太い声に、俺は死ぬほどビビって声のした入り口の方へ目を向ける。

 そこにはテニス愛好会の先輩や同期の男女数人が立っていた。


「な―――なんなんすか! いったい―――!」

「もう、みんな来るの遅いよー」

 突然の来訪者に俺が抗議の声を挙げようとするも、それを遮って椿先輩が歓迎の言葉を述べる。

「遅れたのは悪かったけどよ、先に始めてんなよ。

めっちゃ入りずらかったぞ」

「へへへー、ちょっとつまみ食いー」


 椿先輩は驚いた様子もなく、親しげに入ってきた先輩たちと話している。

 俺は何が何だかわからず、椿先輩に声を掛ける。


「椿先輩………? いったい何がどうなって………」

「ああ、童貞くんにはまだ言ってなかったね」


 俺の言葉に、椿先輩が気付いたように答える。

「今日はみんなで乱交する日なのです!」

「は……?」


 椿先輩の言葉に、俺は思考が追いつかず茫然としてしまう。

 椿先輩は俺のそんな様子を気にせず言葉を続ける。

「これぞテニス愛好会合宿の名物、乱交会だよ。

せっかくみんなで来てるんだから、親交を深めないとね」

「ら、乱交会って………」

「名前格好良くない? ちょっと中二入っているかな?」


 椿先輩が笑顔を浮かべてあっけらかんと話す、他の会員がそんな俺たちの様子を見て口を挟む。

「何だキヨ、マサキとかから聞いたことなかったか?

ここで合宿するときの恒例行事なんだぜ?」

「ちなみに主催は私ね!」

 会員と椿先輩が口々に俺に言う。


「なにー、キヨもいんの? ちょっと私、嫌なんすけど……」

「まあまあ、そう言わないで。

普段モテない童貞くんにも愛の手を差し伸べてあげて!」

 さらにその場にいた女子会員が俺がいることに気付いて文句を言うが、椿先輩が取り成す。


 何だ………これ?

 何だよ! これは!!


「椿先輩!!」

 俺は思わず椿先輩の肩に両手で触れる。

「俺にとって椿先輩は特別な人です………椿先輩にとって俺は特別では無いんですか?」


 周りの目も気にせず、俺は椿先輩に問いかける。


 ああ……やばい。

 きっと今、俺は最高に気持ち悪いのだろうな。


 わかっていたはずなのに………はずだったのに

 俺は再び、椿先輩と恋をしたいと思ってしまった。

 椿先輩を好きになってしまっていた。


 椿先輩は俺の言葉を受け、困ったような顔をして言う。

「特別って……確かに童貞くんは私のかわいい後輩だよ? ただそういうこと言われるのは困るっていうか―――」




「正直、キモい」





 空は満月だった。

 雲一つない夜空にやたらとデカい月が我が物顔で居座っている。

 俺は草原に寝そべって、その生意気な月をにらみつける。


「涼しいな、おい」

 夜の草原はわずかに湿り気を帯びており、俺の熱くなった体をそっと冷やす。

 

 俺はあの後、小屋から逃げ出した。

『まあまあ、童貞くんもみんなでヤろうよ、楽しいよ?』

 椿先輩は俺に―――いや、微妙な空気になってしまった他の会員に気を使うようにそう言っていたが、俺のガラスハートはすでに粉々に砕けていた。

 そして、無言で小屋から出ると、あー、だのうー、だの意味不明な雄たけびを挙げながらここまで走って逃げてきたのだ。

 きっとみんな、俺の気がふれたとでも思っているだろうな。

 俺はくくく、と自嘲するように笑う。

 

 今、俺は最高に無様だ。

 お父さん、お母さん、すいません。

 あなたがたが19年間、手塩にかけて育てた息子は今、こんな有様です。


 ああ………。

 やっぱ俺、好きだったんだなあ椿先輩のこと。

 ビッチだの何だのと言って、必死に嫌っているフリをしていたけど。

 サークルの説明会場で初めてあったあの時から、多分俺はずっと………椿先輩のことが好きだったんだろう。

 ただ、椿先輩は絶対に手に入らない人なのだと理解したあの日、俺は自分が椿先輩を嫌いなのだと、無理やり思い込もうとしていたのだ。

 何て後ろ向きで弱い考え方なんだろう。


「結局………俺は、何をやってもダメだったワケだ」

 俺は生意気な月に向けて、独り呟く。

 わかっていたことだが、言葉にすると惨めさが一層際立つ。


 ………まあ、どうでもいいか。

 どうでもいいな、本当。

 何もかも、本当にどうでもいい。




 ざっざっざっ、と頭が向いている方向から足音がする。

 誰か来たのか? 今は誰とも会いたくねぇのに。

 誰だか知らねぇけど、俺に気付かないでどっか言ってくれ。

 

 しかし、そんな俺の願いも空しく、

 空気を読まない凛とした声が、夜の草原に響き渡る。



「清澄、テニスやろうぜ!」



 夜空に煌く、満月に照らされて―――


 テニス馬鹿がラケット片手に立っていた。




 どういうことだ?

