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ねんがんの 童貞 をてにいれたぞ!(中)


 俺が密かな決意を固めた翌日。

 大学の講義が終え、俺は再びテニス愛好会の部室に訪れた。

 

「清澄、テニスやろうぜ!」

「一人でやってろ」


 俺を待っていたのか、部室のドアを開けた瞬間に声を掛けてきた陽介を一言で片付ける。


 さてと――――

 俺は部室内を見渡す。

 昨日と同じく、ヤクザ先輩や椿先輩たちは新歓コンパに出ているようだ。

 一体何日間やるつもりなんだろう?


 残っているのは、男の先輩たち数名のみ、昨日言っていた留守番組だろうか。

 どうやら先輩たちは、新入生の中に一人いるデブ女―――しかもメンヘラの気があるらしい―――とヤる勇者は現れるのか、という話しをしているらしい。


「無理無理、さすがの俺でも、あの豚相手じゃ勃たねぇわ」

「いや、でも案外、具合はいいかもしれないぜ?」

「あいつとヤるくらいなら、チャーシューの塊に突っ込む方がマシじゃね?」


 ……俺は、あの輪の中に入ることが出来るのだろうか?

 いや、入らなければならない!


 俺は昨日、絶対に自分を変えてやると誓ったのだ。


 そのためには……

 

「先輩!」

「お!?」


 突然、俺が大声を出したことで、先輩たちは意表をつかれたようにこちらへ振り向く、俺は構わずに言葉を続けた。


「その豚…、自分が交尾してみせますよ!」


 俺は、自分が今までとは全く別の方向へ、歩き出したのを感じていた。




 豚女の名前は美姫みきというらしかった。

 美姫は、肥満体で横幅がそこら男よりも有り、髪は染めただけの汚い金髪、顔にはニキビや吹き出物が出ており、不健康な生活を送っているのが見て取れるらしい。


 何より最悪なのがその性格で、人の話しを聞かず、自分の話しばかりする。

 話しの内容も、いかに自分が不幸であるか、周りの人間が嫌な奴ばかりであるか、ということに終始しており、典型的な不幸自慢という奴だ。


 ただ、ヤるという面で考えると相当楽な部類に入るということで、新歓コンパで豚と話した先輩は


「食われるかと思ったから、全力で逃げた」


と言っているほどだった。


 ――――話しを聞けば、聞くほど憂鬱になってくる。


「おい、キヨちゃん、マジであの豚とヤんのか?

 下手すりゃ圧殺されるぜ?」

「任せてください! 豚でも虎でも、穴さえあれば俺には関係ないっス!」

「キヨ、お前勇者だ…勇者だよ!」


 俺がこんなことをしようとしているのには、理由がある。

 自分を変えるためには、まずこのサークルに溶け込まなければならない。

 そして、件の豚女とヤる、ということは俺がこのサークルに溶け込む、絶好の切っ掛けになりそうだと思ったのだ。


 現に、昨日は俺に対して興味無さげであった先輩たちが、今日は俺を中心に会話をし、いつの間にやら「キヨ」なんてアダ名もつけてくれている。


 「童貞くん」なんて糞みたいなアダ名、今後誰にも呼ばせるものか。


「そんじゃまとめるぞ、これからナベちゃんが豚に連絡を取って、明日の夕方から飲む約束を取り付ける」

「おう、任せろ」

「参加者はナベちゃん、俺、キヨ、そして豚の4人だ」

「男3人、女1人ですか、豚の奴、来てくれますかね?」

 途中で俺が口を挟むと、先輩が応える。


「多分、大丈夫だ。

 あの豚、新歓コンパの感じだと、相当男好きする奴みたいだったからな。

 むしろ、男が多い方が来るんじゃねぇかな」

「はあ、そうっスかね」

「そんで…だ。

 飲み会の間、みんなで適当にあの豚の機嫌を取って、最終的にキヨが連れ出し、あの豚と交尾する!」

「おう!!」

 俺が力強く答えると、先輩たちが俺に喝采を送る。


「大丈夫か? キヨ?

 本当に豚みたいな奴だぜ? 勃つのか?」

「任せてください! テニス愛好会の名にかけて、あの豚を討伐してやりますよ!」


 周囲から、いいぞ! という無責任な声が響く。


「キヨ、あいつ絶対に何か病気持ってるぞ?

