婚約者に会ったあの日、私は失恋した。
婚約者に会ったあの日、私は失恋した。
前世を思い出したからと言って私が、ソフィアはソフィアのままだった。たった一つだけ受け継がれたものがあったけど、それは前世の記憶だけで、前世の性格が現在のも影響するなんてことはなかった。
私はソフィアのまま、侯爵令嬢として第一王子の婚約者になった。
それはお互い7歳の時。
そして私はこの後のソフィアの人生を知っている。
14歳の時に学園に入学し、王子は男爵令嬢と恋に落ち、嫉妬したソフィアは彼女に嫌がらせを繰り返し行い、見かねた王子から婚約破棄を言い渡されて修道院に送られるのだ。
なんて王道な乙女ゲーム!まさか転生するなんて!・・・と嘆いたのは言うまでもない。
ここで私が前世の性格に変わっていたり、この先の未来を明るい方向に切り開こうとしていたら何かが変わっていくのかもしれなかった。
でも私は変わらずソフィアのままで、ゲームの中のソフィアと同じように無関心だった。第一王子のローランと同じく。何事にも、自分のことにも、他人のことにも無関心で、ただ求められる役割のために動いていた。
ゲームの中でソフィアが悪役令嬢になったのは面白いと思ったから。婚約者が天真爛漫な男爵令嬢に興味を持ったように、ソフィアも貴族のしがらみを無視するような行動をする男爵令嬢に興味を持った。ならば求められるような言動をしてみようと思い、嫉妬した振りをして嫌がらせを命令していじめを行い、そうして向こう側がどんな対応をするのか見ていた。
ソフィアとローランは政略的な結びつきでお互いにそれはよく理解していた。だから2人とも外面は良かったし、お互いに仮面を被って接していたからお互いの本質までは理解しきれてなかった。2人とも無関心が過ぎることに。
ソフィアはローランのことを物事を合理的に考える優秀な王子として、ローランはソフィアのことを好意を抱いてる影で支えようとする令嬢として、お互いに認識していた。
まさか2人とも同じ本質を持っているとは思ってなかった。というか2人とも本質を隠すのが上手で、相手にそこまで興味がなかったとも言える。
だからソフィアは恋に溺れようとしている婚約者を見て、愚かだなと思いながら、助長するための行為をわかっていてしていたのだ。合理的な王子が、まさか婚約破棄までするとは思わずに。
婚約破棄を言い渡された瞬間、ソフィアは気付く。これまでポーズだと思っていたローランへの好意は本物で、私は婚約者に会ったあの日、恋をしていたのだと。
何事にも無関心だと思っていた自分の中に芽生えていた気持ちを胸に秘めて、ソフィアは修道院でひっそりと余生を暮らす。
うん、修道院で余生を暮らす。それでいいじゃない。というのが現在の私、ソフィアの考え。
だって、どうせ好きになってもらえないなら、どうでもいい。
「ソフィア様、間もなく殿下が来られます」
「・・・そう、ありがとう」
記憶を思い出した時のことを考えていたら反応が遅れてしまった。ちらりと先ほどの騎士を見ると仄かに笑みを浮かべていて、このことも殿下に報告される可能性があると思えば気分が落ちた。
7歳の時、婚約者に決定した私は王宮で殿下に今世では初めて会った。そして前世と同じように温室を一緒に散歩して、お互いに仲を育み共に頑張りましょうと励まし合った。
そして現在、16歳に至る。ゲームと全く同じというわけではないけれどほぼほぼ同じように進んでいると思う。細かいところまでは覚えていないし、今回は実際に私がいじめを命令しなくてもヒロインに嫉妬する他の令嬢たちが勝手にやってくれるはず。それを被るか被らないか、最後に判断すればいい。
「待たせてしまってすまない、ソフィア嬢」