 何で、陽介は俺をテニスに誘ったりしたんだ?

 そして何より―――

 何で俺はいま、ラケットを持ってテニスコートに立っているんだ!?


 テニスコートの対面で陽介が準備運動をしている。

 陽介の表情は硬く引き締まっており、一切の笑みが無い。

 陽介が何を考えているのか、俺には全くわからなかった。


 陽介はあれからずっと無言。

 俺も、何も言わなかった。

 二人だけのテニスコートで、夜の涼しい風だけがさらさらと音を立てている。


「いくぞ」

 暗闇の中、準備運動を終えた陽介は短くそう言い放つと、ラケットを振りかぶり―――

次の瞬間、テニスボールは俺の後方へと飛んでいく。

 陽介のサーブは高校時代と遜色ない―――いや、むしろ鋭さを増していた。


「くっ」

 サーブを目で追うことすら出来ず、俺は小さく呻く。

 ほぼ棒立ち状態のまま、サーブを見逃した俺に対し、陽介は次のテニスボールを手にすると、睨みつけるような眼差しで

「手加減、するか?」

と、俺に問う。


「あ?」

 思わずカチンときた俺が言葉を返すと、陽介は

「そうか」

と呟き、またサーブを放つ。

 その鋭さ先程と変わっていない―――だが大丈夫だ、今度は見える。


「なめんな!!」

 陽介のサーブを、俺は雄たけびを挙げつつボレーで返す。

 高校時代、俺はお前のサーブを何発、何万発受けてきたと思ってやがる!


「ふっ!」

 しかし、俺が渾身のつもり返したボレーは、陽介にいとも容易くストロークで返されてしまう。

「くそっ!」

 俺は再び、ボールを見送ってしまった。

 くそっ、次だ次、次は絶対に返してやる!

「おらぁ! ようすけぇ! 早く次打って来い!」

 俺が陽介に向かってそう叫ぶと、陽介はやや目を細めて

「おう!!」

と答え、再びサーブを放った。

 

 俺は陽介の放つサーブをボレーで返すと、陽介の返しのストロークへさらにボレーを叩き込む。

 高校時代から、陽介は俺よりコントロール、スタミナ、制球力全てにおいて勝っていた。

 だが、パワーという一点のみにおいては、体格に優れる俺に分があるのだ。

 俺の2発目のボレーに対して、陽介は低めのロブで返す―――今だ!

「いくぜ! おい!!」

 俺は雄たけびと共に渾身のスマッシュをボールへ叩き込む、陽介もそれを捕らえることは出来ず、ボールはコートにワンバウンドして陽介の後方へすっ飛んでいった。

「っしゃあ!!」

 俺は思わずガッツポーズを決める。


「まあ、偶然だな」

 と、陽介はすました顔で俺に言うが、俺は

「あっれー、陽介くん、負け惜しみかな?」

と煽るように言う。

 陽介も挑発するように笑みを浮かべると

「はっはっは、殺す!!」

と叫び、高く高くボールをトスし………次の瞬間、速く鋭いサーブが俺に向かってくる。

 俺はそれをまたボレーで返すと、次に備える。


 俺はボールに全神経を集中する。

 そうやって集中していると、次第に合宿中であることや、真夜中であることが思考から抜け落ち、俺の世界がテニスコートだけになっていく。

 頭の中がボールを返すことだけでいっぱいになっていく。

 俺の視界にはもはや、テニスボールと陽介しか映らない。


 懐かしい感覚。

 ただひたすら、愚直にボールを追っていたあの頃の感覚。


 楽しい。


 あ………やばい。


 楽しいな、おい。


 陽介はボレーを再びストロークで返す―――いや、こいつは恐ろしくスピンがかかっている!

 山なり軌道だったボールが、冗談のようにがくっと下へ落ちる、相変わらず器用な奴だ。

「こなくそ!!」

 俺はバランスを崩しながらも、返球する。

「はっ!!」

 陽介がそれをさらに返す。

 いつしか、陽介の顔には笑みが浮かんでいた、きっと俺も笑っているのだろう。


 それから、俺はひたすら陽介とテニスを打ちつづけた。



「た……タンマ、もう体が動かねぇ」

 俺は息も絶え絶えに陽介にそう伝え、再び草原に寝転がる。

 あれからどれくらいテニスを打っていたのだろうか?

