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ひだまりの庭で、もう一度──孤児だった私、公爵家の末娘になります  作者: ワールド


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8/13

第八話 はじめての外庭

「今日は、お庭を歩いてみませんか?」


 クラリスさんがそう提案してくれたのは、朝の紅茶を飲み終わったあとだった。


 窓の外は雲ひとつなく晴れていて、やわらかい陽射しが差し込んでいた。


 わたしは思わず、窓のほうを見た。


 庭――


 昨日、部屋に案内されたとき、窓から遠くに見えたあの広い緑の場所だ。


 あのときは遠すぎて実感がなかったけど、今こうして「行ってみましょう」と言われると、急に胸がそわそわしてくる。


「……行ってもいいの?」


「もちろんです。お嬢様が歩きたいと思ったら、いつでもお連れしますよ」


 クラリスさんの言葉に、こくりとうなずいた。


 わたしはまだ、この世界のことを知らない。


 だから――歩いてみたいと思った。


 あの光の中に、わたしの知らない何かがある気がして。




 *




 日なたの匂いって、こういうものなんだ。


 石畳を抜けて、庭に出たとき、最初に感じたのはそれだった。


 土と草のにおい、太陽であたためられた空気。


 草の間を風がすり抜けるたび、わたしのスカートがふわりと揺れる。


 足元の小道には、小さな白い花が咲いていた。


「このお庭は、ご主人様……おとうさまが奥様のために造られたものなんですよ」


「かあさまの……?」


「はい。お花が好きな方でね。季節ごとに違う色の花が咲くように、庭師さんたちが工夫なさっているんです」


 クラリスさんが微笑む。


 わたしは、小さな白い花にそっと手を伸ばしてみた。


 冷たくない。ふわふわしていて、少しだけくすぐったい。


「これは“すずな”といいます。控えめだけど、春先に真っ先に咲くんですよ」


「すずな……」


 はじめて聞く名前だった。でも、なんだかその響きが好きだった。




 庭には、低い柵に囲まれた花壇と、その奥に大きな木が一本そびえていた。


 葉っぱの間から、鳥が飛び立つのが見えた。風に揺れる葉音がさらさらと心地よい。


「……すごいね」


「ええ、広いでしょう。あちらには池もありますし、バラのアーチもあるんですよ。もっと暖かくなったら、ピクニックにも出かけましょうね」


 “ピクニック”。


 本で読んだことはある。けれど、自分がするなんて、思ってもみなかった。


 目の前にあるこの景色すべてが、夢の中みたいだった。


 手を伸ばせば届く。でも、触れてもいいのか、わからなくなる。




「……ねぇ、クラリスさん」


「はい?」


「手、つないでくれる……?」


 声に出すのは、少し勇気がいった。


 だけど、わたしのお願いに、クラリスさんは驚いたように目を見開いて、それからにっこりと笑った。


「もちろんです」


 そう言って、やわらかく手を取ってくれた。


 手はあたたかくて、でも汗ばんでいなくて、ぴたりとわたしの手に合った。


 ぎゅっとつかまれることはあっても、こうやって“つながれる”のは、初めてだった。




 花の間を歩きながら、風にスカートがそよぐ。


 時折、クラリスさんが「この花はね」「この石は昔からここにあるんですよ」と話してくれる。


 そのたびに、知らなかった世界がひとつずつ、色を持って心に広がっていく。


 こんな場所が、あったんだ。


 こんな時間が、あるんだ。


 そして、わたしにも――それを感じていい“権利”があるんだ。




 池のそばに来たとき、小さなカエルがぴょんと跳ねた。


 びっくりして飛びのいたわたしを見て、クラリスさんがくすっと笑った。


「カエルさんは、あちらが驚いてるかもしれませんね」


「……カエル、ほんもの、はじめて見た」


「そうですか。ではこれも、今日の“はじめて”ですね」


 そう言われて、ふっと笑った。


 今日の“はじめて”。


 きっと、この先も、こうやって“知らなかったこと”に触れながら生きていくんだ。


 そう思えたことが、うれしかった。




 帰り道、もう一度花壇の前を通った。


 今朝より、陽が少し傾いていた。


 光が斜めになって、花びらに影を落としている。


 なんだかその姿が――生きているみたいに思えた。


 わたしも、生きている。


 ちゃんと、地に足をつけて、ここにいる。




「ありがとう、クラリスさん」


「こちらこそ。お嬢様とご一緒できて、嬉しかったです」


 また一つ、“好き”なものが増えた。




 外の風。花の匂い。草の感触。つないだ手のあたたかさ。


 ぜんぶ、ぜんぶ、わたしの“はじめて”。

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