ねんがんの 童貞 をてにいれたぞ!(上)
一説によると20歳まで童貞だった者は、その後、一生童貞である確率が80%を超えるという。
俺は現在、大学入学したての18歳、早生まれなのですぐに19歳になってしまう。
無論、女の子の手も握ったことがない、イカした童貞野郎だ。
つまり、俺に残された期間はわずか1年間。
俺はこれまで18年間強かけて無理だったことを、この1年間でやり遂げなければいけないのだ。
一見すれば絶望的な状況…しかし、俺はあきらめていない!
何故なら、俺は今日から大学生。
人生で最も彼女が出来やすいと言われる4年間!
やってやる、やってやるぜ!
お父さん、お母さん、見ていて下さい!
俺こと、流清澄18歳――――もうすぐ19歳。
この10代最後の1年間を全力で脱童貞にかけてみせます!
「清澄、どのサークル入るか、もう決めているのか?」
俺が大学の校門前で、人知れず決意を固めていたところ、不意に声を掛けられた。
「ああ、陽介か。
いや、サークルはまだ決めてねえな」
風見陽介、高校時代からの俺の友人である。
「もし決めていないのなら、大学でもテニスをやらないか?
俺はこれからテニス部の説明会に行こうと思ってるんだ」
陽介はテニスさえしていれば満足な、いわゆるテニス馬鹿だ。
こんな奴と関わっていたら、俺の脱童貞計画が早くも破綻してしまう。
俺は高校生のころ、テニス部に入っていた。
動機は単純、何かテニス部に入れば彼女とか出来るんじゃね? という安易な理由からだ。
中学時代、男臭い野球部に入っていた俺はテニス、というものに何だか爽やかなイケメン臭い雰囲気を感じていたのだ。
ところが入部してすぐに、俺はこの選択を後悔する。
テニス部は野球部に負けるとも劣らない、超絶体育会系の部活だった。
高校生活用にせっかく伸ばした俺の髪は、初日で再び丸刈りへと戻され、毎日ゲロを吐きそうになるまで走らされた。
最初は多かった部員が少しずつ辞めていき、最後まで残っていたのは俺と陽介、他数人だけだった。
何事も最後までやり遂げるという、俺の主義が悪く働いた結果だ。
そんなテニス漬けの毎日のなか、女の子に片思いをしたことはあれど、告白すらしないまま手酷い失恋をしたものだ。
と、まあ、俺の高校時代はテニスのせいで、灰色の青春、灰春へと変色させられてしまった。
しかし、今日からの俺は違う! 青き大学生活を謳歌するため、また髪を伸ばし、今回はなんと茶色にまで染めてしまった。
あこがれの茶髪、いわゆるイケメンヘアー。
髪の毛染めるってすげえわ、謎の自身が溢れてくる。
今の俺なら、そこらへん歩いている女の子にナンパだって出来そうだ!
「あの、すいません」
「おわ!?」
突然、女の子から声を掛けられる、あれだ…女子大生だ!
「3番校舎ってどこにあるんでしょうか? ごめんなさい、私、新入生で…」
「さ、3番校舎…いや、あの…ちょっと、わか、わから…フヒヒ、すいません!」
「ごめん、俺たちも新入生なんで、校舎の位置とかよくわからないんだ。
あっちの方に校内の地図があったと思うけど」
「あ、ありがとう、ちょっと探してみますね」
女子大生が去っていく。
突然の接触に俺はキョドりまくってしまったが、陽介が変わりに返事をして事なきを得た。
「ぐぬぬ…」
「清澄、どうした?
テニス部の説明会、行かないのか?」
何事も無かったかのように陽介が言う、高校生のころと何も変わらない友人に俺は声を掛ける。
「しかし、お前本当にテニスが好きなんだな。
大学でもテニス、やんのか?」
「もともとそのつもりだったからな。
お前はテニスが嫌いなのか?」
「いや、別に嫌いなわけじゃねぇけどさ」
陽介としばし話す、確かにテニス部が嫌いな訳ではない、高校時代は何だかんだで楽しかった。
しかし、大学生の出会いの場といえば、サークル、バイト、ゼミの3つが主要なものである。
その一つであるサークルを、またあの男臭い空間で過ごすと考えると、やはりためらってしまうのだ。
大学サークルと言えば、やっぱ男女でこう…キラキラっとフワフワっとした―――
うん…よくわからんな。
「まあ、この大学、正式なテニス部は無いらしいけどな。
何でもテニス愛好会っていうらしい、部員自体は多いらしいんだが…」
「テニス愛好会?」
陽介の言葉に興味を惹かれる。
テニス愛好会…愛好会か、ひょっとしてガチな感じじゃなくて、飲み会の片手間にぼちぼちとテニスをやってる…俺の希望しているようなサークルかもしれない。
「陽介、ちょっと待っててくれ」
「?…‥ああ」
俺は携帯でネット上にある大学の掲示板へ書込みを行う。
テニス愛好会ってどんな感じなの?――――っと
2、3回更新したところで、すぐに返事が書き込まれた。
『テニス愛好会か…飲みサー、っていうか、あれはもうヤリサーだな。
テニスやりたいんならオススメしないけど、
まあ女とヤりたいんなら、入ればいいんじゃね?』
こ、これだ! これぞ俺が求めていたサークル!
