閑話「うちの犬は俺を弟だと思っていた」
うちの犬は俺を弟だと思っていた
(怪談本収録、怖くない話)
話をしようか。世界でいちばん勇敢で優しく怖がりの、今はもういない俺の兄の話を。
うちのバフは図体ばかりでかいお馬鹿な犬だ。幼い頃の俺が拾い父が猟犬として育てようとしたが、全然向いていなかった。
子猫と遊ぼうとして鼻面を引っ掻かれ、猫に頭が上がらなくなる。
庭でカマキリにちょっかいをかけてまた鼻をスパッとやられた。しまいには自分より小さなものを怖がるようになった。
キツネを追い込んでいた時のこと。先回りしたバフを追った父が見たのは、威嚇されながらもキツネの矢傷を舐める猟犬? の姿。
キツネと父を交互に見て訴えるようなバフに負けて父はキツネを連れ帰った。
森に帰ろうとしなかったキツネはうちの一員となりバフの後をついて回っている。
父は、害獣駆除と食用以外には狩りをしなくなった。
「いいかバフ、フレン。俺が兄貴だから」
「バフッ」
「ギュルル」
何も分かってなさそうなバフと不満気なフレン。兄弟が欲しかった俺はふたりを弟にした。どこへでも連れ回り川や森で遊び、一緒にベッドに寝ては母に怒られた。
やがて俺の学園入学の年を迎えると、そんな生活に変化が訪れる。
学園は森の端を挟んでうちからほど近い場所にあり、寮に入らず通学できた。
友人との遊びに夢中になり、ふたりを構う機会も減っていく俺をバフは変わらぬ風情で、フレンは文句を言いたげに見つめていた。少しだけ後ろめたかったが、俺はあえてその気持ちを無視していた。
ある日、ちょっとやんちゃな友人に唆され森の奥に珍しい薬草を取りに行く事になった。高く売れるのでいい小遣い稼ぎになるのだ。
「あまり奥に行くと魔熊が出るかも」
「大丈夫大丈夫。さっと行って帰ろう」
森奥の陽の差さない場所に、その薬草の群生地があった。
「すげえ!」
「大声出すなよ、獣が来る」
「出してた方が来ないだろ」
「人間を獲物と見る強いのは寄ってくるぞ」
「なんだよ臆病だな」
都会育ちのこいつらは呑気だ。
「もういいだろう、行くぞ」
歩き出そうとした時、強い獣臭がした。
「……ヤバい。静かに後退しろ」
「な、何だ?」
「もっと小さい声で話せ。かなり強い魔獣だ」
唸り声が聞こえてきた。背筋が凍る。
「……魔熊だ、」
茂みの中からぬっと立ち上がり姿を現したそれに、友人たちがパニックに陥る。
「うわ、ひゃあああ!!」
叫びながら三人が走り出す。
「バカ、走るな!」
俺の声は届かず、三人は正気を失って更に奥へと走ろうとし揃って転げた。罠のように絡まって生える草に足を取られたんだ。
魔熊は軽々と追いつくと獲物をじっくりと観察している。
「く、来るなああ、」
這いつくばりながら後退する友人たち。
覚悟を決めて後ろから炎魔術を放つ。傷はつけられないが、こちらに興味を移すしかない。
「グルル……」
体に似合わない素早さで俺の元へやってくる魔熊。避ける間もなく爪が足を切り裂く。
「っ、くそ……!」
友人が散り散りに逃げていく。あの分じゃ助けを連れて来てはくれなそうだ。
すぐに俺を仕留める事はなく、誰が強者かを思い知らせるように威圧してくる。動けなくする為、狙って足をやったんだ。
魔熊が笑ったように見えた。
知能の高い魔獣は遊びながら命を奪う。
恐怖を通り越して妙に冷静になり、諦観の念に覆われる。
魔熊は騎士数人がかりでならなんとか撃退可能だ。足を怪我した、魔術もまだ未熟な十五の子どもに何ができるだろうか。
両親の顔が浮かび、弟たちを思い起こす。
雷が鳴るとベッドに逃げ込んでくるバフ。次に雷があってももう抱き締めてやれない。もっと遊べばよかった。フレンにどっちが兄かを言い聞かせるつもりでいたのに。
走馬灯のように後悔をしていると、森を何かがすごい勢いで駆けてくる気配がした。
「!?」
バフだ。バフが突っ走ってくる。
バカ、来るな。敵うわけないだろ。
「逃げろ、助けを呼んでこい! 行けってば!!!」
