第5話「王との対峙」
「王室費を削るしかない」
私の提案に、アーロンは数秒沈黙し、頷いた。
「俺が話す。お前は来るな」
「行きます」
「王の怒りを買うぞ」
「数字の説明ができるのは私だけです」
(それに、あなた一人で行かせたら『俺が責任を取る』で押し切って爆死するのが目に見えています。道連れなら、最前列で見届けます)
私たちは王の執務室の扉の前に立っていた。重厚なオーク材の向こうから、書類をめくる音が聞こえる。
(王様、お仕事中ですね。お邪魔します。国家予算の話なので)
扉が開く。
王の執務室。壁一面の書棚、使い込まれた地図、山積みの公文書。インクと古紙の匂いが充満している。
老王が座っていた。皺だらけだが、その眼光は猛禽類のように鋭い。
(目が合いました。これ、物理的に刺さる視線ですね。寿命が三年縮みました。労災認定してください)
「バルゼン。不作の報告は聞いている」
王の声が部屋に響く。低く、重い圧力。
「その上で、余の衣装代を削れと申すか」
(衣装代。年間予算の一割を占める、あの無駄の塊です。ファッションショーでもするんですか?)
アーロンが片膝をつく。
「陛下。国難に際し、王室こそが範を示すべきかと」
「範?」
王の指が、机を叩く。トン、トン、トン。
(あ、不機嫌モード入りました。机を叩く回数で分かります。三回は警告、五回は処刑です)
「余の威厳を損なうことが範か?」
アーロンが言葉に詰まる。
私は一歩前に出た。
「陛下」
王の視線が、私に向く。
(猛禽類確定。でも、猛禽類も数字の前では無力です)
「政務整理官エリス・ハーヴェンです。陛下、威厳は衣装では作られません」
空気が凍る。近衛兵が剣の柄に手をかける音が、カチャリと響いた。
(不敬罪確定。でも、ここで引いたら国が沈みます。国より私の首の方が安上がりです)
「……申したな」
王が目を細める。
「説明してみせよ。納得できねば、バルゼン諸共、地下牢行きだ」
(地下牢。湿気対策、考えておけばよかった。あとカビ対策とネズミ除けも)
私は震える手で資料を広げる。
(震えないでください、私の手。今、プロフェッショナルであるべき時です)
「現在の王室費の三割は、儀典用装飾品の維持費です。これを一時凍結し、救済基金に回します」
王が資料を一瞥する。
「数字は分かる。理屈も分かる」
(来た。この『だが』の前の沈黙。嫌な予感しかしません)
そして——
「だが、余は削らぬ」
空気が止まる。
「王の威厳とは、揺るがぬことだ。困窮したからといって装飾を削れば、民は王室の動揺を悟る。それは国益を損なう」
完全な拒絶。政治家としての正論。
「数字合わせのために威厳を売る気はない。下がれ」
(終わった。)
アーロンが立ち上がろうとする。諦めの気配。
だめだ。
「……待ってください」
声が、裏返った。
王が眉が寄る。
「まだ何かあるか」
喉が鳴る。息が浅い。
数字じゃない。
理屈でもない。
「陛下が纏うのは……」
一瞬、言葉が詰まる。
「『慈悲』という名の衣装です」
王の動きが止まる。
「民は飢えています。その民に、王が自らの身を削ってパンを与えたという事実は——」
息を吸う。
「どんな錦の御旗よりも、王の威厳を高めます」
沈黙。
長い沈黙。
膝が震える。
(……届いて)
王の肩が、わずかに揺れた。
「……慈悲という名の衣装か」
低い笑い声。
「詩人のような小娘だ」
ペンが走る。
「よかろう。余の古いマントより、伝説の方が暖かそうだ」
羊皮紙にサラサラとペンが走る。
「バルゼン。良い右腕を得たな。毒舌だが、切れ味は良い」
アーロンが深々と頭を下げる。
「はい。私の誇りです」
(……誇り)
執務室を出て、長い廊下を歩く。
扉が閉まった瞬間、私の足が震えた。
「……立てません」
「大丈夫か」
アーロンが慌てて私を支える。温かい手。
(あなたの体温、いつも高すぎます。火傷します)
「膝が笑ってます。生まれたての子鹿状態です」
「王の前ではあんなに堂々としていたのに」
「演技です。内心では三回心停止しかけました。」
彼が笑う。その笑顔を見た瞬間、震えが止まった。
「ありがとう、エリス」
耳元で囁かれる。
心臓が、跳ねる。今度は別の理由で。
(……反則です。そんな近距離で囁かないでください)
「……数字は王より強いので」
精一杯の強がり。
「それだけか?」
彼が一歩近づく。
(詰めないでください。これ以上詰められたら、本音が漏れます)
「……あなたを、嘘つきにしたくなかったんです」
言ってしまった。本音が口から出た。
「職務です!」
慌てて訂正する。
(違う)
「……そうか」
彼はそれ以上、追及しない。
(ずるいです。)




