COUNTⅠ『日常と雨』
《カチッ…カチッ…カチッ…》
《ピピピピッ…ピピピピッ…ピピ…》
5分。目覚まし時計がなる5分前からボクはコイツとにらめっこをしていた。どうやらボクには目覚まし時計は必要ないらしい。カーテンを開けるとどんよりとした雲が空一面に広がっていた。こりゃあ今日は傘持ってった方がいいな…。布団から這い上がり、身支度を終え部屋を出る。階段を降りるとキッチンから卵を焼く音が聞こえてきた。
「おはよう」
「おはよう、『慶 きょう』。朝食もうすぐできるから、先に顔洗ってらっしゃい』
母の言われるがままに洗面台へと向かった。顔を軽く水で濡らし、洗顔クリームを少量取り出し水で薄め泡立てる。泡立てたクリームを顔に乗せるように満遍なく塗り1分程置く。1分経ったら水で撫でるように流し落とす。後は柔らかいタオルで軽く水分を拭き取る。……洗顔にはちょっとしたこだわりがあるという話だ。歯磨きも終えジーッと鏡に写る自分を見る。寝起きの髪に関しては、父譲りの癖っ毛のせいでそれほど目立たなかったか一応整えた。整髪の方は結構適当だ。
キッチンに戻ると既に朝食が並べられていた。トーストと目玉焼き、ベーコンという非常にシンプルであるが、毎日朝食はこのメニューにしてくれと頼んだのは紛れもないこのボクだ。ボクはそれを全てトーストの上に乗せる。それを見ていた母は牛乳をコップに注ぎながら言った。
「慶…たまには変わったメニューを食べたいと思わないの?ご飯だってあるのよ?」
「いいんだよ。朝はそんなに食べられないから」
母の言いたいことは分かる。朝食はその日1日の行動力に大きく関わるものであるから一般的には主食と一汁三菜が好ましい。だが、寝起きで食欲がでないのも事実。ボクとしてはこのメニューがベストなんだ。
「お!今日も早起きだねぇ、関心関心!」
「…おはよう、父さん」
パジャマ姿のまま朝刊新聞を抱え現れた父は、母にコーヒーをいれてくれるように頼むとボクの向かえの椅子に腰を下ろした。新聞を広げ経済面を眺めながらボクに問う。
「学校はどうだ?もう慣れたか?」
「いや…まだ始まってから2ヶ月しか経たないし…微妙かな…」
「友達はできたか?」
「まあ…2、3人だけど…」
「そうかぁ…高校でできた友は一生の友って言うしなぁ。大事にするんだぞ!」
「…うん」
「彼女は?」
「んぐふッ!!牛乳を飲んでる時に何て質問を…できる訳ねぇーだろッ!まだ始まってから2ヶ月なんだよッ!」
「え?そうなの?慶は父さん似にてイケメンなのにぃ…なあ!母さん?」
「そ、そうねぇ…」
察しの通りボクの父はかなり陽気な人だ。母はそんな父に心を引かれたらしいが…今の返しだと健在かどうかは分からない。
「おはよーみなみなさまー」
2階からもう1人の住人が降りてきた。母に似たストレートヘアーをなびかせフリルのついたパジャマ姿で現れたのは妹の『華音 かのん 』だ。階段を降り終わるなり一直線にボクの隣の席についた。
「相変わらず早いねぇ~お兄ちゃんは!」
「毎日夜遅くまでネトゲしてるお前とは違うんだよ」
「き、昨日は勉強してたんだよ!勉強!!」
「『ラスボス強すぎ!!』『賢者の石ってどこにあるの?』っていったい何の勉強だ?」
「それは~その~…」
「華音!いい加減にしないとパソコン没収するからね!」
母は父にコーヒーを差し出しながら華音を見下すように言った。
「うぅ…ゴメンなさ~い…」
「華音…歯磨いてきなさい…」
新聞を折り畳みコーヒーカップに口をつけながら父が言った。華音は静かに立ち上がり洗面所へ向かった。
「華音には少し慶の爪の垢を煎じて飲ませる必要があるな…」
「何で爪の垢なんだろう?」
特に意味はないが、ボクは以前から不思議に思っていたその慣用句の真相を試しに父に問てみた。
「…そう言われてみると…何でだろうな?どう思う母さん?」
「いえ…知りませんよ…」
またかと言わんばかりの表情で母は答えた。
「それってあれでしょ?優れた人にあやかろうとするがために、その人の何かを自分の体内に吸収したいっていう…。つまり別に爪の垢じゃなくてもいいんだよ。汗でも唾でも何でも。要するに、どんなに汚いものでもその人のようになれればそれでいいって言う昔の人の考え方なんだから…」
『………へぇ~…』
歯を磨き終えた我が妹が超絶に語った。普段はパソコンの画面にカジりつきネットゲームや動画サイトを転々としている華音。こういう雑学が彼女の唯一の得意分野なのである。
「どうして学校の勉強もそれぐらいスラスラッとできないかなぁ~」
頭を抱える母。父はそれを見て何とも言えなくただ苦笑いを浮かべている。ボクは母に同意だ。
