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黒頭巾の少女

『黒頭巾の少女』


 ある町に、ベルという小さな女の子がいました。ベルには鍛冶屋を営む父親しか家族がおらず、二人だけでひっそりとした暮らしをしていました。ベルの母親はベルが生まれてすぐに死んでしまったので、ベルは母親の顔を知りません。父親に母親のことを尋ねても、父親はきまって曖昧な返事しか返しませんでした。ベルは一度でいいから母親と話がしたいと思いました。というのも、父親との二人きりの生活というものは、ベルにはとても退屈だったからです。父親は強くて立派な剣を作ることに夢中でしたが、女の子のベルにはどうしてもその楽しみが分かりません。そんなベルの気持ちも知らずに、父親は毎日のようにベルをお使いに出しました。ベルが外へ買い物に行く時は、きまって夜のように暗い濃紺色のマントを羽織り、フードを被って、小さな籠を片手に出かけます。そんなベルの見た目から、町の人びとは彼女のことを黒頭巾の少女だとか、黒頭巾ちゃんと呼ぶようになりました。ベルの屋敷にはたびたび無節操な男達が訪ねてきて、頼んだ品を金貨と引き換えに受け取っていきました。なかでも父親がお得意様と呼ぶ立派な口髭を蓄えた男は、ことあるごとに父親を外へ連れ出し酒場に繰り出すことをしました。そんな日は、ベルは独りで留守番を任されました。父親に頼まれて買ってきたせっかくの食べ物を独りで食べながら、ベルは次第に心に暗いものを募らせていくのでした。その日、ベルはパンを一つだけ銀の皿に載せると、特に意味も無くナイフで何度も切り刻みました。鋭いナイフによってパンが形を崩していく様は、ベルにとっては不思議と清々する光景でした。そのナイフもまたベルの父親が作ったもので、いつかの彼女の誕生日にプレゼントされたものでした。ベルはナイフをパンに突き立てながら、心の中で父親を罵倒しました。口髭の男に誘われ、玄関で最後にベルを振り返る時の父親の申し訳無さそうな顔は、ベルにとって耐え難いものでした。ベルは独りぼっちにされるたびに心の中でこう思いました。

「ああ、お父様は私が邪魔なのだ。だから毎日お買い物を押し付けたり、自分だけ酒場に繰り出して私をできるだけ遠ざけようとしているのだ。私だって、今ここにお母様がいたらどれだけしあわせなことだろう。でも、私にはお母様がいない。お父様にも、愛する妻がいない。だからいつも酒場に行って、たくさんの女の人と楽しく騒いでいるのだわ。ああ、私だってお母様がほしい。いいえ、せめてお母様に代わる温もりがほしい。お母様のような、大きくて優しいものに包まれたい……」

 ベルの父親も時おり彼女を抱き締めましたが、一日中鍛冶場に篭っている父親の胸はあまりにもごつごつしていて、ベルを抱き締める腕もあまりにも太くて固いので、ベルはいつも苦しそうにもがいては父親の腕から逃れるのでした。


 ベルはそれからも、独りで食事をするたびにナイフでおかしな食べ方をしました。パンも肉も野菜も、銀の皿の上に無造作に盛り付けてはナイフで切り刻みました。まるで一つ一つの食材を刑に処すかのように、ベルはこうすることで気持ちが落ち着くのを感じました。ベルはしだいにどこへ行くにでもナイフを持ち出すようになりました。そして誰も見ていない所で、目に留まったものを区別無く切り刻むようになったのです。それは草であったり果実であったり、ついには動物まで手に掛けていきました。町の人たちはベルがそんなことをしているなど露にも知らぬものですから、彼女を見かけるたびに親しみを込めて黒頭巾ちゃんと呼び掛けました。そしてベルもそんな呼び掛けに愛想を振り撒き応えながらも、心の中では絶えず残酷な遊びを探しているのでした。そのうちナイフだけでは飽き足らず、屋敷の隣に建つ鍛冶場に忍び込んで、捨てられた短剣や金槌、大鋏などを持ち出して遊ぶようになりました。ベルの濃紺色のマントはベルの体をすっぽりと包んでしまうので、ベルが大きな刃物を忍ばせていてもそれに気付く人はいません。けれども、あまりに大きな剣などはマントから見えてしまう上に、幼いベルが持ち歩くことができないので、持ち出す物で最も大きい物は大鋏に留まりました。それらの刃物は、普段はベルのベッドの下や枕の下に上手く隠されました。