 汗が滝のように流れ、心臓がばくばくと鼓動を鳴らしている。

 疲れた、死ぬほど疲れた、もう一歩も歩ける気がしない―――だがそれは決して気分の悪い疲れではなかった。


「ふん、だいぶスタミナが落ちているな」

「うるせー」

 陽介は息を荒げつつも、俺よりまだまだ元気な様子である。

 確かに、ここ半年で俺の体力は随分と衰えてしまったようだ。

「体を冷やすな」

 陽介はそう言って俺に上着を放ると、どさりと俺の隣に座り込んだ。

「……………」

 そして、お互いしばしの間、無言で月を眺める。

 言いたいことは色々あるが、言葉が浮かんでこない。


「清澄………俺、テニス愛好会をやめようと思うんだ」

 俺の息が幾分か落ち着いてきた頃、陽介が月に目を向けたままぽつりと俺に言う。

「そうか」

 なんとなくそんな気はしていた、陽介はどうしたってこのサークルには馴染めない。

「会を辞めたら、新しくテニス部を作ろうと思うんだ、テニス連盟にも登録してさ」

「いいんじゃねーの?」

 そうか、陽介は自分でテニス部を立ち上げようというのか。

 テニス部が無いなら自分で作る………相変わらず生命力に溢れた奴だ。

 俺はそんな陽介が昔から、正直―――羨ましいと思っていた。


「清澄」

 陽介が不意に俺へ目を向ける、思わず俺も清澄に目を合わせる。


「俺がテニス部を作ったらお前も来いよ。

大学でも一緒にテニスやろうぜ?」


「な…何で」

「うん?」


 何で――――

 何でお前は俺なんかに声を掛けるんだ。

 俺はお前にひどいことを言ったのに

 こんな、無様な俺に何の価値があるっていうんだ。


「何でって言われるとだな………」

 陽介は少し思案するような表情を浮かべた後、納得したように言う。

「まあ、一人で部を立ち上げるっていうのは、やっぱり少し不安な所もあってな。

知ってると思うが、俺は無口だし、周りを気にしない癖があるだろ?

その点、清澄はしゃべりがうまいし、気配りも出来る。

お前がいてくれると、俺はとても心強いんだが………」

「……………」


 買いかぶりすぎだ……俺はそんな立派な人間じゃない。

 弱くて、愚かで、自分の気持ちさえ理解できない卑屈な男なんだ、俺は。


 陽介に対して何と答えていいかわからず、俺は黙り込み俯いてしまう。

 そんな俺の態度に陽介は静かに言う。


「氷室が言っていたことなら、気にするな」

「な………!?」

 突然出てきた懐かしい名前に、俺は思わずアホのような声を挙げてしまった。

 そんな俺に、陽介は静かに言葉を続ける。


「氷室がしたこと…、お前に言ったこと、何となくだが知ってる。

お前が変わった理由もな」

「ち、ちょっと待て、何でだ? 何で知ってるんだよ!?」

 俺は思わず立ち上がり、陽介に問い詰める。

「ほら……何て言ったっけ? お前の隣の席に座っていた子。

あの子がさ、俺に相談してきたんだよ。

自分のせいで、お前を傷つけたって………」

「あの子が………」


 おいおい………そんな話、知らねぇぞ? どういうことだ。


「そんで俺が氷室の前歯、全部へし折ってやった時、氷室がお前言った言葉を聞いたんだ」


 ちょっと待って陽介くん!? 僕、話が飛躍しすぎて、わけがわからなくなっちゃったよ!?

「氷室の前歯全部折った!? 何で!?」

「まあ、成り行きで………」

「成り行きで歯を折っちゃダメでしょ!?」

「うん………ごめん」


 これではテニス馬鹿というより、ただの馬鹿だ。

 確かに、こいつ一人で部を立ち上げたりしたら、大変なことになる気がしてきた。


 ………そういえば、俺が例の画像を見せられて、しばらくしてから、誰彼構わず女に手を出していた氷室が急におとなしくなったような記憶がある。

 あれはひょっとして、陽介にやられたせいだったのか?


