魔女に転生した、名も無き私の、たった一日の話。
見る物全てが眩い……
本当に、異世界転生なんて、あったんだ。
私は、目の前に広がる、地平線まで続きそうな広大な草原を見て、鼓動が高まった。
大きく息を吸う。
青々とした匂いを孕んだ、穏やかな風が体に満ち溢れる。
私の新しい体が、この世界は幸せな世界だと、感覚で教えてくる。
草花や木々は、陽の粒子に彩られ、輝きながら凪いでいる。ずっとずっと向こうまで。
ところどころに、信じられない程の大きさの生物が、のそ、のそと歩いている。
突然、強い風が舞った――
私のローブがはだけて、深紫の髪が、鮮やかに発色しながら、ビューッと風と共に舞う。
その、新しい髪色に囚われている内に、辺り一面が、突然暗くなった。
私は、上空を見上げた。
そこには、橙色の恐ろしく巨大な翼竜が、翼を広げている。
その竜の生命の躍動のみで生み出された風に、草原は、ただただ当然に揺れている。
きっと、私の最低限の生活ができるだけの、貧弱な木小屋は、あの竜の一踏みで潰れるんだろうなー……
うーむ……一吹きかもしれない。
私は、振り返って、自分がさっき起きた、草原の丘に建つボロ小屋を見る。
すごいボロい……
でも、嫌じゃ無い。何故かと言うと、何も無い分、自由がそこにはあるからだ。
自由はとても大切だ。
私は、人と言う生物で、日本と言う世界に住んでいた。
毎日生活するのがやっとで、それをする為に、休む間もなく、ずっと働いていた。
幸い、恵まれていて、このボロ屋よりかは、いい場所に住んでいたし、食料なども簡単に手に入っていたけれど、その普通を維持する為に、毎日、心がすり減っていた。
だが、今、このボロ屋にも、草原にも、それらは一切無い。
それだけで、十分だ。
もしかしたら、食料が尽きて、死んでしまうかもしれないし、草原にいるようなモンスターにパクっと食べられて終わってしまうかもしれない……
でも、それでも、私は、この世界の美しいモノを見る度、心が凄く高まって、夢じゃないかと、なんども目を擦ったぐらいだ。
私は、今、すごく生きている気がする。
一旦、小屋に戻ろう――
私は、鍵すらも無く、ところどころ木が壊れて、外から中が見えてしまう様な、ボロ小屋に戻る。
中は凄く簡素だ。
中央に、古めかしい艶のあるテーブル。上には、新鮮な果物が七つある。一個食べた。みずみずしいし、凄く甘くて美味しかった。
その横に、何故か、シーツが綺麗なベッド。私はここで目覚めた。前世とはまったく違う肉体で。
本棚と机。本棚は一冊の本以外、何も無い。その本はまだ読んではいない……
机は、少し作業が出来そうなしっかりした机。
そして……その引き出しには……金貨が三枚と、銀貨が二十枚。変わった刻印がなされていた。この世界にも、文明があると理解できた。
以上がこの小屋の大部分だ。
この部屋の奥にも、スペースはある。
もう一回、何があるか確認しよう。
私は、木の扉を開け、奥のスペースに入る――
トイレがある。意外とかなり清潔で、ちゃんと使用できる。
これは、嬉しい。ここでやってける気持ちにさせてくる。そういうのは大事だ。
お風呂は無い……これは女の子にはきつい。けど、大人一人入れるぐらいの、釜?みたいなのがある。
私は、当然の様に、その釜に手をかざした。何してるんだろ私?