しかも、無駄だと思っていた俺のテニス経験も活かせそうだ!
「ようすけぇ!」
「お、おぅ…?」
「俺も行くぜ! いや行かせてくれ、テニス愛好会に!」
「そ、そうか、じゃ…説明会、行ってみるか」
「おうよ!」
突然テンションがMAXになった俺にやや面を食らっている陽介を引っ張り、俺たちはサークルの説明会場へ、足を踏み入れた。
「‥‥‥‥‥‥‥まじかよ」
俺たちは目的のテニス愛好会の机の前で躊躇していた。
机にはテニス愛好会の先輩と思われる男女が3人、座っていたが――――
「こ、恐ぇ…」
「だな…」
一人はデカい、柔道でもやっているのかと思うようなデカい、金髪、ガングロ、ピアスのヤクザみたいな男の先輩が座っている。
隣には、同じく金髪で化粧が濃い、キャバ嬢みたいな女の先輩が座っていた。
「俺、あんなのテレビでしか見たことねぇわ、実在するんだな」
「さすが、都会だな」
俺も陽介もどちらかと言えば田舎の出身だ、地元にあんな出で立ちの人はいなかった。
やべ、俺の茶髪が何か地味に思えてきた。
そして3人目、一番端に座っている先輩は――――
そこには天使がいた。
髪は背まで流れる、長い黒髪。
地元の連中とは違い、毛先が真っ直ぐと綺麗に伸びている、よく手入れがされているってやつか。
服装も全然違う、高級感があって、いい服を来ているというのは見て分かるが、何より彼女によく似合っている、服を着こなしているのだ。
そして何よりも驚いたのは肌の白さだ、この人、日焼けしない皮膚でも持ってんのかと思わせるほど肌が白く、それが彼女の天使度を上げていた。
「すいません、入会したいんスけど」
気が付けば、俺は無意識に金髪ヤクザ先輩に声を掛けていた。
あの天使のような先輩にお近づきになれるなら、サークルの活動内容なんざどうでもいい。
「おう、入会希望か。
いいよー、ウチは来るもの拒まず、去る者追わずがモットーだから。
この紙に名前と電話番号書いといてよ」
金髪ヤクザ先輩は、思ったより気さくな感じの人で、俺に用紙を差し出し、
「そっちの彼も入会希望?」
と、後ろにいた陽介にも声を掛ける。
「はい、よろしくお願いします!」
陽介は突然、頭を下げる――――おいおい、空気読めよ。
どう見てもここ、そういうノリのサークルじゃねーだろ。
「ははは、んなかしこまらなくていいよ。
気楽に行こうぜ! 気楽に!」
「ちょーウケる」
金髪ヤクザ先輩とキャバ嬢先輩が陽介の堅苦しい態度に笑っている…て、天使先輩は!?
天使先輩は上品に口を抑え、クスクスと笑いながら
「でも、私こういう子、好きですよ」
とか言っている、やべぇ、俺、早くも陽介にキャラ負けしている?
「それで、練習の時間は大体何時ころからなのでしょうか?
もし、今日もやっているのなら、本日から参加したいのですが……」
まわりの空気に気づいているのか、気づいていないのか、陽介がまたアホなことを聞いている。
おいおい…マジかよ、こいつ。
「んー、練習は1ヶ月に一回だけだよ。
ウチ、テニス愛好会って言ってるけど、ぶっちゃけただの飲みサーだから」
「ただ、今日から新歓コンパを毎日やるから来てみれば?
合わないと思ったら辞めればいいんだし?」
ヤクザ先輩の言葉をキャバ嬢先輩が引き継ぐ、今日からやるのか!
