その記憶、買い取ります
星屑による、星屑のような童話です。
お読みいただけるとうれしいです。
「はあぁ……冬はやっぱりコタツが一番だね」
20歳の大学生の健さんは、ひとり、朝からのんびりとコタツの中で過ごしていました。というのも、学校がすでに冬休みに入って講義もなく、所属のバスケ部も今日はお休みの予定だったからです。
だらりと床に寝そべったその姿は、まるで四角い甲羅の付いた亀――。
実家から段ボール箱で送られてきた蜜柑の皮をむきながら、お昼ご飯は激辛カップ麺にでもしようと健さんが思った、そのときでした。
アパートの玄関チャイムが、ぴろりんと鳴ったのです。
――んもう、寒くてコタツから出たくないのに!
一瞬、居留守でも使ってやろうかと思った健さんでしたが、もしかしたらすごい荷物が田舎から届いたかもしれない――と思いなおし、渋々コタツから這い出ました。そして、近くに落ちていた青い゛どてら゛を羽織ると、よたよたとした足取りで玄関へと向かったのです。
「どちらさまですか?」
うす汚れた野球帽に、無精ヒゲ――。
ドアスコープのレンズの先にいるその人物は、どう見ても宅配業者のようには見えません。しかも、かなりの大男です。
「俺だよ、俺。勝だ」
「えっ……、勝先輩!?」
健さんには、ドアの向こう側から聞こえてきた声に聞き覚えがありました。
一年と少し前、「休学してしばらく世界を旅してくる」という言葉と使い古しの洗濯機を健さんに残して世界へと旅立っていった、バスケ部先輩の勝さん――その人に間違いありません。
健さんは、喜び勇んでドアの鍵を開けました。
「いやあ、お久しぶりです」
「おう、久しぶりだな! で……突然すまないが、しばらくここにおいてくれ。ちゃんと自分の寝袋はあるからさ」
「しばらくここにおく……? て、えーっ! いきなり何言ってるんすか」
「だから、部屋の隅にでも寝泊まりさせてくれればいいんだよ」
「で、でも……」
健さんの都合など、お構いなし。
勝先輩――休学中の大学6年目4年生――は背中に背負った大きなバックバックとともに部屋の中に転がり込んできました。呆気にとられる健さんに、勝先輩はなおも畳みかけます。
「健、悪いけど今から洗濯させてもらえるか? 世界を旅したら、色々、洗濯物がたまっちゃてさ……。俺のあげた洗濯機があるだろ?」
「いや、それがですね――」
健さんは、先輩からもらった洗濯機が少し前に壊れ、今は週一回のペースで近所のコインランドリーに通っていることを報告しました。
すると勝先輩は南国育ち特有の褐色の笑顔を見せ、「そうか、壊れちゃったか。じゃあ、自分の手で洗うから風呂場を使わせてくれよ」と言いつつ、健さんの返事も聞かずにバックパックの中身を床の上にばらまき始めました。
――うわあ。先輩、本当にここに居座る気だよ。
そう思った健さんが、小さなため息をついたときでした。
最後のひと振りとばかりに勝先輩が大きく揺すったバッグから、ぽろりと緑色の石が付いた指輪が床に落ちたのです。
「…………」
自分の物なのに何故かその指輪を見た途端に体が固まってしまった、勝先輩。
代わりに指輪を拾い上げた健さんが、それを先輩に渡そうとします。が、勝先輩はぷるぷると首を横に振ると、それを受取ろうともせずに言いました。
「その指輪、お前にやるよ。南米で買った安物だけど、本物のエメラルドだから」
「エメラルド……? そんなものもらえませんって!」
「いいから、もらってくれ。俺にはもう、そんなもの必要ないんだ」
「でも……」
結局、先輩から押し付けられるように指輪をもらってしまった健さん。
「じゃあ、お礼に今夜の晩ご飯はおごりますよ。寄せ鍋にでもしましょう」
と言うと、鍋のための買い物をするために部屋を出ていきました。
部屋にひとり取り残された勝先輩は、「ふうぅ」と今の虚しい気持ちと同じくらい冷たいため息をひとつだけついたあとに、洗濯に取りかかります。
ごしごしごし――。
ぶくぶくぶく――。
それからしばらく後のことでした。
勝先輩が風呂場で無我夢中になって洗濯をしている真っ最中に、玄関のチャイムが鳴ったのでした。
「なんだよ。今、忙しいんだって……」
そのまま居留守を使って無視してしまおうとも思った勝先輩でしたが、あんまり何回もチャイムが鳴るので、仕方なく洗濯の手を休め、玄関へと向かいました。
「あのう、俺、この部屋の居候なんですよ。この部屋の主はいま出かけてるんで、すみませんが、あとでもう一回来てもらえます? もうちょっとで帰ると思いますから」
ドア越しにそう言った勝さんでしたが、ドアの向こうから返って来た言葉は、勝さんの予想を裏切る、毅然とした若い女性のものでした。
「いえ、アタシがここに来たのは、アナタに呼ばれたからです。開けてください」
「アナタ? アナタって自分のことですか?」
「ええ。紛れもなく『勝さん』、アナタですよ」
――はあ? 俺が呼んだってどういうこと!?