あれ……
掌から水が出る……
すごく、そんな気がしてやってみたら、本当に出来た。
少し体力が消耗するけど、釜一杯ぐらいなら、出せるみたいだ。
すごい。超嬉しいかも。
私、この世界で生きていけるかもしんない。
その釜の上には、鏡があった。
私は、じっと覗き込む。
くすんだローブを着た、二十歳程の女性。
髪は肩までで、深い紫色。とても鮮やな色。
少し目にかかっている。
目は、ジトーとした感じだけど、大きくて、まつ毛も長い。涼しい目と言う表現がしっくりくる。
色は、マゼンダって色に似ている。虹彩が見える程、透き通っている。
私が前世で憧れていた様な瞳だ。
鼻や口は小さくて、女の子っぽい。ここは前世と変わらない。
肌は、白磁みたいに滑らかな白。少し私には勿体無いと思ってしまうぐらい、綺麗だ。
背丈は、前世と変わらない。平均女子より少し高いぐらい。
これが、本当に私だとはまだ実感が湧かない。
日本でも女の子ではあっけど、地味だったし、大人しかったから、恋人はおろか、友達もいなかったし。
かと言って、嫌われたりでは無く、ただただ影が薄い人間だった。
優しいって言われるのが、唯一の特徴ぐらいだったから……
私は、もう一つの部屋に戻り、ベッドに腰掛けた。
一息つく。
「ふぅ……これから、どうしよっかなー……」
時計も無く、考える時間はいくらでもある。
食料が尽きるまで。
あと、果物が七つ。
私は、一つ手に取った。
天井をぼんやり眺めながら、皮も剥かずに、じゅるりと齧る。
美味しい。
本当に美味しい。
今の私に大切なのは、この六個半の果物だ。
これさえ調達すれば、なんとかこの世界で生きて行けそうだ。
選択肢は二つ。
一つは、草原を歩き回って、こんな感じの果物が成る木を探す。
でも、恐いモンスターに合うのはちょっと嫌だな。せっかくこんな世界で、こんな体で転生できたんだし。
もう一つ、机の中の金貨と銀貨を持って、ひたすら草原を歩き、街を探してみる。
やっぱりこっちが無難なんだろうけど、見た感じ四方八方草原で、街の気配が無かったのが難点。
んーーー……
直感的に後者かな。
単純に、街を見つけた時のリターンの方が大きいから。
この世界で生きてくなら、避けられない道だし。
思い立ったが吉日。
私はベッドから、ぐいっと起きる。
そのまま、スタスタと歩き、机の引き出しにある有り金を、洗いざらい、薄汚れたローブに入れた。
前世では、影は薄かったけど、ちゃんと行動力あって、色々してたんだよ?
みんなきっと気づかなかったんだろうけどね……
私は、小屋から出ようと扉に手を掛けて固まる。
まだ住んで半日も経っていない、この小屋に、もう愛着が湧いていた。
振り返る。
じっと部屋を見て、気持ちをなだめてから、テーブルの果物を二個ローブのポケットに詰め込んで、私は扉を開けた。
外の世界へ出る。。
相も変わらず、夢みたいに眩い世界が広がっている。
青の匂い。生暖かい風。陽の光。生命の鳴き声。
それらが、明らかにこれは現実だと、私に認識させて来る。
この世界で生きたい。
そんな、純粋無垢な私らしい願いが、込み上げてくる。
私は、誰も居ないのに、ふと、笑った。
そして、小屋に向かって、ありがとう。行ってくるねと言い、あても無く草原を歩き出した。
とにかく、進んでみよう――
私は、どんどんと歩きだす。
辺りの穏やかな景色を眺めながら。
どの方角を見ても、草原なんだけど、少し傾斜になっている方角があって、その先だけ、どうなっているのかわからない。
一応、そこを目指している。
多分、歩いて二時間はかかると思う。
前の世界と時間の流れが似ているのであれば、夕暮れには到達するだろう。
きっと、今日は野宿になるんだろうなー……と、なんの危機感も無い平凡な感情でやんわり考える。
すると――
視界の隅に、ウサギの様な生き物が現れて、こちらを見ている。
でも、やっぱり違って、耳はエラみたいに何枚もあるし。よく見たら、翼膜を閉じているだけで、羽だって生えている。
かわいいけど、なんか怖いな……
すっごい見てるもん。
私は無視して、歩を速める。
関わらずに、先を急いだ方が良さそうだ……
私は、後ろから気配を感じつつも、そのままスタスタと歩き続ける。
ローブが少し暑くなってきた……
脱ぎたいけど、この下は、簡素な西洋の子供のパジャマみたいで恥ずかしい。
まさしく、誰も見て無いんだけど。
前の世界でも、誰にも見られてないのに、無駄に人の目気にしてたな、そういや……
懐かしい思い出に、執着は無く、なんだか逆に少し笑みが零れた。
もう、恐れる事なんかないじゃん。
私は、そう思って振り返る。
……
さっきの、ウサギに似た奴さんが六匹に増えて飛んでこっちに向かっている……
ぎょぴーーーっ!!!
怖いよ!
やっぱり、恐い。あのウサギに似た奴さん達怖い!
私は勢いよく走り出した――
どうしよどうしよ。逃げ場なんて無いよ。ゴールはまだまだ先だし、そこまで行っても何もないかもしんないし。まず、あそこまで走るなんて、運動音痴の私には無理だよ。
あっ、そうだ。
話せば分かるかも。私は、前の世界では、いっつも話し合いで解決してきたんだから。そのおかげで、大揉めする事も、私が怒る事もあんまり無かったし。
おっけぃ、やってみよう!
「あのー!いい天気ですね!?ご家族ですか?」
私は、汗だくになりながら、訳の分からない言葉を大声で発する。
ウサギに似た奴さん達は、心無しか、さらに加速した。
「ちょっと、一旦止まりませんか!?果物でも食べて話し合えば、誤解も解けると
思うんです!」
私は、ローブから果物を取り出し、彼等に振って見せた。
それを見た、ウサギに似た奴さん達は、さらにさらに加速する。
もはや、私がまた転生するのも時間の問題!