「それより、どうだテニス部に入る気にはなったか?」

 陽介が無理やり話題を変える。

「う、うん………」


 この期に及んでも、俺は入部を決めかねていた。

 今日、テニスをやってようやく理解出来たことがある。

 俺はやっぱりテニスが好きなんだということ。

 そして、陽介は俺をまだ友達だと思っていてくれているらしいことだ。

 

 それでも、俺なんかが、テニス部に入っていいのかと思ってしまう。

 

 今年の4月、俺は自分を変えようとテニス愛好会に入会した。

 そして、そこで八つ当たりをするかのように女を漁った。

 それはもう、下種なほどに。

 陽介や日向に、嫉妬心から失礼極まりないことを言った。

 何かと良くしてくれていた先輩たちにもひどいことを言った。

 結局、サークル内で疎まれ、嫌われ、孤立した。

 結局、サークルに心を許せるような友人を作ることは出来なかった。


 当然だ、だって俺自身が彼らに心を許していなかったのだから。

 俺は愚かで、キモくて、何より弱い男だ。

 

 そんな俺が、まるで何事も無かったようにテニス部に入っていいのか、そんなことが許されるのだろうか?


 俺がそんなことを考え込んでいると、陽介が口を挟む。 

「清澄、もし迷っているのなら入部してくれ。

俺には、お前が必要だ」

「俺が必要……? ばか、お前は俺のことを買いかぶりすぎだ。

俺はたいした人間じゃない」

 俺がそう呻くと、陽介は俺の前に立ち、真っ直ぐに俺の目を見つめ言う。

「買いかぶりじゃない。

お前はたいした奴だよ、俺が保障する」

「なっ!?」


 臭い台詞をきっぱりと言い放たれ、俺は気恥ずかしさに思わず視線を逸らすと、陽介は真っ直ぐに俺の目と見て、さらに続ける。


「氷室なんかの言葉と俺の言葉、どっちを信じるんだ?」


 氷室と陽介、どちらを信じる?


 俺は観念したようにくくく、と笑う。


「確かに………考えるまでもないわな……」


 テニス愛好会、合宿初日深夜。

 俺はテニス部への入部を果たすこととなった。





 大学の長い長い夏休みが終わる。

 俺は一人、テニス愛好会の部室へ向かう。

 結局、合宿が終わってから俺は一度もサークルへ顔を見せてはいなかった。

「失礼します」

 俺は緊張した面持ちで部室のドアを開ける。

 以前、ドアを開けるたびに『テニスやろうぜ!』と声を掛けてきた馬鹿はもういない。

 あいつは今頃、別の、新しい俺たちの部室で勧誘ビラでも作っているだろう。


「お、キヨちゃん、めっちゃ久しぶりじゃん!」

「ご無沙汰っす!」

 俺の姿に気付いたマサキさんが、俺に声を掛けてくれる。

 ………この人は結局、最後まで味方でいてくれたんだなあ、と俺は独りごちる。

「キヨ………お前、頭どうしたんだ?」

 部室の奥に座っていたナベさんが、俺へ尋ねる。

「これっすか? ちっと刈っちまいました」

 そう言って、俺は自分の頭をジャリジャリと撫でる。

 坊主頭、5分刈りだ。

 1分刈りにしなかったのは、微かに残った俺のお洒落心である。


「どうっすかね?」

「いいんじゃないか? なにより手触りがいい」

 そう言って、ナベさんが俺の頭をグリグリと撫でる。

 ナベさんとも色々なことがあったなあ、と思う。

 俺のことを何かと気にかけ、一番面倒を見てくれたのはナベさんだったのだ。


「何で急に坊主なんか………失恋!? ひょっとして失恋なのか!?」

 マサキさんが素っ頓狂な声を挙げる。

「ま、まあ、そんなところですかね」

 確かに、当たらずも遠からずかもしれない。

 正確に言えば、俺はこれから失恋をしにきたのだ。


「それで……今日は何をしに来たんだ? キヨ」

 ナベさんが静かに言葉を紡ぐ。

 きっと二人とも、俺が何かをしにここへ来たのだと察しているのだろう。

 一応俺はまだ籍をテニス愛好会に置いている。

 俺はこのサークルに一つ、まだやり残したことがあるのだ。


「椿先輩」

 俺は覚悟を決めて、部室の一番奥、ずっと無言で座っていた可憐な女性に声を掛ける。

「なーにかな?」

 椿先輩は俺がいることに今気付いたような素振りで、俺の言葉に答える。

 俺はそんな彼女へラケットを差し出し、言う。

「俺とこれから1ゲーム、テニスをしてください」


 部室内が静まり返る。

 俺と椿先輩との間にあったことを知らない人間はいないだろう。

 何せ、合宿で俺はあれだけの醜態を晒したのだ。

 椿先輩はしばし、俺と俺が差し出したラケットを交互に見比べていたが、

「しょうがないなあ」

と嘯いてラケットを受け取ってくれた。



 この大学に一つしかないテニスコート。

 普段は人気のないその場所に、今日は沢山の人間が立っている。

 まず、俺と椿先輩が対面でコート内におり、

 そして、コートの周りにはマサキさんやナベさんたち、テニス愛好会の面々が観戦している。

 そして少し離れた場所には、すにでテニス愛好会を退会しテニス部を立ち上げた陽介と日向が連れ立って、コートの様子を伺っている―――二人には来るなと言っておいたのだが………。