「だって学校の勉強は雑学みたいに魅力的じゃないんだもん!!」
『そういう問題じゃないだろ!!』
母父兄、声を合わせて怒鳴った。流石の雑学少女もこれには堪えたらしい。朝食を摂る前に着替えをしに2階へ向かった。ボクは残った牛乳を飲み干した。
ここで1つ言えることは、今日も我が家は平和であると言うこと。父がいて母がいて妹がいてボクがいる、極々普通の家族であると言うこと。それに変わりはない。
「…それじゃあボク、そろそろ行くよ」
「あぁ!気を付けてな!」
「いってらっしゃい!」
2人が見送ってくれる。華音も2階から「いってら~」と叫んでいる。こんな日常がいつまで続くだろう。少なくともボクが社会人として自立するまではこのままでいて欲しいと思った。
「いってきます!」
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家を出てから3分、小雨が降ってきた。やっぱり傘が必要だな…。バサッと音を立て開いた傘は、柄のない大きな黒傘だった。あ…これ…父さんのじゃん…。引き返そうと思ったが、今日は父は夜勤だったことを思い出しそのまま学校へ向かうことにした。
ボクが通う高校は都内では中の中くらいのいわば普通の進学校だ。家から徒歩15分程。余程の事がない限りは遅刻はない。ましてや原則登校時刻が8時30分に対しボクの登校時刻は7時30分なので遅刻はまずあり得ない。
「おーいッ!!小鳥遊ぃ~!!」
振り返るとズブ濡れになって走ってくる1人の男子高校生がいた。気付けばさっきまで小粒だった雨はいつの間にか大粒に変わっていた。
「ひゃあ~参った参った~」
「おいッ!ズブ濡れのまま入ってくんなよ!」
「まあまあまあ!そんな固いこと言わずにさ!入れてくれよ~」
同じクラスの『長谷川康浩 はせがわやすひろ』は、幼稚園からの馴染み、つまり腐れ縁という奴だ。しかも単なる腐れ縁ではなく、今まで幼稚園から高校まで一度もクラスを違えた事がない。さらに言えば、部活動や委員会活動も全て同じというもはや『祟り』の言葉以外では表現できない。だから悪い意味で互いの事をよく知りすぎている。無理に良い意味で『親友』なんだろうな…。
「てゆーか、何でお前傘持ってねぇーんだよ!」
「仕方ねーだろ?家出てからお前ん家周辺でいきなり大雨になったんだからよ~。オレん家の時点では降ってなかったんだよ!」
「今日の雨雲見た時点で気付けよ…」
「んなもんに気づいてわざわざ傘持っていきましょうって思う男子高校生がいるかよ!男子高校生は皆そこら辺大雑把だろ?」
「現にそうしてオレは傘を持ってきているんだが?」
「女子高生かッ!!」
「いや…その理屈はおかしいし…。んなこと言うなら入ってくんな!」
「ああ!ゴメンなさいッ!!入れてくださいッ!!」
非常に奇妙な光景だ。2人の男子高校生が同じ傘の中に肩を並べて歩いている。2人の間には距離と呼べるものが全くと言っていいほどない。おかげでそれまで水分など付着していなかったボクの上着は段々と湿り始めていた。
「あのさぁ…入るならもう少し離れてくんない…?」
「えッ!?ヤダ…小鳥遊くん?…私の事…嫌い?」
いきなり女口調になった康浩にボクは雨の中にも関わらずタイキックを喰らわせてやった。水溜まりに顔をうずくめる康浩を横見にボクは急ぎ足でその場から立ち去った。しかし奴は、昔話『三枚のお札』の山姥の如く般若の形相で追いかけてきた。追いつくなりボクの肩に手を置き一呼吸おいて言い放った。
「いきなり何するかね!!?この子はッ!!」
「元はと言えばお前だろ?いきなり気色悪いこと言ってんじゃねぇーよ!!」
「オレはただお前の『ファースト相合い傘』を奪ってしまった事に反省の意を込めて雰囲気だけでもと気を利かせてやったんだろうが!!」
「んなもんいらねぇーよッ!!逆に不愉快だわ!!」
通常であれば家から15分程で着く学校も康浩と一緒だと10分も増してしまう。だからボクは朝はなるべく康浩と出会さない時間帯を狙って登校しているのだが…。
「なあ?そういえば、何でお前今日こんな早い時間に登校してんの?いっつも遅刻ギリギリまたは遅刻なのに…」
「はあ?何言ってんの?……あぁ、そうか!小鳥遊、先週の金曜休んでたもんなぁ…」
そう、6月も下旬になり先週辺りから今日のような雨が続いて、気温の変化から風邪を引いて先週の金曜日は学校を欠席した。つまり3日振りの学校だ。康浩の様子だと週明けでもテンションが上がる何かが金曜日にあったと見た。
「何だよ?勿体ぶらずに教えろよ」
康浩は咳払いをして声の調子を整える。面倒臭い男だ。
「今日、ウチのクラスに『転校生』が来るんだよ!!」
「………え?……『転校生』…?」