挿絵(By みてみん)


 さてある日のこと。ベルはいつものように父親から留守番を言い付けられました。この頃になると父親は屋敷にいることの方が稀で、しょっちゅう口髭の男と酒場に繰り出すようになっていました。ベルは口髭の男が苦手だったので、彼が屋敷を訪れるとすぐに部屋の奥の方にそそくさと隠れてしまいました。男のたっぷりと蓄えられた黒い口髭はどこか獣じみたものを感じさせ、男の舐めるような眼差しは恐ろしい蛇を思わせたのです。ベルは独り屋敷に残されると、いつものように夕食をナイフで器用に平らげました。食事の後片付けを済ませ、あとは眠るだけとなった頃、唐突に玄関の扉が叩かれました。鍵を開けると、目の前に立っていたのはあの口髭の男でした。ベルは思わず悲鳴を上げて後ろに尻餅をつきそうになりました。口髭の男はいかにも嘘くさいにやにやとした笑顔で、優しくベルの手を取りました。

「こんばんは、可愛いベル。君のお父様が酒場で酔いつぶれてしまってね。達者な私が彼から君の世話を託けられた。さぞや心細かったろう。今夜は私が一晩だけ泊まっていこう。」

 酒臭い手がベルの小さな体に回り、獣のような口髭がベルの白い頬に触れました。ベルは震え上がりましたが、あまりに怖れては流石に男に失礼だと思い、努めて平静を装って挨拶をしました。しばらくの間、二人はテーブルを挟んで他愛の無い話をしました。とは言っても、ほとんど男が一方的に話し、ベルがそれに合槌を打つといった様子でした。男が父親と知り合ったきっかけや、父親の作った剣が戦で活躍していること、その功績で実は父親にはとてつもない富があることなど、男は実に様々な話をしました。けれども、ベルにはやはりどこか遠い所の話を聞いているような、退屈な話に他なりませんでした。巨万の富を授かったからといって、鍛冶屋である父親の生活が変わるわけでもなく、同様に自分の暮らしが変わるわけでもありません。父親は鍛冶の仕事に生き甲斐を感じていました。いくらお金持ちになったからと言って、どこかの宮殿に仕えるなどといったことをするはずがなかったのです。ベルも幼いとはいえ女の子でしたので、宝石を身に着け豪華なドレスを纏う夢を持っていました。どこかの城での舞踏会に誘われ、高貴な貴族の青年と踊ることができればどれほど幸せなことでしょう。ああ、いっそのこと誰か自分をこの屋敷から、父親の元から引き離してくれる人はいないのか。そう思ってふと正面の口髭の男の方を見ると、男は下卑た眼差しをじっとベルに向けていました。獲物を見定めた蛇のような眼差しに、ベルは思わず目を逸らしました。そんな彼女の様子を気に留めるわけでもなく、男が口を開きました。

「ところでベル、今晩は満月が見事だ。一緒に外へ出て、夜の森を散歩してみないか。月夜の森と言うのはなんとも美しい。それに、私の酔い覚ましにもちょうどよいのだが」

 男の突拍子も無い言葉にベルは戸惑いました。この男は私を夜の森に誘い出してどうするつもりなのだろう。それに満月の夜に森の中を歩くだなんて、まるで狼に会いに行くと言っているようなものだ。いや、むしろこの男は人の皮を被った狼なのかもしれない。そう考えた途端に、ベルはたまらなく恐ろしくなりました。ところがすぐに、ベルの頭に別の考えが浮かびました。

