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三百枚書けるようになるお得な「小説の書き方」コラム  作者: カイ.智水
惹起篇〜このことに気づいていますか
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899.惹起篇:こと・もの・という、省けませんか

 今回は文章に頻出する「こと」「もの」「という」についてです。

 これらの言葉は本当に必要でしょうか。

 必要な場面があるのは事実です。

 しかし、むやみに乱発していませんか。

こと・もの・という、省けませんか


 文を構築する際、安易に「こと」「もの」「という」を乱発していませんか。

 これらの語は、意味がわかりにくくなるため、可能なかぎり省いてください。




ことを省く意識を持つ

「人間は無呼吸で何メートル泳ぐことができるのだろうか。」

 ここに出てくる「こと」という単語ですが、書く意味はありますか。

 実はこの「こと」は用言を体言に置き換えるための語なのです。

「泳ぐ」は動詞つまり用言ですが、「泳ぐこと」は名詞化つまり用言を体言に置き換えた形です。

 なぜこんな回りくどいことをするのか。(ここでも「こと」が出ました)。

 主語を指す助詞「が」は体言しか受け付けません。ですので、用言を主語にしたいときは「こと」を用いて体言化する必要があります。

 ここでは「泳ぐことが」という主語が述語「できる」につながっているのです。

 頭のよい方や察しのよい方は、すでにお気づきかもしれません。

 実はこの「こと」は省けるのです。しかもよりスマートな形で。


「人間は無呼吸で何メートル泳げるのだろうか。」

 これが答えです。

 つまり「泳ぐことが」「できる」の構文は、「泳ぐ」という用言が「できる」という活用をしたいわけです。

 それなら単純に「泳げる」と用言の可能活用をすればよい。

「〜することができる」は「〜できる」が最も読みやすいのです。

「説明することができる」は「説明できる」、「英語を話すことができる」は「英語を話せる」でも意味は変わりません。

 では小説での使用が限られる「形容詞」「形容動詞」の場合はどうでしょうか。

「髪を美しくすることができる」は「髪を美しくできる」、「場内を静かにすることができる」は「場内を静かにできる」ですね。やはり「することができる」の形が出てきます。これは無条件に「できる」に改めて問題ありません。


 では次のような場合はどうでしょうか。

「今回、危機を脱したことで、対応力のたいせつさを知りました。」

 具体的には「脱したことで」は用言「脱した」を「知りました」につながる助詞「で」につなぐために「こと」が使われています。

 しかしこの「こと」は省けるのです。

「今回、危機を脱して、対応力のたいせつさを知りました。」

 助詞「て」に変えると、体言「で」を用言「て」にして述語を修飾する言葉に変えられます。

 意味はほとんど変わっていませんよね。どうしても「脱した」と過去形で用いたい場合は「脱したこと」にもできます。しかし、この「どうしても」という場面はそれほど多くありません。たいていの場面では「脱して」で問題ないはずです。


 このように「こと」は削れる場面が多いのです。




ものを省く意識を持つ

「命よりたいせつなものはなんだろう。」

 ここに出てくる「もの」も、「こと」と同様に用言を体言化するために用いる語です。

 ただし「こと」と「もの」では指しているものが違います。

「命よりたいせつなこと」は概念であり、「命よりたいせつなもの」は具体例です。

 ここでは「命よりたいせつな理念とはなんだろう。」のように具体例を挙げると「もの」は削れます。

「現場の混乱は収拾のつかないものになった。」

 このくらいならまぁ「もの」を使ってもいいかな。そうお思いではありませんか。

 ここの「もの」は省けます。

「現場は収拾のつかない混乱に陥った。」

 これで消えましたね。しかも意味は変わっていません。

「もの」が指している体言を見つけ出して、直接書けばよい。それに伴って語順を入れ替えます。

「長年無理を重ねてきたものが、一気に表面化した。」

 これも語順を入れ替えて、

「長年重ねてきた無理が、一気に表面化した。」

 で伝わりますよね。

 なにも「もの」に頼る必要はないのです。


「百人の民間人を救出するために、一万人の兵士を犠牲にするものがいるだろうか。」

 これは「もの」が「物」ではなく「者」なので、具体例ではなく人物を指しています。

 かな書きすると、このように「物」と「者」がごちゃまぜになってしまうことはよくあるのです。

 注意して切り分けてください。




というを省く意識を持つ

「アメリカ留学という経験で、ネイティブな英語に触れてきました。」

 この「という」にも意味はありません。

「アメリカ留学を経験して、ネイティブな英語に触れてきました。」

 これで「という」がなくても、同じ文意になりました。


「歴史というものはつねに戦争の積み重ねで出来ている。」

 この文章に出てくる「という」「もの」はともに削れる語です。

「歴史はつねに戦争の積み重ねで出来ている。」

 省いても意味はまったく変わりません。


「こと」「もの」「という」は、漢文読み下し文から用いられるようになった語です。

「百キロマラソンを走ることはたいへんな苦行である。」という一文があったとします。

 これは「百キロマラソンを走る」という文節にいっさい手を加えずに活用させるために用います。つまり変えてよければ、あえて「こと」を使う必要がないのです。

「長年無理を重ねてきたものが、一気に表面化した。」

 も、「長年無理を重ねてきた」に手を加えずに用いるために使われるのです。

「学びて時に之を習う、亦説こばしからず乎」という中国古典『論語』に由来する故事成語があります。

 このように「という」はその前に書かれている文節を「いっさい手を加えず」活用するために用います。


 このように「こと」「もの」「という」は引用するときに使うべきであり、それ以外ではできるだけ避けたほうがよい言葉です。





最後に

 今回は「こと・もの・という、省けませんか」について述べました。

 使うのは「手を加えずに引用する」ときくらいです。

 今出た「とき」も省けないか試したのですが、なかなか難しいので「とき」はよいかなと思います。

「推敲」はこのような「こと・もの・という」をいかに削れるかも試されているのです。

 できるだけ使わない構文になるよう考えてみてください。

 きっと新たな表現が身につくはずですよ。




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