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可憐な罠  作者: さばこ
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第六話

今朝もうだるような強い湿気と変わらぬ暑さで始まった。



「…い。お兄!」

ドン!と箸を叩きつける音でハッと我に返る。

「あ?何だよ」

「ケータイ鳴ってますー」


頭大丈夫?という小さい罵声は無視して、慌てて震え続けるケータイを手に取ったが、僅かのタッチで留守電に切り替わってしまった。

着信を見ると大学の友人だった。こいつなら聞かずとも要件が読めるので無視することにした。



「お兄、昨日からイライラしてんね」

善美が白米を口いっぱいに頬張りながら言う。

「お前…朝からよく食うな」

それには答えず、朝から見事な食欲を見せる妹に感嘆の声を上げる。

「それはどうも。お兄様は恋のお悩みですか?大変ですね」

「は?」

聞き慣れない言葉に今度は新聞を落とした。

「え?何、図星?やだーきもい」

カッカッカッと、箸で米をかき込む小気味良い音が響く。実に男らしい食べっぷりだ。



…それは今日に始まったことではない。善美の大食いは中学からで知ったること。それなのにいちいち感心してしまうのは、白こいお嬢様と比べているからだ。虚勢を張るのも馬鹿馬鹿しいと思わせる、か弱く薄い体。ちょっと力を入れればポキっと折れてしまいそうな細い腕には、長い髪がまとわりついて―。




そこまで考えて、俺は頭を抱えた。

「うわぁーやめろー!そんなんじゃないから!」

悲鳴をあげて、自分自身に全否定する。

違う、俺は犯罪者じゃない。断じて恋なんて……





―アホらしい。



ふっと鼻息をついた。

妹の目の何と冷たいこと。

落ち着こうか、俺。



確かに昨日から頭の中にアノお嬢様がいる。しかしそれは母親代理の経験があるからこそ、屋敷の体制が気に入らず、このままではあの子がひねくれて育っていきそうで、見ていられないからだ。既にその感じ垣間見えたしな。



あれから調子は良くなったのだろうか。

鳥居さんに聞いてみよう。俺はやっと自分に納得いく決断をして、今日も屋敷に向かったのだった。





「おはようございます」

「やあ、善くん。おはよう」


親父の弟弟子スーさんは穏やかで、とても優しい人だ。恰幅の良い体は正に山男。

だが、微笑みながらなぎ倒すように木を間伐する姿には、末恐ろしいものを感じた。


少し世間話をして、自分の持ち場に戻ろうとしたとき、


「これは記念樹かな」

という呟きが聞こえた。


「このヤマザクラですか?」

何かの祝いごとに植えるものだが、大分荒廃していた。

「ああ、いや気のせいかもしれないけど、これだけ向きが違うから」

確かに、ここら一帯はヤマザクラが植えられているのだが、その樹だけ西を向いていた。


一見丈夫に見える樹も、他の樹の栄養を吸い取り成長を邪魔することがある。そんな樹々を伐採する間伐は、樹や土を守るのにとても大事なことだ。


「そういう樹があるとは聞いてないけど、何か申し訳ないよね」

病人を労るように、スーさんは幹を撫でた。どんな樹や草にも大事な命があると、小さい頃から何度も聞かされたので、スーさんが悲しそうな顔をするのも分からなくはない。





「え?記念樹?」

お茶を注ぐ手を止めて、鳥居さんは首を傾げた。ヤマザクラの話しをしても、思い当たる節はないようだった。


「和華様にも聞いてみるわ」

「お嬢様、調子どうなの?」

「うん、あれから良く寝られて熱も出なかったわ。まだ食欲はわかないみたいだけど」

3つ目のおにぎりを胃に収めた俺を見て、ため息をつかれた。


「あのさぁ」

少し運動させればお腹も空くんじゃないか、と提案しようとしたとき、少し甘えた声が聞こえた。



「トリィーどこー?」



「和華様だ。じゃ善くん頑張ってね」

早口で言い捨て、はぁいと返事をしながら走って行く。過保護すぎないかと苦笑した。



しばらくして、門の前に一台のベンツが来た。

屋敷来て初めての来客を物珍しく見ていると、お嬢様が家から出てきた。


「行って参ります」

凛とした声に、鳥居さん始め使用人達が頭を下げる。

若草色に小花が散らしている着物姿は、真夏だと思えないほど涼しげだった。

視線を感じたのか、お嬢様と目が合う。薄化粧でもしてるのか、とても小学生には見えなかった。

なんつー世界だ…と瞠目していると、思い切り顔をしかめられた。



―おい、なんだその顔は。



嫌なものを見た、と書いてある。癪なので眉をあげて引きつり顔を返すと、途端に口をへの字に曲げ、またつんと顎を上げて勇ましく歩いて行った。


車は来客ではなく、お嬢様の送迎らしい。肘を大きくふって歩く姿に、笑いをこぼした。

何で嫌われてるのかは知らないが、子どもらしいところもある。小さい後ろ姿を見て知らずに微笑んだ。





「あのね、和華様にお伝えしたのよ。善くんが助けてくれたこと」

お茶の稽古に出かけたお嬢様を見送って、鳥居さんが言う。

「最初、善くんに怒られたんでしょう?不意打ちだったのか、もお意固地になっちゃって。それなのに助けてもらったって知ったときの和華様の顔!」

あれは大人と子どもの狭間で葛藤してた、と悦に入って言われた。

「はぁ」

「きっと、帰られたら御礼を言いにくると思うわ」

嬉しそうに、くすくす笑う。

「いや、礼なんていらないっすよ」

「いいえ!してもらいます。それが淑女の嗜みというもの。どんなお顔でいらっしゃるのか楽しみだわ~」

何故恍惚とした表情かおをしているのだ。


いいのか、こんな使用人で。

どこも女は強いなと照りつける空を仰いだ。





「スー…ずきさん」

頭を掻くスーさんを見つけ声をかけた。彼は、手にあるペットボトルくらいの木材を見せながら、

「さっきのヤマザクラだよ。間伐の許可はもらったんだけど、どうしても思い入れがある気がして。文鎮とかハンコにでもしないかなってさ」

と肩を竦めた。それがここにあるということは断られたのだろう。

「まぁ余計なお世話だったかな」

手をふって持ち場に帰って行った。


大樹からしたらひとかけらのそれが、一粒の涙に見えて酷く消沈した。

廃材は再利用して家具などで生きることもあるが、それは利用できる部分が多いときの話だ。

あのヤマザクラでとれたのはほんの僅かだったのだろう。

いらない、と言われた苦い気持ちが、俺の腹の中に溜まった。







「さ、かきさん」

気づけば夕日が落ちていた。土をいじるのに夢中になっていたらしい。

「え?」

顔を上げると、お嬢様がワンピースをギュッと握って俯いていた。

「お礼?いいよ、子どもなんだから」

ひらひらと手をふって、顔を戻す。


「馬鹿にしないで!子どもじゃありませんっ」

強い口調で凄まれて、俺は立ちあがった。


「ふーん、子どもじゃないの」

逆光に目を細めながら言う。

「…昨日はありがとうございました。言いたいのはそれだけです」

「子どもじゃないなら言うけど。礼はちゃんと目を見て言いな」

びくっと肩が揺れて、恐る恐る顔が上がった。


「それから、アンタは俺たちが雑草でも抜いてんだろうと思ってんのか知らないけど。どんなモンにも命はあるってこと、子どもじゃないならよく考えな」



目の前の小さい影がどんな顔をしているのか。

12歳の子どもへの言い方が他になかったのか。


そのときの俺には考える余裕はなかった。






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