496.飛翔篇:わかる言葉で書く
今回は「わかる言葉で書く」ことです。
小説を書いて認められようとしている人ほど、難しい言葉を使いたがります。
ですがその言葉、読み手が正しく理解してくれるでしょうか。
誤解されるとあとあと面倒が巻き起こるかもしれません。
わかる言葉で書く
小説を書くとき、つい格好をつけて「讒言する」のような読みにくいだけでなく、わかりにくい言葉を使いがちです。
そういう方は「小説は語彙力で差がつく」と勘違いしてしまっています。
そう、「勘違い」なのです。
読み手に伝わらなければ意味がない
小説は「語彙力の展覧会」ではありません。
読み手がわからなければ、どんなに高尚な言葉も意味を成さないのです。
たとえばサー・アーサー・コナン・ドイル氏『シャーロック・ホームズの冒険』シリーズの「児童文学」版は中高生が読んでも楽しめると思います。
ですが成年が読むために訳されたものは中高生が読んでわかるものでしょうか。
中学校や高校では習わない漢字や読みなどがありますし、過激な描写が省かれていないためどぎつい内容ですし、推理小説としてのレベルも高いためさらに難解になっているはずです。
私が語彙について懐疑的なのは、この「読めない漢字」「たとえ読めても意味がわからない漢字」を使ってしまうと、読み手に誤解されやすいという点にあります。
冒頭に書いた「讒言する」とはどのような動詞なのでしょうか。「言」がついているので「なにかを言うのだろう」ということはわかりますが、「讒」の字が読めないか読めても意味がわからないと思います。
「讒言する」の意味は「事実を曲げたりありもしない事柄を作り上げたりしてその人のことを目上の人に悪く言う。(『大辞泉』)」です。
置き換えられる動詞がありませんので「讒言する」を使わざるをえないと考える人が多いでしょう。
ですがこの場合、意味をそのまま書けばいいのです。「(ある人)を目上の人にあることないこと悪く言う」と書けば「讒言する」と書かなくても言葉の意味は変わりませんよね。
「讒言する」がわかる大人のために小説を書くのか。「讒言する」がわからない学生生徒に向けて小説を書くのか。
まずは読み手層を想定しなければなりません。
「讒言する」がわかる大人はかなり少ないでしょう。それでも「讒言する」を使いたければ使えばいいのです。その代わり「讒言する」がわからない大勢の読み手からは「讒言する」の一語だけで見切られてしまいます。
娯楽としての小説において、読み手はいちいち辞書を引きません。だから「この漢字は読めないかもしれない」と思ったら「ルビを振る」ことです。「ルビを振る」ことで少なくとも「読める」状態にはなります。次は意味を伝えることが必要です。
「讒言する」を使ったら、直後に「あの人のことを悪く言うもんじゃない」と苦言を呈する人を出します。そうすれば「『讒言する』って人を悪く言うことなのか」と読み手も納得してくれるでしょう。
ですが「讒言する」を使いたいがために、何度も「あの人のことを悪く言うもんじゃない」と苦言を呈する人が出てくるのも冗長ですよね。
それでもあなたは「讒言する」を小説で使いますか。
語彙は「読み手に伝わらなければ意味がない」のです。
漢語と和語
「言う」の語彙には「諫言する」「諫める」があります。
「諫言する」とは目上の人の過失などを指摘して忠告する意です。(『大辞泉』)。
「諫める」は主に目上の人に対してその過ちや悪い点を指摘し、改めるように忠告する。諫言する意です。(『大辞泉』)。
つまり「諫言する」と「諫める」は同義語ということになります。
どちらも難読の「諫」を用いていますが、「諫言する」は大人向けの単語ですね。
そもそも「讒言する」にしても「諫言する」にしても、「○○する」の形は漢語の名詞を無理やり動詞にした形になります。
それとは異なり「諫める」は和語であり元から日本語の動詞です。つまり「諫める」を知っていれば「諫言する」の意味もわかります。
中高生向けのライトノベルでは漢語の「諫言する」よりも和語の「諫める」を使ったほうがわかりやすいのです。もちろん難読ですから「ルビを振る」ことは忘れないようにしてください。
そして「讒言する」でも書きましたが、読み手は読みながら辞書を引きません。「諫める」と書いたら「国王は彼の忠告を聞き入れて興味本位の姿勢を改めようと決意した。」のように「諫める」の意味がわかるような文を差し挟みましょう。
阿る
難読の「阿る」という動詞があります。読みを知っている方は漢字に相当詳しいです。そもそも「阿」は常用漢字なのですが、実はこの読みを学校で教えてもらっていません。
この言葉は「おもねる」と読みます。和語の動詞でもなかなか使いません。
意味は「人の気に入るように振る舞う。へつらう」で、「諂う/諛う」と同義語です。(『大辞泉』)。
ただし「へつらい者」とは言いますが「おもねり者」とは言いません。つまり「へつらう」の中でも「振る舞う」ことだけが「おもねる」の意になります。「へつらう」には他にも「お世辞を言う。追従する」意があります。(『大辞泉』)。つまり「へつらい者」は「おべっか使い」のことです。
「へつらう」でも難しさは残りますのでここでもうひとひねり加えます。「媚びへつらう」に変えるのです。
単に「へつらう」だけだと中高生ではイメージが浮かびにくい語になります。そこで「媚びへつらう」と書けば「媚びる」の字義からどんな状態の動詞なのかイメージしやすくなるのです。
「阿る」と同義語「諂う/諛う」は漢字を読める人が相当少ない。幸い双方和語なのでかな書きすればいいのですが、そもそも「おもねる」という単語を使う人自体が少ないのです。「へつらう」も使う人はそれほど多くありませんが小説を書く人であればつい使ってしまう単語と言えます。それを「媚びへつらう」の形に改めれば日常的に使う人がかなり出てきます。「媚びる」は「権力者に媚びる」のように字は難しいですがイメージが湧きやすい言葉なので、これと組み合わせればいいのです。そうすれば「媚びる」と「へつらう」が似たイメージであるとわかります。
ちなみに「媚びる」は他人に気に入られるような態度をとる。機嫌をとる。へつらう意と、女が男の気を引こうとしてなまめかしい態度や表情をする意があります。(『大辞泉』)。今回使うのは当然前者ですね。
最後に
今回は「わかる言葉で書く」ことについて述べました。
読み手がわかるレベルの言葉だけで文章を書いてください。
読み手がわからない言葉は一文に一語だけにして、必ず注釈を入れていく工夫が必要です。
わかるレベルの言葉だけで文章を書くには、「讒言する」のようにわかりやすい言葉に置き換える方法、「諫言する」のように和語「諫める」に置き換える方法、「阿る」のように同義語でわかりやすい和語まで置き換える方法があります。
たったそれだけの気遣いで、読み手の理解はより深まるのです。