「新歓コンパをやるんですか!?
是非、参加させて下さい!」
俺が食い気味にヤクザ先輩に言うと、先輩は笑い
「おう、君はノリ良さそうだな。
いいよう、YOUガンガン参加しちゃいなYO!」
と、言ってきた。よし!つかみは悪くないはずだ!
その後、俺と陽介は入会希望名簿に名前を記載し、夜の新歓コンパに参加する旨を伝え、サークル説明会場を後にした。
「清澄…お前、本当に入会するのか?」
帰り道、陽介が俺に聞いてくる。
「当たり前だろ! あそこは俺の希望通りのサークルっぽいしな!
――――ああ、新歓コンパに何を着ていこうかな!?」
「でも、あそこ、あんまりテニスをしないみたいだぞ…」
何言ってんだ、こいつ?
俺はそもそも、大学に入ってまでテニスなんかやる気はねえんだよ。
俺の大学での目的は脱童貞!
この1年間に勝負を賭けるんだ!
「陽介、お前こそどうなんだよ? 入会すんのか?」
俺が逆に陽介に聞いてみる。
「まあ、清澄が入会するんなら、俺も入ってみるかな。
他にテニスサークルも無いみたいだし」
どうやら陽介も入会するつもりらしい、だが、そんなことより俺は今日の新歓コンパにさっきの天使先輩が来るかどうかで頭がいっぱいだった。
「入学おめでとう!」
ヤクザ先輩が音頭を取り、テニス愛好会の先輩と新入生が乾杯する。
新歓コンパは大学の側にある繁華街の居酒屋で行われており、参加者は男女半々で30人くらいだ。
どいつもこいつも洒落た格好をしており、気合を入れたつもりの自分の服装がひどくみずぼらしいものに感じてしまう。
乾杯の後、すぐに自己紹介がはじまった。
やはり、というべきか入会希望者は今までテニスと何の関わりも無い奴が多かった。
そんななか――――
「名前は風見陽介です! 中学、高校とテニスをしていました!
ストロークが得意で、ベースラインを意識したプレイを心掛けています。
大学では、持久力を中心に鍛えたいと思っています!」
皆さん、これが陽介です。
いや、何言ってんだよお前、みんな頭に?が浮いてんじゃねえか。
まあ、陽介なんてどうでもいい、
それより天使先輩は――――
「初めまして、私は佐久間 椿といいます。
経営学部の2年生、このサークルでは結構、顔を出す方かな?
みんな、よろしくね!」
いた! 天使先輩、椿さんと仰るのですか、可憐です!
他にも艶やかな女の参加者はいるが、椿先輩の美しさはその中で郡を抜いていた。
モデルのような外見の彼女と比べられる方が哀れではあるが。
ここから俺の大学生活が始まるんだ。
さよなら灰色の日々、こんにちは青い世界
そして初めまして、新しい俺!
高校時代とは全く違う、華やかな喧騒の中で俺は独りごちていた。
「よう、来てくれたんだ。
楽しんでいきなよ、今日の参加者は、半分くらいが君と同じ新入生だからさ!」
ヤクザ先輩が気さくに俺へ声を掛けてくる、
しかし俺は椿先輩が気になって仕方なかった。
声を掛けたいのは山々であるが、椿先輩の周囲は参加者の中でもイケメン寄りの男どもが囲っており、俺が声を掛けられるような状況ではなかった。
「お、椿に興味があるの?」
ヤクザ先輩が俺の視線に気付いたのか、にやりと笑うと――――
「椿、何話してんの? 俺たちも混ぜろよ」
と椿先輩に声をかけ、俺に目配せをする。
俺に気を使ってくれたのか? ヤクザ先輩は見た目の割にいい人なのかもしれない。
「いま、みんなにアダ名をつけていたんですよ~」
椿先輩がヤクザ先輩に屈託なく笑う。やはり天使、笑顔も天使だ。
「またやってんのかよ、お前、結構口が悪いからな。
新入生に妙なアダ名つけるなよ」
「こいつ、去年俺に『金髪ゴリラ』なんてアダ名つけたんだよ。
もう、ただの悪口だろ?」
ヤクザ先輩改めゴリラ先輩はそう言って周囲の笑いを取ると、今度は俺を指し
「彼にも何かアダ名つけてみてよ。
何か、お前のことが気になってるみたいだぜ?」
と言い始めた。
「い…いや、気になってるなんて…そんな…」
俺は慌ててキョドっていたが、椿先輩は俺をじっと見つめると――――
