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王の右腕は止まらない ~無表情整理官の心拍数は常に限界です~  作者: そらのことのは


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第3話「議会炎上(前編)」

 王立議会大会議場。


 高い天井には歴代の王の肖像画が並び、冷ややかに地上を見下ろしている。

重厚なオーク材の机が半円形に配置され、百二十の視線が、ひとつの男を待っている。


 私は書記官席で資料を抱え、無表情を保つ。


(処刑台の準備完了。観客席は満員御礼。本日の生贄は『王の右腕』一名様。

血抜きと解体は私の担当です。遺言があれば今のうちにどうぞ)


 空気が澱んでいる。埃っぽい絨毯の匂いと、男たちの体臭、

そして——濃厚な敵意の匂いが混ざり合う。


 朝から廊下ですれ違う議員たちの目が、いつもより鋭かった。視線の温度、マイナス二十度。


(公爵派の根回し完了ですね。徹夜で悪口大会、お疲れ様です。

目の下の隈が芸術的ですよ、グレンヴィル伯爵)


「アーロン・バルゼン政務統括官、入場」


 重い扉が軋みながら開く。


 迷いのない足取り。石床を叩く靴音が、静寂を切り裂く。


(堂々としすぎです。これから百二十人にリンチされる予定なのに、

まるで凱旋パレードみたいな足音ですね。せめて防具くらい着てください。

あ、防具は私が作りましたね)


 アーロンが演台に立つ。一瞬、こちらを見た。


 私は小さく頷く。共犯者同士の、無言の確認。


「税制改革案について説明する」


 第一声。迷いなし。


「貴族課税を一律二割増。特権税の抜け穴は全廃——」


 三秒。


「貴族への課税強化だと!?」


 グレンヴィル伯爵が立ち上がる。顔は真っ赤、血管浮き出し。


(開始三行で大爆発。ギネス記録更新おめでとうございます。

前回は五行でしたから、伯爵の沸点も年々お若くなってますね)


「王国を支えてきたのは我ら貴族だ!」


「支えてきた?」


 アーロンの声が、氷のように冷たい。


「抜け穴を掘り続けてきたの間違いでは」


(オブラート。婉曲表現。外交辞令。

そういう文明的概念は、この人の辞書から工場出荷時に削除されています。

代わりに『正面突破』が太字で三行書いてあります)


 怒号が飛ぶ。「暴挙だ!」「若造が!」


 私は手元の資料をめくる。


 感情は揮発する。数字は残る。


 そして——私の出番が来る。


「具体的な数字を示そう」


 アーロンの声が、怒号を切り裂く。


 掲げられるのは一枚の表。私が三日三晩、

血を吐く思いで磨き上げた『貴族実質税負担率推移表』。


 通称『処刑リスト』。


(さあ、私の子たち。全力で刺さってきなさい)



「過去十年、貴族の名目税率は一割五分。だが実質負担率は——三分」


 議場が静まる。


 完全な静寂。


(……入った)


「特権税の免除、土地税の減免、相続税の抜け穴。これらを合算すれば、この数字になる」


 グレンヴィル伯爵が口をパクパクさせている。


(金魚ですね。でも餌はあげません)


「これは……詭弁だ!我々は領地の維持に——」


「領地の維持費は領民からの徴税で賄われている。国庫への貢献とは無関係だ」


 完璧な論破。


(素晴らしい。私の作った武器を、躊躇なく振るう)


(……決まった)


 保守派が沈黙すると、中堅派が動き始めた。


 バートン子爵が立ち上がる。


「統括官。貴族課税の強化、理解はできる。だが、商業減税とのバランスは?」


「資料の五ページを見てほしい」


「商業税の減税幅は段階的だ。初年度は三%、二年目は五%、三年目以降は八%」


「財源不足のリスクは?」


「王室費の一部削減、および特権税の徴収効率化でカバーする」


 バートン子爵が資料を凝視する。


 沈黙。


「……数字上は、辻褄が合うな」


(一人、落ちた)


「ご理解いただけて光栄です」


 アーロンの声に、0.2度の温度上昇。私にしか分からないレベルの、わずかな安堵。


(あなたの声のトーン変化、全部記憶していますよ。業務外の知識ですけど)


「本日の審議は、ここまでとする」


 木槌が響く。


 第一ラウンド終了。


 アーロンが演台を降りる。


 左足の着地が0.3秒遅い。右肩が2ミリ下がっている。


 疲れている。


 私は書記官席から立ち上がり、資料を抱える。


 廊下で、彼を待つ。


「お疲れ様です」


「まだ終わっていない」


「商業派が、まだ動いていない」


「ダルトン卿ですね」


「準備はできています」


 私は資料の束を持ち上げる。


「昨夜作成した補填スキーム。三つの回答パターンと、リスク試算」


「……いつ作った」


「昨夜です」


「寝たのか」


「二時間ほど」


「馬鹿か」


 沈黙。


「頼む」


 その一言が、小さく落ちた。


 琥珀色の瞳が、まっすぐに私を見ている。


 内心のツッコミが、止まる。


(その一言で、逃げ道が消える)


 心臓が跳ねる。


 命令じゃない。お願い。対等な人間にしか向けない言葉。


 その目は、私の徹夜も、肌荒れも、胃痛も、全部知っている。


 それでも——いや、だからこそ、信じている。


(あなたは分かっていない。私は、その目に弱いんです)


「……承知しました」


 声が、震えた。


 自分でも分かるくらい、震えた。


 アーロンが歩き出す。


 その背中が、重そうに見えた。


(重いなら、半分持ちます)


(言いませんけど)


 無表情のまま、私は彼の後を追う。


 廊下の窓の外で、雨が降り始めた。

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