マトリたち 第1話
・とある事件と報道をプロットに書き上げた作品です。全2話構成。
なろう初投稿の処女作ですが、ぜひ一度ご覧ください。
「・・・まだ動きは無いです」
「一晩待ち続けたんだ、もう仕事も始まるやろうし、もう無いんかもな」
ある日の朝。
サラリーマン、学生、パチンコの場所取り・・・。
せわしく動く人陰の隙間をぬうように、穏やかなスズメの鳴き声と清涼な風が抜けていく。
とあるマンションを監視するように、月極駐車場の一角に止まったシルバーのワゴン車。
せかせかと動く人の流れに反して、3人の男たちは待ち続けていた。
「・・・!おい、起きんかい!朝になったぞ」
運転席に座る若者を、後方の中年男がペシペシと頬を叩く。
若者の名は花田 爽平。
25歳とこの中では一番の若輩者だ。
「まったく・・・運転はしばらくオレがしとくから、ちょっと後ろ下がって休んでろ」
「・・・すんませんリーさん」
大きくあくびをした後、外に出て軽く伸びをし、後部座席から出てきた中年の男とすれ違う。
冷たい朝の風が寝ぼけている花田の目に、軽く喝を入れる。
肉づきの良い尻をどっかりと、運転席に座らせたこの中年男の名は利堂 朝雄。37歳。
「いや、ホントにすみません・・・代わっていただいて」
「ええからええから、そんなに気にせんでええ。むしろ寝不足で運転されたらこっちが敵わんわ」
少し関西なまりのこの男が、この捜査班の頭脳であり一番の現場経験者だ。
そして2人の会話に気にも留めずに、カメラの世界を通してマンションを見続けている。
この男が捜査班のリーダーである、間宮 大輝。
彼らは関東厚生局所属の麻薬取締官。
通称、マトリ。
男たちは半年ほど前から、ある人物を追い続けていた。
変わらずカメラの画面越しにマンションの動きを探る間宮。すると、ポケットのスマホにバイヴレーションが。
「すいませんリーさん、ちょっと代わってもらえますか?」
前方にカメラを回すと、少し屈みながらメッセージを確認する。
マトリの彼らに情報のたれ込みをしている売人、星川からのメッセージだった。
内容を確認した間宮は大きくため息をつき、2人に伝えた。
「・・・取り引きは今晩。しばらく動きは無い、って」
「それはホンマか?」
「ブツの仕入れがまだ済んでいないって・・・それよりも、星川がちょっと拾って欲しいって言ってるんです。何でも少しまずい事になったと」
「・・・そうか、ならしゃーないか・・・。よし、星川拾ってからちょっと休憩するか。」
ハア、とため息を漏らすと、利堂はハンドルを握りキーを回した。
「あ、リーさんすいません。運転は私がします、ちょっと考えがあって・・・」
「・・・そうか、いや代わってくれるんなら助かるわ。オレもちょっと眠くてな・・・」
2人は席を立つと、寒空の下ですれ違う。
利堂はまた、気怠そうに座った。花田は疲労が溜まっているのかウトウト外を見ている。
間宮はシフトレバーを動かし、まだ学生たちが駆けている朝の住宅地を走り去った。
動きのないマンションの一室を、忌々しそうに見つめながら。
※ブツ = 薬物のこと
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「リーさん、爽ちゃんとビジホで休んでいってくださいよ。送って行きますんで」
運転席の間宮からの申し出に、苦笑いする利堂。
「はは・・・それはありがたいけど、星川の件はどうするんや?」
「星川は私が拾って行きますよ。話しは後でリーさんたちにもラインしますし。それに・・・」
「それに・・・?」
少し浮かない顔をする間宮。
まさか、と利堂も思わず顔をしかめる。
「ははは・・・大丈夫、この車の事ですよ。そろそろガソリンを入れておかないと」
メーターはエンプティー、まもなく空を差そうとしていた。
「・・・なんや、そうやったんか。すまんな、まったく気づかんかったわ」
間宮の笑みにつられて顔を緩める。
ゆっくりと進む車の波に呑まれる中、車内でそんなやり取りが流れる。
緊張の合間をほぐすような、つかの間の団欒。
少し脇道に逸れて車を止めると、後部座席で寝ぼけている花田を起こしてもらう。
「ほら爽ちゃん起きんかい、休めるぞ」
「えっ・・・?」
瞼をこすりながら、うーんとうなり声をあげ利堂に尋ねる。