鼠にも虫にもビビる弱虫のくせに。魔熊だぞ、死ぬぞ。
言って伝わるとは思わなかったが、せめてバフだけでも助かって欲しかった。怪我で動けない俺自身の生存の可能性は薄い。
魔熊を目にしたフレンが一直線に逃げてくれたのは良かった。家の方向に戻っていったので、運が良ければ救助もあるかも知れない。
バフが魔熊に飛び掛かり、軽々と払い除けられ木に叩きつけられた。
だがすぐ起き上がると俺と魔熊の間に立ちはだかる。
「グワァアア!」
「バフーーっ!!」
鋭い爪で切り裂かれ、太い足で殴られてもバフは鳴きもせず何度も立ち上がる。
泣きながらもうよせと懇願したが、バフは立ち向かうのを辞めなかった。
予想よりずっと早く父たちがフレンに導かれやって来た時、バフは全身傷だらけでぼろぼろだった。
戦いに疲れ逃げ出した魔熊を騎士の一団が追いかけていく。
じきに魔熊は討伐された。
「バフ、バフっ」
バフは立ったまま息絶えていた。亡くなってからも俺を護ろうとしていたんだ。体じゅう傷だらけで顎は砕け一本の脚が取れかけていた。
俺はバフを抱き締めて号泣した。傍らのフレンがバフを一生懸命舐め続けていた。
父たちはかける言葉もなく俺とバフを見つめていた。
後から父に聞いた。
居間で寛いでいたバフがいきなり耳をピンと立てたかと思うと走り出し、フレンがそれに続いた。
二頭の切迫した様子に、もしや俺に何かあったのではと急ぎ騎士を呼び集めた。
馬を走らせていると必死に駆けてくるフレンと出くわし、案内するように踵を返したのを追ったそうだ。
奇跡的に助かったのはバフとフレンのおかげだった。
療養の日々を過ごし、怪我が治ってからも俺は通学もせずぼんやりと日常を送った。気力が出ず何をしても楽しくない。
見かねた父に、おまえを命懸けで救ったバフに申し訳ないと思わないのか! と一喝され、自分でも意外なほど激昂した。
他人に言われたくない、バフのことは誰にも触れられたくない。自分がいちばん分かってる、俺がこのままじゃあいつが報われないなんて。
こんな俺を助けて後悔してるんじゃないか。おまえが生きれば良かったんだ。
激情のままに家を飛び出し街へと走った。
何もかも嫌になって、家出しようと決めた。幸い持ち金で乗合馬車に足りる。決心し道の向かいにある乗合場に足を踏み出した時だった。
『バフッ!』
肩越しに懐かしい間の抜けた鳴き声が聴こえた。
思わず立ち止まり振り返るが後ろには何もない。たしかにあいつの声がしたのに。
次の瞬間、すぐ前を馭者なしで暴走する馬車が轟音とともに通り過ぎていった。
道を渡れば確実に轢かれていただろう。
呆然とする俺の前にはバフが呑気な顔でお座りしていた。
「これで最後だよ。さよなら、僕の大好きな弟」
そう言われた気がした途端、バフの姿が掻き消える。
「大丈夫か! 怪我はないか」
心配してわらわら人が集まってくる。
俺は人目も気にせずしゃがみ込み、声もなく泣き続けた。
思い出したんだ、雷を怖がってたのはバフじゃない。怯えてる幼い俺の隣に来てくれていたんだ。いつも、いつだって。
最後の最後まで俺を護ってくれたバフとの本当の別れだった。
あれから数年が経つ。
俺はいま、騎士を目指している。
兄が誇れる弟になれるよう、兄のように優しく誰かを護れる存在になる為に。
魔弧だったフレンが従魔として俺に従う。まるでバフから託されたとでもいうように上から目線で傍らにいる。
「おまえは弟だからな」
「グルルルルゥ……」
不満気な唸りで答えるが、兄はひとりだけと決めてるから。
いつか子どもができたらまたこうして話をしよう。誰よりも勇ましく優しく格好いい、俺の自慢の兄の話を。
何人かの生徒は号泣した。
スタンレイは書きながら、優しい兄の姿を夢想していた。
ルー、どこに産まれたいか決まったかい?
※あとあと、この話がマンガ化+絵本となり大ヒットしました。バフの死が子どものトラウマとなり生きるバージョンを書き上げる子もいました。同人の夜明けです。