「流くんか…そうだなあ、君にアダ名をつけるとしたら――――」
「『童貞くん』かな?」
「おえぇぇぇ…」
新歓コンパが終わり、参加者が居酒屋から出た後も、俺は店のトイレに篭り嘔吐を続けていた。
「大丈夫か? 清澄。
お店の人に、水をもらってきたぞ」
「わりぃ……」
陽介から水の入ったコップを受け取る、ああ…自分が情けない。
椿先輩にアダ名をつけられてから、俺はヤケ酒のように酒を煽り、完全にゲロッキーとなってしまった。
せっかく椿先輩のお近づきになるチャンスだったのに、何をやっているんだ俺は……。
しかし……童貞くん――――童貞くんか。
俺はいかにも童貞な風貌をしているってことか……まあ、実際に童貞だしな。
それにしても……天使だと思っていた椿先輩の口から童貞なんて言葉が出るとは思わなかった。
――――お前は女に幻想を抱きすぎなんだよ――――
高校時代、すぐに童貞を卒業した同級生が俺によく言っていた言葉だ。
俺は女の子に対して幻想を抱いているのだろうか。
「アダ名のことを気にしているのか?」
陽介が心配そうに俺を覗き込む。
「あの人、俺には『ブリンカー』ってアダ名つけたぜ。
俺は馬じゃねぇっての」
そう言って陽介が苦笑する。俺に気を使っているのか?
ブリンカー……競走馬の意識を前方に集中させるため、目を覆う馬具。
確かに、前ばかりを見て、周囲を気にしないクセがある陽介には、言い得て妙かもしれない。
「ああ、童貞くん。
こんなところに居たんだ。
お店から出てこないから心配したよ」
後ろから可憐な声がする、振り向くと、そこには椿先輩がいた。
「さ、佐久間先輩!?」
「椿、でいいよ。
こんなサークルなんだから、お互い気ぃ使いっこなしなし」
椿先輩が微笑む。やはり天使だ、小悪魔天使だ。
「何か童貞くん、具合悪そうだね?
ひょっとして飲みすぎちゃったのかな、ちゃんと帰られる?」
椿先輩が心配そうに俺へ声を掛ける。
「大丈夫っす、俺の家、ここから結構近いんで」
俺が声だけは元気に応える。
「風見くんは、帰り同じ方向なの?」
「いや、自分は反対方向ですね」
椿先輩の言葉に陽介が返事をすると、彼女は何か考え込むような仕草をして――――
「じゃあ、私が童貞くんを家まで送ってあげる」
と言った。
「何かすいません、椿先輩」
「気にしなくていいって、それよりちゃんと歩ける?」
俺は今、椿先輩の後ろをついていくような形で一緒に歩いている。
すげえ! 俺、女の子と二人で歩いている!?
繁華街を抜けると、今度はラブホテルが立ち並ぶ通りに出る。
さらに川を超えれば、俺の大学があり、近くに俺のアパートもある。
そんな中、椿先輩が俺に声を掛けてきた。
「童貞くんってさ、やっぱり童貞なの?」
「え……」
どうしよう、こんなこと聞かれるとは思わなかった、女子大生ってすごい。
「やっぱ……そう見えます?」
「うん、いかにも高校のころは地味男くんだったから、大学デビューしました! って感じ」
「うわー……」
なんだ、見る人が見ればそういう風に見えるのか。
なんかカッコ悪いな、俺。
「そうなんスよ、ご想像のとおり、女の子の手も握ったことがない、正真正銘の童貞です!」
もうヤケだ、どうせ嘘をついてもバレそうだし、正直に言っちまおう。
「高校時代、あまりにもダメダメだったんで、大学からは…って思ってたんスけどね!
やっぱ駄目ですわ、童貞オーラがダダ漏れっスね!」
そう言ってヤケクソ気味に笑う俺を、椿先輩は些か無遠慮にジロジロと眺めると―――
「それじゃあさ、これから私とセックスする?」
と、言ってきた。
「は!?」
突然の言葉に、思わず俺が素っ頓狂な声を上げると、椿先輩は少し傷ついたような表情を浮かべ
「初めてが私じゃ、いや?」
とか言っている、ふざけんな! いやな訳がないだろう!
「いや、その……突然で驚いたというか、せ、先輩と俺が?」
「そう、セックス。する?」
おいおい…マジかよ、何だよこれ。
夢なの? そうなの?