 

「童貞くん、私とテニスしたいなんて、どういう風の吹き回しかな?」

 サーブ権を決めるため、ネット際でラケットトスをしていたところ、椿先輩が俺に声を掛けてきた。

「何で……ですかね、実は自分でもよくわからないのですよ」

 俺が正直に答える、ただ俺はこのサークルを抜ける前にどうしても一度、椿先輩と勝負がしたかった。

 俺の言葉に、椿先輩は優しげな笑みを浮かべる、椿先輩がこの笑みを浮かべるのは、実は苛立っている時だということを、俺は知っている。

「自分に酔ってるんじゃない? 悲劇の王子様気取りでさ」

「王子様だなんてそんな………照れますよ」

 椿先輩のわかりやすい皮肉を、俺は受け流す。

 俺のそんな態度に、椿先輩はつまらなそうな表情を浮かべ

「なんか童貞くん、つまらなくなったね」

といつかの冷めた声で言い捨てた。


 ラケットトスの結果、サーブ権は俺からとなった。

 テニスボールを左手に持ち、俺は集中する。

 椿先輩は陽介さえも圧倒するテニスプレイヤーだ。

 実力はプロ級と考えてもいいだろう、俺ごときが到底太刀打ち出来る相手ではない。

 

 それでも―――がんばろう。

 俺を………俺の姿を

 『童貞くん』ではなく、流清澄の姿を椿先輩に見てもらうのだ。


「うおらぁ!!」

 俺は気合一声、咆哮のような雄たけびと同時に、渾身の力で椿先輩へサーブを叩き込む。

「つっ……!」

 椿先輩はそれを、軽く眉をひそめるだけで難なく返す。

 椿先輩の返球はコート内の側端………俺から最も遠い場所へ正確に打ち込まれる―――間に合わない………いや、あきらめるものか!

「らああぁぁぁ!!!」

 俺はその返球へ全力で突っ走り、ボールを返そうと足掻く……が、わずかに間に合わず、俺はコート内を盛大にすっ転ぶ。

 テニス愛好会の面々から、おお~というような、どよめきが漏れる。


「キヨ………なんか熱いな」

「ああ……」

 コートの外からマサキさんとナベさんの驚いたような声が聞こえる。

 テニス愛好会で俺は冷めた言動を演じ、残念クールキャラを気取っていたため、こんな姿は意外に映るのかもしれない。


「童貞くん、ダメダメだね。まるでお話にならないよ」

 ネット越しに椿先輩が笑顔を浮かべて、俺に言う。

 その声にチクリとした棘を感じるが、俺はあえてそれを無視する。

「すいません! 椿先輩! 次、お願いします!」

 俺が真っ直ぐにそう叫び、サーブの構えを取ると、椿先輩は苛立ったようにため息を一つつき

「はいはい」

 と面倒くさそうに応じた。



 それから俺は椿先輩とテニスを打ち続けるが、やはり実力の差は明白で、俺はポイントを取るどころか、ラリーさえまともに続かない有様だ。

 体から滝のように汗が流れる。

 肺が少しでも酸素を得ようと、ぜーぜーと呼吸を上げさせる。

 全力でボールを打ちつづけた両手には、ビリビリとした震えが走りはじめている。

 なのに、何でだろうな………


 体中に力がみなぎる、心が躍る。

 まったく勝負をあきらめる気がしない。


 楽しい……ああ、楽しいな。


 俺は真っ直ぐに椿先輩を見つめる、視線は揺れない、揺らがない。


「ちっ」

 そんな俺の姿を見て、椿先輩が舌打ちをする。その顔にもう笑みは浮かんでいない。

 そして、椿先輩はコート際に近寄ると、俺を睨みつけるに言い放つ。

「童貞くん、君……才能無いよ。

まず、打球を力まかせに打ちすぎてボールが失速しているし、コントロールも悪い。

何より、ペース配分がメチャクチャでスタミナ切れてんじゃん。

テニスは、勢いじゃ勝てないよ」


『清澄コラァ! 何度言ったらわかるんだ! 

てめぇはいつも力任せに打ちすぎなんだよ! いっつも前半でくたばってんじゃねぇか!