 ゴムだけは絶対に忘れんなよ?」

「おす! 自分ちょっと薬局行ってきます!」


「今から買いに行くのかよ!」「俺のやるから使えよ!」っと先輩たちが口々に俺へ声を掛ける。

 俺は、このサークルに受け入れられてきている。

 今回の豚討伐を経て、俺は本当の意味でテニス愛好会の一員になってみせる。

 そしてイカした男になるのだ!


 明日のことを考えると、非常に気が重いが……。


 

 果たして、翌日。

 俺、ナベさん、マサキさんの3人は繁華街で件の美姫と待ち合わせをしていた。

 予定より5分ほど遅れて、美姫が来る。

 よくこんな男だらけの飲み会に一人で来るものだと思うが――――まあ、向こうの目的も男漁りだしな。


 実際に美姫を見るのは初めてだが、想像よりも3段階くらいヤバイ奴だった。


 体型、外見等は話しの通り、デブ…と呼ぶのも憚るくらい病的な太りかたをしており、手入れされていない脂ぎった髪を金色に染めている。

 顔にはデキモノが大量に浮かんでおり、それを覆うように、濃い化粧がベタベタの塗りくられている。


 美姫はまだ春先だというのに、胸元が大きく開いたシャツを着ており、超ミニスカートを履いている。

 スカートからでっぷりと剥き出された足を見て、俺はこの足一本で何人分のチャーシューを作れるのだろうか、などと考えていた。


 そして特にヤバイのは、彼女が纏う雰囲気だ。

 ギョロリとした目で俺たちを品定めする美姫からは、何か下品で病的な禍々しいものを感じる。

 先輩たちが豚、豚と揶揄するのはこの雰囲気からだろう。


「うっす、突然誘ったりしてごめんね、美姫ちゃん。

 来てくれてありがとう」


 ナベさんが紳士的な調子で美姫に声を掛ける。

 昨日まで散々豚呼ばわりしていたのが嘘のようだ。


「いえいえ、呼んでくれてうれしいですよ。

 うふふふ」

 美姫も笑顔で気味の悪い笑い声を上げ、そう答える。

 顔は笑っているが、目は無遠慮に俺たちの顔を順番にジロジロと凝視している。


「ヤベッ…帰りてぇ」

 マサキさんが小声で俺に耳打ちする、俺の方が帰りたい。


 飲み会は予想通りの流れであった。

 まずはじめにマサキさんが

「実は新歓コンパの時、キヨが美姫ちゃんのこと気にいっちゃってさ。

 俺たちの飲み会開いてくれって泣きついてきたんだよ」

 と美姫に伝える。


 標的が自分になったらたまったものではないので、マサキさんも必死だ。


「あらあら、うふふふ」

 と美姫は満更ではない表情を浮かべている――――これは腹をくくる必要がありそうだ。


 その後はとにかく3人で力の限り美姫を褒めちぎった、服装や食いっぷりなど、褒められそうなところも、そうでないところもひたすら褒めまくった。


 そうすると、今度は美姫が

「私はデブだから、みんながいじめる」

と自虐なのか被害妄想なのかよくわからないことを言い始めたので、今度は3人でとにかく慰めまくる。

 

 美姫ちゃんは優しい子だから、まわりが意地悪するんだよ。

 美姫ちゃんが太っているって言ってくるのは、美姫ちゃんに他の欠点がないからだよ。

 そもそも美姫ちゃんは、太っていないよ、美姫ちゃんくらいの体型が一番可愛らしくて魅力的だよ。


 そんな言葉が、自分の口からぽんぽんと出てくることに俺は少し驚いた。

 人間って、心にも無い言葉ならいくらでも出せる、饒舌になれるのだと感動した。


 美姫は健啖家で、そして酒をよく飲む女だ。

 勝手に飲みまくった挙句、盛大に嘔吐する。

 勘弁してくれ…泣きそうだ。


 そんな形で飲み会は無事――――ではないが、何とか終わらせることが出来た。



「美姫ちゃん、具合悪そうだね。

 送っていくよ」


 居酒屋で会計を済ませ、千鳥足となっている美姫に俺が声を掛ける。


「う、うう……」


 美姫が唸る、本当に大丈夫か? この女?


 俺は自分の倍くらいの横幅がある美姫を支えると、

「よし、帰ろう」

 と声を掛け、俺は美姫を連れ出した。

 

「頑張れよ! キヨ!」

 遠くから、安心したような表情を浮かべ、ナベさんとマサキさんが声を掛けてくる。

 他人事だと思って…この野郎。



 俺は美姫を連れてラブホテル街を通る、そろそろ仕掛けるか……。


「美姫ちゃん、大丈夫?