待て! 落ち着け俺! ここでガッツいたりしたら先輩にひかれてしまうかもしれない。
ここは余裕を持った言葉を選ばなければ……
「し、したいです!」
正直者か!? 死ね! 俺!
ところが、椿先輩はうれしそうににこりと笑うと
「いいよー、じゃあホテル入ろうか?」
と言って俺の手を引き、そばのラブホテルに連れて行く。
そうだ、ここラブホテル街だったっけ。
想像していなかった状況に、俺はただ先輩に手を引かれるままになっていた。
あ……
そういえば、俺
女の子に手を引かれるのなんて
生まれて初めてだ。
柔らかいんだな、女の子の手って……
「な…何だこりゃ?」
俺は目の前の光景に絶句する。
先輩に促されるがまま、ラブホに入ったはいいが、中にはフロントも何もなく
部屋のパネル写真が壁一面に設置されている。
なにこれ!? どういうシステムなの?
わけがわからないよ!?
「童貞くんは、こういうホテルって初めて……って当たり前か。
いいよ、チェックインは私がやっておくから」
先輩が慣れた仕草で部屋を選んでいる。
ラブホテルって一泊、いくらくらいするんだろう?
そういえば俺、あんまり持ち合わせが……。
「椿先輩……その、言いづらいんスけど、俺、あんまり金持ってなくて……」
うう…さっきから俺カッコ悪すぎだろ。
「後輩に…しかも新入生にお金は払わせられないよ。
大丈夫、今日は私がラブホ奢ってやるぜ!」
そういって先輩が俺に親指を立てる。
やだ…なにこの人、カッコいい……。
そんなこんなで、俺と先輩は部屋へと入っていった。
俺はシャワーを浴び終えて、ベッドに腰掛けている。
ラブホテルというから、ベッドがくるくる回ったり、壁が全て鏡張りだったりするのかと思ったが、案外普通のビジネスホテルみたいだ。
奥から先輩がシャワーを浴びている音がする。
先程まで、あまりにも現実味がない出来事が重なったせいで感じていなかったが、部屋に入ってから俺は急に緊張してきていた。
うそ?
マジで?
俺、これから…その、…せっくす、しちゃうの?
俺に取って性行為というものは、AVの中にあるだけのもので、
アニメやゲームと同じ、現実には無いものだと思っているフシがあった。
うう…緊張で腹がヒリヒリする。
さっきから貧乏ゆすりが止まらない。
さっきあんだけ吐いたのに、また吐き気がしてきた。
期待と不安で分けるなら、正直不安の方が大きい。
………。
……恐い。
――――!
いやいやいや、恐いって何だよ!? 生娘か俺は!?
「ごめんね、待った?」
「!!」
ベッドの上で悶々と考え事をしていると、先輩がシャワーを終えてこちらに近づいてきた。
タオルも持っていない、完全に全裸だ。
女の子って服の中はこんな風になっているんだな……。
俺がそんな馬鹿なことを考えていると、先輩は俺の肩に手をかけて顔を近づける。
やっぱり綺麗だ、何だか吸い込まれそうだ。
「童貞くんって、やっぱりキスもしたことないの?」
「え、ええ、何せ生粋の童貞っスから……」
俺は何だか恥ずかしくなって、目をそらす。
「じゃ、ファーストキスもらいー」
「んん!?」
先輩がやや強引に俺に口付ける。うわっ――――うわっ。
一拍置いて、先輩が唇を離す。
そして悪戯っぽく笑い、言う。
「どうだった? ファーストキス」
「何か…よく、わからなかったです」
よく考えてみれば、相当失礼なことを言ってしまった気がするが、先輩は妙にご満悦のようだ。
「童貞くん、女の人の裸を見るの、初めて?」
「いや、AVとかで、見たことありますし……」
「ぷっ、何それ?
やっぱ童貞くんって面白い」
何が面白いのか、先輩がクスクス笑う。
そして自分の体を俺に見せつけるようにすると
「で、どう? 興奮する?」
と聞いてきた。
綺麗…だとは思う。
興奮は…どうなんだろう、正直今の俺にそんな余裕はない。
そもそもセックスって何やるんだ?