もっとペース配分を考えろ!!』


 思わず、高校時代にコーチがよく怒鳴られた言葉が蘇る。

 意外な人から言われた同じ言葉に、俺はついククク、と笑みを漏らしてしまう。

「なに笑ってんだ……」

 椿先輩の声に怒気が混じる……ああ、初めて知った。この人、実は結構怖いんだ。


 椿先輩が間髪いれずにサーブを放つ、それは鋭く、速く、そして変幻自在。

 全てのサーブにとんでもないスピンがかかっており、どの方向にバウンドするか予想も出来ない。

 だが……構わない。

 どんな球でも打ち返す、力の限り、心の限り。


「どらあぁ!!」

 俺はコート外の方向へ逃げようとするサーブを拾い上げるように、ストロークで打ち返す……俺の返球は―――ぎりぎりワクに収まっている!

「ちぃ!!」

 椿先輩はそれに対して忌々しそうに舌打ちをすると、ストロークで返球する。

 再びコート端に飛ばされたボールを追いかけ、俺は全力で疾走する―――今度は間に合う………間に合った!


 俺が体勢を崩しつつも、ボールを返すと、今度はコートの反対端。俺から最も遠い位置にボールが運ばれる。

「な……なめんじゃねぇぇぇ!!」

 俺はさらに全力で疾走、コートの反対端へ、ボールの方へ。

 体がギリギリと悲鳴を上げる―――やかましい、ちょっと黙ってろ。

 そして、俺は奇跡的にボールへ追いつき、ネット際へポトリと球を落とす。

 椿先輩は……その球に追いつけない。


 ドロップショット。

 俺の切り札。

 力任せの俺が持つ、一発限りの変り種。


「……………!!」

 椿先輩は驚愕の表情を浮かべる。

 そして、次に顔色が赤くなり、みるみる顔が憤怒に満ちていく。

 ドロップショットて、決められるとむかつきますよね、わかります。


「ち………」

「ち?」


「調子こいてんじゃねぇぞ!! 童貞野郎!!!」


 椿先輩が力任せにサーブを放つ、さっきとはまるで違う、重くて鈍いパワーサーブだ。

「うおっ!?」


 俺はそれを何とか返すも、椿先輩は間髪いれず、再び力任せにボレーを放つ。


「しつっこいんだよ!! ウゼェんだよ!!」


 椿先輩が唾を飛ばし、長い髪を振り乱しながら怒鳴る。

 

 その姿に天使の面影は無く、まるでケダモノ。

 咆哮を挙げる獣、そのものだった。

 

 そんな椿先輩を……美しい、と俺は思う。

 獣のような椿先輩は、天使であった時より何倍も

 

 美しく、可憐で


 何より可愛らしいと、俺の目には映った。


「くっ!」

 つい、椿先輩の姿に見とれてしまっていた俺は、大いにバランスを崩し、山なりのクソ球で返球してしまう。

下手糞へたくそ!!」

 その甘い返球を椿先輩は渾身のスマッシュで返す。


 狙いは―――俺の顔面。


「え?」

 俺が反応するよりも速く―――

 椿先輩の正確なスマッシュは、俺の顔面を打ち抜いた。



 目の前が真っ暗になる。

 次に、後頭部と背部に激しい衝撃が響く―――どうやら俺は倒れてしまったようだ。

 そして、ジリジリとした激しい痛み、鼻の奥に刺されたような痛みが広がり、ドクドクと熱い物が鼻腔から溢れてくる。


 マジかよ……あの人。

 躊躇なく、顔を狙いやがった………。


 一度体が倒れてしまうと、もう駄目だ。

 限界を超えた疲労が、俺の全身に広がる。

 立ち上がることすら、出来そうにない。

 そもそも、オーバーワークだったのだ。ハイになっていたせいで、疲れに気付いていなかっただけだ。

 

 意識さえも遠のきそうになる暗い闇の中、遠くから声が聞こえる。


「――――――て――」


 ………?


「―――――立て―!」


 ………椿先輩の……声?


「どうした、立て!」


 ………無茶言うな。


「さっきまでの威勢はどうした!? 立て! 清澄!!」


 ――――!!


 俺は目を開く。

 空は青空、雲一つなく晴天。


 俺は顔だけ起こし、声の主に目を向ける。


「聞こえないのか!? 立って見せろ! 清澄ぃ!!」

 椿先輩が俺へ向けて、罵声を飛ばしている。

 眉をひそめ、涙を必死に堪える子供のような表情で―――。


 ―――まいったな。

 自分で俺の顔面をぶっ飛ばしといて、立ち上がれとは、理不尽なお嬢さんだ。


 俺は体に力を込める。

 限界を超えた体は殊勝にも、俺についてきてくれるようだ。


「へいへい、今立ちますよ」


 そうだ、俺はしつこくて、ウザくて―――


 コミュ障に片足を突っ込んだ童貞野朗。

 

