第六話
人面魚の肉はかなり美味しい。あれだけ気持ち悪い顔をしているので、顔は食べる気にはなれないが、それを削げばなかなかに美味である。
ドクター・コウスケに質問したローラが言うのだから、間違いはないし毒もないだろう。
ドクター・ユウスケは信用できないやつだが、モンスターの知識で嘘をついたことは今のところない。ちょうど腹が減って、栄養バーだけでは足りないと思っていたところだったのでちょうどいい。
「日本では魚は生のまま捌いて、刺身にして食べるんです。大きくて三枚は難しいので、五枚に下ろします」
料理担当になったコウスケは、まず人面魚のひれ(いわゆる『えんがわ』と呼ばれる部分)に沿って縁取りをするように包丁で切れ目を入れた。包丁代わりは切れ味の良いローラのマチェーテである。
マチェーテの刃を上に向け、それから背骨に沿って切れ目を入れる。背骨に沿って入れた切れ目から外側の切れ目に向けて包丁を入れ、身を骨からはがしていく。
これを表側と裏側で行い、背骨と半身の上下の五つに切り分けた。そして、鉛弾や破片はピンセットで取り除く。
手際良く人面魚を捌き、皮を剥いで刺身にして切り分けるコウスケ。赤身はコンロの上に置いた、油を撒き散らした小さなフライパンで焼き始める。
表面だけに焼き色がつくと、フライパンから取り出してナイフで切り分けて紙皿に盛る。
早速つまみ食いをしようとしたローラの手をコウスケが制し、同時に温めていた戦闘糧食の米を取り出して、その上にマグロの赤身ステーキを盛り付けて油と醤油をかけて完成である。
「できました、皆さん食べましょう」
やっと食事にありつけると、マリー達は腹ペコであった。食べる前に挨拶をするのは日本だけなので、外国人のマリー、ローラ、アリーサは何も言わずにそのまま手をつける。
米の上に盛り付けた赤身ステーキを、米と一緒に頬張る。マリーの舌を絶妙な塩加減のステーキが包み込み、米がそれを過ぎたらないように抑制する。噛み続けると、油や醤油、出汁の味がよく滲み出ていて食欲をさらに誘った。
刺身に手をつける。日本以外では魚を生のまま食べる文化がないので美味しいのか半信半疑だったが、無言のまま覚悟を決めて刺身を頬張る。
「……!」
生物特有の生臭さはない。全て醤油で打ち消されている為、脂の乗ったトロッとした肉の味が口いっぱいに広がっていく。缶飯の白米と合わせれば、結構なご馳走である。
「美味いわね……」
「あ、ありがとうございます……!」
「……別に、この魚が美味いだけで、あんたの料理を褒めたわけじゃないわ」
「えぇ……」
あんな見た目をしている割には、食用に向いている。支柱の外にいる探索者達もこいつを食べているのだろうか?
「まあまあ! コウスケ、お前の料理はうまいぞ! あいつはちょっと素直じゃないからこうなっているだけだからな。安心してくれ」
「あ、ありがとうございます……ローラさん」
「誰が素直じゃないって?」
「あなた以外に誰がいるのよ」
銃を持って周りを警戒しているアリーサのツッコミを最後に、紙皿に盛り付けられた人面魚と缶詰の白米を平らげたマリーはアリーサと見張りを交代した。
今度はアリーサがこの人面魚を食する番である。彼女は一口人面魚を食べると、目を見開いてその後は黙々と食べ始めた。
「それで? この解除キーだけど、誰が持つの?」
全員が食事を終えた後。食器や缶を片付けているコウスケを他所に、食後のインスタントコーヒーを啜っているマリーはそう呟いた。
他のメンバーも、ローラは食べ足りないのかデザートに栄養バーを食べ、食べるのが早かったアリーサは周りを警戒しながら、それぞれマリーの話に耳を傾けている。
「持つとデットウェイトになるわよね……この中で一番力自慢な奴に任せるのが一番か……」
「そうなると、コウスケは除外ね」
「え!?」
「だって、あんたナヨナヨしいんだもの。重いもの持ちながら戦闘できる?」
「うぅ……できません……」
そこまで言いくるめられて、コウスケは黙って頷いた。まだ何か言いたげだったが、それを飲み込んでいる。
「私もパス、ここでのマークスマンは意外と動くから無理」
アリーサは持っている武器の都合上、近距離での精密射撃を担当している。しかし、この狭いダンジョン内では狙撃業務なのに動かざる負えなくなり、デットウェイトになるような解除キーを持つのは避けたかった。
