8. :舞台設定は必要最小限に
主人公と「対になる存在」の設定が進んでくると、同時に「舞台設定」に凝りたくなってきますよね。
でも舞台設定が複雑になればなるほど、それを文章で表現しきるのに数十枚いや百枚以上かかってしまうこともあるのです。
貴重な文字数をそれほど割いてまで表現したい世界観なのでしょうか、というお話です。
舞台設定は必要最小限に
小説を書くとき、人物設定と同時並行で作らなければならないのが「舞台設定」です。
小説が「主人公がどうなった」物語であるため、人物設定に凝りたくなりますよね。そのキャラがどんな舞台で物語を織りなしていくのでしょうか。設定したキャラの属性によってある程度「世界観」が定まります。
TRPGの『Dungeons & Dragons』をベースにしたら、J.R.R.トールキン氏『指輪物語』の世界観が舞台となります。近未来SFであれば、現代の現実世界から科学技術が進んだ世界観が舞台となります。
どの舞台設定を使ってもまったく問題ないのですが、他人が作った世界観をそのまま用いるのはオススメしません。著作権もありますし、何より他の作品との差別化が図れないからです。
「シェアワールド」といって誰でも参加できる世界観があります。『クトゥルフ神話』をベースにした邪神が跋扈する世界観を題材にした「シェアワールド」も昔から存在しました。『ロードス島戦記』『ソード・ワールド』でお馴染みのグループSNEの「アレクラスト大陸」も彼らの「シェアワールド」でした。
舞台設定のコツ
舞台設定の基本はどのような世界の、どのような地域の、どのような国の、どのような町で繰り広げられるのか。まずこのあたりは押さえないといけません。
現実の現代社会を舞台にすれば、ここは一気にすっ飛ばせます。
また科学が発達しているのか魔術が発達しているのか、発達している技術は末端ではどれほどで最高峰はどれほどなのか。忘れがちですがこういう設定も主人公が活躍する世界を不足なく見せるためには不可欠です。
まったく別の世界を選べばすべてを創作しなければならず、その世界観を読み手に理解させるだけで相応の枚数を要します。三百枚前後・十万字前後が応募規定である小説大賞において、世界観のためだけに何十枚も分量を割くことは賢明とは言えません。
ゆえに利用者の多いトールキン世界、現実世界、プチ未来世界を舞台とする書き手が多いのです。ただそれだと他の作品と差別化できません。
どの世界観をどれだけ利用するかでも世界観説明のために用いる枚数が異なってきます。剣と魔法のトールキン世界を用いても、エルフは出てくるけど魔術師は出てこない世界もありえるでしょう。いっそ現実の中世ヨーロッパを意識して魔術は出てこないし亜人も出てこない無骨な世界が舞台になることもあります。
小説には人物が活躍する世界観が不可欠です。人物設定で「主人公がどうなるか」を決めた段階で、世界観も同時に考えることになるのもそのためです。
現代社会を舞台にするときの落とし穴
世界観の構築には時間がかかります。決めなければならない事柄がとても多いからです。
その点で現代社会を舞台に選ぶと、これら雑多な構築がいっさいなくなり、すんなりと小説を書ける利点があります。
現在のライトノベルにおいて、現代社会を基礎にして少しの魔術、少しの科学つまりフィクションが加味されている作品が多いのも、元をたどればそこにあるのです。なにより「現代人が瞬間で理解しやすい」。
ただ、変化もなく現代社会を舞台にすると、時代の流れによって古びて陳腐化してしまうおそれもあります。現代社会を選んだら、そのままではなく少しの魔術や少しの科学などのフィクションを入れて、「現代社会から少しズレた世界」を構築しましょう。今でもアニメ化・ドラマ化・映画化が絶えない筒井康隆氏『時をかける少女』のように、ズレのおかげで陳腐化を後らせる効果が期待できます。
また現代社会を舞台に選んだときには、きちんと舞台になる町を取材しましょう。海に隣接しない山梨県なのに海で出来事が起きるはずがありません。現実ではありえないことを書けるのも小説の魅力ですが、事実と異なる世界観が許されないのも現代社会です。安易に舞台を選ばないほうがよい通例と言えます。
世界観の構築
世界観を構築しようと思えば決めることは多くなります。ただ、その設定は小説にどこまで利用するつもりでしょうか。
地球と同規模の惑星で、大陸がいくつかあり、その大陸には何十カ国が存在している。そのうちのある地域で事件が起こるとします。
そのとき「惑星」のことから小説で言及する必要がありますか。おそらく無いですよね。そこまで書くときは「他の惑星」が物語に出てくるときに限られます。
ある地域でのみ主人公が活躍する場合、大陸の設定もほとんど要らないでしょう。超長編の連載小説ともなれば大陸各国を巡り歩く必要が出てくるかもしれません。しかし三百枚の小説でそこまで風呂敷を広げすぎると、設定して文章に記された地名が作中で一箇所だけにしか出てこないということが往々にしてあります。
読み手は「文章に書いてあることはすべて伏線」だと解釈しながら小説を読みます。小説の中でその後まったく触れられない地名はそもそも設定する必要があるのでしょうか。
それは「書き手の自己満足」にすぎません。
削れるものは徹底的に削る
小説というものは、文字で書かれていることすべてに意味があって無駄がないことが求められます。
物語と直接関係のない物事まで決めてしまい、それを文章の中に書き込んでしまう。結果としてその一文でしか出てこない地名にあふれた小説を書いてしまうことが往々にしてあります。
それは「書き手の自己満足」であって、読み手は「読む必要のなかった情報を読んでしまった」のだから「無駄の多い作品」だとみなします。余計なことが書かれている文章を読まされたと読み手が判断すれば、二度とその書き手の作品を読もうとはしなくなるでしょう。
小説内で登場しないことまでは設定しない。
「書き手の自己満足」との戦いは想像以上に困難です。書き手によっては設定中毒に陥ってしまい、世界観のすべてを設定しないと気が済まない性分の人がいます。でもそれは徒労です。
小説内で言及しないもの、取り立てて必要性のないものは「初めから設定しない」ように心がけましょう。
つまり人物設定と同様ここでも「想像の自由」を確保するために、あえて設定をザルにしておくのです。
万が一その作品が連載されることになったとき、初めて世界観の細かなところを決めていけばいいのです。
削れるところは徹底的に削ること。
余計な情報は極力削除し「文章の純度を高める」ことで小説の価値が高まるのです。
決して設定中毒に陥らないよう注意してください。ザルのような設定であるほど後付け設定を入れる余地も生まれますからね。
最後に
今回は「舞台設定は必要最小限に」を題材に選びました。
書き手はときとして設定中毒に冒されることがあります。でもその設定は小説内で用いられるのでしょうか。用いられないものを決めてもまったくの徒労でしかありません。
「余分な情報は極力削除」すれば「文章の純度が高まる」のです。つまり不純物はできるかぎり省いて取り除くこと。
「あらすじ」の段階から、どこまでの舞台設定が必要なのかを考えておけば、そのような不純物を最初から取り除けます。「あらすじ」の作業は侮れませんね。