 つらくない?」

と俺が心配そうな声音で美姫に声を掛けると、美姫は

「ちょっと、つらいかも……」

と答えてきた。

 まあ、実際に辛そうではある。


「それじゃあさ、ちょっとホテルで休憩しない?

 大丈夫、俺なんもしないから」


 実際何もしたくないところであるが、そういう訳にもいかない。

 ところで女の子を誘うっていうのは、こんな感じでいいのだろうか?

 如何せん、こんなことをするのは初めてなので、合っているのかどうかわからない。


「うん、休む」


 ところが美姫はこちらが拍子抜けするほど、簡単にホテルへとついてきた。


 結論から言おう、俺は美姫と見事ヤることに成功した。

 正直――――メチャメチャ気持ち良かった。

 そして、椿先輩の時とは違う、満足感…いや充実感か? に心が満たされるのを感じた。


 大学に入ってわずか3日間の間に、二人も女を抱いてしまった。


 なんだ……


 女ってチョロイじゃん。




「あの豚、デブでブスだけど、シマリだけは良くてさ!

 俺、2発もイっちゃったよ!」

「そうか……」


 俺は部室へと向かう途中、陽介に大声で自慢げに話す。

 陽介は気乗りしない様子で適当に相槌をうつ――――この童貞野郎め。


「それで清澄、今日のテニスなんだが…」

「だから、テニスはもうしねぇって」

「……」


 この馬鹿、まだテニスなんてやってんのか?

 わずか4年間しかない大学生活、そんなもんに使ってたら勿体無いぜ?



「おお、キヨ! マジでやったんか!?」

「で? どうだったんよ!?」


 部室に入ると、先輩方が口々に俺へ声を掛けてくる。


「あの豚、服を脱いだらまんまボンレスハムみたいで…もう俺、ハム食えませんよ…」

「いや、頑張った、マジ頑張った!

 キヨ、お前勇者だぜ!」


実際と所、俺は初めて自分でオトした女として、美姫のことをあまり悪く思っていなかったが、あえてトラウマを植えつけられたような話し方をした。

 

 そんな俺に先輩たちが、親しい調子で話しかける。

 どうやら、俺はテニス愛好会、入会の試練を無事突破したようだ。


「あ、」

 背後から声がする。

「童貞くん、正式に入会したんだ、よろしくね」

 椿先輩が俺に向かって小さく手を振る、どうやら連続新歓コンパは昨日までだったようだ。


「違う」

「え?」

「俺は、みんなから『キヨ』ってアダ名をつけてもらいました。

 もう、『童貞くん』じゃない」


 断固とした口調でそう椿先輩に伝える。


 セックス中毒の糞ビッチめ。


 何故だろう――――二日前までは恋心まで抱いていた椿先輩に

 今は苛立ちすら感じる。


 そんな俺の様子に対し、椿先輩はいつかの冷めた目を浮かべ


「そう、つまんないの」

 

 と呟いた。



「うー、今度は普通の子で、癒されたいっす」

 再び、俺は先輩たちにそう話しかける。


 先輩たちは俺の言葉に少し思案すると


「そうか……なあ、ナベちゃん。

 今度のアレ、キヨも誘ってやっか?」

「ああ、そうだな」

 と俺をコンパへと誘ってくれた。


 こうなったらシメたものだ、先輩たちに気に入ってもらえた俺は、その後も彼らに誘われるまま、何度も合コンやら、飲み会やらに参加することが出来るようになった。




 ひと月後、4月から5月へ移り変わったころ、

 俺は誕生日を迎え、19歳になった。

 人間、変われば変わるものだ。


 俺はあの日以来、先輩たちと遊びまくり、後輩という立場上、どうしてもブスが回ってくる確率が高かったが、すでに椿先輩、美姫の他に3人の女とヤることに成功していた。


 美姫は結局、テニス愛好会に入会しなかった。

 だが、その後も個人的に連絡を取って、ちょくちょく合っている。

 先輩たちは豚、豚と揶揄するが、手軽にヤれる女と考えれば、こいつも中々のものだ。


 俺はもう、以前のように女相手に狼狽えたりしない。

 女相手に成功したり、失敗したり、失敗したりを繰り返している内に女に対し免疫がついたということもあるだろうが――――


 何より俺は自分に自身がついた。

 俺は女とセックスをしても、いい側の人間だったんだ。




 今日は部室に誰もいない。

 みんな外に遊びに行っているようだ。


 何気なく窓の外に目を向けると、陽介がテニスを打っているの見えた。

 ……あいつもホント、よくやるな。


 うん?