「マリーはリーダーだから持ちたくないだろ? だったら、私に任せてくれ」
そう言ってローラは腕をまくって少し筋肉質な腕を見せた。ローラは女性にしては鍛えられており、少し大きなコブが出来ている。
「分かったわ、じゃあローラに頼むわね」
「オッケー、任された」
ローラは紐状に括り付けられた解除キーを持ち上げる。ストレージには入りきらないだろう、との事なのでこうして背負って持っていく。
マリーはその間にもマガジンに弾丸を一発づつ込め、満杯まで入ったところで416に装填、残りは両脇のポーチに入れる。
「さて、いくわよ。まずは最初の場所にまで戻るわ」
「了解」
一行は荷物をストレージに入れ、解除キーを背負ったローラ以外は比較的軽い身のこなしで歩みを進める。
一度クリアリングをしているため、ここにはモンスターはいない。あの縁側から入ってきている可能性もなくはないが、来たとしても数匹くらいだろう。一応銃を向けながら進むが、ライトは付けっぱなしだ。
だが、コウスケは警戒しすぎているのか、ライトを付けずに頻繁に辺りを見回している。
「ライトは付けっぱなしでも大丈夫よ、モンスターも居なさそうだし」
「はい……ですが、なんか嫌な予感がするんです」
「嫌な予感?」
アリーサの質問に、不安そうに答えるコウスケ。
「ダンジョンって、モンスターが湧いて出てくることって無いですよね?」
「いえ、確認されていないわ」
「今のところは、ね」
マリーがアリーサの説明に補足をする。
「この支柱に対する前回の探索の時、クリアリングしたはずの部屋にモンスターがいた事があったの」
「…………」
「流石に少数だったから対処できたらしいけど、その探索チームは第三層で戦闘中、通信が途絶えた後に音信不通になったらしいわ。その層もクリアリングしたはずなのに……ね」
「えっと……それってどういう事ですか?」
マリーは前に進むのを止め、立ち止まった。
「つまりよ、まだ直接その目で確認されていないだけで、モンスターが湧いて出てくることもあると言う事よ」
「じゃあ、さっきの食事中に私に見張りを頼んだのも?」
「ええ、それを警戒してのことよ」
「…………」
アリーサの質問に対する回答に、沈黙が辺りに流れる。彼女の言っていることが本当なら、今この後ろにもモンスターが湧いて出ているかもしれない。
それを警戒し、コウスケが後ろを振り向いた。が、何もいない。それに安心したのも束の間、マリーから声をかけられる。
「まあ、あくまで可能性の話だけど」
「で、ですよね……」
ここで怖がっていたら、いつまで経ってもここは攻略できはしないだろう。マリーはコウスケに頭を入れ替えさせ、自分は前方をライトで照らす。
そんな会話をしているのちに、最初のフロアまで戻ってきた。重圧な扉が見えるスタート地点で、マリー達は扉の結界を解除しようとする。
「アリーサ」
「ええ」
近くに植物の茎が飛び出しているため、アリーサにそれの解読を指示する。手元の端末に茎を近づけると、手元の端末の端子に茎が絡み付いて、接続が開始される。
相変わらずこの気持ち悪いやり方で接続されるというのが、なんとも納得いかない。
飛び出してきたホログラムの画面とキーボードをカタカタと打ちながら、アリーサは私たちには勉強しても分からなかった言語を読み解いていく。
すると、茎のある場所の下側に東洋風の魔法陣が浮かび上がってきた。
「後はそこに解除キーを置いて」
「分かったぜ」
ローラは解除キーとなるトランクケースをそこに置き、解除を始める。
すると、騒ぎ立てるかのような警報音が鳴り始め、辺りを騒がせる。いきなりの大爆音に驚き、メンバーは辺りに銃を構えて狼狽する。
「な、なんですかこれ!?」
「分からないわ! 全員警戒して!」
「解除まで後、90パーセント」
と、マリーが天井に416を構えた先、そこにはいくつもの小さな魔法陣が宙に浮いているのが見える。
宙に浮かんで、辺りを浮遊している魔法陣。それが光り始めたかと思うと、ニュルッと何かが産み落とされた。そして、宙を舞ったそれはストンと綺麗な着地を決めた。
マリーはそれに向かって迷わず416を連射し、頭部を粉砕した。脳味噌が体毛に飛び散り、短い悲鳴を上げる。