「ここ、どこですかぁ・・・?」
「ビジネスホテル!着いたから部屋借りて、今晩に備えて寝るぞ」
「はぇ・・・?お金はいぃんですかあ」
「もうマーさんから貰ってるから安心しい。ほら、降りるで」
バン、と利堂は花田の背中を叩きシャキッと起きるように喝をいれる。
重い腰をよっこらしょとあげ、引き戸を開け白線の引かれたアスファルトの上に降り立った。
肩を貸すようにしながら、利堂は若輩者の背中を支えながら歩んでいく。
うつろうつろな花田は呂律曖昧に、言葉を運転席に投げかける。
よく聞き取れなかったが多分、すいません、と言ったのだろう。
2人は去りゆくワゴン車に頭を下げると、ホテルの入口へとノロノロ進んでいった。
「爽ちゃん、身体壊してなかったらいいんだが・・・」
表情を少し曇らせながら間宮は1人、星川との約束の場所に走らせて行った。
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人の流れも収まり、陽の差し込みが明るくなってくる頃。
まだ寒そうに、コートのポケットに手をつっこんで誰かを待っている頬のやつれた男。
雑居ビルの集まる路上で、時に辺りをキョロキョロと伺いながらスマホに目をやる。
しばらくすると、男の側にシルバーのワゴン車が止まった。
運転席をちらりと確認すると、早急に後部座席に乗り込んだ。
片手ハンドルの慣れた運転で2車線の大通りに出ると、朝の流れに従うように間宮はゆったりと走らせた。
「・・・ホントに取引は今晩なのか」
「ああ間違いねえ、向こうからそう言ってきたんだから」
静寂な時の流れに反して、車内には少しピリピリした時が流れていた。
「・・・また例のように、直前でドタキャンか?」
間宮は尋ねる。
彼女のわがままに、またこっちが振り回されたのかと。
「ああ、こっちにブツが揃ってない訳が無いさ・・・。なんでも友人との呑みが遅くなって、今日はもう寝たいから、だとよ」
「はぁーっ・・・まったく、好き放題に生きるなあホントに」
赤信号で止まると、両手をハンドルにつけ頭を突っ伏す。
半年間追っているとはいえ、彼女の奔放な生き方には間宮は未だに慣れていない。
信号は青に変わった。大きくため息をつきながら、アクセルをゆっくり踏む。
「・・・で、予定を今晩にずらし込んだと」
「ああ・・・と言っても、この取引会場。なんでも事務所の後輩とか、ちょっと燻っている読モとかわんさか集めてパーティするらしくて、すごい人数らしくて」
「そこで取引か・・・証拠さえしっかり押さえられたら、また芋づる式に逮捕者が増えるな・・・」
髭の伸びてきた顎を撫でながら、うーんと唸る。
運転手の表情に変わりはないが、後部座席の男、星川はじっとりと汗をかき、盛んにスマホの通知を気にする。
「で・・・まずい事ってのは」
間宮の質問に星川は口元を少し歪ませると、目を伏せ小さな声で語り始める。
「その・・・今、他の売人の・・・横森ってやつに、ポリと裏で繋がっているんじゃないかと、疑われてて・・・」
「ははは・・・繋がっている相手は、近からず遠からずだな」
オレたちはマトリ。
その直感は間違っていないと、売人ながらその横森という男に少し感心した。
「冗談じゃねえよ・・・このままだとオレ、リンチされちまうよ・・・。近いうちに絶対されるって」
「そうだな・・・バレたら報復モンだ、最悪死ぬかも」
生唾をゴクリと呑んだ音がはっきりと間宮の耳にも聞こえた。
ちらりと後部を映すミラーに目をやると、星川はまた目を伏せた。
「まだ証拠が十分じゃないんだ。今日、使用の現場まで押さえられたら確実に令状が取れる。それまではなんとか粘ってくれ」
間宮も、売人とはいえ相手は人間だ。
命はちゃんと守りたい。
しかし、こちらの仕事もあるのでもう少し頑張ってくれとお願いした。
「ホントに頼みますよ・・・まだ死にたくはないんですから」
星川の家から、1駅ほど離れた場所に車を止めると彼を下ろした。
不安そうに去りゆくワゴン車を、星川はずっと見つめていた。
※ポリ = 警察のこと
リンチ = 集団で殴り、蹴り、痛めつけること
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早々と家に帰りたい間宮だが、まだ仕事は残っている。