ドアスコープを覗いてみると、そこにはなんと、赤と白の毛並みをしたパンダが一頭、立っていました。こんな光景、東南アジアでもインドでもアフリカでも南米でも、見たことがありません。
夢でも見ているのかと何度も目をこすってもみましたが、一向にドアスコープの景色から紅白パンダの姿が消えませんでした。
仕方なく、勝さんがドアの鍵を開けます。
すると、紅白パンダがぺこりと頭を下げて言いました。
「どうもぉー。アタシ、『嫌な記憶買い取り専門店』をやっております、゛ンダパ゛って言いまぁーす。実はウチ、6頭兄弟で、長男の゛パンダ゛はコイヌランドリーという洗濯屋をやってまして――って、そんなことはどうでもいいですよね」
「いや、どうでもよくはないんだけれども……。それより、『嫌な記憶買い取り専門店』って、いったいなんなんです?」
「なんですって、そのものズバリですよ。アタシはその『嫌な記憶』の出張査定と買取をするのが仕事でして――」
と言いつつ、ンダパと名乗るパンダが部屋の中をうかがいます。
床の上の指輪を見つけた紅白パンダが、目を輝かせました。
「そこに落ちてる指輪――アナタが売りたがってるものですね。ちゃんと査定したいので、上がらせていただきますよ」
「ちょ、ちょっと!」
ぷっくりとした体型ながら、戸惑う勝さんの横を軽い身のこなしでひょいひょいと通り過ぎたンダパは、健さんの部屋へとずかずかとあがりこみました。そして、緑色に光る石の付いた指輪を手に取って、しげしげと眺めました。
「あら残念……この緑色の石は本物のエメラルドだけど、ちっちゃいし、指輪の輪っかの部分がごくごく普通のものだから……買取価格は、せいぜい6千円ってところね」
「ろ、6千円!? 何言ってんだよ、失礼だな……現地では3万円もしたんだぜ」
「え、そうなんですかぁ? うーん……それは、まんまとだまされましたね」
「嘘だろぉ!? あ、わかった……。お前、詐欺師かインチキ商売やってる、いかがわしいパンダだな」
「な、なんてこと言うのよ!」
ンダパと名乗る紅白パンダが、急にぷんぷん怒り出しました。
今までパンダのいる動物園に何度か訪れている勝さんでしたが、こんなに両手両足を振りまして怒るパンダを見るのは、初めてです。
「もともと『こんなものいらない』と心の中で叫んでアタシを呼んだのはアナタなんですから、そういう物言いはないと思うんですよ。それに……アタシは、見てのとおり、ごくごく普通のパンダです!!」
「普通のパンダってこういう感じだったっけ……? まあ、そのことはいいや。とにかく、6千円てのはひどいよ」
「ひどいもなにも、プロの目から見れば、この指輪の買取価格はその値段なんです」
「それなら、こっちの赤い石はどう? ボリビアで拾ったこれなら、売ってもいいよ」
6千円と聞いて、手放すのが急に惜しくなったらしい、勝さん。
ポケットから取り出した鈍い赤色を発する石を、エメラルドの指輪の代わりに売りつけようとしました。
ですが、それを見た途端、ンダパは渋い表情です。
「ああ……残念ながらこれは全然気持ちが入ってませんから、買取不能です。さっきも言いましたけど、ウチは『嫌な思い出の品』しか買取できないんです。買取することで嫌な思いをした皆様の『心の洗濯』をして差し上げるという、社会奉仕的な意味もありまして――」
「わかったよ。じゃあ、売ろう。本当は゛あいつ゛に渡したかったんだけど、どこにいるのかわからないから渡すこともできないし……」
それはすでに健さんに譲ってしまったものだ――ということもすっかり忘れ、勝先輩はついに指輪を売ることを認めてしまいました。
ンダパが「まいどありぃ……これは高く売れるわ――って、いえ、何でもありません」と、指輪をほくほく顔で受取った、そのときでした。
玄関の方から、元気いっぱいといった感じの女性の声がしたのです。
「すみませーん! ここに勝という名前のバカがいませんか?」
動きの止まった、勝さんと紅白パンダ。
一人と一頭が口をあんぐりと開けたまま顔を向けたその先には、勝さんと同じくらい色黒の肌をした女性がひとり、すっくと立っていました。
冬だというのにすごく活動しやすそうな、ジーンズの短パンとジャケット。
売買契約成立まであと少し、というところでの新たな来客に、パンダが小さく舌打ちします。
「もしかして、お前……南なのか?」
「そう、南。本物だよ! あんたが私を探してたって島で聞いたから、わざわざここまで来てやったんだからね」