 テニスを打っている―――壁打ちじゃなくてラリーをしているのか?


 ここからだとラリーの相手は影になって見えない。

 俺は陽介のラリー相手を確かめるべく、部室を降りてテニスコートへ向かう。

 思えばこのテニスコートへ足を踏み入れるのは初めてだ。



「おお、清澄!

 テニスをしに来たのか!?」


 俺がテニスコートへ入ると、汗を拭いつつ陽介が俺に声を掛けてきた。


「違ぇーよ、バカ。

 そんなことよりお前、誰とラリーなんてしてたんだ……」

 そう言いながら俺は、コートの反対側へ目を向ける。


「あ……」


 そこには女の子が一人、俺に向けて小さく声をあげ、会釈をしていた。



向居日向むかい ひなたです。

 私も一応、テニス愛好会の会員で……最近、よく陽介くんとテニスをしているんです」


 そう言って日向が俺にお辞儀をする。

 同学年だと言うのに、随分丁寧なやつだ。


 日向はややこどもっぽい、どちらかというと可愛らしい印象の女の子で、髪を後ろに結び、化粧っけの無い顔に、安そうなジャージを着ている。

 他の会の女と比べると、何だか地味で野暮ったい印象だ。


「わたし、今までテニスをしたことがなくて、陽介くんに教えてもらいながら練習してるんです。

 わたしじゃ、陽介くんの練習相手としては物足りないだろうけど……」


「そんなことはない、向居が相手をしてくれるようになって、随分練習に張り合いが出きた」


 日向の言葉に陽介はそう答えると、

「それに一人でやってるより、ずっと楽しいしな」

と、笑いかける。


「うん……」

 日向は陽介の言葉を受け、俯いてしまう。

 心なしか頬が少し紅潮しているようだ。


 ――――何だこいつら? ガキみてぇだな。


「あっそ…、まあ練習でも何でも、好きにやってて下さいよ」

そう言って俺は二人に背を向ける。


「おい、清澄。

 テニスはやっていかないのか?」

と陽介が俺に向けて声を掛ける。


「前にも言ったろ?

 もう俺、テニスはやらねぇよ」

 と俺は答える。


 ……それに俺がいると何だか邪魔っぽいしな。


 ………


 ………でもね、陽介くん?


 多分そいつ、もう先輩たちに散々ヤられちゃってると思うよ?




「くそっ、あの糞女、死ね!」

 俺が居酒屋で悪態をつく。


「まあ、そう言うなキヨ、女なんて失敗してナンボだぜ?

 いちいちキレてんじゃねえよ」


 ナベさんが俺を嗜めるように言う。

 今日、俺はナベさんのツテで参加した合コンで手酷く女にフられ、イライラとしていた。


「そういやよ、椿が停滞期に入ったらしいぜ?」


 マサキさんが話題を変えるように言う、停滞期って何だ?