自宅近所の黄色い駐車場に止めると、エンジンを切り少しため息をつく。
それから車内の荷物をまとめると、車を出る前にスマホを起動させた。
デジタル時計は9:35と表記していた。
電話帳を開きフリックすると、小気味良いタップである人物に電話をかけた。
「・・・あ、もしもし。間宮です、おはようございます」
かけた相手は警視庁捜査三課、桜田警部補。
マトリの彼らと情報を共有をし合っている、頼りになる人だ。
「ライン、見たよ。今晩大きなパーティーが開かれて、そこで取引と使用のしっかりとした証拠を押さえられるかも、って」
「ええそうなんです、ただ・・・たれ込みしている売人が」
「・・・危ないか、そうか・・・さすがに半年も誤魔化しは効かんか。あんまり休み休みという訳にもいかないな」
相手の顔は分からない、が声のトーンからお互い状況があまり良くない事を察していた。
「桜田さん、最悪押さえられなかった場合に備えて・・・今の証拠でガサ取れるかどうかだけ、確認取れないでしょうか?」
まだ売買の現場を押さえた証拠しかないが、桜田は快諾してくれた。
お互い四の五の言っていられない状況だ。
「うちの捜査班にも動ける準備をしておくように言っておくよ。ガサが取れしだい、いつでも乗り込める準備はしておくから」
「助かります・・・私たちだけでは、やっぱりこのヤマは大変ですし」
桜田警部補の協力が得られた事にホッとした間宮は、受話器の描かれた赤いボタンを押そうとした。
何かまだ話しが続いている事に気づく。
間宮は指を戻し、再び耳に戻す。
「そっちは多分聞いていないかもしれないが・・・ある情報が入ってな」
「・・・情報、ですか?」
「ああ・・・前に話した、1週間前の空港で引っかかった液体のハッパの件。あれのウラが取れて、な」
桜田警部補の話しに偽りはない。
警察内でも緻密な情報交換をする事がモットーとしており、こっちが警察では無いとはいえ、同じ一件を追う者には包み隠さず伝え合う。
その姿勢がここまでの成果に繋がっているのだから。
「・・・まさか犯人の目星がついて、もう逮捕まで証拠がそろっているんですか」
「ああ、確定だ。うちの高谷警部が明日にでも逮捕に伺うって。なんせ相手は日本を代表した元選手だからな・・・ちょっと俺らの件も続くとなると、しばらく茶の間は忙しくなるな」
桜田警部補の言葉に間宮は口元を緩めた。
「ははは・・・その為にも、私たちで絶対に捕まえないと」
間宮は思っていた。
桜田警部補だって、この機会を逃したくないはず。
大事に、でも迅速に、時に臨機に。
そう思いながら、口元を引き締めた。
「では、次の連絡では良い情報を」
「間宮さんありがとう、こっちも引き続きEの事は見張っているから、また動きがあったら知らせる」
電話を切るとスマホの重みに任せて手を下ろし、また1つ大きく息をついた。
今晩に備えて、少しでも休まないと。
荷物を抱えてワゴンを下りた間宮は、我が家の玄関へと向かって行った。
※ガサ = 差押許可状のこと
ハッパ = 大麻のこと
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ドアを開けると、リビングで妻がぐったりしていた。
身支度に朝食、保育園と幼稚園の送り迎え。
さらに今日は燃えないゴミの日でもあった。
・・・疲れて当然だ。
間宮は台所に向かい、棚からコーヒーを取り出す。
蓋を開けると2つのカップに粉を落としていく。
気分転換と目覚めには、コーヒーが一番だ。
「朝から1人で色々させてしまって、ごめんね。砂糖だけでよかった?」
疲れが色濃く顔に浮ぶ妻を労い、励ますように淹れたてのコーヒーを手渡す。
「ありがとう。」
申し訳なさそうに、妻がポツリとつぶやく。
「ごめんね・・・ヒロくんにしんどい姿見せちゃって」
左の指で瞼を揉むように、グッと寄せる妻。
重そうに目を開けながら、まだ熱いコーヒーをズズリとすする。
「洗い物はやっておくから、少し休んでよ」
「ヒロくん、ホントにごめんね・・・」
「手の空いた人が率先して家事はこなす。何も謝る必要なんか無いって」
あれだけの量と子どもの世話をしながら、駆けめぐる時間の中で今日も戦い抜いたんだ。
