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三百枚書けるようになるお得な「小説の書き方」コラム  作者: カイ.智水
実践篇〜さぁ筆を執って書き始めよう
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92.実践篇:いつ・どこで・誰が

 今回は「シーンの冒頭で書かなければならないこと」について述べてみました。


いつ・どこで・誰が


 小説は「エピソード」の積み重ねで出来ています。「エピソード」は「場面(シーン)」の積み重ねで出来ているのです。

 「場面(シーン)」は頭のうちで「いつ」「どこで」「誰が」を明確に示さなければなりません。




いつ

 まずその「場面(シーン)」で描くのは「いつ」の出来事でしょうか。

 小説では基本的に文頭から文末までを時系列で描きます。そのうえで「回想場面(シーン)」をどこに挟むかを考慮するのです。


「回想場面(シーン)」は順方向に流れる時系列の中で「過去の出来事」を綴っていく場面(シーン)を指します。

 たいていの推理小説は死体が発見されてスタートするものです。

 探偵が捜査した結果、犯人を特定します。関係者全員を集めて警察官の前で犯人を名指しし、そこから始まる「過去の犯行場面(シーン)」が代表例です。

 サー・アーサー・コナン・ドイル氏『シャーロック・ホームズの冒険』を想起させますね。先にホームズが依頼を受けて犯行現場を訪れて謎を調べ始めるのです。

 時系列が乱れるのは前述の「過去の犯行場面(シーン)」を語る「回想場面(シーン)」と「推理に必要な重大なヒント」を得るとき登場人物に過去を語らせる「回想場面(シーン)」のみ。後者は話の中で触れてくるくらいの「回想カット」とでも呼ぶべきものです。

 登場人物がホームズから聞き込みをされたとき「そういえばあのとき」で入って「こんなことがありました」で終わります。その短い「回想カット」が挟まれるだけです。

『シャーロック・ホームズの冒険』では犯人の犯行を決定づける「過去の犯行場面(シーン)」を語る「回想場面(シーン)」を一つだけ挟んでいます。その他は「回想カット」を使ってホームズが情報を収集していくのです。

 手の込んだ推理小説を書こうとしすぎて「回想場面(シーン)」だらけになる作品がよく見られます。しかし「回想場面(シーン)」はポイントを絞らなければ作品全体が散漫になってしまうのです。


 これに対して時系列通りに物語を記していく手法は推理ものならテレビドラマのピーター・フォーク主演『刑事コロンボ』が有名です。

『刑事コロンボ』では冒頭から犯行の一部始終が描かれます。その後犯行現場の実況見分にコロンボ警部補が赴いてくるのです。この順序が変わったことはありません。

『シャーロック・ホームズの冒険』と同様「推理に必要な重大なヒント」を得るとき登場人物に過去を語らせる場面(シーン)はあります。こちらも登場人物の話の中で出てくる「回想カット」です。それ以上長い「回想場面(シーン)」はありません。

 そして推理で追い詰めた犯人を断定するために、コロンボ警部補は関係者を集めたり犯人と一対一になったりして推理を披露します。

 その際に「過去の犯行場面(シーン)で犯した重大なミスを描いたカット」を挟むのです。そして犯人を推理で追い詰めたらそこで「ジ・エンド」。「過去の犯行場面(シーン)」の回想はありません。

 日本でも三谷幸喜氏『警部補 古畑任三郎』(セカンドシーズン以降は単に『古畑任三郎』と題される)が『刑事コロンボ』をオマージュした形で同様の手法をとっています。


 推理ものとして『シャーロック・ホームズの冒険』と『刑事コロンボ』のどちらかがすぐれているわけではありません。どちらにも長所があるのです。

『シャーロック・ホームズの冒険』は「犯人は誰なんだろう」と真相を探っていく過程が描かれます。脳の思索が重点です。

『刑事コロンボ』は「いつ犯人が犯した重大なミスに気づくだろう」と真相へ近づいていく過程が描かれます。犯人の焦りが重点です。

 方向性が真逆なのですから、優劣なんてつけられませんよね。

 ただ「時系列通りに場面(シーン)を流れさせる」という基本は一緒です。

『シャーロック・ホームズの冒険』では「過去の犯行場面(シーン)」を読み手に見せていないので、どこかでそれを描く必要があります。だから推理で追い詰めていく過程で「過去の犯行場面(シーン)」が必要になるのです。

『刑事コロンボ』では「犯行場面(シーン)」をすでに視聴者に見せているので、推理で追い詰めていく過程で「過去の犯行場面(シーン)」を描く必要がありません。

 両者に共通しているのは、聞き込みで登場人物から「推理に必要な重要なヒント」を得るときに「回想カット」がフラッシュバックとして取り入れられている点です。

 最も「回想場面(シーン)」や「回想カット」の多い推理小説でもそうなのです。


 小説投稿サイト『小説家になろう』で現在も高い人気を誇る「異世界転生ファンタジー」小説を書くのに、推理小説よりも多く二回も三回も「回想場面(シーン)」を入れる必要があるでしょうか。ないですよね。

「異世界転生ファンタジー」で「推理もの」をやろうというなら話は別ですが。それでも「回想場面(シーン)」は一回だけ。重大なヒントは「回想カット」で書いていくことになります。

