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ひだまりの庭で、もう一度──孤児だった私、公爵家の末娘になります  作者: ワールド


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7/13

第七話 はじめての絵本

 朝ごはんのあと、今日は特別な予定もなかったらしく、クラリスさんが「少しお部屋で休まれますか?」と声をかけてくれた。


 わたしはこくんと頷いて、自分の部屋に戻った。


 “自分の部屋”。


 まだその響きが、胸の奥をふるわせる。


 昨日、一晩この部屋で眠った。ふわふわの毛布に包まれて、ぬいぐるみを抱いたまま、目を閉じた。


 あたたかくて、静かで――目を覚ましたとき、「怖い夢を見なかった」のが、何よりの驚きだった。


 今日はその部屋の中を、少しだけ探検してみようと思った。


 壁の本棚には、色とりどりの本が並んでいた。


 大人が読むような厚い本もあったけれど、その中に、絵のついた薄い本が何冊か並んでいた。


 絵本。


 ページの隙間から、やわらかな色彩がのぞいている。


 ひとつ手を伸ばして、白い装丁の絵本を取り出してみた。


 表紙には、丸くてふわふわのウサギが描かれていた。背景は草原で、まわりには花や蝶々、青い空。


 ――こんなに、やさしい絵、見たことない。


 わたしはそっと表紙をなでて、ベッドの上に座って、ページをめくった。




 *




 主人公は、名前のない小さなウサギだった。


 一人ぼっちのウサギは、いつも花の陰に隠れて、空を見ていた。


 でも、ある日。ふいに風が吹いて、花がひとつ、ウサギの頭にぽとりと落ちた。


「きみの名前は、“そよかぜ”にしよう」


 ウサギは、空から聞こえた声にびっくりした。


 名前をもらったウサギは、それから少しずつ変わっていく。


 自分から花を見に出かけるようになり、虫たちに話しかけてみるようになり、やがて――




 ページをめくるたび、胸の奥がふわっと広がっていくような感覚がした。


 わたしも、あのウサギと同じだった。


 名前がなかった。ずっとひとりぼっちだった。何も見ようとしなかったし、何かを求めることすらなかった。


 でも――


「きみの名前は、“シャルロッテ”だ」


 あの夜、あの言葉をくれた人がいた。


 おとうさまが名前をくれたとき、わたしは生まれ変わったんだと思った。


 あの時から、世界は変わって見えた。食べ物の味も、ぬくもりも、言葉の意味も、まるで違っていた。


 そよかぜちゃんと同じ。


 名前をもらって、わたしはわたしになった。




 絵本の最後のページで、そよかぜちゃんは仲間たちと草原を駆けまわっていた。


「きみは、ひとりじゃない」


 そんな言葉で、物語は終わっていた。


 わたしは絵本をそっと閉じた。


 心があたたかくて、でも少しだけ泣きたくなる。


 今まで知らなかった。


 本の中に、こんなにもやさしくてあたたかい世界があるなんて。


 読んでいるあいだ、わたしはずっと――笑っていた。


 自然と、頬が緩んでいた。


「……ありがとう、そよかぜちゃん」


 ぽつりとつぶやいた声に、誰も返事はしない。


 けれど、胸の奥に、たしかな何かが残っていた。


 本ってすごい。


 わたしは、今この瞬間、たしかに“世界とつながった”気がした。




 その日の午後、クラリスさんが紅茶を持ってきてくれた。


「今日はゆったり過ごせましたか?」


「……うん。絵本、読んだ」


「まぁ、それは素敵。どの本を?」


「ウサギの子が……“そよかぜ”って名前をもらう話」


「それは、わたしのおすすめの一冊ですよ。あの子、かわいいですよね」


 クラリスさんがやさしく笑う。


 わたしはこくこくと頷いた。


「……この世界って、まだ知らないものがたくさんあるんだね」


「ええ。まだまだ、いっぱいありますよ。シャルロッテお嬢様の知らないもの、見たことのないもの。……これから一緒に、たくさん出会っていきましょうね」


 その言葉が、どこまでも広がっていくようだった。


 本のページの向こうにある世界。


 自分だけの部屋。


 名前。


 家族。


 全部、わたしの“はじめて”。


 そして、きっと、まだまだ“はじめて”は増えていく。


 そんな未来が、楽しみだと思った。




 わたしは今日、「絵本」と出会った。


 きっと、明日は――また、何かを。

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