労りと励ましの言葉が無ければ、お互いやっていけない。
「それに・・・なかなか2人と遊んであげる事も出来ないし、むしろこっちの方が申し訳ないよ」
マトリという仕事上、定時になったらさようなら、とはいかない。
どうしても大事な案件があると家族の事は二の次になってしまう。
間宮は申し訳ないと思いながら、俯向く。
黒い液面には、クマが濃く浮き出た自分の顔が写った。酷い顔だ。
「なあ、お昼用事が無いのなら・・・ちょっと外食でもしないか?」
せっかく今は自由な時間があるんだ、一緒に過ごせたらいいな。
そんな気持ちで外食に誘う。
付き合ってくれて大丈夫なの?と、心配そうに妻は見つめた。
「大丈夫。車の中で少し寝たし、このヤマが終われば、またゆっくり出来るから」
「・・・無理していない?」
妻の問いに対して、不安を取り払ってくれるように笑顔で返す。
「それはお互いさま。ゆっくりお茶でもして、休もうよ」
少し頬を緩めると、それならお言葉に甘えて、と間宮の提案を受け入れてくれた。
「良かった!じゃあちょっと洗い物済ませてくるから、準備して待ってて」
空になったカップを2つ回収すると、間宮は流し場に向かった。
妻の安心した表情に少し疲れもとれ、その足取りも少し軽かった。
洗い物をしながら、ここまでの道のりを思い返す間宮。
頭の整理と、今日の大仕事に備えて気持ちの準備も兼ねて。
蛇口から音を立て流れる水の音が、過去へ記憶を遡らせる・・・。
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ことの成り行きは、星川の任意同行からだった。
前々から1人の売人に目をつけていた桜田警部補たちは、半年ほど前に駐車場を何度も車で往復する星川を任意同行した。
調べると車内からは大麻のパケ6袋が発見され、あっさり御用。
…となるはずだったが、事態は急変。
星川がパトカーの車内でとんでもない情報をゲロったのだ。
「女優のEって、アンタら知ってるか?あの人、うちの大口の顧客なんだよ。昨日だって取引してたのに…。それがどうして俺みたいな、下っ端の小物がパクられなきゃいけねえんだよ…」
嘆きにも、怨みにも近いボヤきは瞬く間に警視庁捜査三課を揺るがせた。
女優Eと言えば、10年ほど前に華々しいデビューを飾り、一躍若手女優の筆頭に踊りでた著名人だ。
一時期、舌禍沙汰を起こして活動を自粛していたが、最近はまたCMから活動を再開していた。
黒い噂は少なからずたっていたとはいえ・・・。
華々しく芸能界に返り咲いた、まさかその彼女が・・・。
寝耳に水の三課。
しかし、逆を言えば彼女の逮捕に漕ぎつけられれば、一番の取引先を叩き潰す事ができ、一大ルートの壊滅に結びつく・・・。
桜田警部補は星川に示談を持ちかけた。
今回の逮捕は多目に見る。
協力する姿勢を見せてくれれば保護の対象として扱う、と。
星川の心は大きく揺れただろう。
もし警視庁に連行された事がバレたら、もうこの界隈では生きていけない…。
でも、このままなら前科も考慮されて5年は下らない。当面は塀の中だ…。
星川は考え抜いた末、示談を受け入れた。
だが桜田警部補も、いつも警察の目が星川と、女優Eに光っていては売人や組織の者たちから怪しまれるだろう、と。
そこでかつて捜査に協力をしてくれた、マトリの利堂をツテに、間宮たち厚生局に調査を依頼した。
※御用 = ここでは逮捕の意味
パケ = プラスチック製の小さな袋のこと。警察用語である
ゲロる = 情報を吐いてしまう意味
パクる = 捕まる、という意味の警察用語
厚生局 = 厚生労働省のこと。麻薬取締官は、各地方にある厚生局に所属する職員である
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それから半年間・・・。
厚生局と警視庁の情報網がようやくヤッコさんの尻尾を掴み、逮捕に結びつこうとしていた。
あともう一歩、もう一歩で。
洗い物を終え皿をカチャリと置くと、また大きくため息をつき目を閉じた。
逮捕に迅る気持ちを抑えるように。
ここから続く緊迫に備えて気を鎮めるように、静かな洗い場で、間宮はもう一度深く息を吐いた。
時計の針は、まもなく12時を指そうとしていた。