仕方ない――
私は、果物を、ポンッと上空に放り投げた。
ばいばいっ、私の栄養。
ぐすんっ。
悔しさから、私はウサギに似た奴さん達に手をかざして、来ないでとジェスチャーした。
その時だった――
私の掌から、ビーチパラソルみたいにカラフルで煌々とした、奇妙な炎がボゥッっと噴き出た。
あわや、ウサギに似た奴さん達に直撃寸前――
「きゃーっ!!!ごめんなさい!!!今のは間違いです!!!皆さんお怪我はありませんか!?」
浮遊しながら固まって動けなくなっている彼等に、私は慌てながら、近寄った。
ウサギに似た奴さん達は、さっきまでの怖い目とは打って変わって、涙
を溜めた、怯えた目をし、悲鳴みたいな声を上げた後、一目散に飛んで逃げて行った。
えーーー……
なんだか、思った和解の仕方では無かったけど、どっか行ってくれた……
と言うか、さっきの炎何?私、水と炎出せるんだ……魔女じゃないか……
水と炎出せたら、結構な事できるよ……
よっし。ありがとう、ウサギに似た奴さん達。あなた達の恐怖は無駄にはしないよ!
私は、放り投げた果物を拾い上げ、唇を噛み締め、嬉しさを閉じ込めながら、嬉々ともう一度歩き出す。
そこからは、とても順調だった。
鼻歌を歌いながら、駆け足で、草原をかけていく。
自分の物語がようやく始まったみたいで、すごく嬉しい。
その後も、私の背丈程ある、褐色のゴブリンさんや、草原に何故かワニドラゴンさんや、四足歩行の河童さんなど、奇妙奇天烈なモンスターさん達と出会ったのだけれど、あの奇妙な炎を見せるだけで、みんな飛んで逃げて行ってくれた。
その度に、私はすごく満足気な笑顔をこぼしてしまい、ちょっと性格悪いかもと思って反省した。
草原で、噂をされていたらどうしようかな。へへ
そんなこんなで、小一時間歩き続けてたら、陽が大分傾いてきた。
足も血豆が出来て、流石に痛いし、魔法も連発してそろそろ疲れてきた。
最高潮な気分は疲れに変わり、ゴール目前にして、不安が滲んできた。
私の心とは正反対で、陽が傾く程、この草原は、より美しくなる。
陰影のコントラストがより際立ち、大気の色も暖色気が付いて、昼とは別の世界に見える。
空を見上げると、既に星が出ていて、それは、前の世界では見た事も無い程、大きい。
この感じで行くと、夜は想像できない無い程の、幻想的な世界かもしれない……
少しだけ気分が戻った。
頑張らなくっちゃ。
あそこまで、行くって自分で決めたんだし。
その結果、この先どうなっても悔いは無いよ。
今日一日、凄く感動した事ばっかだったし、嬉しい事も沢山あったから後悔は全くない。
私は私でいられたんだから。
私は、ゴールを間近にしながらも、薄っすらそこには何も無いとも感じ取っていた。
それでも、進むと言う意思だけは、少しも消え入る事は無かった。
空は、夕焼けを通り越して、トワイライトになる。
積乱雲の様な巨大な雲が、ビュービューと激しい大気に揺られて、空を流れている。
その合間に、散りばめられた星は、輝度高く、空を彩る。
あの空を飛べたら、どんなに楽しいかな……
私は、そんな事を思いながら、それは少し望み過ぎだと自重する。
今でも十分幸せじゃないか。
それにしても、やけにここは高い位置にあるな。丘かな?
きっと私はゴールの位置に、既にいるのだろう。
でも、今の位置からじゃ空しか見えない。
あの一番高い所まで登らなきゃ……
残り、三十メートル程。
私は、もうほとんど残っていない体力と使い切って、その場所を登った。
よっこらしょっと……
到着。
……
はぁ……
そこからの景色を観た時、
私は、貴重な食料を取り出し、おもむろに齧った。
それは、諦めたからでは無い。
もしかしたら、いくらでも手に入るかもしれないからだ。
私は、下を見降ろし、一言呟いた。
「……なんだ、まだ物語続くんじゃん」
私の、瞳の先に広がるのは、超巨大な都市だった。
この崖のすぐ下に、門がある。
ざーっと見るだけでも、様々な店や、あらゆる存在がいて、
ちゃんとした文明がある事が如実に分かる。
前の世界とは、別な方向性で進んだ世界だ。
とても、活気に溢れている。
その街は、夢の様に美しいトワイライトの薄暗い紫に照らされて、
私に、ここで生きてみなよと言ってくれているようだった。