 聞き込みをして「そういえばあのとき」で入って「こんなことがありました」で終わる。そんな短い「回想カット」です。




どこで

 その場面(シーン)で描くのは「どこで」起きた出来事でしょうか。

 小説は基本的に文頭から文末までを地道に一歩一歩進むように描きます。

 そのうえで「端折る場面(シーン)」と「そのとき他の場所では場面(シーン)」をどこに挟むかを考慮するのです。


 「端折る場面(シーン)」とは地続きな場所からある場所まで瞬間移動させることです。

 その道中にたいした出来事が起こらないのなら、積極的に端折ってください。読み手が知る必要のない情報など小説には不要なのです。

「設定があるからとりあえず書いておこう」では字数は稼げますが中身が伴いません。

 三百枚の読後感が薄くなってしまうようでは小説の価値がないのです。


「そのとき他の場所では場面(シーン)」は、本来地続きなはずの物語の中で「この出来事が起きているとき、他の場所ではこういう出来事が起こっていました」と綴っていく場面(シーン)を指します。

 主人公による一人称視点ではまず使えません。一人称視点は主人公の心の声をそのまま地の文で書ける利点があります。主人公が見聞きし感じたものだけを書くことができるのです。しかし主人公のいない場所で起こっていることを書くことはできません。

 もし使うとしたら「対になる存在」か「立ちはだかる存在」が、主人公がこうしていたとき裏でこんなことをしていました、と「書き手の目線」から語るときくらいです。そのときだけ主人公による一人称視点が外れます。

 「書き手の目線」とは神の視点です。小説においてどこかの誰かのことまで知っているのは書き手だけです。「書き手の目線」を入れるということは神の視点で書くということでもあります。

 三人称視点とくに神の視点であれば、別々の場所で起きている出来事を読み手が知ってもおかしくありません。

 このように「主人公が知りえない情報を読み手が知る」ことを「秘密」と言います。物語の「秘密」を知ってしまったら、読み手は主人公に応援して「早く気づいてくれ」と思わずにいられません。

 そのため戦争や戦記などの群像劇ものでは三人称視点や神の視点が多く用いられるのです。




誰が

 その「場面(シーン)」で描くのは「誰が」関係した出来事でしょうか。

 「場面(シーン)」によって参加する人物は異なるはずです。

 主人公ひとりしか出てこない「場面(シーン)」もあれば、群衆が出てくる「場面(シーン)」もありますよね。


 小説の基本は主人公による一人称視点となります。読み手が主人公へ感情移入しやすくするためです。

 読み手は読んでいて誰にも感情移入できない小説をどこまで読み進めると思いますか。

 せいぜい四百字詰め原稿用紙最初の二枚までです。

 それまでに感情移入できるキャラを出さなければその小説は誰にも先を読まれない作品になります。つまり商品価値がないので「紙の書籍化」なんてありえないということです。

 戦争や戦記などの群像劇では、物語の奥深さを出すために登場人物がどんどん増えていきます。

 これを一人称視点で書くとなれば、作品世界のスケールが大きくなるほど一人称視点を持つ人物は増えていきます。

 あくまで一人称視点にこだわるのであれば、「エピソード」単位か「場面(シーン)」単位で主人公を明確に定める必要があるのです。

 そうやってまでも破綻しやすいのが「あくまで一人称視点」となります。


 田中芳樹氏『銀河英雄伝説』では実に多くの人物が登場しています。その中でも「場面(シーン)」によって主人公が異なり、ときに一人称視点のような描写を行なっている部分があることもわかります。

 とくに銀河帝国側のラインハルト・フォン・ローエングラムと自由惑星同盟側のヤン・ウェンリー、さらにフェザーン自治領のアドリアン・ルビンスキーを加えた三極は一人称視点で書かれることの多いキャラです。

 当然物語はこの三極による駆け引き構図で成り立っています。のちにルビンスキーは地球教司教ド・ヴィリエに、ヤンはユリアン・ミンツに代わりますが基本は同じです。

 ただの神の視点としてあっちの人はこう考えてこっちの人はこう思っていると書くのではなく、神の視点で描きながらも特定の人物の一人称視点を加えていく。田中芳樹氏はこの配分が絶妙です。

 現在残すところあと一巻(最終巻は2017年12月15日発売予定)となった『アルスラーン戦記』もやはり巧みな一人称視点を使いこなす神の視点で描かれています。未読でしたらぜひ読んでみてください。群像劇の理想的な書き方が学べるはずですよ。(2019年5月時点ですでに完結しています)。

 ライトノベルでは賀東招二氏『フルメタル・パニック!』が同様の手法を用いているので『銀河英雄伝説』は敷居が高いなと思うのでしたらこちらを読んでみましょう。





最後に

 今回は「いつ・どこで・誰が」について述べてみました。

 小説は「エピソード」の積み重ね、「エピソード」は「場面(シーン)」の積み重ねです。

 その「場面(シーン)」は「いつ」「どこで」「誰が」主人公として語られるのか。これを読み手に適切に知らせなければ、漠然とした内容しかわかりません。

 まるで般若心経のように、文字は書き写しても内容がよくわからない状態です。般若心経であればご利益(ごりやく)を期待して百万遍も写本するかもしれません。でも小説はご利益があるものではないのです。

 読み手を楽しませなければ小説である意味がありません。

場面(シーン)」が始まったら速やかに「いつ」「どこで」「誰が」を読み手に提示してください。そこから読み手と書き手の攻防が始まるのです。




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