第二話
小一時間は車を走らせていただろうか。
見るからに高級住宅街という清閑な道を通り、さらに奥へ奥へと進む。
行き止まりかと見上げたそこに、大きな門とお屋敷があった。
「でけぇ…」
ため息と一緒に呟く。こんな家、外国のテレビでしか見たことなかった。
「降りろ。しっかり挨拶しろよ」
いつになく真剣な(気がする)目を向けられ、慌てて姿勢を正す。
チャイムはどこにあるんだ?と探していると、ギギギ…と鈍い音を立てて門が開いた。
「榊さん!」
嬉しそうに、綺麗な女性が近付いてきた。二人で会釈する。
「どうも、このたびはお世話になります」
「やだ、こちらが無理を言ってお願いしたのに…息子さん?」
親しい雰囲気を醸し出すその人に目を向けられた。
「あ、はい。長男の善治です」
「初めまして、結城家の使用人の鳥居尚子です」
にこっと微笑まれる。どおりで、メイドとまではいかないが黒いワンピースに白エプロンをつけているわけだ。
「お話したとおり、ご当主が海外に行っており不在ですので、ご息女の和華様よりご挨拶させていただきます」
「恐縮です」
なになに?何だって?!聞きなれない単語の羅列に、親父を凝視する。
その様子を見て、鳥居さんが面白そうに言った。
「榊さん、やっぱり何も話されてないんですね。立ち話もなんですから、どうぞ中にお入りください」
鳥居さんに案内されて、屋敷目指して歩いて行った。
「和華様は、最近体調が優れなくて。お出迎えできず申し訳ないと言い司って参りました」
ほお、体が弱いってのはまさに深窓のお嬢様と言う感じだな。
「私、こちらに勤めて九年が経ちます。その頃から榊さんに通っているんですよ」
「え、店に?…ですか?」
途中親父に眼を飛ばされ、慌てて言い直した。
「はい。治美さんにもとてもお世話になったものです」
母の名を懐かしそうに呼び、少し空を見上げた。今はいないのも知っているのだろう。
少し間があいて、親父が続けた。
「鳥居さんはな、うちの花や植木を気に入ってくださるお得意様なんだ」
「まだ新人だった私が、奥方様の書斎に飾ってから、とてもお気に召されて。お屋敷でのお花はお願いできる限り榊さんのものなんですよ」
「いつもご依頼いただいていたのにすみません」
「いえ、民間のお店に頼む方が無理な話だったのです」
確かに…この広さは学校ひとつぶんは勇にあるだろう。屋敷中の植木を親父一人でこなすのは無理だ。
「今回は、ご当主と奥方様が長期出張に行かれている間のサプライズなのです」
いたずらを企むように、鳥居さんは声をひそめた。
「今日から2週間後、ご帰宅される日は奥方様のお誕生日で。お屋敷が綺麗になるの、とてもお喜びになると思うんです」
「信頼できる仲間も呼びました。必ずやご期待に沿えるよう頑張ります」
「ありがとうございます」
俺の存在そっちのけで、二人は堅い握手を交わしたのだった。
腑に落ちない点もいくつかあるが、親父がここにいる理由は何となく分かった。
話すうちにようやく着いた、家の中に通される。
だだっ広い大理石の玄関で靴を脱ぎ、ホテルのロビーのような螺旋階段を前にして、何だか違和感を覚えた。
外は照りつけるように暑いのだが、屋内は打って変わって空調が効き過ぎるくらいに冷えている。
せっかくの日差しも頑丈な窓で遮断され、何だか物暗い(シャンデリアとかあるから、ちゃんと明るいけど)印象がした。
美術の教科書で見たような絵画の下にある立派な花も、これじゃあすぐダメになるだろう。
応接室か何か分からないが、立派なソファのある部屋に通され、お茶を飲む。
「それでは暫し、お待ちください」
そうして鳥居さんはお嬢様とやらを呼びに言った。
この屋敷はどれほどの広さなのだろう。5分経っても来る様子はない。
いやに緊張していた体も限界で、徐々にだらけていった。
「なぁ、仲間って誰?」
気持ち小さめな声で話しかける。
「昔世話になった兄弟子だ」
植木職人は上下関係がとても厳しく厚い。その人たちを呼ぶほどまでに責任のある仕事なのだ。
「すげぇな。俺いる意味あんの?」
一番の疑問を口にする。搬送などで助手は務めても、実際に手入れすることはなかった。
「裏庭にガーデニングできる場所があるらしい。お前そこやってみろ」
素っ気ない言い方だが、一人で任されたことが嬉しかった。
その気持ちを返事にのせようと口を開くと、
「あ、お前お嬢さんに手出すなよ」
と、慌てて付け加えてきた。
「え?そんな大人なの?」
だったらどうする気なのかと拳骨をくらってしまった。
「馬鹿野郎。まだ小学生だ」
「アホか!ロリコンじゃねぇよ」
せっかくの期待も泡となり、脱力する。
「ていうか、小学生でご挨拶かよ、すげぇなあ…」
何か可哀想だな、と頭の隅っこで思った。
静かな空間に時計の秒針が響く。
1分、2分…。
いや、しかし遅い。
15分は経っていないだろうか。
部屋は冷えるし、冷たい茶を飲んだしおまけに緊張したしで、もよおしてきた。
「ちょっと俺、便所行きたいんだけど」
「阿呆!お客様のトイレなんか借りれるか。外でしてこい」
「ええっそれもどうなの」
「屋敷出たら公園がある。そこしかないぞ」
うへぇ、と情けない声を出し、お嬢様には申し訳ないが小走りで出て行った。