「そうか。でもよくわかったな、この場所が」
「島を出るときに、ここの場所をあんたのお父さんたちに伝えていたでしょ?」
「そうだったっけ……」
世界の旅から帰って来た勝先輩は、一度、南国にある故郷の島に帰っていたのでした。
そして、目の前にいる女性の消息を島の住民に尋ねていたのです。
「それにしても、ここ10年くらいずっと音信不通だったじゃねぇか。何やってたんだよ」
「色々私にもあったんだよ、あれからさ……。でもようやくそれも落ち着いて、久しぶりに島に帰ってみたら、あんたが私を探してたっていうじゃない。だからいてもたってもいられなくなって、ここにやって来たんだよ。なんか文句ある?」
「い、いや……。文句はない」
「っていうか、あんたこそ勝手に都会の大学に来ちゃってさ、島に残るっていう約束はどうしたのよ」
健さんのアパートに現れた女性は、勝先輩の幼友達でした。
どうやら、十数年ぶりに再会したようなのです。
と、今まで二人の再会シーンに入る余地のなかったンダパが、とても残念そうに肩を落としながら、会話に割り込みました。
「あのう……お取込み中すみません。どうやらこのエメラルドの指輪、『嫌な記憶』じゃなくなっちゃったようでして、買取できなくなってしまったのですが――」
血相を変え、勝先輩がンダパの差し出した緑色のエメラルドの指輪をその手から奪い取りました。
「そうだった、そうだった。これは返してくれ。だって、これは南に渡すために買ってきた物だから――。いつか本物のエメラルドをあげるっていう、子どものころにした約束を果たすためにな」
「えっ!?」
南さんの顔が、パッと明るく輝きました。
と同時に、勝さんの頬も真っ赤に染まります。
エメラルドの指輪をポケットに突っ込んだ勝先輩は、健さんにあてた手紙とがっかり感満載のンダパ、そしてたくさんの洗濯物を健さんの部屋に残して、幼馴染の南さんとどこかに行ってしまいました。
☆
その数分後のことでした。
買い物袋を持った健さんが、アパートに帰って来たのです。
しかし、部屋に勝先輩の姿がありません。よく見ると、コタツの天板の上に勝先輩の筆跡らしい、一枚の書き置きがありました。
【本当に短い間だったが、世話になった。すまんが、洗濯物と紅白パンダを一頭、残しておく。よくわからんが、俺の代わりにパンダに思い出の品を売ってやってくれ】
――紅白パンダ? 思い出の品を売る??
意味はよくわかりませんでしたが、見ると、コタツに入った一頭の紅白パンダが、毛布に包まってぬくぬくと温まりながら、健さんが食べるのを楽しみしていた蜜柑をむしゃむしゃと食べているではありませんか!
その、ごろごろと転がっているさまは、まさにパンダそのものです。
「うわっ、キミは誰!?」
「まいど……。アタシ、『嫌な記憶買取専門店』のンダパと申します」
以前、コインランドリーっぽいお店で会った「パンダ」と、よく似た感じ。
けれど、何となく雰囲気が違います。まごまごするばかりの健さんに、なおも赤白パンダが続けました。
「あなたの先輩の勝さんに呼ばれてきたんだけど、買取する品が無くなっちゃって……。責任とってもらえます?」
「せ、責任!?」
ンダパが、苦情申し立てるように、今までのいきさつを話し始めました。
勝先輩の「心の叫び」でエメラルドの指輪を買い取りに来たこと、商談成立寸前で南さんという女性がやって来てご破算になったこと、そしてあっという間に二人でどこかに行ってしまったこと――。
健さんは、わざわざ買い取りに来てくれたパンダさんがなんだか不憫になり、言いました。
「それなら、この部屋に散らばってる先輩の洗濯物を買取できませんか?」
「汚れてるし、思い出もさほど詰まってないみたい。買取不能ね」
「そうですか……。じゃあ、とりあえず鍋でも食べます? 二人前買ってきたんで、一緒に食べましょう」
それを聞いたンダパの、今まで眠たげだった瞳がパッと開きました。
「それはいいですね、いただきます! アタシは嫌な記憶買取専門だけど、今日はいい思い出ができそうです」
「そうですか、それはよかった!」
――久しぶりに、にぎやかで楽しい晩ご飯になりそうだ。
わくわくしながらそう思った、健さんでした。
(おしまい)
お読みいただき、ありがとうございました。
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