俺は今まで見たAVの知識を総動員して考えたが、透明人間シリーズばかりを見てきたせいで何も思い浮かばない。
俺、透明人間じゃないしな。
「どうしたの? 童貞くん、何か急に無口になっちゃった」
さっきから俺が黙りこくっていたせいか、先輩が俺に聞いてくる。
「あ…すいません、俺、こんなの初めてで…
その、さっきから緊張がやばくて、どんなことをしたらいいかもわからないし…。
何か、頭の中が真っ白で」
嘘を言ってもしょうがない、俺は今の自分の気持ちを正直に告白する。
情けなさすぎるな俺、だから童貞なんだよ。
だが、俺の言葉を聞いた先輩はとてもうれしそうに目を細めると、俺に優しく囁くように言葉を紡ぐ。
「ひょっとして恐い?」
「い、いや! 恐いって…そんなわけ……」
突然の先輩の言葉に、俺が慌てて異を唱えようとしたが、先輩はそれを制するように顔を近づける。
「大丈夫だよ」
「怖くないよ」
「私、優しくしてあげる」
「だから――――」
「童貞くんの初めて、全部……私にちょうだい」
先輩が俺に覆いかぶさってくる――――。
ああ…
先輩が俺の上に乗っている。
心臓がバクバクする。
呼吸が乱れる。
声が漏れる、止められない。
目から涙がこぼれる。何でだ。
視界が定まらない、先輩の姿がおぼろげに見える。
そんな中、不意に先輩の白い両手が視界に入る。
先輩は俺の腰に跨ったまま、俺の頬を両手で包み込むように触れ、
「童貞くん……」
と囁くと、俺の面前に自分の顔を近づける。
「よく、私の顔を見て……」
「は、はい……」
「私が童貞くんの初めての人だからね?」
「私の顔、忘れないでね」
「私の事、童貞くんの心に、焼きつけてね」
先輩の目に俺の顔が映る。
間近で見る先輩は、さっきまでと違い、何だかとても儚げに見える。
ああ……俺は、先輩を天使だと思っていたけど――――
違うな……先輩は普通の女の子だ。
唯の、美しい、普通の女の子だ。
そんなことを考えたとき、俺は自分の心臓がドクンと脈打つのを感じた。
事が終わったあと。
俺がベッドの上に、虚脱感に包まれたまま寝転がっていた。
「で、初体験はどうだった?
童貞くん?」
と服を着始めた先輩が声を掛けてくる。
「違います」
「え?」
「俺の名前は清澄です、椿先輩」
俺が先輩に告げる。
何故か、俺はもう先輩にそのアダ名で呼ばれたくなくなっていた。
しかし、先輩は冷めたような目を浮かべると、
今までとは打って変わった、無表情な声音で
「そういうのは、いらないんだけどなぁ」
と呟いた。
「――――と、いうわけだ。
どうだぁ! 陽介ぇ!」
「すごいな」
俺は翌日、陽介に昨晩のことを話しながら、講義が終わったあと、テニス愛好会の部室に向かっていた。
「まさか、俺も入学初日に童貞卒業とは思わなかったぜ!
残り1年間に勝負を掛けるとは、いったい何だったのか!」
「あの後、そんなことになっていたとはな……。
やっぱ、大学ってすごいんだな……」
俺はややテンション高めで、興奮したように陽介と話す。
あまり人に話すべきではない内容だとは思うが、陽介はこれで口が硬いし、何より俺は誰かとこの喜びを分かちあいたかった。
「それで、付き合うのか?」
「え?」
「いや、だから椿先輩と、付き合うのか?」
「俺と椿先輩が付き合う……マジで?」
「良く分からんが、普通はそういうものなんじゃないのか?」
確かに、普通はそういうものか。
昨日の出来事があまりにも衝撃的すぎて、あまり考えていなかった。
1仲良くなる⇒2付き合う⇒3ヤる
――――とまあ、本来こういう流れだよな。
俺は、この1と2の過程をすっとばして3までいってしまったわけだが、次は2の付き合うというチャプターへ移行するのだろうか?
椿先輩が……俺の彼女になる?