初めて出会った時よりも大人になった殿下はより美しく、男らしくなった。太陽の光を浴びて光る金色の髪、そしてルビーのように深いきらめきを湛えた赤い瞳は言葉通り見た者たちを魅了する。
いつ何時でも静かに柔らかく微笑むその表情が、彼の処世術で、皆に見せる都合の良い顔だ。
「いいえ、殿下もお忙しい中ありがとうございます。本日もお会いできてうれしいです」
「最近、公務が続いて君との時間を取れなかったからね。今日だけは、と思っていたから会えて良かったよ」
思いがけない言葉に、私は思わず瞬きをして呆然と殿下を見つめた。
そんな私に気付いた彼はくすくすと珍しく声を出した笑った。
「僕が忘れているとでも?」
「・・・いいえ、けれどまさか気にしていらっしゃるとも思いませんでしたわ」
むしろ私が忘れてたくらいなのに。
「今日は僕たちが婚約を結んだ日ですから、誕生日の他にもこういう日があってもいいかなと思いまして」
「こういう日?」
「1年に必ず会う日ですよ」
さらっと言った婚約者から目をそっと背ける。
この人こんなこと言う性格だったかしら?いや、昔からちょっと王子様気取ってるような感じだったし、ゲームの中でも王子様然とした人だった。
ただなーんか裏があるような気がするけれど、そもそも私は殿下よりも頭が良くないからわからない。
「それはとてもいいお考えですね」
「・・・どうでもいいと思ってそうですね」
思わず瞬きをしてしまった。
「殿下がそんなことを仰るなんて思いませんでしたわ」
「そうですね・・・今までなら見て見ぬふりをしていたけれど、改めて心を入れ替えたんだ」
「心?」
「君との距離を縮めるために」
うん、私もね?花は嫌いじゃないわ。むしろ好きよ。
でも誰にでも言えると思うけれど限度ってものがあると思うの。
毎日毎日朝晩に花束を届けられたら部屋は花束だらけになるし、花瓶は足りなくなるし、部屋が花で溢れかえって・・・・・落ち着かない。
「殿下に明日必ず断りを入れておくわ」
「勿体ないですからねぇ。押し花にするにも人手が足りなくなりますわ」
そういう問題じゃないと思うのだけど、と昔なじみの侍女がしみじみ言うのを聞き流す。
殿下が私に花束やアクセサリー、ドレス、流行りの小説や学術書などの様々な贈り物を贈るようになってから数カ月。
それもこれもあの日の『君との距離を縮める』宣言の日から始まった。
はっきり言って迷惑このうえない。
私の部屋には殿下からのプレゼントが入りきらなくて、今は使っていない客室にも置くようになった。
使うことの無いドレスもアクセサリーも、ただの部屋の飾りになっている。
なのに殿下は贈り物を止めない。
どうしてだろう?どうして今更、距離を縮めるだなんて・・・殿下は私に興味ないはずなのに。ポーズにしては少し贈り物が多すぎる。
「・・・なんかおかしいなあ」
「失礼いたします。こちら、殿下からです」
「ありがとう」
いつもの通り、学園では時々殿下の護衛がついている。
こうやってカフェテラスの端に座っていても、殿下からの信頼厚い彼はいつの間にか側にいるようになった。殿下個人のお目付け役。学園に入ってから、学園にいる間は姿の見えない時でも監視が付くようになった。
ゲームではなかった設定だったと思う。
どうしてですか?、なんてどうでもよくて、殿下からも何も言われなかったから聞いていない。
「そう言えばもうすぐ結婚するんでしょう?おめでとう」
「はい。私事で恐縮ではあるのですがありがとうございます」
殿下が件の男爵令嬢に付きまとわれているのを眺めながら、ぼんやりと自分の部屋の惨状を思い返す。
今日、殿下にお茶を誘われていて彼の用事が済んだらこちらに来ると思う。
そこでもう贈り物は止めてくださいと伝えて、それから。
「ソフィア様!!」
姦しい声と共にやって来たのは件の男爵令嬢だ。