「ネコマタタイプよ! 注意して!」
産み落とされたのは、ずんぐりとした胴体のネコ科の動物だった。しかし、その姿は普通のイエネコよりも大きく、巨大で尻尾も二つに裂けている。
明らか異質なそいつは、ネコマタタイプ。凶暴で可愛げのないライオンのような猛獣だ。
「こいつらどこから来たんだ!?」
「後、80パーセント!」
「あの魔法陣よ! とにかく解除されるまで持ち堪えて!」
ネコマタは鉤爪を使うというカゲクロと同じ攻撃方法だが、こちらは獣特有の俊敏性があるため余計に危険だ。近づかれる前に倒すしかない。
「残り、70パーセント!」
その間にも辺りから向かってくるネコマタを銃で射殺していく。扉の左側にいるマリーは、左方向からやってくるネコマタを対処している。
中央でローラとアリーサは地面に伏せてM249や416を乱射し、右側のコウスケはそれでも近づいてきた個体を的確に射殺していく。
「残り60パーセント!」
「リーダー!」
目の前の敵に集中していたマリーの横を、弾丸が過ぎる音が耳を擽った。いくつもの弾丸はマリーの左側から近づいてきていたネコマタを射殺した。
「余計なことを……!」
狙いは的確だったが、危うく死にかけるところだった。マリーは横から来るこいつにも気づいてはいたため、余計な出来事だと思ったのだ。
「残り50パーセント!」
その間にも解除は進んでいく。マリーは416のマガジンを拾わず捨てる形で交換して、すぐさま射撃を再開した。あちこちからやってくるネコマタは、シャアシャアと可愛げのない声を上げて襲ってくる。
このままではジリ貧である。扉の解除が終わるのが先か、それとも自分たちが引き裂かれるのが先か。
「残り40パーセント!」
その間にも数は増えていく。いつのまにか魔法陣の数が増え、出てくるネコマタの数が多くなったのだ。
「チッ!」
マリーは魔法陣から出てきたばかりのネコマタに向け、5.56ミリの弾丸を浴びせた。数は減っていない、とにかく倒しまくるしかない。
「!?」
と、魔法陣から出てきたばかりのネコマタを狙ったはずが、魔法陣が悲鳴を上げて粉々に打ち砕かれた。何が起こったのかすぐには分からなかったが、そのあとハッとして、また別の魔法陣を撃って見て理解した。
弾丸は魔法陣に当たった瞬間、打ち砕かれるように割れた。そして、甲高い悲鳴を上げながら消えていったのだ。
「魔法陣よ! 魔法陣は銃弾で壊せる!! とにかく破壊して!!」
モンスターが無尽蔵に出てくるカラクリは分からないが、対処法はわかった。ローラとコウスケもそれに頷き、9ミリと5.56ミリを魔法陣に浴びせる。
すると、天井付近に展開していた魔法陣は次々に打ち砕かれ、壊されていった。甲高い悲鳴がフロア内に響き渡り、耳を劈く。
「残り30パーセント!」
しかし、魔法陣は次々と出てきてはネコマタを生み出していく。さらに増えているため、まず下側のネコマタに対処しなければならない。そのため、魔法陣への対処が出来ないでいる。
「クソッ!」
乱射しすぎたのか、装弾数200発を超えるローラのM249も弾切れになった。M249はリロードに時間がかかるため、その間はカバーに入らなければならない。
「残り20パーセント!」
その間は、余裕のあるアリーサがHUDの残りを見ながら残り時間を通達している。
「あと少し……!」
扉が光り始めて、魔法陣が展開する。しかし、そこからはネコマタは出てこない。扉を開けるための解錠シークエンスだ。
そのうちに、M249の長いリロードを完了させたローラが、立ち上がって撃ちまくる。そろそろ時間だ。
「残り10……0パーセント!」
魔法陣が縦に割れて、扉が内側に向かってゆっくりと開き始めた。まだネコマタは出てきているため、ゆっくりと応戦をしながら下がっていく。
「順次下がって行って! ローラは最後!」
「了解だ!!」
まずアリーサが下がっていき、扉の後ろに着いて倍率スコープ付きのM416を正確に狙い撃っている。次にコウスケ、その次にマリー。
誰も応戦しないわけにはいかないので、順次下がるのだ。最後に三人の援護の中、ローラがM249を抱えて最後に入ってくる。これで全員。
「扉を閉めて!」
銃で応戦しながら、扉を体で押す形で扉を閉める。その間にも何匹かのネコマタが入ってくるが、ローラがそれを一匹づつ倒していく。