そんなことになったら、うれしい――――たぶん、うれしすぎて死ぬ。
昨晩、俺が事が終わったあと、目を覚ますと、椿先輩はすでに立ち去った後だった。
連絡を取ろうと思ったが、俺は考えてみたら椿先輩の連絡先を知らない。
だからこそ、今日は椿先輩とじっくり話してみたい。
思えば俺はまだ、椿先輩がどんな人なのかということも知らないのだ。
「失礼しまーす」
俺と陽介がテニス愛好会の部室に入る。
テニス愛好会は体育棟の2階にある、大きめの部室が割り当てられている。
部室内を見渡すが、ラケットやロッカー等は無く、ゲーム機、ソファー、漫画や雑誌などが乱雑に置かれているだけだ――――まあ、飲みサーだからな。
「お、昨日の新歓コンパに来ていた奴だっけ?」
「はい、お疲れ様っス!」
「おう」
名前は覚えていないが、先輩に挨拶をする。
部室内には、確か昨日新歓コンパで見たサークルの先輩が数名くつろいでいたが、ヤクザ先輩や椿先輩の姿はない。
「思ったより、人数少ないんスね」
「ああ、他の連中は今日も新歓コンパに行ってるからな、俺らは留守番さ」
そういえば、何日間か連続で新歓コンパを続けるとか言ってたな。
椿先輩も参加しているのだろうか?
「で、お前らは昨日のコンパ、どうだったんよ?」
俺と話していた先輩は、すでに俺から興味を失ったらしく、他の会員に声を掛ける。
そういえば、今日部室にいるのは男ばっかだな。
「ナベちゃん、あの後、あの子と消えたろ。
どうだったん? ヤれたの?」
「ダメだったわー、
ホテル誘ったけど、逃げやがった」
「ざまぁ」
「まあ、何か、テニスやりたくてウチに入りました系だったしな」
「マサキは?」
「俺か? あの女、うまい具合に酔いつぶれてたからな。
ヤったあと、そのまま逃げてきた」
「ヤり逃げかよ、相変わらずだな」
「だって、なんかメンドくさいじゃん。」
「お前は? 何かいい感じだったじゃん?」
「ああ、チョロかったわ。
ただあの女、毛の処理してなくてよ、マジでボーボーだったわ」
「マジで? 顔は結構可愛い系だったけどな」
「パンツ脱がすまで女はわからんな」
「ぶははは」
先輩たちが下世話な話をしながら笑っている。
………なんか、嫌だな。こういうの。
その後も先輩たちは新入生の誰がヤりやすそうだとか、ブスだとか、エロかったとか、そういう話しを続けている。
「あの…すいません」
「あ?」
俺は先輩たちに声を掛ける。
「つばき……佐久間先輩は今日も新歓コンパに行ってるんスかね?」
俺の言葉に対し、先輩はことなにげに言う。
「ああ、あいつは今日も『童貞漁り』だろ」
「え……?」
俺は自分の顔から、血の気が引いていくのを感じた。
「童貞漁り……ってどういうことですか?」
「そのまんまだよ。
椿ってさ、超童貞厨なんだよ」
「そうそう、自分からは言わねぇけど、このサークルであいつに筆おろししてもらったって奴、結構いるはずだぜ」
「とりあえず童貞だって言えば、一回はヤれるからな」
「今日もヤる気満々って感じだったな、新歓コンパで一番ヤる気あんの、あいつじゃねえ?」
また、ぶははと先輩たちが笑う。
椿先輩が…?
ウソだろ?
………いや、違う。
そもそも俺は嘘だと思えるほど、椿先輩のことを知らない。
俺が椿先輩と話したのは飲み屋からホテルまでのわずかな時間だけだった。
「そーいやさ昨日、椿に食われたのは誰だ、って話ししてたんだけど…まさか、お前?」
黙り込んでしまった俺に対し、先輩が言葉を向ける。
「! …ま、まさか、んな訳無いでしょう!?
そ、そもそも俺、ど、童貞じゃないですし!」
全力で否定する俺に対し、先輩はあまり気にしないような態度で言う。
「まあ、別にどうでもいいんだけどさ…。
あいつに、あんまマジになんなよ?
椿は、見た目だけはいいから、本気で付き合いたいとか思っちゃう奴もいるんだよ。
特に、あいつに筆おろしされた奴はな」
「だけど、あいつはヤバイ。
このサークルの女どもは全体的に股がユルいけれどよ、椿の場合はちょっと異常だ……ありゃ性依存性ってヤツだな。
あいつと本気で付き合っても、たぶんロクなことねぇぞ」
それからも先輩は俺に何かを言っていやようだが、俺は頭が真っ白になってよく覚えていない。
気づけば、先輩たちはまた、俺から興味を無くし、今度は新入生のデブ女の話しで盛り上がっている。
俺は何だか所在なく、陽介に目を向ける。
陽介は部室の窓から外を見ていた。
何してんだ?こいつ。
「陽介、なに見てんだ?」
「ああ、あれ見てみろよ、清澄」
陽介に促されるまま、俺は窓の外に目を向けると、下にテニスコートが1面だけ見える。
「昨日、金城先輩に聞いたんだが、あのテニスコート、使いたい奴が自由に使っていいんだってさ。」
金城先輩……?