 だけど、寝転がるのも、ふて腐れるのも、もう飽きた。

 それらは俺に、何も与えなかった。


 俺は立って歩く、転んでも、倒れても


 お父さん、お母さん、

 あなた方が育てた息子は、何度だって立ち上がります。



「っしゃああぁ!!」

 俺は気合を込めて立ち上がる、体は重いが心は軽い。

 おお、と再び周囲がどよめく。


「おお! ナベちゃん! キヨ、なんか大丈夫そうだぞ!」

「ああ……もうこれ、いらないな」

 マサキさんとナベさんはどこからか持ってきたのか、抱えていた担架を放り出す。


「立ったんだ……立てるんだ、清澄くんは……」

 椿先輩が、独り言のように呟く。

 その表情に、先程のような激しい憤怒も、涙をこらえるような様子もなく、ただ呆けたような無表情で俺を見つめる。

 俺は溢れる鼻血を手で拭うと、そんな椿先輩へ笑顔と共に宣言する。


「何度だって……何度だって立ち上がりますよ。ながれ 清澄きよすみは不死身っスから!!」

「なに言ってんの? 頭おかしくなった?」

「はっはっは、これは手厳しい!」


 俺はそう笑うと、顔を引き締め椿先輩を真っ直ぐに見つめる。


「椿先輩! 続きをお願いします!!」



★★★★★★★



 結局のところ………試合は惨敗だった。

 俺が唯一ポイントを取れたのは、ドロップショットで虚をついた1ポイントのみ。

 後は椿先輩に完封されたようなものだ。

 それでも、俺の心は充実した満足感に溢れていた。

 

「椿先輩、ありがとうございました。突然試合を申し込んだりしてすいません」

 ネット際で俺はそう言って、椿先輩に右手を差し出す。

 しかし、椿先輩は俺の右手と顔を交互に見つめたあと、無言で視線を逸らすだけだった。


 俺は放置された右手を見つめたまま、椿先輩に伝える。


「椿先輩………俺、今日でテニス愛好会をやめます。陽介と一緒にテニス部を立ち上げようと思うんです」

「だから、なに?」

「俺………もっとテニスを練習します、きっと、もっと強くなってみせます。

そしたら―――」


 俺は右手に向けていた視線を椿先輩に向ける、俯いた椿先輩の表情を伺うことは出来ない。


「そしたら、また俺とテニスをしてください」


 椿先輩が初めて俺に目を向ける。

 彼女の目は相変わらずの無表情であるが、その瞳は微かに揺れていた。


「やだよ」


 小さく、短く、呟くような、椿先輩の拒絶。

 そして、椿先輩は俺に背を向ける、振り向くことはない。


 それでも俺は、そんな彼女の背中へ向けて


 伝えたい。

 届けたい。

 言葉を、思いを


「椿先輩、またテニスをしましょう!

俺、もっと、もっと強くなって、また来ますから!」


 俺は勇気と覚悟、その他諸々を込めて、椿先輩に言葉を投げかける。


しかし、

「……………もう、来ないで」


 椿先輩は背を向けたまま呟くようにそう言うと、

 テニスコートから、とぼとぼと去っていった。





「今まで散々お世話になったのに、こんな形でやめてしまってすいません」

「別に気にすんな。初めに言ったろ? このサークルは来るもの拒まず、去るもの追わずってさ」

 俺はヤクザ先輩に頭を下げるが、ヤクザ先輩は暢気な表情で言う。

 俺は今、テニス愛好会の部室で、ヤクザ先輩にサークルをやめる旨を伝えたところだった。

「そんなことより鼻血、大丈夫か?」

「ははは………何とか止まりましたわ……」

 ヤクザ先輩は悪戯っぽく笑う。

「キヨ、お前、椿にまた来るって言ったよな?」

「はい……まあ、来ないでって言われちゃいましたけどね」

 俺が少し俯いてそう言うと、ヤクザ先輩は突然頭を抱えると大声を上げる。

「はあ!? お前、それで本当に来ないつもりか!?」

「だって……俺、椿先輩に嫌われちゃったみたいですし」

「バッカ! お前、女が来ないでっていう時は来てくれって意味だろ!?

