504.飛翔篇:五感の描写
今回は「五感の描写」についてです。
ただの「セリフ集」で終わらせないためには、言葉以外で聞こえているもの、目で見えているもの、肌に触れているものなど、つまり「五感」を書いていきましょう。
とくにこの「聴覚」「視覚」「触覚」の三つは重要で、これがなければ感情移入させることはできません。
侮れないのが残る「嗅覚」「味覚」です。小説の中にはこのふたつが出てこないものもあります。
だからこそ「嗅覚」「味覚」が書かれた小説は印象深くなるのです。
今回は「五感の描写」についてです。
ただの「セリフ集」で終わらせないためには、言葉以外で聞こえているもの、目で見えているもの、肌に触れているものなど、つまり「五感」を書いていきましょう。
とくにこの「聴覚」「視覚」「触覚」の三つは重要で、これがなければ読み手を感情移入させられません。
侮れないのが残る「嗅覚」「味覚」です。小説の中にはこのふたつが出てこないものも多数あります。
だからこそ「嗅覚」「味覚」が書かれた小説は印象深くなるのです。
五感の描写
小説は意識しないと、会話だけで行が埋め尽くされてしまいます。
これはある意味致し方ないことです。
物語を進めるには、登場人物同士の会話で情報を読み手に与え、時間が経過する様を書くのが最も手っ取り早い。
それではただの「セリフ集」だと感じたら、そこに「耳から聞こえたもの」「目から見えたもの」などを書き加えていくことになります。
聴覚の追加
ただの「セリフ集」で終わらせないためには、会話中でも聞こえてくる「人の声以外の音」を書くことです。
学校で授業を受けているのなら、先生が黒板に文字を書いているときのチョークが擦れる音や、あちこちから聞こえてくるノートにシャープペンシルを走らせている音、そして授業の終わりを告げるチャイムの音、カラスの鳴き声。
そういった「人の声以外の音」を書き込むことで、会話以外の聴覚を刺激するものが読み手に伝わるようにするのです。
現実世界では自動車だけでも、立ち上がるエンジン音やアスファルトにタイヤを切りつける音、けたたましいクラクションの高音、ウインカーやハザードランプの点滅音などが鳴ります。
人が歩いているだけでも、歩調を刻む靴音や布ズレの音、スマートフォンでSNSを使っているときの操作音、携帯音楽プレーヤーから漏れてくる楽曲などが鳴っていますよね。
都会に住んでいる方は、およそ音のない状況を想像できないかもしれません。
まったく音がしない状況にいると、なにも音が聞こえてこないのか。
そう思うかもしれませんが、耳のそばを流れる血液の音、心拍の音など、体内で鳴っている音が聞こえてきます。
体内の音は都会でも流れているのですが、都会では喧騒にかき消されてしまって聞き分けづらいのです。
ただし都会でも集中力が高まっているときは、喧騒が薄れて体内の音を意識できるようになります。
集中力が高まると、よく「コマ送りのように感じられる」と表現されますよね。
そういう状態のときは体内の音がとても大きな音として感じられるのです。
とくに心拍がいつもより長い間隔で鳴っているように聞こえてきます。
このように「人の声以外の音」が、世の中にはどれだけ多く鳴り響いているのか。
それを知れば、聴覚で「人の声」だけを書くことがいかに薄っぺらい表現なのかに気づけます。
視覚の追加
人間の脳力の感覚を処理する部分の七割は、視覚からの情報を処理するために使われているとも言われているのです。
であれば「セリフ集」の中に「目から見えたもの」つまり視覚の情報を必ず入れましょう。
自分の容姿は鏡や写真や動画でなければ確認できません。
であれば「目から見えたもの」は平常なら他人の容姿や出で立ちやクセ、建物や車の外観や内装、道路を歩く人や自動車の移動する方向とスピードつまり「ベクトル」などを書くことになります。
空を見上げれば雲が浮かび、太陽が照りつけ、飛行機が飛んでいる。
しかしただ「目から見えたもの」だけを書くのでは、小説にしたとき「ただの説明」にとどまってしまうのです。
それぞれはたしかに「目から見えたもの」に違いないのです。ただし、物語とどんな関係があるのか。視覚からの情報は、物語との関係性で描写すべきものなのです。
たとえば主人公がスッキリと晴れやかな気分でいたら、雲ひとつない青空を見上げて燦々と陽光が降り注ぐさまを描写します。いわゆる「対比」ですね。
また「ただの説明」で終わらせないよう、「比喩」を盛り込みましょう。
「太陽がまぶしく輝いている」とだけ書くよりも、「比喩」を使って「太陽がまるで製鉄所の溶鉱炉のごとく輝いている」と書くのです。
聴覚にも「比喩」を使えるのですが、視覚のほうが万人が納得できる表現にしやすいのです。
上記しましたが脳力の七割ほどは、視覚の処理に用いられています。
