第十二話 父の剣、娘の決意
おとうさまが、静かに扉を開けた。
朝の光が差し込むなか、あの広い背中がそこにあった。軍服の上から、外套がかけられていて、いつものやさしげな雰囲気よりも、凛とした気配を感じた。
「おはよう、シャルロッテ」
「……おはようございます」
わたしはベッドの縁から立ち上がった。体が少しこわばっているのが、自分でもわかる。
けれど、視線は外さずに、おとうさまを見た。
「外に、出ようか」
そう言って差し出された手を、わたしはほんの少しだけ迷ってから、握った。
*
屋敷の裏庭にある、小さな石畳の広場。
普段は使用人の目にも触れない、訓練用の空間だった。
中央には、磨かれた木の剣が二本、壁に立てかけられていた。
「……ここで、おとうさまは剣の練習をしてるの?」
「そうだよ。公爵であると同時に、騎士団長でもあるからな。剣は、わたしの“道具”でもあり、“誇り”でもある」
おとうさまは、一本の木剣を手に取って、くるりと軽く回して見せた。
その動きは滑らかで、力みがなくて、それでいて鋭かった。
風が、剣の跡を追いかけるように吹いた。
「……シャルロッテ。君に話しておきたいことがある」
おとうさまの声は、いつもより低く、静かだった。
「今、屋敷の周辺に、“例の集団”と思われる者たちの影がある。正式に確定したわけではないが、わたしは“確信”している」
わたしの心臓が、ぎゅうっと小さくなった。
わたしが逃げ出してきた場所。
名前すらもたなかったあの過去。
「……わたしのせいだよね。わたしが、ここにいるから……」
「違う」
おとうさまの声が、かぶせるように強く響いた。
「違うんだ、シャルロッテ。君は“悪くない”。君がここにいるのは、君が“家族”だからだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「でも……迷惑、かけるかも……」
「ならば、守ればいい」
おとうさまは、木剣をすっと差し出した。
「これは、わたしが初めて手にした訓練剣だ。誰かを傷つけるためじゃない。誰かを守るための“最初の道具”」
「シャルロッテ。君も“守られるだけの存在”じゃない。君が誰かを想い、誰かのために祈り、誰かを信じてここにいるのなら――それだけで、君は“強い”」
わたしは、差し出された木剣をそっと受け取った。
思ったより軽かった。
けれど、その重みは、手のひらにしっかりと残った。
「……わたしも、守りたい。みんなのこと。おとうさまのこと。かあさまのこと……おにいさまたちのこと……クラリスさんも、屋敷のみんなも」
言葉が止まらなかった。
胸の奥からあふれてくる“想い”が、涙になってこぼれそうだった。
でも、泣かなかった。
それよりも――わたしは、はっきりと顔を上げた。
「わたし、“シャルロッテ”だから。家族の、シャルロッテだから」
おとうさまの目が、やわらかくゆるんだ。
「よく言ったな。……それでこそ、わたしの娘だ」
その言葉が、木剣よりもずっとあたたかく、わたしの心を強くした。
*
その日の午後、屋敷の警備体制がさらに強化された。
ギュスターヴ兄さまは隊長代理として見回りに出て、ジャンたちはわたしのそばを片時も離れようとしなかった。
でも、そのどれもが“恐怖”ではなく、“絆”に思えた。
わたしは一人じゃない。
そして、誰かの“守られる存在”でいるだけでもない。
夜、クラリスさんが眠る前の紅茶を持ってきてくれたとき、わたしは小さく笑って言った。
「クラリスさん。わたし、明日も剣の練習するの。まだ、ちょっと怖いけど……でも、きっと大丈夫」
クラリスさんは、少し目を見開いて、それから――まるで誇らしげに、にこっと笑ってくれた。
「はい。お嬢様なら、きっと大丈夫です」
恐怖は、なくならない。
でも、それを上回る“想い”がある。
それがあるから、わたしは前に進める。
わたしの名前は、シャルロッテ。
もう、“誰かの所有物”なんかじゃない。
わたしは、わたしとしてここにいる。
家族として、生きている。