だからお前は童貞なんだよ!!」

「ど、童貞ちゃうわ!!」


 ヤクザ先輩は大げさに頭を振り、呆れた仕草をすると、不意に真面目な表情を浮かべ静かに言う。

「なあキヨ、椿はさ……いつも一人なんだ」

「え……?」

「寂しがりやの癖に、ヤることでしか他人と繋がれない……不器用な奴なんだよ…。

また来て、テニス、やってくれな」

 そう言って、ヤクザ先輩は優しげな笑みを浮かべる。

「俺なんかが……また来ていいんでしょうか……?」

「ばーか、お前じゃないと駄目なんだよ。

不死身なんだろ? 何度でも立ち上がるんだろ? ハラァ決めろ」

 そう言って、ヤクザ先輩が俺の頭をグリグリと撫でる。

 「お、マジで手触りいいな」などと言っているヤクザ先輩の言葉を聞きながら、俺は胸に温かいものが満ちていくのを感じていた。



「キヨ、サークルやめるんだってな」

 テニス愛好会の部室から出たところ、廊下で背後から声を掛けられる。

「ナベさん……マサキさんも」

 廊下には、俺の先輩が二人、立っていた。


「キヨちゃん、マジでサークルやめちまうのか? 何でよ?」

 マサキさんが少し拗ねた調子で俺に言う。

 チャラくて、無責任で、最後まで俺の味方でいてくれたお人よしの、マサキさん。

「やめとけ、マサキ」

 ナベさんが文句を言おうとするマサキさんを制する、このサークルにはめずらしい寡黙で温厚、でも怒ったらメチャクチャ怖いナベさん。


「キヨ、もう決めたことなんだろ?」

「はい……すいません」


 二人には本当にお世話になった。

 俺がこれまで知らなかった、良い事、悪い事を沢山教えてくれた。

 こんな形で別れることになって申し訳ない。


「俺……もう行かないと」

 陽介が待っている、今日からテニス部の活動が本格的に始まるのだ。

「ええー、もう行くのかよ」

 マサキさんが口を尖らせるが、ナベさんはゆっくりと頷くと

「そうか……キヨ、頑張れよ」

と笑顔を浮かべる。


「ナベさん、マサキさん、不肖な後輩ですいません……。

今まで、本当にありがとうございました!」


 俺は二人に深々と頭を下げる。

 マサキさんが「そういうの、いいって」と言って慌てていた。


「じゃあ、俺……行きます」

「ああ」

 俺は二人伝え、背を向ける。

 そんな俺の背中へ向けて、マサキさんの声が響いた。


「キヨ! また合コンやるときは声をかけるからな! いつでも来いよ!」

「………期待してます、マサキさん!」

 マサキさんの言葉に、俺は静かに微笑む。


 そして、俺はもう振り返ることなく、テニス愛好会を後にした。


 これが俺の、テニス愛好会の顛末。

 半年間続けたサークルの思い出だった。



 俺はたった一人、大学の廊下を歩く。

 俺はもう迷わない………。

 迷わない……かな?

 いや、迷いまくるのだろうな、俺だし。


 俺のことだ、今後も迷って、転んで、倒れまくるだろう。

 結局のところ、俺が弱い人間であることは変わっていない。


 これまでと同じように。

 これからも同じように。


 でも、あれだ。

 何度でも立ち上がるなんて言っちゃたしな。

 もっともっと強くなるって約束、しちまったしな。


 俺は、椿先輩を思い浮かべる。

 また、彼女とテニスをすることは出来るのだろうか。


 俺は弱いから、強くなりたい。

 格好悪いから、格好良くなりたい。

 どんなことがあっても、不適に笑って立ち上がる、タフでイカした男になりたい。

 

 だけど………ゆっくりでいいのかもしれない。

 大学生活はまだ、はじまったばかりなのだから………。


「どうした清澄、にやにやして……」

 俺が大学の廊下で、人知れず決意を固めていたところ、不意に声を掛けられた。


「い、いたのかよ、陽介、日向」

「ずっといたよ?」


 陽介と日向は二人連れ立って俺を待っていたようだ。

 俺への挨拶もそこそこに、目をキラキラと光らせながら口早に捲くし立てる。


「清澄、これから忙しくなるぞ! まず部員集め、練習場の確保、連盟への加入。やることは山済みだ!」

「勧誘ビラは2000枚刷ったよ!」

「2000枚って……全校生徒より多いじゃねーか……」

 俺の言葉を受けて、陽介と日向が目を見合わせる。


「た、たしかに……!」

「これは盲点だったな……」

「………マジかよ…お前ら」


 これから、この天然二人組みとテニス部を立ち上げるのか………全く忙しくなりそうだ。


 俺は胸に奥にチリチリとした高揚感を感じながら………

 今後の大学生活を憂くのだった。

前回から半年以上、放置してしまい申し訳ありません。

とりあえず、清澄くんのお話はこれでおしまいです。

話の落とし所がこれで良かったのか、最後駆け足すぎないか、など思うところは色々あるのですが、書きたいことは全て書けたので私自身は満足しております。

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