「この人はきっと私を襲うつもりだ。この人は酒場で散々お父様から私のことを聞いてきたに違いない。そして隙を見つけてとうとう家にまでやって来たのだ。ああ、どこまでも愚かなお父様。そしてこの男もなんと愚かなことだろう。私がその辺りにいる非力な女の子だと思っているに違いない。私が密かにナイフや鋏で生き物を弄び殺している、悪魔のような女の子だとは露ほども知らないのだろう。それなら、その愚かさを身をもって思い知らせてやろう。満月の夜の森の中、人っ子一人いない。ちょうどいい、一度くらい生きた人間を切り刻みたいと思っていたところだ」

 ベルは口髭の男を玄関に待たせ自分の部屋に向かうと、ローブを着て、ナイフと短剣と鋏を忍ばせ、上から濃紺色のマントを羽織りました。そして口髭の男と手を携え、満月の夜の下、近くにある深い森へと繰り出していきました。


 ベルの濃紺色のマントは、満月の夜の下で彼女の姿をすっかり掻き消してしまいました。ただ、その雪のように白い愛らしい顔とマントの下から覗く白い足だけが、満月の光を浴びぼんやりと見えるといったくらいでした。一方で、男も全身を黒い服で覆っており、浅黒い肌と口髭のためにほとんど姿が見えませんでした。ただ、その獰猛な眼差しだけが月光を浴びて煌いていました。月夜の闇に溶け込むように、大小の二つの人影は森に向かってまっすぐに歩を進めました。夜空を見上げると、ベルのマントと同じ濃紺色の夜空に星々の煌きが瞬いていました。そしてはるか頭上では大きな満月が煌々と輝き、真上からベルを圧倒しました。ああ、あの大きなお月様はきっと、これから私がしようとすることの全てを見透かしておられるのだろう。いいえ、私のこれまでの全ての罪もご覧になってきたに違いない。お月様だけは、私の全てを見てくれているのだ。誰も知らない、ありのままの私を見てくれているのだ。そう考えると、ベルは夜空に光る満月だけが、自分の孤独を紛らわす存在に思えたのでした。いつも屋敷に独りでいたベルにとって、その他の人びとはどこか遠い存在に思えました。彼女が夢見た贅沢な暮らしや、大きな愛など、満月の下ではなんと小さくつまらないものでしょう。いつしかベルは男の手を引いて森に向かっていました。

 森に入ると、冷たい夜風と共に木々がざわざわと音を立てました。口髭の男は、自分の手を引き淡々と歩を進める黒頭巾の少女に少しおかしなものを感じていました。屋敷を訪れた際、少女はひどく怯えていた様子だった。幼く世間知らずな少女にとって、自分のような風貌の男はあたかも狼のように写ったのかもしれない。しかし、そんな彼女の眼差しは徐々に冷たく得体の知れないものへと変わっていった。そして今、少女はまるで自分を森の中へ引きずり込むかのように歩を進めている。口髭の男は、ベルの父親からあることを託けられていました。

「最近、娘のベルの様子がおかしい。棄てるはずだった短剣や鋏を外に持ち出して、何かよからぬことをしているようなのだ。私を見る娘の眼差しも、何だか薄ら寒いものを感じる。もしかしたら、娘の心に悪魔が乗り移ったのかもしれない。もしそうだとしたら、それは私の責任だ。娘の孤独にとんと気が付かず、遊びにうつつを抜かしてしまっていた。そこでお前に頼みがある。一晩の間だけ、娘の話し相手をしてやって欲しい。誰とでも腹を割って話せるお前ならば、娘の凍てついた心を溶かすことができるかもしれん。私は酒場で酔いつぶれたことにして、こっそり窓からお前達の様子を見守ろう」

 口髭の男は託けどおりに屋敷を訪れベルとの会話を試みましたが、なかなかベルの心の氷は解けません。そこで男は、酔い覚ましも兼ねてベルを夜の森に誘うことにしたのでした。するとどうしたことでしょう、満月を目にした辺りから、ベルの大きな瞳が急に活き活きと煌いたように見えました。男の気遣いが上手くいったのでしょうか。今となっては、口髭の男はベルの小さな後姿の後をついて行くしかありませんでした。当然、酔いなどとっくに覚めていました。きっとベルの父親は男達の後をつけていることでしょう。