そして、扉が閉まる。と、思ったらその直前に一匹のネコマタが扉の間をすり抜けて一気にマリーに向かってきた。マリーの416は丁度リロードをしていた為、大きな隙ができている。
とっさに腰からデザートイーグルを取り出し、発砲。そのあまりの衝撃にバランスを崩したネコマタはマリーの体に覆いかぶさろうとするが、拳で払い除ける。
ネコマタの死体が扉の向こうのフロアに一匹だけ散らばる。扉からはネコマタの腕が挟まれ、グイグイと伸ばしている。
それに向かってマリーは容赦なくデザートイーグルを発砲。血飛沫がネコマタの腕から飛び出し、血が滴る。
「はぁ……なんだったんだ今のは?」
ひと段落して弾倉を確認しているローラがそう呟いた。
「分からないわ。しかもモンスターが湧いて出てくるなんて……」
「事前のレクチャーでもありませんでしたよね? あんなの……」
アリーサとコウスケも口々にそう言った。
「……ドクター・ユウスケ?」
マリーはまたもあの元凶に通信をかけた。彼ならこの現象について、何か知っているかもしれないと。
『はいはい? 僕もさっきの現象は見ていたよ、実に興味深い現象だったね。制圧したはずの場所からモンスターが出てくる、今までのデータにはない特別な現象だったよ、素晴ら……』
「今までのデータにはない? 嘘つかないでくれる?」
マリーは感心するドクター・ユウスケを差し置き、口を挟んだ。
「本当は事前のデータであるんでしょ? モンスターが湧いて出てくる現象」
『…………』
「前回の探索の時、モンスターがクリアリングしたはずのところにいたらしいじゃないの? それって湧いて出てきているとしか考えられないわ」
『…………』
「でも、事前のレクチャーには教えなかった。これはどういう事?」
『そのまんまの意味だよ、リーダーマリー』
マリーの冷たい言葉に、ドクター・ユウスケは負けないくらいの冷ややかさで言った。
『君たちは犯罪者なんだよ? これくらいの扱いは当然じゃないか? 少しくらい我慢したまえ、囚人くんたち?』
「基本的人権はどこ行ったのかしら? どんな犯罪者でも基本的人権はあるはずよ?」
『そんなものは無いよ。そもそも、このダンジョンに日本国の憲法や法律は通用しない。そもそも君たちはこの世にいらないクズ、大罪人だ。ここで処分される方が社会のためだと思わんかね?」
その言葉に、マリーの怒りの目が通信機越しに向けられる。
「ふざけんな、私たちの命だってテメェと変わらねえんだぞ。それを弄ぶのはやめろ」
それを遮ったのはローラであった。彼女の言葉のトーンにも怒りが満ちている。
『そうは言われてもね、やはり重犯罪者の命をそのままにしようとか考える方がおかしいじゃ無いか。なんなら、少しは人類の役に立って死んでくれ。それじゃあね〜♪』
通信がいきなり切られる。やはりこいつから与えられる情報は不確定で、おまけに不備がある。しかも、人の命をなんとも思っていない正真正銘のクズだ。信用ならない。
「チッ、行くわよ。こいつに構っていてもしょうがないわ」
「あーあー全く、犯罪者ってのは楽じゃ無いぜ」
「仕方ないわ。ここに放り込まれた以上、なんとか攻略を目指すしか無いわ」
口々に愚痴を言うメンバーたち、彼らにも不満がないと言うわけではない。しかし、このダンジョンに放り込まれた以上は何もできはしない。大人しく言いなりになって攻略を目指すしかない。
「? どうしたコウスケ? そんなに俯いて」
ローラがコウスケに語りかける。コウスケは顔面蒼白で俯いており、手元のUMPもガタガタと震えていた。
「い、いえ……なんでもないです……」
「?」
まるで今の会話の中に引っかかるところがあるかのような反応である。その様子に引っかかる事があったが、マリーも他のメンバーも攻略のことを気にしてきて、特に気にする間もなかった。
それよりも、マリーは気になることがある。ダンジョンでは今までモンスターが湧いて出てくることはなかった。
しかし、前回と今回になって急にその現象が現れるようになったと言うことは、何かしらの対策を練ったと言っても過言ではない。
そう、ダンジョン自身が。
「ダンジョンは学習している……?」
マリーの疑問をよそに、一行は下へ続く階段を降りていった。その先にあるのは、ダンジョンの第二層である。