第六話 シャルロッテの部屋
「こちらが、シャルロッテお嬢様のお部屋です」
クラリスさんに案内され、わたしは静かに扉の前に立った。
重厚な木の扉には、繊細な彫刻が施されていた。バラのような、羽根のような、どこか幻想的な模様。
「開けてごらんなさい。鍵はありませんよ。ここは、あなたの場所ですから」
その言葉に、わたしはそっと取っ手に手をかけた。
金属がひんやりとしていて、少しだけ緊張する。
扉を開けると、ふわりとやさしい空気が流れてきた。
……夢みたい。
それが、最初の感想だった。
お部屋の中央には、昨日とは別の、少し小さめのベッド。
ベッドの天蓋は薄い桃色で、光が差し込むとふんわりと透けて見えた。
カーテンは淡いクリーム色で、窓の外には広い庭が見える。陽の光をたっぷり取り込んでいて、部屋全体があたたかい。
「このお部屋は、お嬢様のために準備されたのですよ」
「……わたしの……?」
こくり、とクラリスさんが頷いた。
「ベッドや机、本棚もすべてお嬢様用に整えてあります。ドレスやリボンも、すぐに選べるようになっておりますよ」
信じられなかった。
これぜんぶ……わたしの、なの?
だって――誰かが、わたしのために、部屋を準備してくれたなんて。考えたことすらなかった。
目がぐるぐるして、どこを見ればいいかわからない。
机の上には、色とりどりの万年筆と便箋が並んでいた。棚には童話の絵本や、ふくろうの形をした置き時計。
そして――大きなクローゼットの扉を開くと、そこには、小さなドレスが何着も並んでいた。
薄水色の刺繍入り、真っ白なフリルつき、バラ模様の淡紅……ぜんぶ、わたしのサイズだった。
「お嬢様のお好みは、まだこれから知っていくことになりますから。少しずつ、増やしていきましょうね」
クラリスさんは微笑んで言った。
“好み”。
そんな言葉、自分に向けて言われたのは初めてだった。
今までの暮らしには、“選ぶ”ということがなかった。着る服も、食べる物も、命令されるまま。そこに“好き”も“嫌い”もなかった。
でも、今は――
ここでは、“わたしが何を好きか”を、みんな知ろうとしてくれている。
「……きれい」
思わず、口から出た。
「……こんなに、きれいな部屋が……“わたしの”って……いいの……?」
「ええ。もちろんです。シャルロッテお嬢様、この空間は、すべてあなたのためにあるのです」
クラリスさんがふんわりと笑う。
「お好きな時間に本を読んでも、ぬいぐるみと話しても構いません。疲れたら、いつでもここで休んでいいのですよ。……ここは、お嬢様の“場所”ですから」
“場所”。
その言葉が、やけに胸に残った。
いままで、“わたしの場所”なんて、どこにもなかった。馬車の荷台。かび臭い古布の上。暗くて寒くて、ただ生きてるだけの場所。
でも今は、こんなに明るくて、やさしくて、ぬくもりのある――
「……ここに、いていいんだ……ね……?」
ぽつりとつぶやいた声に、クラリスさんは「もちろんですとも」と答えてくれた。
わたしは、ベッドの端にそっと腰かけた。ふわふわしていて、身体が沈む。
その瞬間、なぜか、涙がぽろっとこぼれた。
驚いて、慌ててぬぐったけど、止まらなかった。
悲しいわけじゃない。怖いわけでもない。
ただ――あまりにもあたたかくて。
こんなにあたたかいものに、わたしの心が追いついていないだけだった。
クラリスさんは何も言わず、そっと毛布を肩にかけてくれた。
「……泣いても、大丈夫ですよ」
そう言ってくれた声が、やさしくて、あたたかくて。
わたしは、こくんとうなずいて、小さくうずくまった。
この部屋は、わたしの部屋。
このぬくもりは、わたしのもの。
わたしは今、“わたし自身”をやっと取り戻せた気がした。