 どれほど歩いたでしょう、ふと目の前の木々が開けたかと思うと、大きな湖畔が広がりました。湖畔を見るとベルはああ、と声を漏らしました。その大きな湖面は、夜空に浮かぶ大きな満月をそっくりそのまま写し取っていたのです。ベルはとうとう恐ろしい企みを実行することにしました。湖のほとりに腰掛けた口髭の男のすぐ隣にお尻を落とすと、男は気を利かせて懐から干し肉を出しました。ところが男がどれだけ気を利かせたところで、ベルには全てがベルを襲うための下準備に見えるのでした。ベルは干し肉を受け取ると、さも失敗を装って足元に落としました。そして、男がベルの足元の干し肉を取ろうと身を屈めた時に、マントから短剣を取り出し男の脳天を一突きにして殺してしまったのです。ベルは動かなくなった男を、気が済むまでナイフで切り刻みました。そして男の亡骸を残らず湖に投げ捨てると、くすくすと笑いました。

 ベルが屋敷に戻ると、どうしたことか、父親が待っていました。父親は酔っているような素振りはまったく見せず、ひどく慌てた様子でベルを問い詰めました。

「いったいどこへ行っていたんだい。家に来た髭のおじさんはどうした」

 全てを見透かしたベルは心の中で父親を軽蔑しながら、あっけらかんと嘘をつくのでした。

「あら、あのおじさんは森へ狩りに出かけたわ。満月の夜に森ヘ行くだなんて、とても物騒で危険だと何度もお話ししたのだけれど、結局出かけていってしまった。今頃、怖い狼に食べられていなければいいのだけれど。うふふふふ」


赤ずきんちゃんのアンチ的な話になってます。

今作も全てのエッセンスを入れた状態で載せていますので、読み聞かせる時には適当に端折ってください(笑)

親切な狼を、ヒロイン気取りの女の子が制裁するコメディになります。子供は大喜びするはずです(笑)


以下は疑問や矛盾を解説するための補足となっています。読み聞かせの参考にどうぞ。

【補足】

・元ネタ

元ネタはもちろん「赤ずきんちゃん」です。赤ずきんちゃんを掘り下げていくと、「赤=処女」、「狼=男」となります。また、初版では赤ずきんちゃんもお婆さんも助からず、最後に漁師が狼を殺します。西洋で森というのは禁断の場所という概念があるようで、赤ずきんちゃんは「禁断の場所に入った処女が変態に喰われる」という話なんですって。(実際に森を舞台に猟奇殺人が現代でも多発している。アルバート・フィッシュ、チカティーロなど)これをヒントに作ったのが↑です。最近、女の子に声を掛けるだけで変質者扱いされる事態が現実に氾濫しています。登校中、ご機嫌なおじさんから「おはよう」と声を掛けられた女児は、すぐに先生に言い付け、先生は「変質者が出た」と上に伝え、地域がお触れを出すわけです。こわいですね。今作を要約すると、口髭の男を「変質者」と勘違いしたベルが妙な使命感に駆られて殺害した… というものです。ベルのパーソナリティが、現代人を代表する「不満」を持っているのもポイントです。


・ベルの母親は?

ベルの出産が祟って亡くなりました。父親が口篭るのはそうした事情からです。


・ベルはなぜ人を殺したか

犯行が(笑)満月の夜に行なわれたのがポイントです。満月には人を狂わせる力があるといわれています。前述のアルバートフィッシュもとりわけ満月の夜に人を殺すことが多かったらしく、「満月の殺人者(Moon Maniac)」と呼ばれていました。


・結末

「全てを見透かした」ベルは、近いうちに父親を殺めるでしょう。おそらくは満月の夜に… そして残された富を餌に血塗られた生涯を歩むことでしょう。

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