だから視覚に「比喩」を重ねると、多くの読み手が「比喩」を正確に理解できるのです。
ここまでの共通認識が生まれるのが、視覚という人間最大のセンサーの役割ということになります。
触覚の追加
聴覚・視覚と来たら次は触覚です。
多くは「肌触り」を指しますが、他にも温感や痛覚も含まれます。
物に触れると、人は「物体がある」と認識するのです。柔らかいのか固いのか液体なのか気体なのかがわかります。
ただしそれだけではありません。
人は温感つまり熱いのか冷たいのかぬるいのか温かいのか暑いのか涼しいのか寒いのか、ということも一瞬で判断しています。
温感とともに一瞬で判断されるものが痛覚つまり痛みです。
あなたは真夏の炎天下に駐車されている自動車のボンネットを触ったことがありますか。
目玉焼きが作れるほどの高温です。
だから誤ってボンネットに触ろうものなら、まず温感と痛覚が同時に刺激されて「熱い」「痛い」と感じてボンネットから手を離します。ボンネットが柔らかいか固いかなんて関係ありません。とにかく「熱い」「痛い」はそれよりも上位の感覚なのです。
どちらに優先度があるかは人それぞれだと思いますが、私は「痛い」ほうが先に感じられると思っています。
先に痛覚を刺激されて「痛い」と思ってボンネットから手を引く。すると手がヒリヒリとしていて痛みがある。だから「熱い」という感覚が生まれてくる。そんなふうに考えているのです。
つまり触覚は「痛覚」「温感」「触覚」の三層に分けられます。
触覚を強く刺激すると「痛覚」が現われ、熱かったり冷たかったりすれば「温感」が現れます。そして「柔らかいのか固いのか液体なのか気体なのか」がわかるのです。
それらを丁寧に拾って文章に織り込んでいくのが「書き手」の筆力ということになります。
なお味覚に含まれる「舌触り」は触覚の一部です。舌が感じる「肌触り」のことを「舌触り」と言います。
嗅覚の追加
四番目の感覚は嗅覚です。
鼻で嗅いだにおいを書き表します。
「におい」は大きく分けて、好ましい「匂い」と好ましくない「臭い」に分けられます。
好ましい「匂い」は「かぐわしい」「かんばしい」「こうばしい」などと表現しますが、「かぐわしい」「かんばしい」はともに「芳しい」「香しい」「馨しい」と書くのです。「こうばしい」は「芳ばしい」「香ばしい」と書きます。どちらも同じような漢字を用いているので、漢字で書く場合はルビを振ってください。
「鼻をくすぐる匂い」「馥郁とした梅の香」「ふわっと漂う匂い」などの表現もあります。
好ましくない「臭い」は「くさい」と表現しますが、漢字は「臭い」であり「におい」と同字です。
「顔をしかめるほど強烈な臭い」「饐えた臭い」などの表現もあります。
嗅覚を味覚よりも先に出したのは、嗅覚が味覚に大きな影響を与えるからです。
試しに鼻をつまんで料理を食べてみてください。いつもと異なる味に感じられます。
味覚は、嗅覚を伴って初めて正しく認識される感覚なのです。
味覚の追加
五感のうち最後に登場するのが味覚です。
嗅覚で言及したとおり、味覚は嗅覚の影響を大きく受けます。
鼻をつまんだだけで、感じる味が変わるのです。
味には五味があると言われています。
「甘い」「辛い」「酸い(酸っぱい)」「苦い」「塩辛い(しょっぱい)」です。
「甘味」「辛味」「酸味」「苦味」「塩味」と表すときもあります。
これに「うまい(旨い・美味い)」「まずい(不味い)」という主観的な味の分け方が加えられるのです。
中国料理では「辛味」を大きく二つに分けています。唐辛子の辛さである「辣味(らつみ)」、花椒(かしょう)油の痺れるような辛さの「麻味(まみ)」です。
二つを合わせて「麻辣味(まーらーあじ)」とも言います。これを味噌にした「麻辣醤」という万能調味料もあるのです。
辛い味噌としては「豆板醤」も有名です。
違いは「豆板醤」がそら豆と唐辛子を熟成させた味噌で「辛味と旨味」が主であり、「麻辣醤」は「豆板醤」の材料に花椒や陳皮などを加えて熟成させた味噌になります。「豆板醤」にヒリリとした辛さを加えたものという認識でもいいでしょう。
暑くて湿度が高い四川省などで汗をかくために考案された「豆板醤」「麻辣醤」を加えるだけで、和食が一気に四川料理のような味わいになります。
他にも「強烈な」「パンチの効いた」「濃い」「濃厚」「薄い」「薄味」「ほんのり」「さっぱり」「すっきり」「爽やか」「まろやか」などの言葉があります。
最後に
今回は「五感の描写」について述べました。
五感についてはコラムNo.151「応用篇:五感と直感を書く」でも述べています。
今回は直感については述べていません。上級者向けとして「直感」を書くことは難易度が高いからです。
それでも「直感」は重要なので、後日改めてコラムを一本書きたいと思います。