「私を虐めるのは止めてください!!ローラン様の婚約者だからって酷すぎます!!」
さっきまで殿下と一緒にいたはずだけどいつの間に瞬間移動したのかしら。礼儀を弁えない態度は前々から問題視されていたけれどこんなに無礼だったなんて初めて知ったわ。
それでも挨拶くらいはしようかしらと思いながら騎士として剣呑な目を向ける彼に目配せをして下がらせた。
「あの、」
「君、学園長がお呼びだ。今からすぐに行きなさい」
「ローラン様!!」
「・・・二度は言わない。今すぐ学園長の元に行きなさい」
いきなり現れた絶対零度の殿下に逆らえる者がいるはずもなく、件の男爵令嬢は初めは嬉しそうに振り返ったくせに顔を真っ白にして脱兎のごとく素早く走り去っていった。それはもう見事な逃げっぷりだった。
他の野次馬な生徒たちも目を付けられてはいけないと、さっと目を逸らして見て見ぬふりをする。
「ソフィア、騒がせてすまない」
「いいえ、とんでもございません。殿下にはお考えがあるご様子ですもの」
「これでもう終わりだ」
殿下が背後の騎士に目配せをして、音もなく彼が下がる。
あれから姿を見ないとは思っていたけれど、この日、件の男爵令嬢は学園を退学になったそうだ。
これでもう終わりとは件の男爵令嬢のことだったのね。
同じく転生者だろう彼女は殿下を攻略したがっていたようだけれどどう見ても殿下は彼女に気持ちを傾けてはいなかった。かわいそうなほどに。
無関心な殿下はこれまでの人生で心を動かされることなんてなかった。それが男爵令嬢の天真爛漫な姿に惹かれて、彼女との日々に楽しさを感じるようになるはずだったのに。
どこで彼女は間違えたのかしらね。
いつの間にか殿下の護衛騎士が替わり、学園でも私はお茶をしたり、一緒に勉強したりと交流を持つようになった。
「ソフィア」
「はい、ローラン様」
彼から名前を呼ぶようにお願いされてから、ほんの少しだけ表情が変わるようになった。
柔らかく、穏やかで、まるで恋をしているみたいに。
「私が君を好きなこと、わからないだろう?」
破れた恋は取り戻せないけれど色あせることもない。
だってずっと好きな、好きだった特別な人だから。
けれどあと1年後、私はローラン様と結婚する。
だからそれまでに、少しでも恋をしてみようと思ってしまった。
*
私の婚約者に初めて会ったあの日、私は婚約者が私の護衛騎士に恋をしたことを知った。
その時の彼女の顔を、12年経った今でも鮮明に覚えている。
そして私はそんなソフィアに恋をして、同時に失恋した。
私とソフィアは何事にも無関心だった。極端に、何事にも興味が無いし、わくこともない。
そんなソフィアが彼にだけは反応を示す。ほんの少しだけ表情を緩めて、諦めたように微笑んで、時折ほんの少しだけ言葉を交わして、その時間だけはとても幸せで満ち足りた顔をする。
その変化は私以外の誰も気付かない。
ソフィアの恋はそれだけささやかで、それでいて私には衝撃を与えた。
いつも淑女の仮面を被っているソフィアを腹立たしく思わなかったのかと聞かれれば嘘になる。私の婚約者なのにと問い詰めて、ソフィアの動揺する顔でも見たら少しでも溜飲が下がっただろう。
けれどそんなこととてもプライドが許さなかったし、ただでさえ私に興味の無いソフィアに八つ当たりしたら結果は言わずとも最悪なことになる。
直視はできないから視界の端でソフィアの哀しくて幸せそうな顔を見ながら、いつか彼女に満面の笑みを浮かべてみせたいと願っていた。
ようやく決心がついた16歳のあの日から、自分なりの努力が実を結んでいると思いたい。
「ソフィア、私と結婚してほしい」
彼女の顔を見れない自分が真っ赤になって緊張しながら恐る恐る彼女を見ると、二つの瞳をまん丸くして驚くソフィアがいた。
次の瞬間、ソフィアが浮かべた顔は私だけの宝物になった。