 俺の表情に気づいたのか、マサキさんが俺に説明する。


「つまりさ、童貞大好きの椿ちゃんは、このひと月でサークルはおろか、大学内の童貞を粗方食い荒らして、停滞期に入ったって訳さ」

「まあ、4月中は椿の奴、なかなか凄かったからな。

 サークル内に童貞の奴なんて残ってないんじゃねぇか?」

「たしかに!」


 マサキさんとナベさんが笑う。

 くそ、あんな女に童貞を食われたのは、俺の人生で一番の不覚だ。


「待てよ……あいつはどうなんだ?」

 ふとナベさんが思いついたように声を挙げる。


「あいつ?」

「ほら、風見だよ」

「陽介っスか?」

「ああ、風見か……でもあいつ結構顔いいし、童貞なんかな?」

「陽介は間違いなく童貞です!」

「お…おう」


 突然俺が力強く言ったことで、先輩たちは些か面を食らったようだ。

「陽介はご存知のとおりテニス馬鹿っスからね。

 高校の頃から女とは縁のない生活をしていたんスよ」

「さすが、元親友。 詳しいな。」


 元、親友か…、確かにそうかもしれない。 

 俺と陽介は、このひと月で随分と違ってしまった。


「でもよ……そしたら、椿は今、風見を狙ってるんじゃね?」

「え……?」

「あいつは童貞なら誰でもいいって所があるからな。

 同じサークルの風見を見過ごすってこたぁないだろう」

「おお、風見くん、ピーンチ!」

 そう言って、また先輩たちが笑う。


 しかし椿先輩が、陽介を……か。


 ふと、俺の頭に日向の顔が浮かぶ。


 たしかに……それはなかなか面白いことかもしれない。

 その時、俺の心の中には陰湿な愉悦が浮かんでいた。




 「それ」は以外な所から始まった。

 いつもの用に、陽介が日向とテニスコートで練習をしていたところ、


「風見くん、私と1ゲーム、勝負しない?」

と椿先輩が声を掛けたのだ。


 俺は部室の窓からそれを見つけ、慌ててテニスコートの前まで降りていった。

 俺がテニスコートに到着した時、どのような会話があったのかは知らないが、陽介と椿先輩は1勝負始めることに決まったようで、陽介が最初のサーブを打とうとしているところだった。

 日向が心配そうな表情を浮かべ、そんな二人をコートの外から見つめている。

 

 陽介は俺の高校で一番テニスがうまかった。

 全国大会への出場を果たすことは出来なかったものの、県大会で上位に食い込むほどの実力者だ。

 こういっては失礼だが、飲み会の片手間にテニスをしているような椿先輩に勝目があるとは到底思えない。


 いったい、どういうつもりで椿先輩は陽介にテニスの勝負なんて仕掛けたんだろう?


 先日マサキさんたちと話した、椿先輩が陽介の童貞を狙っているかも……という話しを思い出したが、それとテニスをすることに何の関連性があるのかわからなかった。


 俺がそんなことを考えている内に、陽介が椿先輩へファーストサービスを打ち込む。

 高校生のころと遜色ない、鋭いサーブだ。

 経験者でもこれを受けることが出来る奴は少ないだろう。



 結果は一方的なものだった。

 陽介は椿先輩から1ポイントも取ることが出来ないまま、ラブゲームで勝負を終えた。

 陽介は愕然とした表情を浮かべたまま、コートの真ん中で膝をついている。


 愕然とした表情を浮かべているのは俺も同じだ。

 陽介はムラのない選手で、勝つにしろ負けるにしろ、一方的なゲームになることは少なかった。

 そんな陽介にラブゲームで勝利するということは、椿先輩は陽介よりも圧倒的にテニスの実力が優っているということだ。


「いやー、風見くん、強いね。

 久しぶりに本気出しちゃった」


 そんな俺たちの様子を意に介さず、椿先輩はいつもの軽い調子で陽介に声を掛ける。


「‥‥‥‥‥‥」


 陽介は答えない、黙ってコートを見つめ続けている。

 椿先輩はそんな陽介の様子に、満足そうな表情を浮かべると、ツカツカと陽介に近づいていく。


「風見くん、どーしたの?

 私に負けて、落ち込んじゃった?

 キズついちゃった?」


 膝まづく陽介の前で、見下ろしながら挑発的な様子でそう問いかける。


「‥‥‥‥‥‥」

 それでも陽介は何も答えない。


 椿先輩は淫靡に顔を歪ませると、陽介の顔を下から覗き込むように近づけ、耳元で囁くように言う。


「私が、慰めてあげようか?」


 ああ…この女、最初から陽介を誘うつもりで勝負を挑んだのか。


「………げぇ…」

 陽介が下を向いたまま、何かを呟く。


「え?」


「すげぇ! こんな強い人と打ったの初めてだ!」


 陽介は突然立ち上がると、興奮した様子で椿先輩の肩を掴む。

 目がキラキラと輝き、まるで宝物を見つけた子供のようだ。


 さすが……テニス馬鹿。


「先輩はどちらの高校の部活に…いやそれともテニススクールかな?

 ……とにかく!」


「椿先輩、一緒にテニスやりましょう!」


「……………」


 今度は椿先輩が黙り込んでしまう番だ。

 陽介はそんな椿先輩の態度を意に介さず――――多分介してない――――さらにまくし立てるように言葉を続ける。


「椿先輩のボレーには惚れ惚れしました!

 いったいどんな練習しているのですか!?

 参考にしたいので教えてください!」


 椿先輩は陽介の言葉が終わる前に背を向ける、顔には、いつかのように何の表情も浮かんでいない。

 そして誰に言っているのか、ぽつりと呟く。


「風見くんは、強い人、……なんだね」


「はい?」


 椿先輩は背を向けたまま、遠くを見つめる。


「私、強い人って……きらい」


 そう言って、椿先輩はどこかへ去っていった。


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