ああ、ヤクザ先輩か。
「清澄、テニスやろうぜ!」
陽介が目をキラキラと輝かせながら、ジャージに着替えつつ俺に声を掛ける。
こいつは本当に――――テニス馬鹿だな。
「やらねーよ」
「え……?」
「お前、俺がテニスやりたくてこのサークルに入ったと思ってんのか?
俺はもう…テニスはやらない。
お前もさ、ちょっと……空気読めよ?」
八つ当たりだ、俺は自分のごちゃごちゃした気分を陽介にぶつけているんだ。
「わかった、とりあえず、今はあんまりテニスをする気がないんだな?
じゃあ俺はテニスコート行ってるから、お前もやる気になったら降りて来いよ!」
そんな俺の態度に気づいているのか、気づいていないのか、陽介は普段と変わらない調子でそう言うと、部室を出ていった。
くそ、イライラする。
先輩たちは椿先輩が……要するにヤリマンだと言っていた。
こんなサークルに入っているんだ、当然といえば当然か。
それでも、俺の中で何故かあきらめきれない思いがある。
俺は、きっと椿先輩に選ばれた――――と思いたいのだろう。
昨日、椿先輩が俺に抱かれてくれたのは、
俺が童貞だったからではなく、
誰でも良かったからではなく、
俺だから――――
俺だから、椿先輩は抱かれてくれたのだと、そう思いたかったのだ。
確か、椿先輩は今日も新歓コンパに行っているんだったな。
今からでも行ってみよう、出来れば少しだけでも話しをしてみよう。
自分で…自分で直接、椿先輩がどんな人なのかを確かめるんだ。
そう決めると、俺は部室を出て急いで新歓コンパの会場に向かう、確か場所は昨日と変わっていないはずだ。
――――途中、テニスコートで陽介が一人、壁打ちをしているのが視界の隅に映った。
俺は走る。
大学から繁華街まで近いとはいえ、徒歩で向かうのは些か無謀だったかもしれない。
それでも、俺は走り続ける、椿先輩に会うために。
こんなもの、テニス部の走り込みに比べれば屁でもない。
俺はしばらくして、ようやく新歓コンパの会場に到着した。
ちょうど、新歓コンパが終わったあたりだったらしい。
テニス愛好会の会員と思われる人たちが、飲み屋からパラパラと出て行っている。
椿先輩は――――
――――
――――……あ、
飲み屋から大分離れた場所に、椿先輩の姿を見つける。
椿先輩の隣には男がいる。
下手くそに髪の毛をワックスで固め、野暮ったい格好した、
いかにも大学デビューしました、というような――――昨日の俺のような男と腕を組んでいる。
男の方は、モデルの様な椿先輩に腕を組まれ、顔が上気しており、ギクシャクとロボットのような歩き方で、道を歩いている。
童貞くさい奴――――まさにそんな印象だ。
そして、二人はそのままラブホテルに入っていった。
昨日、俺が先輩と泊まったホテルだ。
ああ……
陽介に「空気を読め」なんて偉そうなことを言っておいて――――
一番空気が読めていなかったのは俺だった。
テニス愛好会……テニスとは名ばかりの飲みサー、いやほとんどヤリサー。
そういうことが、好きな男女が集まっているサークル。
そんな中で、俺は本気で恋をしようとしていた。
椿先輩を好きになりそうになっていた。
何というKY、気持ち悪い。
挙句の果てにストーカーまがいの追跡行為、気持ち悪い。
俺は何て気持ち悪い男なんだろう。クズだ。ゴミだ。
――――お前は女に幻想を抱きすぎなんだよ――――
俺はあの日…高校時代のあの日、絶対に自分を変えてやると誓ったのに、何も変わっていない。
変わってやる。
幸運なことに、童貞好きの変わり者のおかげで、俺は童貞を捨てることが出来た。
絶対に変わってやる。
こんな気持ち悪い自分を絶対に変えてやる。
そして、イカした格好のいい男になるのだ。
女から見て、魅力的な男になるのだ。
俺は決意した、大学の校門でしたときよりも、ずっと固く決意した。
長くなりそうだったので、連載にしました。
多分、上、中、下で終わると思います。